本で死ぬ ver2.0

基本的には本の話。でもたまに別の話。

『medium 霊媒探偵城塚翡翠』(相沢 沙呼・著)のレビュー(ネタバレ注意)

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※今回はレビューの性質上、思いっきり本作のネタバレを含んでしまうので、読んでない人は自己責任でお願いします

 

 

ちょこちょことミステリーを読んでいると、なんとなく「きな臭い登場人物」というのが嗅ぎ取れるようになってくるのではないでしょうか。

個人的には「こんなやつは怪しい3大ミステリ登場人物」がいたりします。

 

「やたら親切な人」「まったく目立たない地味な人」、そして「可憐で守られるタイプのヒロイン」です。

ミステリの定石として、基本的に読者の予想を裏切るキャラクターが求められます。

つまり、

・やたら親切な人だと思ったけど、じつは猟奇殺人鬼だった

・すごく地味で目立たない人かと思ったら、偏執的殺人狂だった

・可憐で守られるタイプのヒロインかと思ったら、人殺しを屁とも思わないサイコパスだった

という感じですね。

 

その基準に照らし合わせれば、タイトルにも入っている本作の主人公・城塚翡翠はまさにバリバリ3番めのキャラクターです(殺人鬼ではないですが)。

城塚翡翠は死んだ人の霊魂を感じ取れる霊媒師で、ものすごい可憐かつ純真無垢、清い心の持ち主であるかのような振る舞いを、これでもかと読者(というよりも、本作のワトソン役というかホームズ役も兼ねている、語り部の香月史郎)に対して見せてきます。

これがまあ、すっっっっごくあざといわけですね。

まあ百歩譲って、フィクションの世界だったらこういうウブなお嬢様キャラもありなのかなと最初は思いましたが、それにしても香月史郎になぜかやたら行為を振りまくのはやはりちょっと違和感を抱かざるを得ない感じでした。

 

さて、本書では物語の終盤で、畳み掛けるように3つのどんでん返しが待っています。

真実が暴かれるのは、

レベル1:語り部のウソ(じつは語り部・香月が連続殺人鬼だった)

レベル2:ヒロインのウソ(可憐な天然キャラ、すべて計算づくの腹黒キャラだった)

レベル3:推理のウソ(じつは霊媒の力はなく、すべて推理で解決していた)

の3つです。

 

レベル1~3のうち、「1」と「2」は気づく人が多いのではないでしょうか。

語り部のウソ」は、むしろ著者もできるだけ多くの人に気づいてもらえるように書いているフシがあります。

後半になるにつれて、あからさまになってきますね。

決定的なのは、女子高生連続絞殺事件の殺人鬼・琴音が香月にだけ真実を話すシーンでのセリフです。

 

「どうして、鐘場刑事じゃなくて、僕に話したいと思ったの?」

「え、だって」

少女は不思議そうな顔をした。

それから、考えるように眉を顰める。

「あなたなら、わかってくれるかなって、そう思って」

「わからないよ」

そう告げると、少女はショックを受けたようだった。

 

このやり取りを読めば、流石に「たぶん香月も殺人鬼なんだろうなあ」と察することができる人も多いのではないでしょうか。

 

微妙なのは、レベル2の「ヒロインのウソ」ですね。

これは、女性であれば気づきやすいのかもしれません。

あるいは、読者がこの本をどのような位置づけでとらえているかによって、ヒロインのことをどのくらい疑うかが変わってくるような気がします。

つまり、たとえば『ビブリア古書堂の事件手帖 ~栞子さんと奇妙な客人たち~』とか、『櫻子さんの足下には死体が埋まっている』みたいなノリのライトエンタテイメントミステリだと思っていると、城塚翡翠に対しても「まあ、そういうキャラの探偵役なのかな」くらいでスルーしてしまう可能性がなくはない、ということです。

私なんかは、同じ著者の『マツリカ・マジョルカ』を読んだことがあったので、これと同じような感じなのかなと思って、読み違えてしまった感があります。

 

 

ただ一応、本書はこのミスで対象を受賞し、「本格ミステリ」と認められているので、そのあたりの読みも必要になってくるかもしれません。

ただまあ、ここの部分もまだ、わりと喝破してもらえるように書かれているような気もします。

城塚翡翠の香月に対する言動は、どう考えてもわざとらしさを感じてしまうので、そこに気づく人は少なくないのではないかな、と思います。

 

問題なのがレベル3「推理のウソ」です。

はっきりいえば、「語り部のウソ」も「ヒロインのウソ」も、すべてはこの第3のウソをカモフラージュするというか、見えなくさせるための工作である、という言い方ができるかもしれません。

これが、本書の巧妙なところです。

まさに手品師のトリックに似ていますね。

読者は物語を読みすすめるうちに、「語り部のウソ」と「ヒロインのウソ」にうっすら気づき始めます。

でも、それに考えに支配されると、じつは

霊媒能力そのものもウソで、じつは緻密な推理のもとに犯人がすべて導き出されていた」

という大どんでん返しに意識が行かなくなってしまうのです。

手品の種を観客に予想させ、それを上回る結果を見せる手品のようなもの。

これくらいのことなら予想がつくよ、と思ってしまうことこそが、じつは著者の術中にハマっているわけですね。

本書の最終章では、城塚翡翠霊媒ではなく、いかにして論理的思考力だけで事件を解決してきたのか、その一部始終が語られていきます。

つまり、これまでの事件の「本当の解決編」がここからはじまるわけで、これこそが本書のメインディッシュなわけです。

たぶん、それを含めて、「すべてが、伏線」ということなんでしょうな。

 

ちなみに、これらのどんでん返しは、作中でもちょっと述べられていますが、昨今のミステリの風潮を逆手に取ったものである点も、なかなか皮肉が効いています。

つまり、

 

・最近のミステリだったら、SFとかファンタジー要素が入ってきてもおかしくない

・最近のミステリだったら、アニメみたいにデフォルメ強めのキャラがいてもおかしくない

・最近のミステリだったら、こういう変則的なホームズ&ワトソンタイプのバディものでシリーズ化するのは珍しくない

 

という、本好きの読者の共通認識を逆手に取って、それでだまそうといういやらしさもあるわけです。

その意味では、本が好きな人ほど気持ちよく騙される体験ができる本、といえるかもしれません。

 

後記

映画『ラーヤと龍の王国』を見ました。

 

 

龍が人間と一緒に暮らす世界で、ドルーンという生き物を石化させる怪物が復活してしまったから、龍の石を集めてドルーンを倒そう、という物語です。

テーマは相手を信頼するということ。

人間の王国は5つにわかれ、龍の石を仲違いをしていました。

主人公のラーヤもまた、ほかの王国の姫・ナマーリに裏切られます。

ただ、最後の最後、砕け散った龍の石をひとつにあつめたとき、ラーヤは最終的になマーリに託すのです。

ドルーンがなにを象徴しているとか、深読みしようと思えばいろいろな解釈ができてしまいそうな物語ですが、そのあたりを適当にぼかしつつ、エンターテイメントとして無難に仕立て上げている点も「うまい」作品なのかもしれません。

 

今回はこんなところで。

それでは、お粗末さまでした。