だれが犯人を殺したのか?~『スフィアの死天使: 天久鷹央の事件カルテ』のレビュー~
注射が大嫌いなので、いままで一度も献血に行ったことがない徒花です。採血も昨年、生まれて初めてやった。血を抜くとか、こわすぎる。。。
もくじ
『スフィアの死天使: 天久鷹央の事件カルテ』について
今回紹介する本はコチラ。
スフィアの死天使: 天久鷹央の事件カルテ (新潮文庫nex)
- 作者: 知念実希人,いとうのいぢ
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2015/08/28
- メディア: 文庫
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まず、私は盛大にミスをした。読み終わってから読書メーターにレビューを書き、ほかの人がどんなレビューを書いているのかを読んでいて初めて気づいたのだが、どうやらこの作品、シリーズとしては第4弾目らしい……。とはいえ、時系列的には一番初めに来るエピソードであるようなので、本書から読んでもとくに問題はない。
なお、表紙のイラストは『涼宮ハルヒの憂鬱』『灼眼のシャナ』などでおなじみの人気イラストレーター・いとうのいぢ氏。ただし、本書はライトノベルではないので、本編の最中に挿絵はない。新潮文庫nexは、ライトノベルと普通の小説(境界線は定かではない)の中間の立ち位置を目指して創刊されたレーベルである。
あらすじ
外科医から内科医に転向し、天医会総合病院で働き始めた小鳥遊優(たかなし・ゆう)は、副院長・天久鷹央(あめく・たかお)の下で働くことになる。院長の娘であるために27歳でありながら副院長を務める彼女は、超絶頭脳を持ってはいるものの、対人コミュニケーション能力が著しく欠如した問題児でもあった。
ある日、緊急搬送された男の処置を行っていると、その男が急に「神の命令だ!」と叫び、外科医の沖田を殺害する事件が発生。どうやら、沖田は最近話題になっている新興宗教団体と娘を巡ってトラブルになっていたらしいが、犯人である男と教団の結びつきはわからない。子どものころから世話になっていた沖田の仇をとるためにも、天久と小鳥遊は事件の真相を解決するため、教団への潜入を決めるのだった。
キャラクターはいいけれど……
ここから感想。まずは、本作のいいところを挙げていこう。
●探偵役の天久先生がかわいい
●文章が読みやすい
以上。では次に、イマイチだったところ。
●トリックに意外性がない
この物語における最大の謎は、「犯人はどうやって緊急搬送された男を操って沖田を殺させたのか?」という部分である。まずもう、パズラー系が好きな徒花としてはこの時点でちょっとテンションが下がるのだが(殺し方に工夫がないから)、肝心の謎がとかれても「まぁ、そんな感じだろうとは思った」という結末なので、とくに驚きはなかった。
●真犯人と動機に取ってつけた感がある
ちょっとネタバレになるかもしれないので一応暗転表示にしておくが、真犯人はそれまでほとんど本筋に絡んでいなかった人だし、その動機も、(もちろんちょびっと出てきてはいたが)唐突な感じがした。なんかもうちょっと、「なるほどな!」と思えるような展開にしてほしかったなぁ、と。
●濃度が薄い
本書は長編だが、どうにも展開がノロノロとしていて、引き伸ばしているような印象が否めない。――と思っていたら、どうやら本シリーズとしては初の長編らしく、Amazonのほうのレビューを見ると、私と同じような感想を抱いた人もいたようだ。つまり、それ以前のものは短編になっていたようので、そちらの方がおもしろいのかもしれない。
今度、暇があったらこっちも読んでみる。
誰が犯人を殺したのか?(ネタバレあり)
ここからが今回の本題なのだが、思いっきりネタバレを含むので、これから読もうと思っている人は読まないほうがいい。
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この物語において、真犯人は自殺してしまう。私にはそれがすごくひっかかった。
もちろん、ミステリーにおいて犯人が自死するのは珍しいことではない。だが、本書の自死は、私にはとても違和感があるように思えたのだ。端的に言えば「自殺するほど追いつめられていたとはとても思えない」。
小説のなかでの出来事では、かならずなにかしら意味がある。犯人が自殺するには、自殺するだけの理由があるはずなのだ。私はその理由を見いだせなかったのだが、読み進めていて、次のところでこの自殺に対する“違和感”が氷解した。引用しよう。
一応僕に対する傷害容疑を口実に、蔵野のデスクや家が捜索されたらしいが、桜井から聞いたところによると、いまのところ蔵野の犯罪を裏付けるような証拠はなにも見つかっていないらしい。
もし蔵野がやってきたことがあかるみに出れば、おそらくこの天医会総合病院にはマスコミが押し掛け、大変な騒ぎになっただろう。もしかしたら病院がつぶれるような事態におちいったかもしれない。そんなことになれば、この病院に通っている患者、そしてこの周辺の地域医療にとって大きな不利益が生じたはずだ。
(中略)
この病院を、ひいてはこの病院にかかっている間者を守るために、蔵野は自らの命を絶ったのではないか? そう思うのは、少し裏をよみすぎだろうか?
この引用部分から読み取れることはいくつかある。
●真犯人である蔵野には犯行を裏付けるような物的証拠はなかった(つまり、自殺する要因がそれだけ少ない)
●にもかかわらず蔵野が自殺したのは、患者・病院・地域医療を守る、彼なりの「正義」からの行動だったのではないか
本当の真犯人は○○
ハッキリ言うと、私は、この小鳥遊くんの考察は、著者による「無理なコジツケ」にしか読めない。犯人が自殺する必然性をこれによって読者に納得させようとしているのだが、少なくとも私には、言い訳にしか聞こえないのだ。
それよりも重要な問題は、「もし蔵野が警察に逮捕されて、安楽死が行われていたことが世間に広まった場合、最悪の場合、病院がつぶれるかもしれない」ということだ。つまり、そうなると、メタ的に考えれば、このシリーズを継続することができなくなるリスクが生じる、と考えられるのだ。だが、それは絶対に許されない。なぜなら、本作はシリーズの時系列で最初に位置するものであり、この後も、天久先生はいろいろな事件を解決していくことが「決まっている」からだ。
つまり、真犯人・蔵野は自殺ではなく、シリーズを継続させ、既刊本との整合性を取るという目的のために「著者に殺された」といえるのだ。だからこそ、本書における真の黒幕……というのが適切かはわからないが……は著者・知念実希人である、と私は指摘したい。
おわりに
本書において、真犯人・蔵野は、天久先生により「『死の天使』と呼ばれる種類のサイコパス」だと指摘されていた。つまり、他人の生死を自らの手中に収めることで全能感を抱く異常者だと断言したのである。
しかし以上のことを考えると、彼女の指摘はそのまま著者にブーメランとして返ってくる。自らの紡ぎだす作品の中で登場人物たちの生死を握っているのは、紛れもなく著者だからだ。もちろん、著者がこれらをすべて前提としたうえで、あえて真犯人を自殺させたのだとしたら脱帽ものだが。
ちなみに、今回のエントリーのタイトルは名作古典ミステリー『だれがコマドリを殺したのか?』にちなんでいる。(古い本のタイトルだと『誰がこまどり殺したの)
今回はこんなところで。
それでは、お粗末さまでした。