本で死ぬ ver2.0

基本的には本の話。でもたまに別の話。

ロイ・ディズニーのことをたまには思い出してあげてください~『ウォルト・ディズニー 創造と冒険の生涯 完全復刻版』のレビュー~

ウォルト・ディズニー 創造と冒険の生涯 完全復刻版

ウォルト・ディズニー 創造と冒険の生涯 完全復刻版

 

 

歴史に名を残す人物というのは、単に成し遂げた偉業だけではなく、その人となりにも注目される。なぜかというと、彼らはいい意味でも悪い意味でも「変人」だからだ。

 

もくじ

 

だからこそ、偉人の影には、そんな変人たちをサポートし、マジョリティとの橋渡しをする折衝役がいる。彼らは奇行を繰り返す“偉人”に振り回され、世間からは袋叩きにあうなどいろいろ散々な目にあう割りに、あまり評価されなかったりする。

 

ウォルト・ディズニーの場合、その苦労人は間違いなく兄のロイ・ディズニーだ。ロイはウォルトより8歳年上で、幼いころからウォルトをかわいがっていた。

 

面倒見の良いお兄さん

 

ウォルトは世界的な人気者であるミッキーマウスを生み出したスーパーディレクターではあったが、人間的にはいろいろ欠陥もあった。

アニメの制作に没頭するが、金儲けは苦手だ。だから、せっかく生み出した人気キャラクター「しあわせウサギのオズワルド」の権利をワーナーに奪われてしまうし、腕利きのアニメーターも他社に刈り取られてしまう。

 

そのくせ、アニメのクオリティは絶対に落としたくないから、すぐに兄に金をせびる。ひどいときには、ロイの奥さんにもお願いしてお金を借りたりした(このときもさすがにロイに激怒した)

ウォルトが周囲の反対を押し切ってアニメに色をつけたり、長編アニメの製作を始めたり、遊園地を作りたいと言い出したしたときも、ロイは資金面で反対し、それでも最終的には弟のために銀行や業界関係者と話をして金策などに奔走したりもしている。

 

収入がわずかなうえに、製作費が上がりっぱなしとあって、ロイは時折、従業員への給料の支払いに窮した。それで、各自の給料袋の中に、十ドル金貨が一個だけぽつんと入っていたこともあった。ロイが弟に資金難を訴えても、ウォルトはまるで意に介さなかった。一九三三年、ローズベルト大統領の命令で国内の銀行がすべて閉鎖されたときでさえ、ウォルトはロイと一緒になって悩んだりすることはなかったのである。

「どうして金が大事なのさ。そのうち、ジャガイモが金の代わりになるかもしれないよ。そしたら、ジャガイモで給料を支払えるじゃないか」

これが、ウォルトの論理だった。

 

要するに、ワガママな弟に振り回されるお兄ちゃんキャラである。『おそ松さん』でいうところのチョロ松である。

 

ワンマン社長としてのウォルト

 

もちろん、ウォルトの態度は基本的に誰に対しても変わらない。社員からしてみれば、いろいろと面倒くさい社長だっただろう。

 

ウォルトは、スタッフから出されるものであれ自分自身から出すのであれ、反対意見というものを嫌った。あるストーリー会議で、ディレクターがディズニーの発言にうっかり反論し、

「でもウォルト、このあいだの会議じゃ、まったく反対のことを言ったじゃないですか。記録にそう書いてありますよ」

と言うと、ウォルトは冷ややかな反応を示しただけだった。彼にとっては、その時その時の考え方のほうが大切であって、一週間前のことなどどうでもよかったのである。

いろいろな意見に耳を傾けはしても、最終的に判断を下すのはほかの誰でもなく、ウォルト自身であった。『ピノキオ』の脚本の中で、ビル・コトレルが書いたあるくだりをウォルトが変更するように提案すると、コトレルは、

「僕が書いたもののほうがいいですよ」

と反論した。

「うん、でも、僕のやり方でやってみよう」

「でも僕のやり方でやってみなきゃ、これでうまくいったのかどうか、永久にわからないことになるじゃないですか」

コトレルは負けずに食いさがった。が、ウォルトはきっぱりと言った。

「そのとおりさ、わからないままだよ」

 

ディズニーが自分の会社を自分自身の名前にしたのには理由がある。

彼は、自分という人間を会社にしてしまったのだ。ウォルト・ディズニーは彼個人から離れ、会社を構成するアニメーターやスタッフという人間の集合体が、ウォルト・ディズニーとなる。それこそが、ディズニーの戦略だった。

 

「ケン、僕は君の仕事ぶりに感心しているよ。でも君はここに来てまだ間もないから、一つだけ言っておきたいんだけどね。我々が売っているものはただ一つ、“ウォルト・ディズニー”という名前なんだ。君がそのことを承知して、そのために働くことに満足できるなら、君は僕のスタッフだ。でも、もし“ケン・アンダーソン”という名前を売り出したいなら、今すぐここを出て行ったほうが君のためだ」

 

優れたアニメーターの資質について

 

ウォルト・ディズニーはあくまでも「プロデューサー」だった。彼は絵を描くのもあまり得意ではなかったし、進行管理をするディレクションも苦手だった。

ただ、彼はあふれるほどのイマジネーションによって「まだそこにないもの」を細かい部分まで想像し、それを活き活きと人に伝えることができた。

 

そのため、ウォルトは自分の部下でもあるアニメーターを尊敬もしていた。しかし、尊敬の対象となるのは尊敬するべきアニメーターのみである。彼は、「優秀なアニメーターの資質」として、次のようなものを挙げている。

 

1.デッサンがうまいこと

2.戯画化の方法、ものの動き、ものの特徴などをつかんでいること

3.演技に対する目と知識をもっていること

4.いいギャグを考え出すと同時に、それをうまく表現する能力があること

5.ストーリーの構成と観客の価値観について熟知していること

6.自分の仕事に関する一連の機械的な部分や、細かい決まりきった作業をも、すべてよく理解していること。

 

さらに、アニメーション制作には科学的なアプローチが可能であると考えていたディズニーは、次のように述べている。

 

コメディーがおもしろいものになるには、観客との接点がなければならない。接点という意味は、見ている者の潜在意識の中でなじみ深いものを連想させる何かがあるということだ。スクリーンの上に映しだされた状況と同じような感じを観客自身が、いつか、どこかで抱いたとか、そういう場面に出会った、見た、あるいは、夢で見たことがある、といった具合に。……観客との接点と僕が呼んでいるものは、こういうことなのだ。アクションやストーリーがこの接点を失ってしまうと、観客の目から見てつまらない、ばかげた作品になってしまうわけだ。

だから本当の意味での戯画とは、現実のもの、可能なもの、ありそうなものに対する空想的な誇張になる。……今、僕が述べてきたことの背後にあるこの考え方を授業のあらゆる段階で、つまり、写実的なスケッチから、作品の企画・制作にいたるまで、生かしていけばいいと思う。

 

「平凡な作品」が一番ウケる

 

ウォルトは、自分の作品が陳腐であると評論家や知識人から指摘されることに慣れていたし、その昔、娘のダイアンでさえ、家で新しいディズニー映画を見せたとき、

「なんだ、お父さん。この映画、平凡でつまらないわ!」

と言ったほどである。ウォルトはこう答えた。

「そうかもしれんな。でも、平凡ってことはたいていの人のやり方ってことだろ。みんながどうして平凡が好きなのか、きっと、何か理由があるんだよ」

また、フランスを訪問中、フランス人の漫画家たちからアドバイスを求められた彼は、

「前衛的なものはやめといたほうがいい。商業主義でいくんだ。芸術とはそもそも何か。要するに大衆が好むものだろ。だから、彼らが欲しいと思っているものを与える。商業主義に徹して悪いことはなにもありゃしないよ」

 

これは最近、私がやっとわかりかけてきた心境でもある。

 

ロイの銅像が東京ディズニーランドにある

 

さて、弟・ウォルトの陰に隠れて印象の薄いロイ・ディズニーだが、じつは東京ディズニーランドには彼の銅像がある。ある場所はワールドバザールの入り口、エントランスから向かって左側にあるベンチだ。ここに、ミニーマウスと談笑しているロイ・ディズニーが座っている。

 

11月にはまた行く予定なので、チャンスを見つけて写真を撮ってこようと思っている。また、もしだったら、ディズニーランドに行く人はたまにロイ・ディズニーのことを思い出し、この銅像を探してくれてみよう。

 

この本、サイズのわりに読みやすく、過去のディズニー作品の意外な制作秘話なども垣間見れるので、おもしろい。ぜひ読んでみていただきたい。

 

ウォルト・ディズニー 創造と冒険の生涯 完全復刻版

ウォルト・ディズニー 創造と冒険の生涯 完全復刻版

 

 

今日の一首

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84.

永らへば また此頃や しのばれむ

うしと見し世ぞ 今は恋しき

 藤原清輔朝臣

 

現代語訳:

長生きすれば、(つらい)いまも懐かしく感じるのだろう。

つらかった昔のことも、いまは恋しく感じられるのだから。

 

解説:

著者は和歌の名門一家に生まれたにもかかわらず、父親と不仲だったためになかなか出世できなかった。また、二条院の命令でまとめていた「続詞歌集」も、完成する前に二条院が亡くなったため、“勅撰歌集”にならず、才能が世間で認められなかったというトホホな人生を送ってきている。とはいえ、後半はその才能が多くの人に知られるようになったので、このようなポジティブな歌が選ばれている。

 

後記

 

完全に余談だが、私がロイとウォルトの関係を読んでいて思い出したのは、チームラボの代表・猪子寿之さんである。じつは、私は数年前に取材で猪子さんと話をしたことがあって、その奇天烈なキャラクターに面食らったことがある。

 

猪子さんは初対面でもずっとタメ口で、取材中なのに別の仕事を始めたり、「ちょっとタバコ吸ってくるね」みたいなノリでいなくなる(私は追いかけて喫煙所までついていったが)

 

そんな自由奔放で、絵に描いたような天才肌人間だった猪子さんだったが、やはり彼にも「ロイ・ディズニー」的な役割の人がいた。その人(Kさん)はたしか大学時代からの同級生で、実務家として猪子さんをサポートしていた。

 

また個人的に気になっているが読んでいない本にこれがある。

 

POWERS OF TWO 二人で一人の天才

POWERS OF TWO 二人で一人の天才

  • 作者: ジョシュア・ウルフ・シェンク,Joshua Wolf Shenk,矢羽野薫
  • 出版社/メーカー: 英治出版
  • 発売日: 2017/04/15
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログを見る
 

 

結婚して思うようになったのは、「一人で完璧な人間はいないのではないか」ということだ。一見するとどれだけ完璧に見える人間がいたとしても、絶対にどこかの状況において、ほかの誰かに劣る部分がある。人間が完璧になりうる最小構成人数は2人なのかもしれない。

 

今日はこんなところで。

それでは、お粗末さまでした。