本で死ぬ

基本的には本の話。でもたまに別の話。

あなたの書くことに、だれも興味はない~『広告コピーってこう書くんだ!読本』~

コカ・コーラよりペプシ派の徒花です。ダイエットコーラ、好きだったんだけどな。。ちなみに今回はメチャクチャ長いので読み上げ動画を作ってみた。

もくじ

今回紹介する本はこちら。

広告コピーってこう書くんだ!読本

広告コピーってこう書くんだ!読本

 

Kindle Unlimitedで読んだ本。かなり良かった。

著者について

著者の谷山雅計(たにやま・まさかず)氏はコピーライターで、東京ガスの「ガス・パッ・チョ!」、新潮文庫の「Yonda?」などを考案した人物。

本書の良いところは、テクニックを伝えてないところ

コピーライターの人が書いた本というと、最近では佐々木圭一氏のこちらが売れた。

伝え方が9割

伝え方が9割

 

もちろん、これもいい本なんだけど、この本も含めて、コピーライターが書いた本はテクニックに偏りすぎるきらいがある。具体的にどういう言い回しをすればいいのかを教えてくれるのも助かるかもしれないが、個人的には「どうすればそういう言い回しを考えつけるのか」ということを知りたい。そのほうが、応用のしがいもある。

本書はその点で、テクニックに偏ることなく「コピーライターはどのように考えて仕事をしているのか」が書かれていて、そこがよかった。

コピーを考える力は、これからすごく重要になる……と思う

私は編集者として本のタイトルやキャッチコピーや見出しを考えたりするのが仕事なので、もちろんコピーの書き方はとっても仕事の役に立つ。しかし、そうではない仕事に従事している人であっても、いいコピーの書き方を学ぶことは役に立つはずだ。

なぜなら、「いいコピー」というのは「相手に伝わるコピー」であり、つまりそれは「相手に伝わる言い方」だから(このことをうまく前面に押し出して成功したのが『伝え方が9割』だ)。「相手に伝わる」のはコミュニケーションの基本で、コミュニケーション能力はあらゆる仕事で必要とされる。

また、もしブログの読者を増やしたいと思ったり、SNSでフォロワー数を増やしたいと考えているなら、それもやっぱりコピーの作り方を学ぶべきだ。ちょっとした言葉の使い方(もしくはタイトルのつけ方)ひとつで、読み手が受ける印象は大きく変わり、それは承認欲求を満たすための大きな武器にもなる。

以下、本書の中で徒花が「なるほどなぁ」と思った箇所を紹介していく。

モノの作り手になれる人、なれない人

本を読んでその感想なりレビューなりを書くとき、ただ単に「なんかよかった」「なんかおもしろかった」で終わる人は作り手に向いていない。引用しよう。

たとえば、ここに「パルプ・フィクション」という映画がある。見たあなたは「なんかカッコいいよね」「なんかすごいよね」を連発して、大満足かもしれない。

けれど、それをつくったタランティーノ監督は、「なんかカッコいいぞ」「なんかすごいぞ」と思いながら撮影したわけではありませんよね。

「ここをこう撮ったら、こうカッコよくなる」という、きっちりした計算と思考のもとに行動しているわけです(もちろん、作り手が意識していない部分も、作品のなかの何パーセントかはあると思いますが)。

じゃあ、もしタランティーノのようなつくり手に少しでも近づきたいと思うなら、あなたも同じような“考え方”を実行するしかありません。

もし、作り手になりたいのであれば、いい作品に触れたときに「自分はなぜこの作品が“いい”と思ったのか」を真剣に考える癖をつけたほうがいい。そうすると、具体的に自分がその作品のどこに惹かれ、なにに感動したかがわかるようになる。

相手の「意欲」に期待しない

基本的に、受け手(消費者とか、ブログの読者とか、もしくは話し相手でも)はあなたや、あなたの考えに興味がない。人間は基本的に自分のことしか考えていない。

それは発信者も同じで、多くの人は「自分が書きたいこと」「自分が言いたいこと」「自分が見せたいもの」を一方的に発信する。だが、書き手のよろこびと受け手のよろこびは、たいていズレがある。それを理解し、「なにが受け手のよろこびなのか」を意識できるかできないかは、大きな差になる。

「相手は自分のことを理解しようと努めてくれる」と考えてはいけない。引用しよう。

うまい人のコピーというのは、「誰もコピーなんか読みたいと思ってない」という出発点から書きはじめて、「じゃあ、どうやってそういう人を振り向かせるか」と発想していくから、自然と短く、強く、シンプルになっていくのだと思います。

人々は「解決」を望んでいる

世の中を生きていくことは、なかなか大変だ*1。誰しも、なにかに悩んでいる。よいコピーというのは、人々のそうした不安、不満、不足など、いろいろな「不」を解決・解消するためのアイディアを提供している。だからこそ、「読む気のない人」を振り向かせる力を持っているのだ。

だから、ただ現状をありのままに書いても、人を惹きつけることはできない。現状からなにか人々の「不」を見つけ出し、自分なりの解決策を提案できるかが、大きなカギになってくるのだ。

自分が書いた言葉、読みなおしてる?

推敲……をきちんとやっている人はけっこう少ないかもしれない。私自身、このブログを書いていると、どうしてもそれがおざなりになってしまう。そもそも、コピーくらい短いものだとまだ推敲は簡単だが、長文になると、「自分の書いた文章を読みなおす」のはけっこう大変な作業なのだ(だからこそ、本には編集者という存在が必要なんだけど)

だが、自分の書いた言葉を、できたらちょっと時間をおいて読み直すのがすんごく重要だ。本書では、このことを「意味で書いて、生理でチェックする」と表現している。コピーを作っている最中は、コピーライターは論理的に考えて、意味が通るような言葉を作る。しかし、予備知識ゼロの受け手は、じつは論理ではなく生理的にコピーを受け取る。引用しよう。

これは以前、糸井重里さんにお聞きした話ですが、たとえば、「この香水はウンコのような香りはしない、すばらしい香りです」という文章があったとすれば、受け手はどのように感じるでしょうか。

この文章は、論理的には「この香水はすばらしい香りです」という意味を述べているのだけれども、パッと見たり、聞いたりしたら、まず「ウンコのような」という部分が目や耳に入って、くさそうなイメージしか残らないでしょう。このように受け手は“生理的な部分”が優先してしまうんです。

最近読んだこちらの本では、意味は違うが、ちょっと似たような言い回しの言葉があった。

伝わる文章が「速く」「思い通り」に書ける 87の法則 (Asuka business & language book)

伝わる文章が「速く」「思い通り」に書ける 87の法則 (Asuka business & language book)

 

いわく「情熱で書いて、冷静で直す」。とにかく、受け手の気持ちになって、読み直すことは大切だ。

いい言葉をひとつ思いついて、それに満足するようでは未熟

私の上司も元コピーライターで、いろいろ話を聞くのだが、修行中はまずひとつのテーマに対して「とりあえず500のコピーを考えろ」などと指示されるらしい。これは別に嫌がらせとか、根性をつけるとか、そういう話ではない。

お題に対する答えを考え出すと、どんな人間もある時点で素晴らしいコピーを思いつく。そして、素人はそこで思考を停止させてしまうのだ。しかし、本気でいいコピーを作りたいなら、そこで思考を停止させてはいけない。そのために500など、とんでもない「数」を考えさせるのだ。そうすると、素晴らしいコピーが複数思いついて、そのなかからどれがいいか、再度選ぶことができる。

引用しよう。

ところが学生には、そういう発想がない人が多い。きれいな葉っぱを1枚見つけたら、「きれいな葉っぱだ」「この葉っぱいいね」「いいでしょう、これ」と、そればかり見ている、みたいなことです。

広告のつくり手としては、そこで「この葉っぱきれいだけど、どういう木に、どういう幹についていたんだろう」と、思考を進めていってほしい。

(中略)

1枚のコピーという“葉っぱ”でとまるのか。そこから“木”や“森”をつくっていけるのか。

みんながいいたいことをいわせてあげる

優れたコピーは2種類に大別できる。「受け手に新たな気付きを与える」か、「受け手を力強く頷かせる」ものだ。ここで説明するのは、2つ目のやつである。

先にも述べたように、人は、基本的に自分のことしか考えていない。だから、どんなに素晴らしい言葉で、素晴らしいことが書いてあっても、「自分には関係ないな」と思ってしまった瞬間にスルーしてしまうのだ。逆に考えれば、受け手に「自分には関係ないな」と思わせてはいけないのだ。

そこでひとつの有力な方法は、「受け手が考えていただろうことを書いてあげる」ものである。自分が感じていたこと、考えていたことが端的に表現されていると、それを見た人は「そうそう! 自分と同じだ」と同調し、興味を持つ。見た人々の胸の中にわだかまっていた考えや感情を刺激し、「いいたかったことがいえる状況」を作る。本書では、「ピッチャーが打ちやすいボールをわざと投げて、バッターに気持ち良くホームランを打ってもらうようなもの」とも表現している。

「奇をてらう」のは高等技術である

考えが浅い人は、なにか「物珍しいこと」をいえば、それでみんなの注目を惹けると考え、新しい言葉を作ったり、世の中の風潮に対して逆張りをしたりする。しかしこれは、幼稚園児が先生にかまってもらうためにチンチンを丸出しにして騒ぐのと同じようなものである。コピーも同じで、とにかく目を惹こうとメチャクチャなことを書くのは、浅はかであると著者は述べる。

とはいえ、メチャクチャなことをいうのを全否定するわけではない。よい奇抜さと、悪い奇抜さがあるのだ。

では、どういうのが「よい奇抜さ」かというと、ちゃんと本来の目的を達成できる奇抜さである。たとえば、「商品の売り上げを伸ばす」というのが最終目的であれば、きちんとそれが達成できるのであれば、それはどんなに奇抜であっても、アリなのだ。そこをきちんと理解し、戦略的に考えられるのであれば、「奇をてらう」という戦略は価値を持つ。

正論は、伝えるのがむずかしい

コピーに限った話ではないが、「正論」を相手に納得してもらうことは難しい。正しいことを正しいといっても、相手の気持ちを動かすことはできない。

そんなとき、役に立つのがユーモアだ。正論を伝える時こそ、ユーモアを交えると、それがすんなりと相手の中に入っていく。本書では、2003年に話題になったKINCHOの「水性キンチョール」のCMをよい例として挙げていた。あの、大滝秀治さんが「お前の話はつまらん!」というやつである。

企画書に技術はいらない

このことが、この本を読んでいて徒花が一番目からうろこが落ちたことかもしれない。

企画書を上司に見せてボツにされるのは嫌なものだし、できたら避けたい。だから、人は「できるだけ通る企画書」を一生懸命に作ろうとするし、どうすればそういう企画書を作れるのか、小手先のテクニックに頼りがちだ。

だが、そもそもよい企画にはテクニックはいらない(悪い企画はそもそも出さない)。なぜなら、よい企画には、そこに至るまでのちゃんとした思考の道筋があるはずで、企画書は自分がどういう思考をたどってその企画を作ったのか、その道筋を整理して書けばいいだけだからだ。引用しよう。

たしかに巷には、そうしたとおりいっぺんなことをそれらしく書かせたり、人を口先だけで説得しようとするような企画書のハウツー本も数多く出ています。

でも、そういうテクニックに頼れば、小さな局面では結果を得られても、もっと大きなところで仕事にとって大切なものを失ってしまうことにもなりかねません。

とにかく、まずはいい企画を考える能力を身につけること。そして企画書は、考えたプロセスを順序立てて、そのまま素直に書くこと。ぼくはそれ以外に大切なことはないと思います。

当たり前だが、企画書は上司の許可を得るためではなく、その先の顧客・消費者のために書くものである。たとえば本の企画なら、いくら上司に気に入られても、実際に刊行してまったく売れなければ、それは失敗になってしまう。そのことを肝に銘じれば、自然と企画書の書き方が変わるはずなのだ。

常識を知ってなきゃいけない

著者によれば、コピーを見た人々の反応は大きく3つにわかれるという。「そりゃそうだ=常識」「そういえばそうだね=コピー」「そんなのわかんない=芸術」の3つだ。そして、コピーというのは、「そういえばそうだね」でなければならない。

本書では豆腐を例にとって、こう説明している。

「この豆腐は、白いんですよ」→「そりゃそうだ(常識)」

「この豆腐の白さはね、現代の不安を象徴しているんですよ」→「そんなのわかんない(芸術)」

「豆腐はね、すごく栄養があって、“畑のステーキ”みたいなものなんだよ」→「そういえばそうだね」

コピーであるためには、相手の意識下に眠っているものを呼び覚ますものでなければならない。よいコピーとは、相手を納得させることができるものを指すのだ。

ただし、難しいのは、「そりゃそうだ」「そんなのわかんない」「そういえばそうだね」という感覚が、時代とともに変化していく――ということである。10年くらい前なら「そういえばそうだね(気づき)」だったものが、現在では「そりゃそうだ(常識でしょ)」になっているケースは多々ある。

だからこそ、相手を納得させるものを書くためには、世の中の常識を知っていないと話にならない。別に流行に敏感である必要はないが、コモンセンスを身につけていないと、他者を納得させることはできないのである。

おわりに

 Kindle Unlimitedで読んだ本なので来月には読めなくなってしまうのだが、かなりいい本だったので紙の本でも買おうかと悩んでいる。Kindle Unlimitedが今後の出版業界にどのような影響を及ぼすのかはわからないが、音楽でストリーミングが主流になっているように、本ももしかすると、所有から共有へと緩やかに人々の意識は変化していくさだめなのかもしれない。出版社にできるのはその流れをせき止めることではなく、流れを読んで波に乗ることだけなのだ。

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今回はこんなところで。

それでは、お粗末さまでした。

*1:ほんとうにそうなのかは別として、少なくとも、そう思っている人が多い