『奇書の世界史』(三崎律日・著)のレビュー
私は普段、ビジネス系の実用書をつくっています。
実用書は「役に立つ」ことが求められます。
私がつくるような本の読者の目的は、その本を「読む」ことではなく、その本を読むことによって得られる「なにか」であるわけです。
これが小説などと毛色がちがうところで、小説の場合は「読む」ことが目的になりえます。
(もちろん、もっと本質的なところを考えれば、小説を読むことによって得られるカタルシス(つまり「なにか」)が目的であるとも言えますが)
そのため、ビジネス実用書の文章で求められるのは「わかりやすさ」です。
そしてわかりやすい文章というのは、じつは誰にでも書けるものなのです。
「わかりやすい文章」にはルールがあります。
一文を短くするとか、難しい言葉をむやみに使わないとか、そういうことですね。
このルールに従って書けば、だれでも絶対にわかりやすい文章は書けます。
しかし、小説の場合はそうではない。
わかりやすければいい、というわけじゃないです。
あえて難しい漢字や古い言葉遣いを使ったり、わざと一文を長くして改行を極限まで減らしたりする作品もあります。
そしてそれが、その小説の「おもしろさ」「世界観」の一翼を担うのです。
「わかりやすい文章」は簡単に書けますが、「おもしろい文章」は難しいです。
ただ、この「おもしろい」という言葉もクセモノで、「おもしろさ」にもいくつか種類があります。
比較的かんたんなおもしろさは「知的好奇心を刺激するおもしろさ」です。
たとえば次の文章。
カバの汗はじつはピンク色です。これはなぜかというと、赤とオレンジの色素が含まれているからです。そして赤い色素は抗菌作用、オレンジの色素は紫外線を吸収する作用があります。だから、カバは防菌と日焼けを防ぐためにピンク色の汗をかくのです。
この文章は知的好奇心を刺激するという意味の「おもしろさ」はもっていますが、文章そのものはしごく真面目で、ユーモアがありません。
こういうおもしろさは、比較的簡単にマネできます。
一方で、さくらももこさんなどのエッセイは、文章自体がおもしろおかしいため、ただそれだけで笑えます。
ブロガーさんでも、ごくごく普通のないようなのに、書き方がシュールでめちゃくちゃ笑える文章を書く人がいますね。
おもしろさには「コンテンツ(中身)のおもしろさ」と「表現のおもしろさ」があって、これは後者です。
そして、この「表現のおもしろさ」を武器にする文章というやつは、なかなかマネができません。
文章だけで人を笑わせるというのは、本当に難しいものです。
これには独特のセンスが必要になるのでしょう。
(そしてだいたい、ここを狙いに行こうとするとスベるものです)
さて前置きが長くなりましたが、今回紹介するのはこちらです。
私はこの本を読んだとき、ついつい、先日読み終わったばかりのこちらの本と比べてしまいました。
じつはどちらも、扱っているコンセプト的なところは似ています。
現在ではほとんど名前の知られていない「変な本」を集め、その内容を紹介するというものです。
ただ、『「舞姫」の主人公~』が読んでいてゲラゲラ笑えたのに対し、『奇書の世界史』は別に笑えません。
それはもちろん、著者の文章の「表現のおもしろさ」の程度に差があるせいなのですが、私が思うのは、それと同時に「実用書としての役目」をどれだけ負っているかどうか、という点です。
『「舞姫」の主人公~』は、基本的に読んでもなんの役にも立ちません。
「明治時代にはこんなにハチャメチャな本がたくさんあったんだなァ」と思うくらいで、ぶっちゃけ、読んでも読まなくても人生には何ら影響はないと思います。
ただ、『奇書の世界史』は、それに比べると幾分アカデミックで、
「時代の変遷とともに移りゆく価値観」
を奇書を通じて学ぶことができます。
お勉強になるわけですね。
今風に言えば、「教養としての奇書入門」的な立ち位置なのです。
では、そういう「価値観の変化」を知ることにどんな意味があるのでしょうか?
「昔の人は愚かだったね」で終わりでしょうか?
もちろん違います。過去を知ることは、私たちの未来を予測することにもつながるのです。
たとえばあなたが、中世ヨーロッパの行商人だったとしましょう。丘を越えて隣の町まで商売に行く途中だったとしましょう。歩き疲れたあなたは少し立ち止まり、地図を広げたとします。もしもそのとき「1時間前に自分がいた場所」と「いまの場所」が分かっていれば、1時間後にどこまで進んでいるかも予測ができます。
同じことが、人間の「価値観」にも当てはまります。過去の価値観といまの価値観との違いが分かれば、将来の価値観も見えてくるはずです。
本書ではそのような「価値観の差分」を探ることに挑戦しています。そして奇書が教えてくれる「価値観の差分」を使えば、未来の私たちを占うこともできるでしょう。
正直なところを言えば、私はこの部分を読んだ瞬間にちょっとがっくりしました。
結局この本は本質的に「役に立つ」ことを目的としたものであり、つまりは「ビジネス実用書」であることをここで宣言しているからです。
もちろん、ビジネス実用書であることそのものが悪いわけではありませんが、この時点で私が期待するような「おもしろさ」は得られないんだなあ、と。
ここらへんが本というのものの難しさなのですが、同じようなテーマであっても、著者などがどういう狙いでその本を書いているのかによって、どんな人にオススメできるかが変わってきます。
この2冊でいえば、『「舞姫」の主人公~』は文芸が好きな人です。
『奇書の世界史』は意識高めのインテリ・ビジネスパーソンでしょうか。
ちなみに、本書では「奇書」を次のように定義づけています。
作者自身の計らいを超え、いつの間にか「奇」の1文字を冠されてしまったもの。あるいは、かつて「名著」と持て囃されたのに、時代の移り変わりのなかで「奇書」の扱いをウケるようになってしまった本――。つまり、数奇な運命を辿った書物です。
本書で紹介されている「奇書」を以下にまとめました。
わりと小難しい内容なので、読む人をちょっと選ぶかもしれません。
『魔女に与える鉄槌』(ハインリヒ・クラーメル、ヤーコブ・シュプレンガー)
魔女狩りの方法について描かれたハウツー本。
『台湾誌』(ジョルジュ・サルマナザール)
嘘八百で描かれたアジアを紹介する本。
『ヴォイニッチ手稿』
不可思議なイラストと解読不明な文字によって埋め尽くされた謎の本。
『野球と其害毒』(新渡戸稲造ほか)
東京朝日新聞で連載された、野球の害悪をボロクソに主張するコラム。
『穏健なる提案』(ジョナサン・スウィフト)
『ガリバー旅行記』の作者がアイルランドの貧困問題解決策を提案したトンデモ風刺論文。
18歳から81歳になるまで書き続けた世界最長のファンタジー小説。
『フラーレンによる52Kでの超電導』(ヤン・ヘンドリック・シェーン)
夢の超電導物質の製造方法をでたらめな研究データで示した論文。
『軟膏を拭うスポンジ』(ウィリアム・フォスター)
『そのスポンジを絞り上げる』(ロバート・フラッド)
傷口ではなく武器に軟膏を塗ることで傷が治るという手法を主張する本と、それに対する反論本。
『サンゴルスキーの「ルバイヤート」』(ウマル・ハイヤーム著、フランシス・サンゴルスキー装丁)
宝石で装飾された世界一豪華な、だが悲劇を振りまく魔書。
『椿井文書』(椿井政隆)
近畿地方に広く分布していた、著者による創作ばかりの古文書。
『ビリティスの歌』(ビリティス)
紀元前6世紀の詩人ビリティスの生涯を歌った歌集。
後記
『映画 すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ』を見ました。
「大人も泣ける」ということで話題になっていたので見てみたのですが、やっぱりそういう前情報があるとダメですね。。。
「泣けるシーンがある」という前提で見てしまうと、どうにも感動が薄れてしまいます。
しかしたしかに、「まあ○○は○○だろうな」と思っていた予想は外れましたが。
まあ可愛らしい映画です。
期待しすぎなければ泣けます。きっと。
今回はこんなところで。
それでは、お粗末さまでした。