本で死ぬ ver2.0

基本的には本の話。でもたまに別の話。

『イヤな気持ちを消す技術』のレビュー

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先日、テレビを見ていたら苫米地センセが出ていた。

 

もくじ

 

橋下徹センセと苫米地センセがなにかについてガーガー言い合っていたのだが、やはり橋下センセは議論がうまい。どううまいのかというと、オーディエンスがこの議論を見てどう感じるか……というのを客観的に想像しながら話しているような気がした。

だから、橋下センセのほうが正論で苫米地センセを諭しているような構図になっていたように見えた(もちろん、編集の仕方にもよるだろうが)

 

橋下センセはアンチも多いと思うが、それでも弁護士、タレント、政治家として様々なフィールドで活躍できるのは、このように「自分が相手の目にどう写っているのか」を客観的に考え、「相手が好感を抱くであろう人間像」に沿って自ら振る舞えるからなのだろう。

 

さて一方の苫米地センセはというと、これはロン毛(死語?)のせいもあると思うのだが、甲高い声&早口のせいで完全に「胡散臭いオッサン」にしか見えない

あの人はあの人でけっこうスゴイ先生なのだが、多分、あの番組で初めて苫米地センセを見た人にはそれがビタイチ伝わらないだろうなぁと考えた次第。

 

『「イヤな気持ち」を消す技術』

 

で、今回紹介するのはこちら。

 

「イヤな気持ち」を消す技術

「イヤな気持ち」を消す技術

 

 

その問題の苫米地センセの書かれた感情コントロール本である。

この人はそもそも認知科学者(脳が認識する仕組みを研究している人)なので、本書もそういう側面から「人間はなぜ負の感情を抱き、それに捕らわれてしまうのか?」を分析しつつ、それをうまく自分でコントロールする術が書かれている。

 

人間は嫌な記憶を良く覚えるようにできている

 

本書によれば、人間はそもそもネガティブなこと(失敗)のほうを優先的に覚えておく生き物らしい。

なぜなら、成功は覚えておいても無駄に脳の容量を圧迫するだけだが、失敗を覚えておけば、次に同じようなシチュエーションに出くわしたとき、それを回避できるからだ。だから、イヤな感情がいつまでも残っているのは、それは生物として当たり前のことなのである。

 

失敗=予想外のこと

 

ここでひとつ、問題が出てくる。

じゃあ、脳はどうやって「これは成功だから忘れてよし」「これは失敗だから覚えておこう」とジャッジするのだろうか、という部分である。

簡単だ。脳がジャッジするのは「予想したとおりか、外れたか」だけである。

 

人間は新しいことにチャレンジするとき、必ずその結果を予測する。

たとえばブログを始めたら「月間アクセス○万人を超えて、アフィリエイト収入で○万円の副収入が得られるんじゃないかな?」などと非常に都合のいいことを考えたりする。そして、そのために(本人がいいと思う方法で)努力する。

しかし当然ながら、そんなムシのいい話があるはずもなく、全然アクセス数も伸びないし、アフィリエイト収入なんて入ってこない場合が多い。つまり、予想とは違う事実に直面するのだ。

 

すると、その瞬間に脳はその出来事を「失敗だ!」と認識し、その経験を覚えておこうとする。当然ながらアクセス数が伸びなくていい気持ちになる人間はあまりいないので、その失敗の記憶にはネガティブな感情が結びつく。

つまり「ブログで失敗した」という経験と「嫌な気持ち」がセットになり、脳に強く残ることで、いつまでも嫌な気持ちに縛られる人間が出来上がるのだ。

 

予想外の成功も、脳は「失敗」と判断する

 

「失敗=予想外のこと」という脳の判断基準に従えば、じつはもうひとつ、人間の記憶に残りやすい出来事が透けて見えてくる。

それは、「予想外のラッキーな出来事」だ。

たとえば初めて競馬やパチンコなどのギャンブルをやってみて、ビギナーズラックでヘタに当たったりすると、脳みそはこのこともよく記憶する。そして、それに捕らわれてしまうとギャンブル依存症になってしまうリスクが生まれるわけだ。

 

とにかく大事なのは、人間の脳が生理的に考える「成功/失敗」と、社会一般で言われている「成功/失敗」はまったくベツモノである、ということである。

 

ネガティブな感情を消す方法の一つは……

 

というわけで、人間がネガティブな感情に結びつきやすい「失敗」をそもそも覚えやすい存在だとわかったわけだが、多くの人が知りたいのは

「で、どうすりゃいいの?」ということだろう。

 

ご安心いただきたい。

本書ではその部分についても、苫米地流の解決策がいくつか提示されている。すべてを紹介しないが、そのうちのひとつを紹介しておこう。

 

最も簡単な方法は「慣れろ」である。

たとえばゴキブリを見ると私のように悲鳴を上げながら逃げ回る人が多いと思うが、もし毎日毎日家に帰るとゴキブリが床を闊歩しているのが日常になれば(イヤだが)、ゴキブリを見ても一々そんな反応は起こさなくなる。

それと同じように、失敗を何度も何度もくり返していくと、だんだんその出来事に対する耐性ができて、一々ネガティブな感情が生まれなくなっていく。つまり、「イヤな出来事」と「イヤな感情」が分離できるようになるのだ。

 

とはいえ、けっこう乱暴な方法なのですべてのイヤな感情に適応できるわけではない。が、少なくともビジネスをしていく上で何かに失敗して一々落ち込んでいたら成功できるはずがない――というのは、うなずける人も多いと思われる。

 

サヴァン症候群は脳の統合能力が優れすぎている人々

 

サヴァン症候群というのは、優れた才能を持っている知的障害者である。彼らは他人とのコミュニケーションが得意ではないことが多いが、文章や数字をパッと見ただけで丸ごと暗記したり、数年後の特定の日の曜日を計算したりできるなど、局所的に抜群の才能を発揮する。

 

人間は何かを記憶するとき、無意識のうちに「これは覚えよう」「これは覚えなくていいや」というのを判断する。

しかし、サヴァンの人たちはそうした無意識の能力が働かないので、見たものをそのまま脳みその中に放り込む。そして、それをそのまま引き出せるのだ。

 

ただし、脳みその中に写真のように収められているわけではない。ジグソーパズルがバラバラにされて脳みその中に投げ込まれたようなもので、思い出すときにはそのすべてを組み合わせているのだ。これを統合能力という。

じつは、普通の人たちも無意識で重要性を判断しているが、すべて脳には格納されている。ただ、サヴァンの人たちと比べると圧倒的に統合能力が低いため、バラバラのジグソーパズルを上手く復元できないのだ。

 

「出来事」と「感情」を切り分ける

 

ちょっと話がわき道にずれたが、とにかくイヤな感情を消すために大事なのは「(社会一般の意味での)ネガティブな出来事」と「ネガティブな感情」を切り離すことである。

 

……というか、この世には社会一般の意味での「失敗」というのはどこにも存在しない。

たとえば、乗ろうと思っていた電車に乗り遅れたら、人はそれを「失敗(予想外の出来事)」と判断し、イライラしたりするかもしれない。

でも、もしかしたらその電車は、10分後に脱線事故を起こすかもしれない。つまり、「電車に乗り遅れた」という出来事が本当にネガティブなことなのかは、人間には絶対に判断できないはずなのである。ただ、本人がそれを勝手にネガティブなことだと判断しているに過ぎない。

 

生きていくうえで、予想外の出来事は必ず起きる。そして、脳はそれを「重要だ」と考えて一生懸命記憶しようとするだろう。

しかし、予想外の出来事が「良いこと」なのか「悪いこと」なのかを判断するのは意識的の部分である。つまり、そこはコントロール可能なのだ。

 

おわりに

 

私はあまり怒ったりイライラしたりすることが少ない人間だが、その理由は「想定している範囲が広い」からかもしれない。編集者として仕事をしていると、いろいろなケースを考える。

仕事を依頼したライターが途中でトンズラこいたら残りの原稿は自分で書かないといけないかもしれない。

著者の気分がいきなり変わって本の方向性が思いっきり変わることもある。

デザイナーがなかなかつかまらないこともある。

予算を伝えておいたはずなのにそれを上回るコストの紙やデザインを指摘してきたりすることもある。

会社の上層部の方針転換で、出せるはずだった本が出せなくなることもあるかもしれない。

 

つまり、あらゆる(とくに最悪な)ケースを想定しておくことで、「その可能性はすでに考えた」状態になり、あんまり慌てたり、怒ったり、不安になったりしないのだ。

 

その可能性はすでに考えた (講談社ノベルス)

その可能性はすでに考えた (講談社ノベルス)

 

 

ふと、「想定の範囲内」という、かつてのホリエモンの名言も思い出した。

 

「イヤな気持ち」を消す技術

「イヤな気持ち」を消す技術

 

 

今回はこんなところで。

それでは、お粗末さまでした。