名状しがたき雑記
今回はオムニバス形式の雑記。いつにも増してまとまりのない内容となっている。なお、上の写真は内容とまったく関係ない。
もくじ
日本人に独特な「間」のとり方
先日とあるイベントに参加して、そのスピーカーの話のなかで一番興味深かったトピックス。その人は空手とボクシングを習ったらしいのだが、空手にあってボクシングにないものが「間」であるという。
たとえば空手の型を思い浮かべてもらえればわかるが、ある動作から次の動作へ移行するとき、一瞬全身を静止させてから、動き出す。これは弓道とか剣道とかの「残心」に通じるものだ。
もっと一般にわかりやすい例が「一本締め」。「よぉー、ぱん」と叩くやつだ。スピーカーによれば、外国の人たちと一緒に一本締めをやろうとすると、まずタイミングが合わないらしい。それは、外国人たちがほかの人の動作を見たり、音を聞いてから動作を合わせようとするからだ、という。
一方、日本人だと、たとえ初対面の人同士が集まっていても、「一本締めをやる」となると、一発で確実にタイミングが合う。「よぉー」と「ぱん」の間には空白があるわけだが、その空白がどのくらいなのか、日本人は独自の感覚によって共有しているのだ。
これと同じ哲学は空間や音楽などの創作物にも適用されていて、とにかく「間(余白)」の使い方が抜群にうまいらしい。つまり、「日本らしさ」を演出したい場合、この「間」を取り入れればいい。
ビジネス書の内容は日常的に使うからこそ意味がある
これはある人と話(というか打ち合わせ)をしていて「そうだなぁ」と感じたことだが、ビジネス書などに書かれているさまざまなテクニックや思考術などを「ビジネスシーンだけで使おう」と考えるから、それは身につかないのではないか。
普通の人間は、そんなにパッパとオンオフを切り替えることができない。普段の生活すべてでビジネス書に書かれていることを実践し、無意識的にできるようにならないと、それは習慣化できないだろう。
たとえば、論理的思考能力を身につけたいなら、部屋の片付けや旅行の計画立て、スーパーでの買い物、恋愛などなど、日常生活のあらゆるシーンで論理的思考能力を使うことを意識しなければならない。仕事でだけ論理的思考能力を発揮し、日常生活はだらける――というのは土台無理な話なのだ。
また、個人的に仕事ができる人の特徴は、たったひとつに集約できると思う。それは「自分を律することができる」ということだ。自らにルールを課し、それを怠けることがない人はまず優秀な人物だ。そして、そういう人は部屋の片付けもきっちりやるし、たとえ長年つき合った友人との約束も絶対に破らない。コツコツと毎日体を鍛えたり、アルコールや糖類の摂取も抑制しているからスリムで健康的だ。
ひとつのことを極めることに意味はあるのか?
いまの時代、たったひとつのことに全力を尽くして、そこでトップになろうとするのは愚策じゃないか。まあ、これは「100万人にひとり」の人材になる方法としてけっこう前からいわれていることではあるが、改めてある人と話していて「そうだなぁ」と思った。
たとえばカジノでルーレットに挑戦する場合、所持金全部を一点にかけることは、おそらく多くの人が「リスキーだ」と考えるだろう。それと同じように、時間という有限の資源をあるひとつの分野に投入することはけっこうリスキーなことなんじゃないか――ということだ。
もうちょっと実際的な話をすれば、英語を勉強する場合、多くの人は「すべての英単語、慣用句、表現方法を網羅した英語マスターになる」ことを目指してはいない。それなりに喋れれば、目的は果たされる。むしろ、高度になりすぎれば、それは次第に一般の人々には理解されない領域に突入していく。経済学における「限界効用逓減の法則」のごとく、あるレベルまで行けば、それ以上、時間を費やすコストと見返り(効用)はつりあわなくなってくる。
もちろん、それに時間をかけること(たとえば絵を描くこととか)が純粋に大好きで大好きで仕方ないなら、そういう人はそれに一点賭けすればいい。それに、そもそもひとつの分野で超一流になるためには、それくらいの愛がなければできないのだろう、などということも考えた。
「自称ぽっちゃり系合コン」に参加してみた
先週の土曜、とくに予定がなくて暇をしていたので以下のイベントに参加していた。
新宿の歌舞伎町にあるロフトプラスワンというイベントスペースでは、ほぼ毎日のようにこうしたマニアックな催し物や、エロいイベントや、よくわからない集会を開催しているので、おもしろい。
さて、男のいう「ぽっちゃり」と女のいう「ぽっちゃり」の間にはマリアナ海溝よりも深い溝があるということは周知だと思うが、このように銘打ったイベントの場合は、男性にとってはチャンスである。
上の図をごらんいただけばわかるように、基本的に女性の考える「ぽっちゃり」は、男性のそれよりもレンジがある。つまり、男からすれば「デブだろ」というような女性も「ぽっちゃり」だし、男からすれば「普通の体型でしょ」というような女性も「ぽっちゃり」なのだ。(逆に、女性が考える「スリム」の幅は男のそれよりも狭い)
ここから導き出せる答えは「女子のいう『ぽっちゃり』は男にとってあてにならない」ということであり、同時に「なんだかんだそんなに太ってない女の子もこのイベントには参加する可能性がある」ということを意味している。
実際、徒花がざっとこのイベントの参加者を観察してみたところ、参加している女性の体型は幅広いもので、私の目から見るとどう考えてもぽっちゃりではない女性も多かった。そして結局、そういう女性のほうが人気があるという、「本当にぽっちゃり」な女性にとってはいろいろと残酷すぎる現実も見た。
なおこのイベント、男性は飲み放題だが、女性はワンドリンクのみで、2杯目以降はカウンターで購入しなければならない。そう、つまり、男性は気になった女性のグラスが空になっているのを発見したら、おごってあげるというシステムなのだ。男は搾取されるイキモノである。
春アニメの所感
社会人になってからすっかりアニメを見るのが億劫になってしまった。以前は、新しいアニメが始まるととりあえず全部1~3話目くらいまではチェックしていたものだが、最近はネットの評判を見つつ、自分がいかにも気に入りそうな作品だけを見るようにしている。というわけで、まだ始まったばかりだが、とりあえず見続けようかなと思っている作品をば。
とりあえずは『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない』。3部までは一応全部見ていたし、横道なストーリーなのであんまり気を張らずに気楽に見れる。音楽のセンスも好き。
続いてネットでも大好評の『甲鉄城のカバネリ』。これについてはすでにいろいろな人の感想があふれているのであえて書かないが、いわゆる「ゾンビもの」というのはどうしてこうも人気があるのか……ということには興味がある。
もちろん、本作の場合はゾンビが出てくるから人気があるのではなく、作画がありえないくらいきれいだというのが大きな要因だろう。キャラクターデザインも、昨今の萌え絵とはちょっと一線を画した「ふつくしい」ものになっている。ただ結局、「進撃の巨人」しかり「テラフォーマーズ」しかり「亜人」しかり、正体不明の敵とのバトルがメインである効した作品の場合、まあ展開はなんとなく予想できる。
そして『マクロスΔ』。…………これは、なかなか迷う。フロンティアはアイドルというよりも「歌姫」というキャラクターだったから女性からの一定の支持も得られていたが、今作では完全なるアイドルグループになってしまった。ワルキューレによるライブもすでに決定したということで、「こいつはくせえッー! マネーのかほりがプンプンするぜ!」という心境。ちなみに、フロンティアのときはランカ派でした。
ただ、主人公が曲に合わせて踊りながら戦う要素は、マクロスにとって不可欠である「メカアクション×歌」という側面を活かし、かっこよく仕上げてあるのではないだろうか。絵柄も嫌いじゃないから、とりあえず、もうちょっと見てみようと考えている。
個人的に一押しなのは『ジョーカー・ゲーム』。もともとは小説だが、アニメは小説をコミカライズしたものが原作。見事に男ばっかりなのでもしかしたら腐れ女子の皆さんをメインターゲットにしているのかもしれないが、下手にアニメオリジナルの女子キャラを混ぜられるよりはマシかもしれない。
徒花は原作者である氏の作品が大好きなのだが、じつは、『ジョーカー・ゲーム』はそんなに趣味じゃない。そもそも、柳氏はデビュー時から歴史上の著名人を探偵役にしたミステリーを書く作家さんであり、個人的にはそちらの系統の作品のほうがずっと好きなのだ。フランシスコ・ザビエルとか、マルコ・ポーロとか、チャールズ・ダーウィンとか、ソクラテスとか。。。
最後に『ぼのぼの』。昔から好きなんだけど………なんか、なんか、頭身でかくない?? 頭が大きすぎるせいでぼのぼのがやせちゃったように見えて、なんとも不気味。まぁ、中身は相変わらずだが。実家にコミックスがそろっているので、また帰ったら読んでみようかしらん。
おわりに(株式会社大阪屋栗田の誕生)
出版取次の栗田出版販売が倒産したのが2015年の6月だが、その栗田が業界3位の大阪屋に吸収されて(その間にもいろいろあったが割愛)、2016年4月に株式会社大阪屋栗田(OaK出版流通)が設立された。
太洋社も経営破たんしたし、本の再販制度、および取次の立場はいろいろと風前の灯にあるようにしか思えない。大阪屋と栗田が合併しても、結局のところ出版業界の抱える構造的な欠陥はそのままダラダラ続けるわけなので、出版業界の未来には相変わらず暗雲が立ち込めている状況だ。やれやれ
今回はこんなところで。
それでは、お粗末さまでした。