本で死ぬ ver2.0

基本的には本の話。でもたまに別の話。

はじめての陰謀論~『日本人だけが知らない戦争論』『99 %の人に伝えたいこの世界を変える方法』のレビューとともに~

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陰謀論という言葉を一度は聞いたことがあるだろう。ロスチャイルド一族とか、イルミナティとか、十三人評議会とかの組織集団がじつは世界のマネーや資源、戦争などを裏で操っていると主張する論説のことである。

 

この言葉がいつごろ出てきて一般化したかはよくわからないが、現在では広く浸透し、UMA超能力オーパーツなどとともに、胡散臭いものの一角として扱われている。雑誌『ムー』が現在でも発行されているように、現在でも一定の人々から支持を受けているようで、書籍もちょいちょい発売されている。

というわけで、そのなかから2冊、読んでみたので、そのレビューをば。

ムー 2015年7月号[雑誌]
 

 

『日本人だけが知らない戦争論』のレビュー(ネタバレあり) 

日本人だけが知らない戦争論

日本人だけが知らない戦争論

 

 そのスジでは有名な論客、「ドクター・苫米地」こと苫米地英人(とまべち・ひでと)氏による著書。ちなみに、英人氏の字は「英」ではなく、正しくは旧字体である。ロン毛を後ろに縛った髪型が何とも胡散臭さを醸し出す人物だが、これには理由がある。同氏は認知科学者で脳の機能に関する研究を行っているのだが、じつは定期的にライブを行うギタリストでもあり、その際には結んだ髪を下ろして長髪を振り乱しながら演奏するのである。なかなかロックな人物である。ジャンルがロックかどうかは知らないが。

さて、本書の内容だが、簡潔に説明すれば、戦争とは古来から世界を裏で操る「彼ら」が仕組んできたものであり、どの国が勝とうと結局得をするのは「彼ら」だけであるという、一部の人しか知らない(?)この世界の秘密を暴露したものとなっている。同氏によれば、イギリスで絶対王政を打破した清教徒革命からアメリカの南北戦争、そして太平洋戦争まで、これまで発生してきた大きな争いの陰には「彼ら」の思惑があり、現在、日本が戦争ができる国になろうとしている流れも「彼ら」が描いた壮大なシナリオの一部に過ぎない――という。

個人的に私が面白いと思ったのは、本書では著者が一番伝えたかったであろうことが「あとがき」で書かれていることである。普通、メインの主張は本論のクライマックス部分で書かれるものなのだが、ここらへんが一般の感性では思いつかないところなのだろう。ちなみに、苫米地氏が主張しているのは「日本は一度、国連を脱退しろ!」というものである。その理由は以下のようなものだ。

日本は敗戦国である大日本帝国のまま国連に加入し続けているため、国連憲章の敵国条約によって『敵国』に指定され続けている。そのため、もし侵略行為(と認定される行動)をとった場合、世界で唯一、国連安保理の承認がなくても軍事的制裁を科されることが認められている国である。だからこそ日本は一度国連を脱退して改めて日本(JAPANではなくNIPPON)として国連に再加盟し、敵国条約の対象外になる必要がある

正直、私は日本という国が滅ぼうが知ったこっちゃないと考えている人間なので「ふーん(゚σ_゚)」という感想なのだが、まぁいちおう筋は通っているので理解はできる。文章は読みやすいので、歴史に興味がある人ならば、陰謀論の入門書としてはなかなかおススメできる一冊といえるだろう。

 

『99%の人に伝えたいこの世界を変える方法』のレビュー(ネタバレあり)

99%の人に伝えたいこの世界を変える方法

99%の人に伝えたいこの世界を変える方法

 

さて、こちらは最近話題沸騰中のキチガイ医師(←私の悪口ではなく本人が自称している)、内海聡氏の著書。この人の何がすごいかというと、Facebookのフォロワー数である。6月17日時点でフォロワー数が10万人を超えており、日本国内で第9位となっているのだ。とはいえ、ほかにもトップ10内には全然顔も名前も知らない人がチラホラいるので、これがどれほどの権威付けなのかは分からないが、とりあえず少なくない一定のファン(信者)がいることは確かである。

と同時に、この人のすごさはそのぶっ飛び具合。自らを「キチガイ」と称していることからも分かるように、言葉遣いは必ずしもお上品ではないし、自分と考えの異なる人間には悪辣な言葉で応対する一面もある。

最近でとくにそれが話題となったのは、この話題についてだった。Facebookのある投稿で内海氏は「帝王切開で出産したり、障害児を生んだ母親は自分の責任を感じて一生後悔して生きるべき」と述べたのだが、この発言に対してある女性が反論したところ、ちょっと大人が知らない人間に対して使うべきではないような言葉遣いをしたことで、かなりネット上で話題となったのである。とかく、過激な物言いと常識を逸脱した言動によって毛嫌いするアンチも多い人物であることもまた確かなのである。 

さて、本書はじつは内海氏が著した『99%の人が知らないこの世界の秘密』(イーストプレス)の続編である。内海氏曰く、前作の目的が「この世界の真実を知る」ことだったのに対し、本書ではもう一歩先に行って「この世界を変える」方法を伝える内容となっているので、より実践的な内容といえるだろう(徒花は前作も読んでいる)。ただし、実際に読み進めると前作とかぶる内容も多く、なかなか具体的な解決策にはいかないので、密度は薄い。さて、そんな内海氏はどんな考えを持っているのかといえば、次のような感じである。

99%の人が知らないこの世界の秘密 <彼ら>にだまされるな!

99%の人が知らないこの世界の秘密 <彼ら>にだまされるな!

 

 「日本は世界を影で支配している<彼ら>の支配下にある奴隷国家であり、あらゆる政治政党・企業・マスコミ・宗教団体などは日本を破壊するために<彼ら>から支持を受けて「放射能のばらまき」「危険な食品の認可」「利権優先システムの構築」などを行っている。だからこそ市民は自ら何が正しいかを考え、このことを情報共有し、不買運動などによって少しずつ見方を増やして変えていかなければならない

内容がそれこそ食品から政治、経済、歴史、原発、司法、警察、マスコミ、福祉など多岐に渡っているため、苫米地氏の著書よりも全体としてちょっと理解しづらい本になっている。説明不足だったり、矛盾しているようにしか思えない内容もあるため、こちらはある程度、陰謀論的な内容に体制を持ってから挑んだほうがいいかもしれない。

さて、内容はともかく、私が個人的におもしろいと思うのは内海氏のスタンスである。以下、ちょっと「はじめに」部分から引用した文章を読んでいただきたい。(太字は徒花がつけた)

 私に娘がいるのはすべての著書に書いてある通りだが、その先々の未来を考えて私は行動するのみである。この本であれ、ほかの本であれ、講演であれ、フェイスブックであれ、私のすべての活動の原点は娘であり、家族であり、あなた方ではなく、日本でさえない。あなた方が健康になろうが、日本が健全な国に戻ろうが、もしそうなったとしても、それらはすべておまけである。

 それくらい、日本人と地球人への深い軽蔑の中でも、この本を書いているところが、もっとも皮肉的といえるかもしれない。

 内海氏は自らを虚無主義(ニヒリスト)といっており、「そもそも地球に人間は要らない」「私は人間に希望を抱いていない」と主張している。だからこそ内海氏は、そんな考えを持っている自分が「世界をよい方向に変えよう」とする本書を書いていることが「皮肉的」だと述べているわけである。

そして、これが本心かはよく分からないのだが、その矛盾した行動の背景に自らの娘と家族の存在を挙げているのだ。ネット上では反論してくるものに「クズ」だの「グーミン(愚民をかわいらしくした表現)」だの「アホンジン(日本人をバカにした表現)だの発言しているのに、自分の家族には惜しみない愛情を注いでいることが垣間見える。(「AmazonのレビューやFacebookのコメントなどを見ると、内海氏はほかの陰謀論者に比べて女性ファンが多いように思われるのだが、もしかするとこうしたギャップにやられてしまう人が多いのかもしれない。と私は想像している)

さらにもうひとつ、こちらはあとがきから抜粋したものだ。

 では、なぜこのような本を書いたり、記事をインターネットで配信したり、講演を毎日のようにやったり、日々中傷されてもかまわずに行動しているのだろうか?

 このことはよく聞かれるのだが、最終的には私にもわからないところなのである。「家族のため」といえば聞こえはいいが、実際には、家族と一緒に奴隷らしく平穏な暮らしをしているほうが、ある意味家族のためになるだろうとも思える。じゃあ、と考えてみたときに、自分の筆が少し止まってしまうのだが、おそらくより本質的にいえば、自分が変わることを待っているのかもしれない。

どうやら、内海氏自身もまだ自分の生き方について迷いを抱えているようなのである。かなり屈折しているというか、人生をこじらせている感じだが、少し人間的魅力を感じる部分である。正直、苫米地氏は陰謀論にしてもビジネスライクのように感じるが、内海氏の場合、陰謀論を語ることが彼自身を見つめなおすことになっている。個人的には、内海氏の主張よりも、著者である内海聡という人物について興味深く感じる次第だ。

陰謀論というのはロマンである。フィクションといえばそれまでだが、それをいえば、この現実世界だってフィクションみたいなものだ。映画『メン・イン・ブラック』のラストシーンのように、この世界は自分が知覚することさえできないような存在の遊びのために作られたものなのかもしれない。と考えたりできたほうが、そのほうがおもしろいと思うのだ。

 

それでは、お粗末さまでした。