本で死ぬ ver2.0

基本的には本の話。でもたまに別の話。

『水滸伝』のあらすじ(粗くない)【下】

 

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いよいよ最後。

長かった水滸伝も、これでひとまず終わり。最後にあの暴れん坊・李逵がちょっと泣かせに来る。

 

もくじ

 

水滸伝 下 新版 (岩波少年文庫 543)

水滸伝 下 新版 (岩波少年文庫 543)

 

 

【上】【中】のあらすじはこちら。

 

43.一ぴきの虎のことから八人の好漢、梁山泊に投ずること

呉学究が語ったことは、次のようなものだった。

山東登州に両頭蛇・解珍(りょうとうだ・かいちん)双尾蠍・解宝(そうびけつ・かいほう)という猟師兄弟がいた。彼らは知事の命令で虎を追っていたが、虎の死骸が近所の有力者・毛隠居の屋敷の敷地内に転げ落ちてしまう。隠居は「お前たちの勘違いじゃないか」ととぼけ、さらに暴れた2人を逆に連絡していた岡っ引きに逮捕させ、2人は押し入り強盗として死刑を宣告された。

しかし、そこで牢番をしていたひとり鉄叫子・楽和(てっきょうし・がくわ)が彼らを助けるため、母大虫・顧大嫂(ぼだいちゅう・こだいそう)、その旦那の小尉遅・孫新(しょうううつち・そんしん)、その兄の病尉遅・孫立(びょううつち・そんりつ)、さらに孫新の友人で山賊の出林龍・鄒淵(しゅつりんりゅう・すうえん)独角龍・鄒潤(どっかくりゅう・すうじゅん)と協力。解兄弟を助け出すと毛隠居の屋敷へ向かい、一族の老若男女をすべて殺してめぼしいものを奪って火をつけ、つい最近、梁山泊にやってきたのだという。

そしてじつは、孫立は敵方・祝家の武術師範である鉄棒・欒廷玉(てつぼう・らんていぎょく)の兄弟弟子であるという。宋江軍が祝家荘戦で苦戦しているのを聞き、それを利用した策略を考えていたのだ。

 

44.宋江呉用の計略によってついに祝家荘を撃滅すること

宋江軍が戦略を練っていると、捕虜に取られた一丈青・扈三娘(いちじょうせい・こさんじょう)の兄、扈成が陣営を訪れて妹の返還を相談してきた。そこで、呉用は扈家の中立をとりつける。

いよいよ策略が始まる。孫立が偶然を装って祝家を訪問し、上の8人が歓待を受ける。そのとき、宋江軍が攻めてきたので、孫立は祝家の味方になって宋江軍の拚命三郎・石秀(へんめいさんろう・せきしゅう)と戦ったふりをし、石秀を捕虜にする。これでしっかり信用を勝ち得ると、次に宋江軍が再び攻め入ってきたとき、いきなり屋敷で大あばれを開始。祝彪は扈家に逃げ込んだが、逆に縛り上げられた。(その後、扈家は黒旋風・李逵(こくせんぷう・りき)によってうっかり一家皆殺しにされる)

こうして宋江軍は祝家を滅亡させ、ついでに偽物の府知事一向に変装した部下に逮捕させる茶番を演じて撲天鵰・李応(はくてんちょう・りおう)を無理矢理に仲間に加える。さらに、生け捕った扈三娘を矮脚虎・王英(わいきゃくこ・おうえい)(王矮虎)の嫁にしてやった。

祝宴のさなか、かつて宋江を助けた鄆城県の都頭、挿翅虎・雷横(そうしこ・らいおう)がやってきたとの知らせが届く。

 

45.雷横と朱仝、迫られて梁山泊にのぼること

宋江雷横梁山泊への入山を勧めるが、老母を理由に拒否。彼はその後、鄆城県に戻ったが、ある日、美人の娘・白秀英(はくしゅうえい)が評判の出し物屋を見に行った際、うっかり財布を忘れ、彼女の父親と悶着を起こす。雷横はバカにされたのにブチ切れてその父親をボコボコにしたが、秀英は知事に泣きついたから大変。知事は雷横を逮捕して芝居小屋の門口にさらし者にした。すると、それを目にした雷横の老母が秀英と大喧嘩。それを見た雷横は怒りにまかせて秀英を殴り、彼女を殺してしまうのだった。

投獄された雷横だが、その牢獄の節級が親友である美髯公・朱仝(びぜんこう・しゅどう)で、護送の途中、わざと雷横を逃がす。朱仝は滄州に流刑となったが、流刑地で心づけをはずんだほか、彼の人柄に誰しも惹かれたので知事とその稚児にも気に入られ、子守役になっていた。

さてある日、知事の稚児を連れて燈篭流しを見に行くと、雷横に声をかけられる。彼はその後、老母と梁山泊に入ったのだが、朱仝の漢気を気に入った呉学究がついてきて、朱仝の入山も勧めたのだ。しかし、罪人になるつもりはない朱仝はこれを断る。すると、同じく町に来ていた黒旋風・李逵(こくせんぷう・りき)が、なんと知事の稚児の頭をかち割って殺していた。怒った朱仝が逃げる李逵を追いかけると、彼は小旋風・柴進(しょうせんぷう・さいしん)の屋敷に逃げ込んでしまう。柴進の屋敷は太祖皇帝のお墨付きにより、どのような大罪人もかくまっている間は罰を受けないという場所だったのだ。そして、李逵が稚児を殺したのも、すべては朱仝を仲間に引き入れるための宋江らの策略だったのである。

いまさら町には戻れないので、朱仝は仲間入りを決めるが、やはり李逵は許せないので、自分が仲間入りをする条件として、李逵を殺すことを求める。仕方がないので、李逵はしばらく柴進の屋敷に滞在することを余儀なくされた。

 

46.柴進、高唐州にとらわれの身になること

李逵が滞在してひと月ほど経ったころ、柴進の叔父・柴皇城(さいこうじょう)が危篤であるという手紙が来た。柴進が李逵とともに叔父の所に行って話を聞くと、権力を笠に好き放題している新任知事の高廉(こうれん)殷天錫(いんてんしゃく)に逆らったため、袋叩きにあったのだという。皇城が死んで葬式をやっていると殷天錫がやってきて柴進も袋叩きにしようとしたので、隠れていた李逵が躍り出てパパッとぶち殺した。柴進は李逵だけ逃がし、自らは高廉に捕まって拷問を受ける。

さて李逵から話を聞いた梁山泊の一味は、恩人である柴進を放っておくわけにはいかぬと出陣。豹子頭・林冲(ひょうしとう・りんちゅう)小李広・花栄(しょうりこう・かえい)霹靂火・秦明(へきれきか・しんめい)ら10頭領が率いる5000人で攻め入った。最初は圧倒的な武力で優勢に立っていた梁山泊軍だが、高廉が宝剣を抜いて呪術を唱えると黒気が巻き起こり、軍は乱れて劣勢に立たされ、退却した。

さてこのことを聞いた宋江呉用九天玄女(きゅうてんげんじょ)からもらった「天書」から「風をかえし火をかえし陣をやぶる法」を暗記。これで高廉と魔術合戦を行うが、高廉が怪獣毒蛇の大軍を呼び寄せて再び梁山泊軍は撤退。追い打ちに来た夜襲は撃退したが、高廉軍が一筋縄ではいかないことがわかったのだった。

 

47.李逵、羅真人をまふたつにきること

高廉の魔術に対抗できるのは入雲竜・公孫勝(にゅううんりゅう・こうそんしょう)しかいない。そこで、神行法の使い手である神行太保・戴宗(しんこうたいほ・たいそう)李逵をお供につけさせ、迎えに行かせる。途中、神行法のために肉や酒を断たなければならないのに掟を破った李逵を戴宗が懲らしめたりしながら公孫勝を探すも、なかなか見つからない。途中で入ったうどん屋の客に聞くと、二仙山に住む老道士・羅真人(らしんじん)の弟子である清道人の俗名が公孫勝であるという。

ようやく2人は公孫勝を見つけたが、老母も気がかりだし、師匠の羅真人が下山を許してくれない。そこで李逵は夜中にこっそりとお経を読んでいた羅真人を後ろから真っ二つに斬り殺したのだが、翌日、羅真人は平然と現れ、道術で李逵を空高く舞い上げる。すっかり参った李逵は羅真人に誤り、彼らの誠意を見た羅真人は公孫勝の下山を遂に許し、愛弟子に「五雷天心の正法」を授けたのだった。ついでに、李逵は町で金銭豹子・湯隆(きんせんひょうし・とうりゅう)を引き入れる。戴宗は連絡のために一足先に梁山泊に戻り、公孫勝李逵・湯隆は梁山泊を目指すのだった。

 

48.李逵、空井戸にはいって柴進を救い出すこと

公孫勝が合流し、宋江軍は再び高廉軍と激突。高廉はまたしても呪術により怪獣毒蛇を招きよせたが、そこで公孫勝も呪文を唱えると、金色の光がさして怪獣毒蛇はすべて白紙を切り抜いた本来の姿に戻る。追い立てられた高廉軍は城に逃げ込み、宋江軍は勝利。奇襲をかけようと夜襲を仕掛けてきた高廉軍を返り討ちにしたが、高廉は近隣に援軍を求める。呉用はあえて援軍を見逃してやると、数日たってからわざと軍を乱れさせ、高廉に「援軍が来た」と錯覚させる。いよいよ追いつめられた高廉は黒雲に飛び乗って逃げようとするが、公孫勝が気合の呪文で落とし、高廉は斬り殺された。

さて、梁山泊軍は城に入場し、囚われの柴進を探す。聞くと、死罪に処されるはずだった柴進は部下が密かに古井戸の中に隠したということで、李逵を井戸の中に吊り下げて救出させる。こうして、梁山泊軍は高廉一族を皆殺しにし、凱旋したのだった。

 

49.時遷、徐寧の金のよろいを盗みだすこと

高廉が討たれた知らせは都に届き、従兄弟である高俅梁山泊征討の命を天子に請うた。こうして、汝寧州の都制である双鞭・呼延灼(そうべん・こえんしゃく)が征討軍の総司令に任命され、一日千里を走る名馬「踢雪烏騅(てきせつうすい)」を賜る。こうして、官軍と梁山泊軍の戦いが始まったのである。官軍は三尖両刃の使い手である天目将・彭玘(てんもくしょう・ほうき)を捕虜に取られるが、呼延灼が連環馬(れんかんば)という得意の陣法で攻めたてると、これには梁山泊軍も歯が立たなかった。捕虜になった彭玘は厚く礼を持って宋江に扱われたため、梁山泊軍に加わる。

だが、翌日も梁山泊軍は連環馬の先方に苦しめられて敗退。大勝利した呼延灼は都から天下一の砲術の大家である轟天雷・凌振(ごうてんらい・りょうしん)を援軍に加えてさらに攻撃するが、水際におびき寄せられた凌振は立地大歳・阮小二(りっちたいさい・げんしょうじ)によって捕虜にされ、やっぱり彼も梁山泊の仲間入りをする。

さていかに連環馬を破るかを考えていると、李逵が連れてきた金銭豹子・湯隆(きんせんひょうし・とうりゅう)が妙案を提示する。あの陣を破るには鈎鎌槍が一番で、湯隆はその武器を作ることはできるが、扱うことはできない。しかし、彼のいとこである金鎗手・徐寧(きんそうしゅ・じょねい)なら天下一品の腕前なので、彼の助けが必要だということになった。彼の話によれば、徐寧は賽唐猊(さいとうげい)という金色の鎧を家宝として大事にしているというので、呉用は鶏泥棒をした鼓上蚤・時遷(こじょうそう・じせん)にその鎧を盗んでくるよう指示。時遷は見事に鎧を盗み出し、タイミングを見計らって湯隆を訪問させる。鎧を盗まれて意気消沈している徐寧に、湯隆は「怪しい男を見た」と巧みに徐寧を誘い出して誘導し、薬を混ぜた酒を飲ませて梁山泊に拉致した。目覚めた徐寧は驚くが、これまた宋江のススメであっさり梁山泊軍に加わることを決めるのだった。

 

50.魯智深らの三山、梁山泊に合流すること

鈎鎌槍舞台と徐寧、さらに轟天雷・凌振により、官軍は敗北。副将だった百勝将・韓滔(ひゃくしょうしょう・かんとう)も捕虜のち寝返りルートをたどる。辛くも敗走した呼延灼は都に戻ることもできずに途方に暮れたが、そこでさらに名馬・踢雪烏騅が盗まれてしまう。うらぶれた呼延灼青州の慕容知事に相談すると、『桃花山、二竜山、白虎山の山賊を倒してくれたら朝廷にとりなす』とのこと。

さて踢雪烏騅を盗んだ桃花山の打虎将・李忠(だこしょう・りちゅう)小覇王・周通(しょうはおう・しゅうつう)は酒盛りをしていたが、呼延灼軍にボコボコにされて二竜山の花和尚・魯智深(かおしょう・ろちしん)青面獣・楊志(せいめんじゅう・ようし)行者・武松(ぎょうじゃ・ぶしょう)金眼彪・施恩(きんがんひょう・しおん操刀鬼・曹正(そうとうき・そうせい)菜園子・張青(さいえんし・ちょうせい)母夜叉・孫二娘(ぼやしゃ・そんじじょう)らに泣きつく。呼延灼が2つの山の山賊と激戦を繰り広げていると、白虎山の毛頭星・孔明(もうとうせい・こうめい)独火星・孔亮(どっかせい・こうりょう)らが青州の街を襲っているという報告が届いたため、呼延灼は町に戻ってあっさり孔明を生け捕りにする。

呼延灼があまりにも強いので、山賊たちは梁山泊に助けを求めることにした。呉用は策略でおびき出した呼延灼を落とし穴にはめて生け捕りにし、またも礼を尽くして仲間に加える。その後、三山の山賊も軒並み仲間に加わって慕容知事の屋敷を攻撃し、知事一家を皆殺し&強奪&放火して、祝宴を催したのだった。

 

51.にせものの宿太尉、華州の太守を殺すこと

梁山泊の一味に加わった魯智深は、友人の九紋龍・史進(くもんりゅう・ししん)も仲間に加えたいと提案し、武松と迎えに行った。だが、史進の根城・少華山にいない。史進の仲間である神機軍師・朱武(しんきぐんし・しゅぶ)の話によると、史進蔡大師の部下の役人・賀(が)太守の悪逆非道によって捕えられた友人を救いに行ったが、逆に捕まったという。怒った魯智深梁山泊の援軍も待たずに街に行くと、ちょうどその役人が僧姿の魯智深を見つけて食事でもてなしたいと提案。魯智深は武器をあずけて入り込むが、その瞬間に捕まってしまった。この知らせを受けた梁山泊は7000の軍勢を率いて華州へ進軍。しばらく堅牢な城の守りに攻めあぐねたが、折よく勅使がやってきたので脅して梁山泊に拉致し、衣装や道具を奪って変装。城に潜り込み、失礼を働いたと難癖をつけて部下たちの前で堂々と賀太守の首を刎ね、城を落として史進らを仲間に加えたのだった。

さてそれを祝う席上で、托塔天王・晁蓋(たくはつてんのう・ちょうがい)が、徐州の芒碭山(ぼうとうざん)で3000人の子分とともに暴れている混世魔王・樊瑞(こんせいまおう・はんずい)らが梁山泊を呑みこもうとしていると話をする。それを聞いた史進たちは仲間に入ったついでにそいつらを平らげると意気込んで、軍勢を率いた。しかし、巧みな戦術や飛び道具を用いる芒碭山の軍勢に苦戦するが、そこへ8頭領が従える宋江の援軍が到着。樊瑞は妖術使いであったが、梁山泊のチートキャラ・公孫勝の術の前にはかなわない。たちまち樊瑞の腹心の部下である八臂哪吒・項充(はっぴなた・こうじゅう)飛天大聖・李袞(ひてんたいせい・りこん)を捕えて仲間に引き入れ、彼らの説得を受けた樊瑞も公孫勝の弟子となったのだった。

 

52.晁蓋、史文恭の毒矢にあたって討死すること

凱旋している途中の宋江に、草むらからいきなり金毛犬・段景住(きんもうけん・だんけいじゅう)が現れ、ある頼みごとをした。彼の話によれば、段景住は梁山泊の仲間入りをするために名馬・照夜玉獅子(しょうやぎょくしし)を盗んだのだが、「曾家の五虎(五兄弟)」に奪われてしまったという。そこで宋江神行太保・戴宗に探らせると、彼らが梁山泊をバカにしている歌を作っていると聞き、梁山泊のボスである晁蓋が激怒する。彼は自ら5000の兵を率いて攻め入ったが、計略にかかって惨敗し、曾家の五虎の武芸師範・史文恭(しぶんきょう)の毒矢に当たってしまった。敗走した晁蓋軍はなんとか梁山泊に逃げたが、晁蓋は「毒矢を射ったやつをつかまえたやつが次の梁山泊の頭領だ」と遺言を残して死んだ。とはいえ、主がいない状態が続くのはよくないので、とりあえず及時雨・宋江(きゅうじう・そうこう)がボスに就任することになった。

 

53.呉用、計略をもって盧俊義を梁山泊にさそい出すこと

晁蓋の喪中、宋江は唐突に玉麒麟・盧俊義(ぎょくきりん・りょしゅんぎ)という天下無双の棒術家のことを思い出したので、呉用がそいつを仲間に加えるために出かける。すると、黒旋風・李逵もついていきたいと言い出したので、仕方なく連れて行くことになった。さて呉用は占い師に身をやつしてうまく盧俊義に近づき、彼の運勢を占うと、「100日以内に剣難にあう」と脅しをかける。その剣難を避けるには、東南方一千里のところにある泰山にお参りすればいいと伝えて去った。

盧俊義はすっかりこれを信じ、まんまと梁山泊のある方角に旅立たせることに成功。うまく梁山泊に誘い込んで酒宴を開いたが、そこで宋江はなんと「自分の代わりに頭領になってほしい」と盧俊義に頼むのだった。盧俊義はその誘いを断るが、しつこく勧誘される。時間がかかるので、盧俊義は部下の李固(りこ)だけ先に返したが、その途中、呉用は巧みに「じつはもうお前の主人と話はついていて、盧俊義は山賊の仲間入りをすることが決まっている」とうそをつく。すっかり信じた李固はそのまま帰って行ったのだった。盧俊義がようやく梁山泊の連中の度重なる誘いを断り、山を下りられたのは、2カ月以上も過ごしてからだった。

 

54.浪子燕青、主人盧俊義の難を救うこと

久しぶりに自分の街に帰った盧俊義を待っていたのは、ぼろぼろの着物を着た乞食だった。それはなんと、彼の部下である浪子・燕青(ろうし・えんせい)だったのだ。彼の話によると、先に戻った李固は役所に「盧俊義は山賊の仲間入りをした」と告げ口し、自分がちゃっかり後釜に納まって、盧俊義の妻と一緒に、元の主人に忠実な燕青を追い出したのだという。とはいえ、盧俊義は自分の妻がそんな不貞を働くとはすぐに信じられないし、かわいがっていた李固が裏切りを働くのも信じられなかった。しかし、自分の屋敷に戻った盧俊義はすかさず役人たちに取り押さえられ、牢にぶち込まれる。

李固はすぐに盧俊義が死刑にされるように、首切り役人の鉄臂膊・蔡福(てっぴはく・さいふく)にわいろを贈る。しかし同時に、身なりの良い小旋風・柴進からもわいろを受け取って盧俊義の助命を請われるのだった。蔡福はどうするべきか悩んだ末、とりあえず流刑にするというあいまいな選択をする。ずると、李固は今度は護送役2人に「護送途中で殺害してくれ」と賄賂を渡し、護送役は森の中で盧俊義を殺そうとするが、そこへ現れたのが燕青で、すかさず2人を殺すと盧俊義を助け出した。こうなってしまっては、もはや本当に山賊の仲間入りをするしかないと、2人は梁山泊に向かうが、その途中で再び捕まって死刑を執行されそうになる。そこに助けに入ったのが拚命三郎・石秀で、一度は四角八面に切りまくって奪還しかけたが、またしても捕まってしまい、石秀も一緒に処刑されそうになる。その翌日、宋江からのビラがまかれて「おれらの兄弟に手を出したらどうなるかわかってんだろうな?」という内容だったので、役人の梁中書はビビったが、兵馬都監の聞達(ぶんたつ)李成(てんのう・りせい)が「たかが山賊、心配無用です」と言ったので、ちょっと安心して梁山泊軍を待ち構えることにしたのだった。

 

55.大刀関勝、宋江に帰服すること

さて梁山泊では盧俊義と石秀がつかまったと聞き、大将を宋江自ら率いて出立。待ち構えていた政府軍の李成、急先鋒・索超(きゅうせんぽう・さくちょう)らの軍と激突する。梁山泊軍はあっさり撃破し、続いて聞達軍にも快勝。ビビった梁中書に籠城し、都に援軍を呼んだ。さて事の次第を知った都の高官・蔡京に、生真面目すぎてなかなか出世できない男、醜郡馬・宣贊(しゅうぐんば・せんさん)がこう助言した。「友人に大刀・関勝(だいとう・かんしょう)という伝説の武人・関羽の正嫡の末裔の男がいて、青龍偃月刀を操るすごい武人だから、彼を送ったらどうでしょう」。ということで、関勝は義弟の井木犴・郝思文(せいぼくかん・かくしぶん)が出陣。このことを知った宋江はひとまず梁山泊に交代する決断をした。

しかしここで欲を出したのが、水軍を率いる船火児・張横(せんかじ・ちょうおう)で、弟の浪裏白跳・張順(ろうりはくちょう・ちょうじゅん)が止めるのも聞かずに夜襲を仕掛けたが、あっさり関勝に生け捕りにされてしまう。張順は阮兄弟らと奪還に向かうが、またしても策略にはまってまた数人生け捕りにされてしまう。このことを聞いた宋江はいよいよ関勝軍と決戦。霹靂火・秦明豹子頭・林冲によって危うく討ち取られそうになる関勝だったが、宋江の一声で命が助かる。その後、呼延灼がひとりで関勝の陣にやってきて「じつは宋江は役人に戻りたがっているから関勝を助けたのだ」と伝える。呼延灼の言葉を信じて戦う関勝はもちろん罠に仕掛けられ、当然のごとく生け捕りにされたのち、説得されて、梁山泊の仲間入りをするのだった。いよいよ梁中書の軍に残っている武将は索超だけになったが、これも策略によってアッサリ生け捕り&仲間入りした。

 

56.張順、神医安道全を梁山泊にひき入れること

なかなか梁中書のいる北京城を落とせずやきもきしながら宋江が寝ていると、枕元に秦だ晁蓋の亡霊が立ち「おまえに『百日血光の災』が起こる。これをなおすのは『江南の地霊星』以外にない」とお告げをする。さらに宋江の背中がはれ上がり、火のように熱く、痛くなった。これを見た張順は「これを治せるのは神医・安道全(じんい・あんどうぜん)先生しかいない」と語り、自分が連れてこようと出かけて行った。しかしその途中、渡し船の男に騙され、追いはぎをされてしまう。すっかり身ぐるみはがされた張順は助けてもらった家で活閃婆・王定六(かっせんば・おうていろく)と出会ったのである。

さて王定六に助けられて建康府についた張順だが、妻を亡くした安道全は芸妓の李巧奴(りこうど)に夢中で、李巧奴も彼を引き留める。しかしよくよく調べると、李巧奴は張順を襲った盗賊の女だったのである! 張順は2人が酒を飲んで寝込んだところで台所から包丁を盗んでまずおかみを殺し、薪割りの斧で女中や李巧奴をどんどん殺したが、肝心の盗賊・超旺(おうぶん)には逃げられてしまう。そこで張順は武松から聞いた鴛鴦楼(えんおうろう)の一件を思い出し、血で壁に「俺が殺したぜ!by安道全」と書置きをして逃げる。すっかり参った安道全は諦めて梁山泊に上ることを決意し、帰り道の途中で超旺を揚子江に沈めつつ王定六も仲間に加えるのだった。梁山泊についた安道全はちゃちゃっとお灸や薬で治してしまった。

 

57.呉用、計略をもって北京城を攻め落とすこと

元気になった宋江だが、やはり気になるのは北京城に囚われている盧俊義石秀のこと。呉用が立てた策略は城の内部で火災を起こすというシンプルなものだったが、この役を買って出たのが時遷で、うまく仕掛けて北京城は大混乱。梁山泊軍に攻め込まれて盧俊義と石秀は救い出され、李固たちは生け捕りにされ、みんなの前で殺された。

さて北京城陥落の話は東京にも届き、朝廷は聖水将・単廷珪(せいしゅいしょう・たんぜんけい)神火将・魏定国(しんかしょう・ぎていこく)を派遣。これを聞いた梁山泊軍では、関勝が「自分が知り合いだから説得しよう」と出発する。黒旋風・李逵もそれについていこうとしたが怒られたのでこっそり山を下り、むしゃくしゃしたので会った人を殺したりしていたが、相撲とりの没面目・焦挺(ぼつめんぼく・しょうてい)にケンカで負けてしまう。すっかり意気投合した2人は単廷珪と魏定国を討ち取りに行くと、なんと大見得を切った関勝が生け捕りにされていたのでちゃっちゃと救い出す。合流した彼らは今度こそ単廷珪・魏定国を破り、彼らも仲間に加えて凱旋したのである。

 

58.盧俊義、史文恭をいけどりにすること

一方、北方に馬を買い出しに行っていた金毛犬・段景住が、帰る途中で険道神・郁保四(けんどうしん・いくほうし)という人物に襲われて、曾頭市に馬を持ち去られてしまっていた。しかも曾頭市の史文恭らは梁山泊を不倶戴天の敵と豪語していたので、宋江は怒って曾頭市攻めを決意する。ここで盧俊義も出陣したいと言ったが、呉用は「もしもこいつが史文恭をつかまえてしまったら、山寨のボスにしないといけない」と考え、戦法には加えずに別働隊で待ち伏せさせた。

戦いは一進一退を繰り返しながら、それでも梁山泊軍が優位に進んだため、史文恭らは講和を持ちかける。そこで、梁山泊からは時遷李逵樊瑞項充李袞らを人質に出す代わりに、馬を盗んだ郁保四と馬を交換する。すると、宋江呉用は敵の援軍が近づいているのを知ったので、郁保四を丸め込んで仲間に引き込み、計略を授けて曾頭市に戻らせる。郁保四は「宋江たちは我らの援軍が来たので狼狽している。いまこそ攻撃のチャンスです」と伝え、史文恭はこれを信用した。史文恭は部下たちに攻撃させるが、これはもちろん罠で、部下たちは皆殺しにされ、彼は荒野に逃げ延びた。しかしその瞬間、黒雲とともに晁蓋の怨霊が現れ、やむなく引き返すと、そこで盧俊義と鉢合わせし、彼が捕らえてしまう。宋江はよろこび、史文恭を殺して死体を晁蓋に捧げた。

さて問題は、誰が梁山泊の頭領になるか。宋江晁蓋の遺言通り、史文恭をとらえた盧俊義にしようとするが、呉用をはじめとした幹部たちは納得がいかない。そこで、宋江はこんな案を出した。「そろそろ食料が乏しいから、近くの2つの街から食料をぶんどってこよう。で、私の軍と盧俊義の軍のうち、先に帰ってきたほうが頭領だ」この暗にみんなが賛成し、頭領の座を賭けた略奪合戦が始まった。

 

59.百八の英雄、忠義堂に集まって誓いをすること

さて宋江は町のひとつ、東平府に向かうと、そこで九紋龍・史進が「この町にはなじみの芸者、李睡蘭(りすいらん)がいるから、その家に潜り込んで城に火をつけます」と乗り込んだが、アッサリ密告されて捕まってしまう。仕方がないので顧大嫂が乞食女に化けて史進と連絡を取り合って脱獄の計画を練ったが、史進は日にちを間違えて騒いだために失敗。しかし、これに狼狽した東平府の兵馬都監である双槍将・董平(そうそうしょう・とうへい)はすかさず梁山泊軍に攻撃。あっさり生け捕りにされてしまうが、その戦いっぷりに惚れた宋江に請われて仲間入りをし、ついでに城に戻り込んで兵糧を奪うことを提案する。じつは董平は太守の娘を嫁に欲しかったがそれを断られていた恨みもあったので、梁山泊軍を潜り込ませると太守の一家を殺して娘だけ奪う。助けられた史進は李睡蘭の一家を皆殺しにした。

さて一方、東昌府に攻め込んでいた盧俊義たちは、石つぶてが強すぎる没羽箭・張清(ぼつうせん・ちょうせい)という武将と、その部下である花項虎・龔旺(かこうこ・きょうおう)中箭虎・丁得孫(ちゅうせんこ・ていとくそん)らに苦しめられていた。宋江軍は加勢に入るが、張清が強すぎて勝てない。しかし、呉用の策略で川べりに誘い出して見事に生け捕りにし、仲間になった。張清のすすめで紫髯伯・皇甫端(しぜんはく・こうほたん)も仲間に加え、これで108人の豪傑たちがそろった。改めて晁蓋の法事を行い、天に祈りをささげていると、突然光が空から降りてきて地中に入っていく。宋江がそこを掘らせてみると石文があり、蝌蚪文字(かともじ)という古代の中国語で文章が書かれていた。道士によると、そこには「替天行道」「忠義双全」の字とともに、星の名前とあだな、そして梁山泊の頭領たちの名前が書かれていた。宋江はこれで改めて108人の兄弟の義を結んだのである。

 

60.燕青、泰山の奉納相撲に勝つこと

さて宋江はいきなり東京の都のにぎわいを見たいと言い出したので、幹部たちと変装して出発した。そこで色町に入ると、都随一の名妓であり、道君皇帝が宮殿から秘密の地下通路を作って通い詰めている李師師(りしし)の家があった。宋江はもしかすると皇帝に直訴できるかもしれないと考えたのだ。折よく天子がやってきたが、李逵が暴れて李師師の家が火事になってしまったので、宋江たちは慌てて都を離れた。

さて李逵は燕青と一緒に梁山泊に帰る途中、劉太公という地主の家に一泊したのだが、その老夫婦が泣きながら「宋江に一人娘をさらわれた」と訴える。李逵はこれをすっかり信じ切って、梁山泊に戻るなりケンカ腰で宋江につっかかったが、ニセ者が騙ったことがわかったので、李逵・燕青コンビは真犯人の山賊どもをサクッと皆殺しにして、娘を連れて戻った。

それはともかく例年の奉納相撲が開かれていたのだが、そこで強い力士・任原(じんげん)が強すぎて2年連続で賞品をただ取りしていたので、燕青が挑んで勝利する。すると、任原の部下たちが商品を奪おうと暴れたので、これを見た李逵は怒り狂って倒れている任原の頭をたたき割って暴れまわる。役人の中には李逵を知っているものもいたので大捕物が始まったが、梁山泊から援軍が押し寄せて助け出した。しかし、李逵は勝手に役所の方まで押しかけ、知事が逃げ出したのを見てその服を着こんで、役人たちを脅しながら知事ごっこを始める。さらに李逵は「だれか訴訟を起こせ」と命令したので、役人たちは仕方なくケンカ沙汰があったという芝居を始める。李逵は「どっちが先にぶった?」と尋ねて一方が挙手すると「こいつは好漢だから無罪放免だ。ぶたれたほうがいくじなしだ」と判断して、ぶたれた方に首枷をしてさらし者にし、満足して梁山泊へと帰って行った。

 

61.童貫および高俅の官軍を連破すること

東京では宋江たち梁山泊の連中をどうするか御前会議が開かれていて、「遼国が北方から攻めてきているから、討伐するより朝廷に帰順させよう」と決まり、勅使として陳宗善が梁山泊に向かった。しかし、この案に反対した太師・蔡京(さいけい)殿帥・高俅(こうきゅう)は、陳宗善を言いくるめ、腹心の用人をつけた。そのため、梁山泊に到着した使者はわざと高圧的な態度をとり、「すぐに山寨を壊して都に来れば罪を許すが、そうでなければ軍を差し向ける」と述べた。この言い方に怒った李逵がポカポカと殴りつけたので、勅使は慌てて都に帰り、このことを聞いた朝廷は大激怒。すぐさま枢密使の童貫を大元帥とした梁山泊討伐軍を編成して出発させたのである。しかし童貫軍はあっさりボロ負けして都に戻ってきたので、今度は高俅が総大将となって攻撃。しかし、またしても強すぎる梁山泊軍に惨敗したので、朝廷は再び梁山泊の連中に帰順するように勅使を出した。

ここで、再び高俅が策略を巡らせて、うまく宋江を殺そうと企む。だが呉用はこの策略をちゃちゃっと見抜いて戦いを仕掛け、鮮やかに勝利する。ついに生け捕りにされた高俅だが、酒宴でもてなされたので「あなた方を重用するように自分が口をきいておく」と約束して都に帰って行った。

 

62.燕青、李師師によって道君皇帝に見えること

高俅を都に戻した宋江たちだったが、高俅を信用したわけではなかったので、燕青戴宗を東京に潜入させて様子を探った。燕青は李師師の家に潜り込み、イケメンな燕青に李師師はすっかり惚れ込んでしまう。そのかいもあって、天子が訪問した際に李師師は燕青を引き合わせてやると、うまく話をして皇帝に直接、梁山泊の連中がそんなに悪いわけではないと伝えて納得させた。皇帝は童貫を叱責して再び勅使を送り、宋江は正式に都に上ることを決め、希望しない部下たちには十分なお金を与えて故郷に帰してやった。

 

63.宋江、軍をひきいて四寇を平らげること

宋江は天子の勅命を受けて北に出発。遼国の大軍を破った。しかし、蔡京高俅らは遼国からわいろを受け取っていたので無理矢理停戦させ、捕虜を返して占領した土地も返還した。その帰路、魯智深が旧師に会い行くと、長老は彼に偈(仏の功徳をほめたたえる詩)を与えた。すなわち、

「夏に逢って擒、臘に遭って執、潮を聴いて円、信を見て寂」

というものだった。

無事に凱旋した宋江だが、今度は四大叛徒のひとり田虎(でんこ)が挙兵したので、宋江軍はこちらの討伐を命じられる。宋江軍はまたしても鮮やかにこれを破り、酒宴を催す。だが田虎軍は幻術を使う喬道清こと幻魔君・喬冽(げんまくん・きょうれつ)に苦しめられる。公孫勝が到着するや呪文合戦が繰り広げられ、5匹の竜が空中で激戦を交える。しかしこの勝負は公孫勝が制し、喬冽は敗北すると公孫勝の弟子となった。今度は国舅・鄔梨(こっきゅう・うり)、その義理の娘の瓊英(けいえい)宋江軍に戦いを挑む。瓊英は可憐な16歳の少女だったがとんでもない腕力と投石術を持った超武人で、梁山泊の幹部たちを次々と倒していく。しかし、じつは彼女の両親を殺したのが田虎であることを伝えられ、惹かれあっていた張清と夫婦になって、安道全をひきいれて鄔梨を毒殺したのだった。こうして田虎の乱は平定されたのだが、今度は高俅らの企みによって、今度はすかさず淮南で反乱を起こした賊・王慶(おうけい)の討伐に向かわされた。

王慶はもともと役人だったが、女がらみで童貫に恨まれていたため、流刑にされてしまった人物で、そこから逆賊になった。 王慶軍は毒焔鬼王という妖術使いで宋江たちを苦しめたが、喬道清らの支援もあって宋江軍は快勝。東京に凱旋すると、ここで公認チートの公孫勝が老母が心配だということで宋江軍を離脱する。しかも、蔡京の企みにより、宋江盧俊義にばかり官職が与えられ、ほかの武将は城外駐屯扱いだったので、不平が高まっていた。

さて今度は、江南で賊の方臘(ほうろう)が蜂起したので、宋江たちは鎮圧に向かう。方臘軍には大将・呂師襄(ろしじょう)や12人の統制官「江南十二神」がいて、公孫勝もいなくなった宋江軍は苦戦を強いられる。長く戦ってきた武将たちが次々と戦死する中、ようやく方臘の乱をしずめた。しかし、残っている武将は108人のうち、わずか36人になっていた。生き残った武将は宋江、盧俊義、呉用、関勝、林冲呼延灼花栄、柴進、李応、朱仝、魯知深、武松、戴宗、李逵、楊雄、李俊、阮小七、燕青、朱武、黄信、孫立、樊瑞、凌振、裴宣、蒋敬、杜興、宋清、鄒潤、蔡慶、楊林、穆春、童威、童猛、時遷、孫新、顧大嫂だった。

 

64.宋江、恩賜の毒酒をあおいで死ぬこと――物語の結末

魯知深は武松と海のそばの六和寺に泊まっていたが、ある月の夜、大きな音にびっくりする。聞くと、それは潮信(潮が逆流する音)だという。そこで彼は悟った。

「ふうむ。それでわかった。前に智真長老にさずけられた偈に『夏に逢って擒』というのは、万松嶺の戦さで夏侯成をいけどりにしたことだな。『臘に遭って執』とは、方臘を執えたことだ。すりゃ、あとの二句『潮を聴いて円、信を見て寂』というのは、潮信に逢って円寂するということであろうが、――して、円寂たあ何のことだろう?」

「出家のくせに、そんなこともご存じないのですか。人が死ぬことを仏門では円寂といいますがな」

魯知深は笑って、「そうか。そんならわしはもう死ぬことになってるんじゃな。――それじゃ、すまんが、湯をわかして来て下さらんか。沐浴をしたい」

沐浴をすまし、禅床にあがって、両足を組み、左足を右足の上にかさねると、そのまま大往生をとげた。

ほかの武将たちもそれぞれ病気になったりしてどんどん死んでいき、宋江がようやく四寇を平らげて東京に凱旋したときには、武将は27人になっていた。彼らは皆、天子に謁見して叙勲を賜った。その後、宋江は田舎に帰ったりして、他の部下たちも暇乞いを始める。道士になって大成したものもあれば、酔って落馬死したもの、戦死したもの、役人になったもの、平民に戻ったものなど、さまざまだった。

しかし、やはり宋江たちが重用されたのが気に食わないのが蔡京、童貫、高俅などの官僚たちである。彼らは宋江と盧俊義の食事や酒に水銀を入れ、毒殺を試みた。まず盧俊義が殺され、ついで宋江が毒酒を飲む。飲んだ後そのことを自覚した宋江は、最後に李逵を呼んだ。

「みんな別れ別れになって、さびしいもんだから、一番近い貴公をよんだ。かたがた相談したいこともあったのでな」

「何だね、相談というのは?」

「まあ、とにかく一杯飲め」

だいぶ飲んでから、宋江はいった。

「ところで話に聞けば、朝廷から勅使が立って、わしに毒酒を賜るということだ。もし死ぬとなったら、こりゃどうすればいいと思う?」

「謀叛をやらかそうぜ、あにき!」と李逵はわめき立てた。

「だがきみ、兵隊もなければ馬もない。兄弟もちりぢりになってしまった。今さら謀叛をおこそうにもできはしないよ」

「なあに、鎮江のおれのところに兵隊が三千いるし、この楚州の人間をひとりのこらず狩り出して、ワーッとやらかそうじゃないか。もう一度梁山泊の古巣にもどって、面白くやろうぜ。奸臣どもの下でいやな思いをするよりゃ、よっぽどましだよ」

「まあまあ、また相談することにしよう」

翌日、李逵は船で帰って行く時にもいった。

「あにき、いったい義兵はいつ挙げるんだい? おれの方はいつでもとんで来るぜ」

「兄弟、わしを悪く思わんでくれよ。じつは先日朝廷から勅使が来て、わしに毒酒を賜り、わしはそれを飲んだのだ。わしの命は今日明日に迫っているのだ。わしは一生忠義の二字を守り通して、いささかも異心は抱かなかった。しかるに朝廷は罪なきわしに死を賜った。しかしわしとしては、よし朝廷にそむかれても、朝廷に対してそむく気はないのだ。わしが死んだら、もしやお前が謀叛を起して、わが梁山泊の点に替って道を行った忠義の名をけがしはせぬか、それが気にかかったので、お前をよんだのだ。昨日の酒の中に、じつは毒を入れておいた。潤州に帰ったら、お前はきっと死ぬだろう。死んだら、ぜひここへ来い――この楚州南門外に寥児洼(りょうじわ)というところがある。そこの景色が梁山泊そっくりだ。わしが死んだら、ここに葬ってもらうことにしている。お前と亡魂同士ここに集まろうじゃないか」

宋江はそういい終って、はらはらと涙を流した。

「ああ、いいよ、いいよ。生きてる時はあにきに仕えた。死んで亡魂になっても、おれはあくまであにきの手下だよ」

こうして宋江李逵は命を落とし、そばに葬られた。その後、呉用の枕元にその2人が現れて、毒酒により2人が死んだことを知る。呉用が2人の墓に行くと、同じ夢を見た花栄がやってきたのである。2人はそこで首を吊って自決し、4つの墓が並べられた。

さらにその後、道君皇帝は4人の恨めしがる夢を見た。そこで調べさせると、宋江たちが毒酒で死んでいることが発覚。高俅たちを激しく叱責して、梁山泊に大きな祠堂を建立し、108人の英傑たちを祀ったのであった。その後も、宋江の霊験はあらたかで、「及時雨」のあだ名の通り、雨を請えばすぐに降らせてくれるのである。(了)

 

 

 

 

つかれた。

この岩波少年文庫版では「108人の豪傑たちが終結する経緯」に重きが置かれていて、中~後半になってから繰り広げられる戦いの数々はけっこう省略されているように感じる。おそらく、水滸伝が多くの人を惹きつけるのはこの終盤の戦いにおいて、仲間として集った豪傑たちの戦いっぷりにもあるのだろう。

 

なお、もっとざっくり水滸伝のあらましを知りたいなら、まんがで読破シリーズの『水滸伝』がおススメ。