【読書】コロナ騒動で外に出られず死ぬほどヒマな人のためのオススメ本53選
年に1~2回くらい会う、働く意識高い系の友人がいるのですが、普段はビジネス書しか読まないくせに、急に「オススメの小説とかないかな」と連絡があったので、怒涛のごとくLINEを返して本をオススメしまくりました。
私みたいにもともとインドア派で、休日はアニメ見て日曜美術館見て映画見て、マンガ読んで本読んでゲームしているような人間ならいいんですが、アウトドア系の趣味を持っている人はどうしてもヒマを持て余しているみたいですね。
なので、この機会だからぜひ読んでみていただきたい本をピックアップしました。
(まあ、もともと読書習慣がない人はそもそもこのページにたどり着けないとは思うのですが)
※現在、Amazonも受注が殺到しているのか、在庫が薄くなっているのか、書籍の発送も時間がかかっているみたいなので、すぐ読みたいならKindle版を購入するのがいいかもしれないです
もくじ
- 文芸編
- 『アラビアの夜の種族』(古川日出男)
- 『○○○○○○○○殺人事件』(早坂吝)
- 『シンギュラリティ・コンクェスト 女神の誓約(ちかひ)』(山口優)
- 『僕僕先生』(仁木英之)
- 『ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン』(ピーター・トライアス)
- 『姑獲鳥の夏』(京極夏彦)
- 『犬の力』(ドン・ウィンズロウ)
- 『潮騒』(三島由紀夫)
- 『最後にして最初のアイドル』(草野原々)
- 『Yの悲劇』(エラリー・クイーン)
- 『姫百合たちの放課後』(森奈津子)
- 『水滸伝』(施耐庵)
- 『ママは何でも知っている』(ジェイムズ・ヤッフェ)
- 『群衆リドル Yの悲劇’93』(古野まほろ)
- 『紫色のクオリア』(うえお久光)
- 『デブを捨てに』(平山夢明)
- 『スクラップ・アンド・ビルド』(羽田圭介)
- 『ぼくは愛を証明しようと思う。』(藤沢数希)
- 『マーチ博士の四人の息子』(ブリジット・オベール)
- 『ルビンの壺が割れた』(宿野かほる)
- 『芙蓉千里』(須賀しのぶ)
- 『ハリー・クバート事件』(ジョエル・ディケール)
- 『粘膜人間』(飴村行)
- 『私の嫌いな探偵』(東川篤哉)
- 『猿の部長 マーケティング戦略で世界を征服せよ!』(竹内 謙礼,青木 寿幸)
- 『境界線上のホライゾン』(川上稔)
- 『大相撲殺人事件』(小森健太朗)
- 『最後の喫煙者 自選ドタバタ傑作集1』(筒井康隆)
- 『帰ってきたヒトラー』(ティムール・ヴェルメシュ)
- 『蔦重の教え』(車浮代)
- 『窓から逃げた100歳老人』(ヨナス・ヨナソン)
- 『シャーリー・ホームズと緋色の憂鬱』(高殿円)
- 『楽園のカンヴァス』(原田マハ)
- 『横浜駅SF』(柞刈湯葉)
- 『最後のトリック』(深水黎一郎)
- ノンフィクションなど
- 『サピエンス全史』(ユヴァル・ノア・ハラリ)
- 『巨乳の誕生 大きなおっぱいはどう呼ばれてきたのか』(安田理央)
- 『PIXAR <ピクサー> 世界一のアニメーション企業の今まで語られなかったお金の話』(ローレンス・レビー)
- 『アイデア大全』(読書猿)
- 『殴り合う貴族たち』(繁田信一)
- 『読んでいない本について堂々と語る方法』(ピエール・バイヤール)
- 『はたらかないで、たらふく食べたい』(栗原康)
- 『ヒルビリー・エレジ』(J.D.ヴァンス)
- 『路地の子』(上原善広)
- 『史上最強の哲学入門』(飲茶)
- 『ダークマターと恐竜絶滅』(リサ・ランドール)
- 『逆説の日本史』(井沢元彦)
- 『芸術起業論』(村上隆)
- 『銃・病原菌・鉄』(ジャレド・ダイアモンド)
- 『平気でうそをつく人たち』(M.スコット ペック)
- 『「バカダークファンタジー」としての聖書入門』(架神恭介)
- 『われ笑う、ゆえにわれあり』(土屋賢二)
- 『ウォルト・ディズニー 創造と冒険の生涯』(ボブ・トマス)
文芸編
『アラビアの夜の種族』(古川日出男)
文庫版だと3冊になる、なかなかボリュームのある長編ファンタジー。
ナポレオンが攻め込もうとしているエジプトで、ナポレオンに対抗しうる「災厄の書」を巡る物語です。
幻想的な雰囲気で、作中作により進行するのでちょっとわかりにくいところもありますが、文章自体はわかりやすく、グイグイのめり込んでしまう世界観は圧巻です。
『○○○○○○○○殺人事件』(早坂吝)
おそらく史上初となる「タイトル当て」の長編ミステリー。
女子高生探偵らいちのデビュー作。
内容的にはオーソドックスな殺人事件ですが、けっこう下品なオチなので気をつけてください。
『シンギュラリティ・コンクェスト 女神の誓約(ちかひ)』(山口優)
AI(人工知能)が人間を超える世界で人間と人工知能のあり方を問いかける、割とハードな長編SF。
ただし、主人公がなにげにモテ属性でハーレムつくるあたり、ラノベちっくなところもあったり。
宇宙戦艦バトルもあり、純粋にエンタメ小説として楽しめる一冊です。
『僕僕先生』(仁木英之)
むかーしむかしの中国で、仙人である僕僕先生とニートの青年が旅をするファンタジー長編。
中国神話をモチーフにしたキャラクターがたっぷり出てきて、とにかく僕僕先生が可愛すぎる。
マンガもおもしろかったのでぜひに。
『ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン』(ピーター・トライアス)
太平洋戦争で日本が勝利し、日本の属国となったアメリカで繰り広げられる巨大ロボットをぶんぶん乗り回す物語。
いわゆる歴史改変SFで、抜群におもしろい。
最初はニンジャスレイヤーのようにふざけた作品なのかと思ったのですが、いやいや重厚な知識と店舗の良いものストーリーは一気読み必至です。
『姑獲鳥の夏』(京極夏彦)
その分厚さから「レンガ本」とまで呼ばれる京極夏彦の華々しいデビュー作。
20ヶ月も妊娠したまま出産しない女性と、密室から失踪したその夫。古本屋の京極堂が不可思議な謎を解き明かす怪奇ミステリーの傑作。
たしかに分厚さに気圧されてしまいますが、じつは文章そのものは非常に読みやすく、次々投じられる謎に引き込まれます。
『犬の力』(ドン・ウィンズロウ)
メキシコの麻薬マフィアと取り締まる警察官との攻防を描いた物語。
両者の立場から緊迫する状況が続く物語の展開はお見事。
若干、翻訳のところで読みにくいところもありますが、ハードボイルドな文体とスピーディーかつ緊迫したシーンがどんどこ続くのでめちゃ楽しい。
『潮騒』(三島由紀夫)
文明社会から隔絶された小島で、さまざまな困難に阻まれながらも結ばれていく男女の恋物語。
てっきり、もっとドロドロとした悲壮感漂う展開になるのかと思いきや、びっくりするくらい清涼感があり、なんとも読後感が気持ちいい!
三島由紀夫の印象が変わる一冊。
『最後にして最初のアイドル』(草野原々)
天才が書いた作品。
短編集なのですが、その圧倒的なストーリーと世界観、キャラクターの完璧なシンフォニーに打ちのめされます。
実存主義的ワイドスクリーン百合バロックプロレタリアートアイドルハードSF。
もはやこれは「読んでみてくれ」としかいいようがありません。
百合SFならこれも読んでみて!
『Yの悲劇』(エラリー・クイーン)
言わずとしれた、古典ミステリの傑作の1つ。
当時としては型破りすぎた犯人の正体に物議が醸されたとか。いまとなっては衝撃が薄れますが、「えっ……もしかして、この人が犯人だったりするの?」という意外性は未だ健在でしょう。
探偵役のドルリー・レーンも渋くてかっこいい。
ちなみに、クイーンと言ったらポアロもはずせません。
ポアロだったらこちらがオススメ。
『姫百合たちの放課後』(森奈津子)
女子高生たちがひたすらイチャイチャする、レズビアンコメディの快作。
とにかくエロいので、読むときは気をつけてください。
エロいのに、笑える。そして耽美!最高!
エロいのが好きな人はこちらもどうぞ。
『水滸伝』(施耐庵)
マンガやゲームなどでモチーフにされることが多い四大奇書のひとつ水滸伝を、10代向けに読みやすくしてくれたのがこちら。
物語としては、梁山泊に集った豪傑たちの物語なわけですが、この豪傑たち、すぐに人を殴ったり殺したりするのですごく物騒。
真面目に読んでいると結構笑える所もあったりします。
『ママは何でも知っている』(ジェイムズ・ヤッフェ)
ユーモアがキラリと光る、連作短編ミステリー。
主人公のママは話を聞いただけで真相を解き明かす、いわゆる「安楽椅子探偵」。
そして話を持ち込む警察官の息子(とその嫁)とのやり取りがユーモラスで、なんだかホッコリできるミステリーです。
『群衆リドル Yの悲劇’93』(古野まほろ)
浪人中の「元女子高生」と、その恋人・イエ先輩が招かれた雪の山荘で巻き起こる連続殺人事件の真相とは?
色々癖のある文章と世界観のために読む人は若干選ぶかもしれないけど、私のように独特な世界観にハマると癖になる。
ちなみにトリックやガジェット重視のガチガチのパズラーミステリーです。
『紫色のクオリア』(うえお久光)
知る人ぞ知る名作ラノベ。
自分以外の人間が“ロボット”に見えるという紫色の瞳を持った中学生・毬井ゆかりをめぐる、不思議な不思議な物語。
結構残虐な描写があったりするので、苦手な人は気をつけて。
SFと哲学がまじり、最初はギャグ風味だった物語がドンドン壮大な方向に向かっていくさまは興奮しますね。
似ている作品だと、筒井康隆さんのこちらもオススメ。
『デブを捨てに』(平山夢明)
社会の底辺にいる人達を主役に起きつつ、乾いた笑いとユーモアをまぶしてエゲツない感じに仕立て上げた短編集。
ヤクザに脅されてデブの女を捨てに行かなければいけなくなった男の珍道中など、本人たちは真剣なのになぜか笑えるシュールな作品たちに魅了されます。
『スクラップ・アンド・ビルド』(羽田圭介)
要介護状態の祖父を合法的に殺すため、徹底的に親切にして体を動かさせないようにする孫の物語。
介護という社会問題をテーマに置いたようにみせかけて、祖父と孫のなかなか歪んだ関係性をユーモアたっぷりに描き出した不思議な作品。
『ぼくは愛を証明しようと思う。』(藤沢数希)
一斉を風靡した「恋愛工学」の火付け役になった本。
要するにナンパをして女の子とセックスしまくる男の物語なんだけど、意外と終わり方が爽やかで嫌いじゃなかったり。
でも男の子だとついつい読んじゃうよね……って内容。
マンガはもっと下品な表紙です。
『マーチ博士の四人の息子』(ブリジット・オベール)
マーチ博士の住み込みメイドのジニーが発見した日記には、「自分はマーチ博士の4人の息子の一人であり、生まれつきの殺人狂である」とつづられていた。
ジニーは犯人に気づかれる前に、快楽殺人者を見つけ出せるのか?
メイドのジニーと殺人犯の日記のやり取りで進む物語はスリル満点で、ラストは衝撃的。
『ルビンの壺が割れた』(宿野かほる)
こちらもある意味、ラストが超衝撃的な作品。
その結末には賛否両論が巻き怒ったのだけど、私は嫌いじゃないと言うか、ちょっと素手びっくりしてしまった。。
SNSのやりとりだけで進む物語が行き着く先とは?
『芙蓉千里』(須賀しのぶ)
親を失った少女フミが自らロシア・ハルビンの娼館にもぐりこみ、持ち前のたくましさや利発さで、自分の夢を追いかけ、恋をして、人生の選択に迫られるエンターテイメント作。
娼婦という職業ではありながら、下品さやゲスさはほとんどなく、純粋に少女のサクセスストーリーとして楽しめる。
大陸を舞台にした歴史大河ドラマであり、恋愛模様も入り交じるロマンでもあり、ついつい読んでしまう。
『ハリー・クバート事件』(ジョエル・ディケール)
作家のマーカスは作品を書くことができず、恩師である大物作家、ハリー・クバートに相談を寄せる。
だがその直後、ハリーの自宅の庭から白骨化した遺体が発掘され、33年前に失踪した美少女と判明。さらに、当時30歳を過ぎていたハリーとわずか15歳のノラが恋愛関係にあったことがわかり、アメリカ中がハリーを一斉に非難し始める。
本当にハリーは少女を殺したのか?
個性的なキャラクターたちに、少しずつ明かされるクバートの秘密。
そして後半になるとやって来る怒涛のどんでん返しはまさに圧巻です。
『粘膜人間』(飴村行)
精神的・肉体的なグロ表現を極めた作品。
異形な巨体を持つ暴力的な弟の殺害を計画した兄弟は、村のはずれに棲む“ある男たち”に依頼することにした。。。
途中でとんでもない拷問描写というか、人間が壊れるさまを超具体的につづっているところがあるので、そういうのをおもしろがる、私のような頭のおかしな人間以外は読まないほうがイイでしょう。
『私の嫌いな探偵』(東川篤哉)
ギャグミステリの最高峰。
架空の街「烏賊川市(いかがわし)」を舞台に巻き起こる不思議な出来事を探偵の鵜飼杜夫と愉快な仲間たちが解決していく連作短編集。
まさかミステリーでこんなに笑うことになろうとは。
『猿の部長 マーケティング戦略で世界を征服せよ!』(竹内 謙礼,青木 寿幸)
MBAを取得した主人公が目を覚ますと、そこは経済の中心を猿が牛耳るパラレルワールドだった!
いわゆるマーケティングの考え方が学べるビジネス小説なのですが、意外とストーリー部分がしっかりしていて、単純にSF作品としても高品質な良書!
『境界線上のホライゾン』(川上稔)
個人的には、いわゆるライトノベルの一つの到達点と言ってもいいんじゃないかという作品。
遥か遠い未来・・・“重奏統合争乱”を経て、人類の命運を懸けた“聖譜”をもとに歴史の再現を行う国々が分割統治する中世の神州・日本で、未来を切り拓こうとする学生達による学園国家間の抗争!
専門用語の羅列と登場人物の多さ、世界観の複雑さにめまいが思想になるが、それをそれとして楽しめれば最高の一冊。
『大相撲殺人事件』(小森健太朗)
ひょんなことから相撲部屋に入門したアメリカの青年マークは、将来有望な力士としてデビュー。
しかし、彼を待っていたのは角界に吹き荒れる殺戮の嵐だった!
バカでくだらないギャグだらけなストーリーを勢いだけで突っ走るナンセンスミステリ!
頭を使わず気楽に読んで!
『最後の喫煙者 自選ドタバタ傑作集1』(筒井康隆)
『時をかける少女』で有名な筒井康隆のエログロナンセンスが炸裂する強烈な一冊。
表題作は、喫煙者の社会的迫害が激化した社会で暴動を起こす愛煙家たちの物語。
たぶん、人によってかなり好き嫌いが分かれるので、読むときは覚悟を決めて。
『帰ってきたヒトラー』(ティムール・ヴェルメシュ)
なぜか現代に蘇ったヒトラーがコメディアンとして活躍しつつ、現代社会を皮肉る物語。
ドイツでも賛否を巻き起こした問題作だが、単にエンタメ作品としても上質で、笑って楽しめる。
映画もおもしろいのでオススメ。
『蔦重の教え』(車浮代)
55歳、人生がけっぷちのサラリーマンがタイムスリップした先で出会ったのは、「写楽」や「歌麿」を育てた江戸時代の超やり手プロデューサー、蔦屋重三郎(蔦重)だった!
ビジネスの勘所が学べるビジネス小説としてもおもしろいし、蔦屋重三郎という意外と知られていない偉人にスポットがあたっていて、学びになる傑作。
『窓から逃げた100歳老人』(ヨナス・ヨナソン)
100歳の誕生日パーティーを目前に老人ホームを逃げ出したアランは、ひょんなことから手にした大金入りスーツケースを手に入れて……。
まさか100歳の主人公が繰り広げる珍道中は、テンポも良くて読後が最高。
酒好きでワガママなアランのキャラが魅力的。
『シャーリー・ホームズと緋色の憂鬱』(高殿円)
2012年、アフガン帰りの軍医ジョー・ワトソンは、フラットシェアをすることに。シェアの相手はシャーリー・ホームズ。
彼女は清楚な美貌、人工心臓を抱えた薬漬けの身体、死体置き場で寝起きする図太い神経、彼女が頭脳と電脳を駆使して英国の危機に立ち向かう、世界唯一の顧問探偵だった。
舞台を現代に変えて、ホームズとワトソンを女性にし、電脳技術まで取り入れちゃった異色すぎるホームズのパスティーシュ。
ちょっとした百合要素もあるよ!
『楽園のカンヴァス』(原田マハ)
ニューヨーク近代美術館のキュレーター、ティム・ブラウンはスイスの富豪の私物、巨匠ルソーの名作「夢」に酷似した絵を見せられる。
持ち主は正しく真贋判定した者にこの絵を譲ると告げ、手がかりとなる謎の古書を読ませる。リミットは7日間。ライバルは日本人研究者・早川織絵。。。
美術品をモチーフにしたミステリー風の物語で、ぐいぐい読み込んでしまう文章はすごい。人気作家の力量がわかる一冊。
『横浜駅SF』(柞刈湯葉)
自己増殖を開始した横浜駅に日本が飲み込まれた未来。
その外側で暮らす非Suika住民のヒロトは、駅への反逆で追放された男から『18きっぷ』と、ある使命を託された。
物語のコンセプトがおもしろいし、その割にちゃんと物語はオーソドックスなSFの流れに従っている傑作。
『最後のトリック』(深水黎一郎)
「読者が犯人」というミステリー界最後の不可能トリックのアイディアを、二億円で買ってほしい―スランプ中の作家に届いた謎の手紙。
果たして、「読者が犯人」とはどういうことなのか?
かなりトリッキーな結末で、これも読んだ人によっては賛否が分かれそうな作品ではあるけれど、挑戦的すぎる仕掛けは一読の価値あり。
ノンフィクションなど
『サピエンス全史』(ユヴァル・ノア・ハラリ)
なぜ、さまざまな類人猿のなかでサピエンスだけがこれだけの文明を築けたのか?
太鼓の人間の歴史をたどりながら、人間だけが持っている「本当の力」を解明する超古代スペクタクル。
ボリュームはあるけど、意外と読みやすくてわかりやすいです。
『巨乳の誕生 大きなおっぱいはどう呼ばれてきたのか』(安田理央)
日本人は一体いつから、大きなおっぱいのことを「巨乳」と呼ぶようになったのか?
日本のメディアと女性のおっぱいの扱いの推移について、スゴーク真面目に述べられた興味深い一冊。
『PIXAR <ピクサー> 世界一のアニメーション企業の今まで語られなかったお金の話』(ローレンス・レビー)
『トイ・ストーリー』を公開するまで、お金がなくてボロボロだったピクサーの財務係。
彼はワガママなオーナー、スティーブ・ジョブズと、新しい試みであるフルCGアニメーションの誕生にどうやって貢献したのか。
本当に影の立役者が語る、何故か感動できる会社のお金の話。
『アイデア大全』(読書猿)
アイディアとはそもそも何か? どうすればひねり出せるのか?
単にアイディア創出法にとらわれず、過去の発想方法をめちゃくちゃ細かく解説してくれる良書。
これはぜひ一冊、手元においておきたい本です。
『殴り合う貴族たち』(繁田信一)
優雅なイメージだけある平安貴族たちも、実際は殴り合ったり殺し合ったりするのが日常茶飯事だった!
歴史の記録を読み解きながら、実は意外と暴力的だった平安貴族たち、そして当時の暮らしを垣間見える一冊。
『読んでいない本について堂々と語る方法』(ピエール・バイヤール)
まさにタイトルのとおりで、読んでいない本でも自信満々に語れる方法が大真面目に書かれている本です。
そもそも「本を読んだ」とはどういうことか?
「読んだけど内容を忘れた本」は読んだと言えるのか?
など、哲学的な問題にまで突っ込んでいきます。
『はたらかないで、たらふく食べたい』(栗原康)
圧倒的な言葉選びのセンスで、脱力気味にアナキズムを語る一冊。
ただ、表層的な表現のゆるさに惑わされてはいけない。
実は結構過激で、危険なことをいっている本なのかもしれません。
『ヒルビリー・エレジ』(J.D.ヴァンス)
アメリカの反映から取り残された、地方の白人たちの実際を記したルポルタージュ。
貧困層と言うと黒人を思い浮かべてしまうが、じつは旧時代の事業にしがみつかざるを得ない人々もいるという、新しい発見があるでしょう。
『路地の子』(上原善広)
大阪・更池でひたすら腕を磨いて食肉業一本でのし上がった「父」。
部落解放同盟、右翼、共産党、ヤクザと相まみえながら、逞しく路地を生き抜いた、その壮絶な半生を描く異色のノンフィクション。
屠殺業社というちょっとアングラな業界と、日本の見えざる仮想世界が赤裸々に綴られて密度の濃い~一冊。
こちらもおもしろい。
『史上最強の哲学入門』(飲茶)
西洋哲学についての入門書なら、文句なくこれ。
あんなに抽象的でわかりにくい概念を、こんなにわかりやすく、楽しく説明できる人がいるとは……。
続編もべらぼうにおもしろい。
『ダークマターと恐竜絶滅』(リサ・ランドール)
じつは、恐竜の絶滅の遠因を作ったのは、いまだ正体不明とされている「ダークマター」なのではないかという衝撃的な仮説を説明する一冊。
内容はちょっと難しい部分もあるけど、ダークマターや宇宙のことがすごくよくわかる本ですね。
『逆説の日本史』(井沢元彦)
いわゆる「通説」と言われている日本の歴史について、独自の調査・分析を通じて独自の解釈を行う超有名なシリーズ。
どこまで本気にするかは読者次第だが、なんだか読んでいると説得させられてしまう文章力と、ロマンあふれる歴史の世界に浸れます。
『芸術起業論』(村上隆)
いままで誰も語ってこなかった「芸術の売り方」を、日本を代表する現代美術家が教えてくれる異色すぎる本。
芸術だってそれ一本でやっていかなければ食っていけないというリアルを問いただす、切れ味鋭い内容です。
『銃・病原菌・鉄』(ジャレド・ダイアモンド)
なぜ地球ではヨーロッパ人が世界を支配し、アフリカや南米は支配される側に回ってしまったのか?
文明の優劣が「銃・病原菌・鉄」によって決まったという主張が圧倒的な文章量で述べられる分析の本。
かなりのボリュームですが、読むなら今かもしれません。
『平気でうそをつく人たち』(M.スコット ペック)
精神科医の先生が「人間の悪」について分析した一冊。
じつは悪というのは「悪意がないところにこそある」というのがこの著者の主張。
知らず識らずに悪になっている自分に気づくかも。
これはなかなか、読む人にとっては衝撃的な内容になるかもしれません。
『「バカダークファンタジー」としての聖書入門』(架神恭介)
キリスト教の歴史は、バカバカしいダークファンタジーだと考えて捉え直せばわかりやすい!(のか?)
ユーモアに富んだ解釈が多いのだけど、そもそも清書そのものに突っ込みどころが多いから……というのも理由ではあります。
読みやすいけど、意外と文字量は多いです。
『われ笑う、ゆえにわれあり』(土屋賢二)
哲学者の先生によるエッセー本。
徹底的な自分のダメ人間っぷりを惜しげもなく主張し、それを哲学的な詭弁でアレヤコレヤと書き綴っている。
哲学的な学びになることをあるけれど、単純に文章センスが最高に面白い。
『ウォルト・ディズニー 創造と冒険の生涯』(ボブ・トマス)
ウォルト・ディズニーがいかにして自らの帝国を作り出し、反映させていったのか、その詳細について述べられた一冊。
個人的には忘れられがちだけど、弟をしっかり支えていた苦労人のロイ・ディズニーが好きになる。
以上。
どうしてもジャンルに偏りが出てしまいますが、そこはご愛嬌。
一冊くらい、気になる本が見つかれば幸いです。
『奇書の世界史』(三崎律日・著)のレビュー
私は普段、ビジネス系の実用書をつくっています。
実用書は「役に立つ」ことが求められます。
私がつくるような本の読者の目的は、その本を「読む」ことではなく、その本を読むことによって得られる「なにか」であるわけです。
これが小説などと毛色がちがうところで、小説の場合は「読む」ことが目的になりえます。
(もちろん、もっと本質的なところを考えれば、小説を読むことによって得られるカタルシス(つまり「なにか」)が目的であるとも言えますが)
そのため、ビジネス実用書の文章で求められるのは「わかりやすさ」です。
そしてわかりやすい文章というのは、じつは誰にでも書けるものなのです。
「わかりやすい文章」にはルールがあります。
一文を短くするとか、難しい言葉をむやみに使わないとか、そういうことですね。
このルールに従って書けば、だれでも絶対にわかりやすい文章は書けます。
しかし、小説の場合はそうではない。
わかりやすければいい、というわけじゃないです。
あえて難しい漢字や古い言葉遣いを使ったり、わざと一文を長くして改行を極限まで減らしたりする作品もあります。
そしてそれが、その小説の「おもしろさ」「世界観」の一翼を担うのです。
「わかりやすい文章」は簡単に書けますが、「おもしろい文章」は難しいです。
ただ、この「おもしろい」という言葉もクセモノで、「おもしろさ」にもいくつか種類があります。
比較的かんたんなおもしろさは「知的好奇心を刺激するおもしろさ」です。
たとえば次の文章。
カバの汗はじつはピンク色です。これはなぜかというと、赤とオレンジの色素が含まれているからです。そして赤い色素は抗菌作用、オレンジの色素は紫外線を吸収する作用があります。だから、カバは防菌と日焼けを防ぐためにピンク色の汗をかくのです。
この文章は知的好奇心を刺激するという意味の「おもしろさ」はもっていますが、文章そのものはしごく真面目で、ユーモアがありません。
こういうおもしろさは、比較的簡単にマネできます。
一方で、さくらももこさんなどのエッセイは、文章自体がおもしろおかしいため、ただそれだけで笑えます。
ブロガーさんでも、ごくごく普通のないようなのに、書き方がシュールでめちゃくちゃ笑える文章を書く人がいますね。
おもしろさには「コンテンツ(中身)のおもしろさ」と「表現のおもしろさ」があって、これは後者です。
そして、この「表現のおもしろさ」を武器にする文章というやつは、なかなかマネができません。
文章だけで人を笑わせるというのは、本当に難しいものです。
これには独特のセンスが必要になるのでしょう。
(そしてだいたい、ここを狙いに行こうとするとスベるものです)
さて前置きが長くなりましたが、今回紹介するのはこちらです。
私はこの本を読んだとき、ついつい、先日読み終わったばかりのこちらの本と比べてしまいました。
じつはどちらも、扱っているコンセプト的なところは似ています。
現在ではほとんど名前の知られていない「変な本」を集め、その内容を紹介するというものです。
ただ、『「舞姫」の主人公~』が読んでいてゲラゲラ笑えたのに対し、『奇書の世界史』は別に笑えません。
それはもちろん、著者の文章の「表現のおもしろさ」の程度に差があるせいなのですが、私が思うのは、それと同時に「実用書としての役目」をどれだけ負っているかどうか、という点です。
『「舞姫」の主人公~』は、基本的に読んでもなんの役にも立ちません。
「明治時代にはこんなにハチャメチャな本がたくさんあったんだなァ」と思うくらいで、ぶっちゃけ、読んでも読まなくても人生には何ら影響はないと思います。
ただ、『奇書の世界史』は、それに比べると幾分アカデミックで、
「時代の変遷とともに移りゆく価値観」
を奇書を通じて学ぶことができます。
お勉強になるわけですね。
今風に言えば、「教養としての奇書入門」的な立ち位置なのです。
では、そういう「価値観の変化」を知ることにどんな意味があるのでしょうか?
「昔の人は愚かだったね」で終わりでしょうか?
もちろん違います。過去を知ることは、私たちの未来を予測することにもつながるのです。
たとえばあなたが、中世ヨーロッパの行商人だったとしましょう。丘を越えて隣の町まで商売に行く途中だったとしましょう。歩き疲れたあなたは少し立ち止まり、地図を広げたとします。もしもそのとき「1時間前に自分がいた場所」と「いまの場所」が分かっていれば、1時間後にどこまで進んでいるかも予測ができます。
同じことが、人間の「価値観」にも当てはまります。過去の価値観といまの価値観との違いが分かれば、将来の価値観も見えてくるはずです。
本書ではそのような「価値観の差分」を探ることに挑戦しています。そして奇書が教えてくれる「価値観の差分」を使えば、未来の私たちを占うこともできるでしょう。
正直なところを言えば、私はこの部分を読んだ瞬間にちょっとがっくりしました。
結局この本は本質的に「役に立つ」ことを目的としたものであり、つまりは「ビジネス実用書」であることをここで宣言しているからです。
もちろん、ビジネス実用書であることそのものが悪いわけではありませんが、この時点で私が期待するような「おもしろさ」は得られないんだなあ、と。
ここらへんが本というのものの難しさなのですが、同じようなテーマであっても、著者などがどういう狙いでその本を書いているのかによって、どんな人にオススメできるかが変わってきます。
この2冊でいえば、『「舞姫」の主人公~』は文芸が好きな人です。
『奇書の世界史』は意識高めのインテリ・ビジネスパーソンでしょうか。
ちなみに、本書では「奇書」を次のように定義づけています。
作者自身の計らいを超え、いつの間にか「奇」の1文字を冠されてしまったもの。あるいは、かつて「名著」と持て囃されたのに、時代の移り変わりのなかで「奇書」の扱いをウケるようになってしまった本――。つまり、数奇な運命を辿った書物です。
本書で紹介されている「奇書」を以下にまとめました。
わりと小難しい内容なので、読む人をちょっと選ぶかもしれません。
『魔女に与える鉄槌』(ハインリヒ・クラーメル、ヤーコブ・シュプレンガー)
魔女狩りの方法について描かれたハウツー本。
『台湾誌』(ジョルジュ・サルマナザール)
嘘八百で描かれたアジアを紹介する本。
『ヴォイニッチ手稿』
不可思議なイラストと解読不明な文字によって埋め尽くされた謎の本。
『野球と其害毒』(新渡戸稲造ほか)
東京朝日新聞で連載された、野球の害悪をボロクソに主張するコラム。
『穏健なる提案』(ジョナサン・スウィフト)
『ガリバー旅行記』の作者がアイルランドの貧困問題解決策を提案したトンデモ風刺論文。
18歳から81歳になるまで書き続けた世界最長のファンタジー小説。
『フラーレンによる52Kでの超電導』(ヤン・ヘンドリック・シェーン)
夢の超電導物質の製造方法をでたらめな研究データで示した論文。
『軟膏を拭うスポンジ』(ウィリアム・フォスター)
『そのスポンジを絞り上げる』(ロバート・フラッド)
傷口ではなく武器に軟膏を塗ることで傷が治るという手法を主張する本と、それに対する反論本。
『サンゴルスキーの「ルバイヤート」』(ウマル・ハイヤーム著、フランシス・サンゴルスキー装丁)
宝石で装飾された世界一豪華な、だが悲劇を振りまく魔書。
『椿井文書』(椿井政隆)
近畿地方に広く分布していた、著者による創作ばかりの古文書。
『ビリティスの歌』(ビリティス)
紀元前6世紀の詩人ビリティスの生涯を歌った歌集。
後記
『映画 すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ』を見ました。
「大人も泣ける」ということで話題になっていたので見てみたのですが、やっぱりそういう前情報があるとダメですね。。。
「泣けるシーンがある」という前提で見てしまうと、どうにも感動が薄れてしまいます。
しかしたしかに、「まあ○○は○○だろうな」と思っていた予想は外れましたが。
まあ可愛らしい映画です。
期待しすぎなければ泣けます。きっと。
今回はこんなところで。
それでは、お粗末さまでした。
『コンテナ物語』(マルク・レビンソン著)のレビュー
世界を一変させるテクノロジーの誕生はたびたび起きてきました。
たとえば活版印刷、自動車、インターネットなどですね。
ただ、じつはそうしたイノベーションで大きな役割を果たすのは、そうした新しい技術そのものを生み出した人というよりも、それを広く社会に一般化させた人のほうなのかもしれません。
というわけで、今回紹介するのはこちら。
コンテナリゼーションがグローバル・サプライ・チェーンを大幅に再編し、物流における大幅規制緩和の誘引となり、北大西洋が中心だった世界貿易に東アジアを組み込むことになるとは、誰一人として想像していなかったのである。コンテナリゼーションが始まった当初から、港湾労働者の仕事を奪うことは予想されていた。だが、港の近くに立地することにメリットがあった製造業や卸売業で大量の労働者が職を失うとまでは、誰も予想していなかった。そしてコンテナの可能性を理解していなかった政治指導者、組合運動家、企業経営者は、見込みちがいをしでかしたことの高い代償を支払う羽目に陥る。アメリカの鉄道は一九六〇年代と七〇年代にコンテナリゼーションに頑強に抵抗した。コンテナは、鉄道の伝統ある有蓋貨車の仕事をなくしてしまうだろうと考えたからである。二一世紀には自分たちが年間一四〇〇万個ものコンテナを運ぶようになるとは想像できなかったのだ。また多くの大手海運会社は、最後はマクリーン自身の会社も含め、破綻の憂き目に遭う。コンテナ・ビジネスがどう発展するか、見誤ったことが原因だった。それに海運業界の誰一人として、アメリカの海運業がアジアやヨーロッパの企業に支配される日が来ると予想していなかったことは確実である。政府による保護と規制を受けて発展し、アメリカ人船員とアメリカ籍船を使っていた純アメリカ製の海運会社は、急激に変化する世界で生き残れなかった。
コンテナは地味な発明のようにも思えますが、まさに世界のロジスティクスを変えるような画期的な手法でした。
現代では、たとえばある商品について、原材料はタイで作って、それを中国で組み立てて、最後にアメリカで発売するなんていうことが普通に行われていますが、こうしたグローバリゼーションが可能になったのも、コンテナによって非常に安価に船で運ぶことができるようになったからです。
いくら発展途上国で作ったほうが人件費が安く済むといっても、輸送コストが高かったら企業からすれば割に合わないわけですから。
というわけで、本書ではそんなコンテナがいかに世界を変えていったのか、ということが描かれています。
ただ、冒頭でも述べたように、イノベーションで難しいのは技術の開発よりも、むしろそれを広く一般化させることでしょう。
そのため、本書で多くのページを割いて取り上げているのは、マルコム・マクリーンという実業家です。
彼はコンテナを発明したわけではありませんが、トラックの運送会社から海運事業に乗り出し、コンテナを普及させたのです。
『コンテナ物語』に対する反応は多くの点で驚かされることばかりだったが、中でも予想外だったのは、多くの読者がイノベーションについて型にはまった見方をしていることだ。トラック運転手だったマルコム・マクリーンが最初のコンテナ船の投入にこぎつけるまでの大胆な道のりは、第三章にくわしく書いた。そのマクリーンはのちに、どうやってコンテナを思いついたのか、とよく質問されたものである。すると彼は、一九三七年末にジャージー・シティの埠頭で荷下ろしの順番待ちをしているとき、そうだ、トラックごと船に積んでしまえばいいと閃いたのだと答えている。もしこれがほんとうだとすると、老朽タンカーを買って三三フィート・コンテナを積めるよう改造する決断は、それから一八年も経ってから下されたことになる。
この「閃きの瞬間」を私は『コンテナ物語』では取り上げていない。そんな瞬間はなかったと考えたからだ。もちろん証拠はないが、コンテナ輸送で成功を収めて長い年月が経ってから興味津々で質問されたとき、アイデアマンのマクリーンはひょいと思いついたのではないだろうか。
(中略)
ところがたいていの人は、埠頭での閃きといったエピソードが大好きだ。ニュートンの前にリンゴが落ちてきて万有引力の法則が閃いた、といった輝かしい逸話はたしかに感動的ではある――たとえ作り話だったと後日判明したとしても。これに対して、すでに実用化されていたものを手直しし、どうやって利益を上げるか手探りし、せっかくのイノベーションがなかなか普及せずじりじりとする、といった話はまったく魅力的ではない。みんなヒーローが大好きなのである。だが技術の進化は複雑なプロセスであり、一人の人間の英雄的な努力だけでやり遂げられることはめったにない。
ここで重要なポイントは2つ。
・成功した人の話(ストーリー)は当てにならない
・イノベーションはだれかすごい1人(ヒーロー)の力だけではなし得ない
本書では政府の手厚い保護に守られた、物流業界の既得権益者などが強固にコンテナ船やコンテナ船を受け入れるための港の整備などに反対します。
この本は新技術開発の物語ではなく、新技術が世間に根付くという、ほんとうの意味でのイノベーションの過程が詳細に綴られた一冊なのです。
その意味で、引用した文章のように鮮やかなヒーロー物語を期待すると肩透かしを食らうかもしれませんが、実際に新技術は世の中にどうやって浸透し、どのように変わっていくのかという点を知ることができる楽しい本ではあります。
そして、世界が変わるときには、多くの人が思っているよりもすばやく変わるものなのかもしれません。
とりわけ、ネット技術が発達した現在では、もっともっと速く。
後記
『つぐもも』のアニメが始まったので読みました。
もっと『鬼滅の刃』っぽい王道の少年マンガなのかなと思ったら、わりとハーレム系ですね。だからこそ、『鬼滅の刃』にはなりえないのかもしれませんが。
エロ要素というのはマンガにおいて手っ取り早く人気を勝ち取る有効な方法のひとつだと思うのですが、一度その方法を選択すると「一般化」しないというデメリットを背負うことになるのは否めないのかもしれません。
今回はこんなところで。
それでは、お粗末さまでした。
『D2C 「世界観」と「テクノロジー」で勝つブランド戦略』(佐々木康裕・著)のレビュー
コロナウイルスが世界中で猛威を奮っている影響で外出する人が減り、経済が停滞している昨今ですが、尋常ではない影響を受けているのはリテール(小売)です。
もちろん、悪影響は時間差でほかの業種にも及ぶことが予想されますが、いかんせん、小売というのは店舗にお客さんがたくさん来てくれないと成り立たないメカニズムですから、仕方がない側面もあります。
そして、このコロナの一件は「リテール・アポカリプス(小売の終焉)」を早めることに繋がるかもしれません。
もともとAmazonや楽天といったECサイトの発達で、買い物事態をネットで済ませてしまう人も増えているほか、最近ではこの本で紹介されている「D2C」も増えているからです。
というわけで今回は、新たなブランド戦略としての「D2C(Direct to Consumer)」についてまとめられたこちらの本を紹介していきましょう。
D2Cという言葉から単純に受ける印象としては、単にメーカーが卸売会社や小売店を中抜して最終的な消費者と直接つながる業態のように感じるかもしれません。
ただ、それは間違いで、ただオウンドメディアをや自社ECサイトを作ればD2Cになれるというわけではないのです。
D2Cブランドが提供するのは「ライフスタイル(世界観)」であり、商品やサービスの機能価値ではありません。
そして、消費者との関係性も「お客様」ではなく、「仲間」として扱うのです。
たとえば、マットレスを販売するCasperを見てみよう。同社をより深く理解したければ、Casperを「マットレス屋」と捉えてはいけない。
CEOのフィリップ・クリムはこのように言っている。
"Nike make active lifestyles appealing and Whole Foods popularized bealthy eating, and we think the third piller of wellness is sleep."
「Nikeは、運動をするアクティブなライフスタイルを魅力的なものにし、Whole Foodsは健康的な食生活を誰もが手に届くものにした。運動、食事に加えて、睡眠がウェルネスの第3の柱になる」
Casperは、睡眠を通じて新しいライフスタイルの実現、さらに言うと、新しいカルチャーの創出を目指している。
彼らが提供しているのは単一の「モノ」でも「コト」でもなく、ライフスタイルそのものなのです。
ただ単に機能価値だけを提供すると、それはすぐに競合他社との争いになりますし、そもそもそうした機能価値の切実なニーズは、いまの社会にはほとんどないでしょう。
とはいえ、自分たちの提供するライフスタイルを人々に理解してもらうのは、商品の機能価値を説明するよりもずっと大変です。
そこでキーワードになるのが、本書のサブタイトルになっている「世界観」と言う言葉であるわけですね。
この「世界観」という言葉は、これからのビジネスでは欠くべからざる要素の一つになるだろうと思います。
先日読んだこちらの本も、同様です。
ちなみに、山口氏と水野氏の対談のなかで、豊かになるほど意図的に不便さを求めるようになるというところがありました。
これに関しては、やっぱり最近読んでいたらSF名作『虎よ、虎よ!』でも同様の表現があったのを思い出します。
『虎よ、虎よ!』の世界では「ジョウント」というテレポーテーションを人々が普通に使える世界で、通勤などはジョウントで行います。
ただ、本当に富裕層の人は「ジョウント」あえて行わず、前時代的な古い移動手段である「自動車」などを使ったりするのです。
これはなかなかおもしろいことです。
世の中があまりにも便利になりすぎると、逆に不便さが価値を持ってくるようになるということですね。
話をもとに戻しましょう。
D2Cブランドが対象としているのは、おもにミレニアル世代(1981~1997年生まれ)とZ世代(1998~2016年生まれ)です。
この世代では、次のような消費特性があります。
・古いブランド全般、マスメディアを信用しておらず、本物であるか、社会にとって意味があるかを重視する
・自分が所有しているものではなく、「自分の行動」こそが自分を表現すると考える
じつは私もミレニアル世代なのでわかるところが多いのですが、ある商品やサービスを購入して使うということは、その企業をサポートしているという意識が少なからずあるように思います。
つまり、どれだけ素晴らしい製品・サービスだったとしても、それを提供している企業がなんか胡散臭いとか、悪いことをしている感じがあると、使いたくないなあという感じになるわけですね。
世界観を伝えると、ブランディングするというと、なんだか小難しいことのように感じてしまうのですが、これは要するに「商品・サービスの良し悪し」と同じくらい「誰が、どんな目的でその商品・サービスを生み出したのか」ということを重視する人が増えてきたということなんだと思います。
これまでの企業はそこを伝えてこなかったことが多くて、そのために消費者がその企業を応援したいと思える材料がなかったのです。
それをもうちょっと作ったほうがいいよね、ということですね。
私も実用書をつくっている人間としてはなかなか考えさせられるものがあります。
一冊の本として役に立つ情報が乗っていることはもちろん、「なぜその著者はその本を書いたのか」「この本を人々が読むことでどういう世界を実現したいのか」ということを伝えたほうが、きっといいのでしょう。
この世界観をつくるという考え方は、個人にも当てはめることができると思います。
自分という人間が提供する機能価値よりも、自分の行動原理や行動哲学など(こういうのをキャラクターと称してもいいと思います)を確立して、それを相手に伝えられたほうが、協力してもらえるかもしれません。
とにもかくにも、世界はいま過渡期に入っています。
それぞれの時代、世相に合わせてしなやかに生きたいもんですね。
後記
LINEマンガで『ミナミの帝王』がドバっと無料になりましたね。
あんまりこれ系は読んでなかったのですが、『ナニワ金融道』を読んでみたらおもしろかったので読み始めてしまいました。
でもやっぱり、『ナニワ金融道』のほうがおもしろいかな。
金貸しものでいえば『闇金ウシジマくん』もありますが、あれよりもライトな感じです。
今回はこんなところで。
それでは、お粗末さまでした。
『ニルヤの島』(柴田勝家・著)のレビュー
私は基本的に「小説家はあまり顔を公に出さないほうがいい」と考えています。
いえ厳密に言うと、「小説家には顔を出さないほうがいい人と、顔を出してもいい人がいる」といったほうが正しいかもしれません。
たとえば筒井康隆とか京極夏彦とか村上春樹とかは顔を出しても良いタイプだと思います。別にイケメンだからというわけではなくて、「顔と作品がなんとなくマッチしている」からです。
うさんくさい作品を書いている人にはうさんくさい見た目であってほしいし、爽やかな作品を書いている人には爽やかであってほしいと願ってしまうものです。
その意味で言えば、今回紹介する『ニルヤの島』の著者、柴田勝家さんは「顔を見ないでおけばよかった……」と思うタイプの作家さんでした(超失礼ですが)。
もちろん私は積極的に作家の名前を検索して顔を探し出そうとするタイプの人間ではありません。
ただ、柴田勝家氏の顔を見てしまったのは、ひとえに「解説」のせいです。
まずはお手持ちのスマホやパソコンでブラウザを立ち上げ、「柴田勝家 SF」と入力し、画像検索をかけてみていただきたい。黒の紋付姿でポーズをとる、ヒゲ面の大男の姿が現れるはずだ。これが本書の著者、柴田勝家氏。日本史の教科書に登場する勝家の肖像とあまりに似ており、絶句してしまう。だがその正体は戦国武将とは縁もゆかりもない、いち勝家ファンである。所属する大学の文芸サークルで、ある時「そんなの賤ヶ岳だよ!」と口にして、羽柴秀吉と柴田勝家の戦についてまくしたて、あっけにとられた仲間たちから「柴田勝家」として認識されるようになり、筆名も柴田勝家を選んだのだという。
こんなふうに著者の顔についてネタバレされてしまうと、もう脳内でヒゲヅラの大男が認識されてしまうわけで、こうなったら検索してもしなくても変わらないですね。
ということで検索して柴田氏の顔を見てみましたが、まさにそのとおりでした。
これは解説のヒトが悪いですね。
もしも本書が日本の戦国時代を舞台にした熱い男たちが活躍する戦国時代SFだったり、あるいはエロ・グロ・ギャグ満載のブラックSFだったりしたら別に良かったのですが、この『ニルヤの島』は全体的に静謐さをたたえた、すごく抽象的で、神秘的な物語です。だから、個人的にはもっと塩顔で感情が読めないような人が書いていたらよかったなーと思うところがあり、それで残念だったわけです。
ちなみに、作家が顔を出すこと自体は、きっと作品を世に広めるという点ではそうしたほうがいいんだろうなと、編集者の立場からは思っています。
いまは作品の良し悪しに加えて、「どんなヒトがこの作品を書いたのか」ということも、読者は見ていると思うのです。
ただ、だからといって顔を出せばいいというわけでもなく、要するに作家のキャラクター性が小説作品以外の場で表出されれば、キャラとして立ちます。
専業の小説家としてやっているならば、本が売れないと食っていけないわけですから、自分の顔を出すなりYoutubeをつくるなり、コラムを書くなりして自分をブランディングするのは正しい戦略だと思います。
前置きが長くなりました。
それはそれとして、本作はとっても難しいです。
物語の舞台になっているのはパラオなどの島嶼国が統一されたミクロネシア経済連合体(ECM)という国。
そこでは生体受像(ビオヴィス)という技術によって感情や記憶を数値化してログを残して再配置できるがゆえに「死」が希薄化し、「死後の世界」の有無を巡って対立が起きた世界です。
難しい理由は以下のとおりです。
物語の中核となる要素がミームであること
ミームというのは進化生物学者リチャード・ドーキンスによって名付けられた概念で、文化における遺伝子と考えていいと思います。
このミームというのが物語では重要な要素になっているのですが、ミーム自体がかなりわかりにくい概念です。
馴染みのない固有名詞が多い
ビオヴィス、模倣子行動学(ミメティクス)、カーゴ・カルト、アコーマン、統集派(モデカイト)などなど、オリジナルの言葉や意味、概念が多数出てくるほか、登場人物も多いし、名前が一定していない人物もいたりするので、かなりそれらの情報処理に脳のちからを消費させられます。
4つの物語が交錯して進む
本作では文化人類学者イリアス・ノヴァク、模倣子行動学者のヨハンナ・マルムクヴィスト、何者かとチェスのようなゲームを続けるベータ・ハイドリ、そして地元の潜水技師タヤらの視点で進みます。
ただしこれは解説にも書かれているように、物語のテーマに即して、意図的に物語を「断片(フラグメンテーション)化」しているためです。
どちらにしろわかりにくいことに違いはありませんが。
ということで、表紙の可愛い女の子に騙されて読み始めると、想像以上に玄人向けのハードなSF作品であり、そんなに分厚いわけではないのに読むのに時間がかかるとわかるでしょう。
また、ストーリー的になにかドラマティックなことが起こるわけでもなく、読み終えたあとにエンターテイメント的なカタルシスが得られるわけでもありません。
本書は早川書房で復活された第2回SFコンテストの大賞受賞作ですが、なるほどSFマニアだったら楽しめるかもしれませんが。
とはいえやっぱり紹介したくなるという点では、きっといい作品なんでしょうね。
ちなみに、『ニルヤの島』の文章で著者が気にかけたことについては、このあたりの記事を読むとよくわかります。
すくなくとも一回読み切っただけでは理解できないでしょう。
ただ、個人的になんとなく嫌いじゃないので、柴田氏の別の本も、機会があったら読んでみます。
後記
久しぶりにスター・ウォーズ バトルフロント2を起動したら、新ヒーローとしてBB-8とBB-9Eが追加されてましたね。
早速使ってみたのですが、かなりおもしろいです。
体が小柄だし移動スピードが早いから意外と倒されにくいし、アビリティもサポートに特化したものだからかなり楽しい。
そして意外とまだ人口がいる。
やっぱりスター・ウォーズはファンが多くて強いんでしょうか。
今回はこんなところで。
それではお粗末様でした。