『役に立つ古典』(安田登・著)のレビュー
1万冊以上の本を読み、教養に関する知識が半端なく、現代の知の巨人のひとりであるライフネット生命の元会長・出口治明さんが、かつて恩師から言われたのは
「古典を読んで分からなければ、自分がアホやと思いなさい。現代に生きている人が書いた本を読んで分からなければ、著者がアホやと思いなさい。読むだけ時間の無駄です」
ということだそうです。
これはほかの読書術の本でもよくいわれることではありますが、古典としていまもタイトルが知られている、読み続けられている本というのは、時代を超えてなにか学ぶべきことがある本である証だから、ヘタな最近のヒット作を読むよりもよっぽどタメになるという考え方です。
これはたしかに一理あると思うのですが、そうはいっても、古典ってぶっちゃけ読みにくいんですよね。
言葉遣いとか、たとえとか、比喩とかが現代人からすると馴染みがなかったりします。
あと、著者の真意というか、本当に伝えたいメッセージみたいなものも、じつはその本が執筆された当時の社会的な事情とか、背景とかに対する事前知識がないと汲み取れなかったりするので、古典は読書の上級者向けのもののような気がします。
ある程度、本を読む習慣がある人で、そこそこの教養があれば、それこそ新刊場なり読んでいると学びが少なくなってくるので、古典を読むことの意義が出てくると思います。
「古典を読んで分からなければ、自分がアホやと思いなさい。」
という言葉の真意は、要するに
「あんたはまだ古典を読むだけの教養が身についていないから、ほかの本を読んでもっと知識と教養を身につけてから読みなさい」
という意味が含まれているように感じるのです。
私なんかは古典を読むおもしろさをなかなか実感できない人間ですから、読書人としてまだまだ修行中なわけです。
そもそも、本にはレベルがあり、本を選ぶときには自分のレベルに合った一冊を選んだほうが、ストレスなく読書することができると思います。
ただし、これは「自分が全部理解できる、カンタンな本を読みなさい」ということではないです。
本の内容で2~3割くらい、自分が知らないこと、理解できていないことが学べるくらいの本が丁度いいということです。
これが4~5割くらい、わからない内容になってくると、その本は「難しいな」という体感になると思われます。
7割以上になると、さっぱり読み進められないというか、読めないはずです。
で、今回紹介するのはこちらの本です。
著者の安田登さんは能楽師の方ですが、『論語』などをまなぶ寺子屋「遊学塾」を主催するなど、日本や中国の古典を「身体性」の側面から解釈し、人々に伝えているようです。
「身体性」というのは、なんだかわかるような、わからないような言葉ですが、そこはやっぱり身体表現手法のひとつである能楽をやっているからこその視点なのかもしれませんね。
(実用書を読む場合、意外と見逃されがちですが、著者の経歴からなんとなくどういう主張をしてくるのかわかったりする場合もあります)
本作は古典を紹介する本というより、古典から読み解けることに著者の独自の解釈を加えた持論を展開するものとなっています。
全体の雰囲気的には、『逆説の日本史』に近いかもしれません。
主張はけっこうおもしろいのですが、あくまでも著者の個人的見解なので、あまり真に受けすぎず、「なるほど、そういう考え方もあるのね」くらいの捉え方がちょうどいいんじゃないでしょうか。
ちなみに本作はムック(書籍と雑誌の中間的立ち位置の紙メディア)ですが、これはこの記事を書くまで気づきませんでした。
というのも、私は本作をKindle版で読んだので。
ただ、ムックは図版とかイラストを多用していることが多いのですが、本作は少ない印象です。
それでは本書から、おもしろかったところをご紹介しましょう。
日本には「死」が存在しなかった
日本では死んだ人の行くところを「黄泉の国」と表現したりしますが、安田さんは、前古代の日本では「死」「死者」という概念は存在しなかったのではないかと解釈しています。
安田さんが指摘するのは、『古事記』の表記です。
『古事記』は、暗記の天才である稗田阿礼(ひえだのあれ)が口述していたものを、太安万侶(おおのやすまろ)が筆記して編纂したものだとされています。
当時はまだ「ひらがな」が発明されていなかったので、中国から輸入された漢字だけを使って日本語の文章が書かれました。
「よろしく」という言葉を「夜露死苦」と表記するような感じです。
そこで問題になるのは、「どの漢字を当てはめるのか」というチョイスです。
「よろしく」も、「世炉氏区」「余路歯句」「依呂師九」など、いろいろな漢字が選べると思いますが、どの漢字を選ぶかによってその言葉のイメージがぜんぜん変わりますよね。
で、じつは、太安万侶は『古事記』を編纂するとき、かなり恣意的に感じをチョイスして印象をコントロールしていたのではないか、そしてそのときに選ばれた漢字の印象が、現代の私たちの思想にすら影響を与えているのではないかということが主張されているのです。
たとえば「黄泉の国」。
稗田阿礼は「よみのくに」といっていたのですが、それに対して「黄泉」という文字をチョイスしたのは太安万侶です。
黄泉というのは中国の『春秋左氏伝』という本に出てくる言葉で、「地中の泉」という意味だそうです。
現代に生きる私たちは、なんとなく「死者の国は地中にある」というボンヤリとシたイメージを持ちがちです。
そのイメージの確立に一役買っているのが、太安万侶が「黄泉」という言葉をチョイスしたことにあるのではないか、ということなのです。
(もちろん、死んだら土の中に埋められるということもあると思いますけど)
ちなみに、「黄泉の国」という言葉が出てくるのは、伊邪那岐(いざなき)と伊邪那美(いざなみ)夫婦のエピソードです。
「ぜったい見るなよ」と奥さんに言われたのに、それを破って奥さんに追いかけられる話ですね。
このとき、黄泉の国に行ってしまった伊邪那岐は、黄泉比良坂(よもつひらさか)まで夫を追いかけたと書かれています。
この「黄泉比良坂」があの世とこの世の境目だということなのですが、「ひらさか」というのは「平らな坂」ですから、黄泉の国が地中にあるのはちょっとおかしなことになります。
つまり、『古事記』以前の日本人は、「死者の国も同じ地平上にある」と思っていたんじゃないかと考えられるわけです。
でも、それが「黄泉」という言葉が使われたことで、「死者の国=地下」というイメージが定着してしまった可能性があるわけです。
さらに言えば、安田さんは
「そもそも日本人には<死>という概念すら存在しなかったんじゃないか」
と持論を述べています。
現代人である私たちも「しぬ」が「死ぬ」と書かれることに何の疑問も抱きませんね。ところが、よく考えてみると、「死ぬ」の「シ」は音読みです。「死」という漢字に訓読みはありません。訓読みがない漢字は、それが入ってきたときには、それを表すものや概念が日本語にはなかったことを意味します。日本には「死」という概念がなかったのです。
そして、音読みだけの漢字が動詞になるときはサ変動詞になりますから、「死」を動詞にするときには「死す」が正しい。「愛す」「感ず」などがそうです。
となると、日本古来の「しぬ」と中国からの輸入である「シ(死)す」とは、本当は違う言葉だったのではないか。そんな疑問が湧いてくるのです。
「死」が「シス」なら、「しぬ」はいったい何なのか。これについて、民俗学者の折口信夫は「萎(し)ぬ」だというのです(「原始信仰」)。「萎ぬ」とは、植物が枯れてしなしなになるような状態をいいます。
科学的な視点では「死」とはポイント・オブ・ノーリターン……要するに「もう後戻りできない状態」だと認識されていますが、「萎ぬ」だとぜんぜんニュアンスが変わります。
そもそも、伊邪那岐だってフラッと黄泉の国にいって、また現世に帰ってきたわけですから、前古代の日本人にとって「しぬ」とは魂が一時的に離れた、一時的な状態に過ぎなかったのではないかというわけです。
だいたい、日本では死ぬという表現は避けて、「亡くなる」という言い方をします。
(天皇陛下などについては「お隠れになる」という表現もします)
「亡くなる」というのは死ぬとは違います。
一時的にこの世からいなくなってしまった状態です。
つまり、日本人にとって「しぬ」とはポイント・オブ・ノーリターンではないということですね。
先祖が帰ってくるというお盆の風習などからもそれがわかります。
「四十にして惑わず」は間違い?
『論語』は、やはり孔子が言ったとされる発言を、その弟子たちが勝手にまとめたものなので、じつはそこで使われている言葉は、孔子が生きているときには存在しなかった(つまり、違うことを伝えていた可能性がある)ことを説明しています。
たとえば次の文章は有名ですよね。
子曰く、吾十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る。六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従いて矩を踰えず。
(先生がいわれた。「私は十五歳で学問を志し、三十歳で一本立ちとなり、四十歳で迷いがなくなり、五十歳で天から与えられた使命をさとった。六十歳でことばをすなおに聞けるようになり、七十歳で自分の思うままに行ってもゆきすぎがなくなった)
ここで問題になるのが「四十にして惑わず」というところです。
じつは、孔子が生きている時代には「惑」という言葉がなかったらしいのです。
じゃあ、どの言葉だったのかと推察できるのかというと、「心」という部首を取った「或」ではいか、これだったら孔子の時代にも存在する漢字だったのではないかというのです。
じゃあ「或」がどういう意味かというと、これは「区切る」という意味です。
つまり、
・四十歳で惑わず
ではなく
・四十歳で区切らず
という意味なのではないかということですね。
区切るというと、ちょっとまだわかりにくいですが、これは「自分の可能性を限定する」「自分のできる範囲を決定する」というふうに受け取れます。
現代人も、会社員として40歳くらいになると、自分の持っている能力がどのくらいなのか、どのくらいの地位になれそうか、ということがなんとなく自分でわかってくるらしいです(私はまだ40歳になってないので実感としてわかりません)。
しかし、孔子はあえて、そこで「自分ができることはここまでだ」と区切ることをせず、専門外のこと、新しいことにもチャレンジしていったからこそ、50歳になったときにようやく「自分の天命」を知ることができたのではないかという推測だってできるわけです。
本書ではこの他にも『おくのほそ道』『中庸』などが紹介されています。
ふだんはあまり考える機会のない、古典のおもしろさが垣間見える、楽しい本でした。
後記
歴史に対して新たな解釈を試みるという作品では、マンガの「宗像教授シリーズ」もなかなかおもしろいです。
スキンヘッドで髭をはやし、つねにマントとステッキで正装しながら日本各地に赴き、日本古来の伝承、文化の謎を紐解く歴史ミステリーです。
LINEマンガでたまたま見つけて読んだのですが、なかなかおもしろかったです。
『役に立つ古典』も、Kindle Unlimitedになっていたのでたまたま読んだのですが、今は本当にいろいろな本と出会うチャンスが多いですね。
気をつけないと、時間がやたらとられてしまう点は要注意ですが、本を読んでいると、どうしても自分が興味のあるジャンルの本ばかり読むようになって、カバーする範囲が狭まりがちです。
その意味では、とりあえず興味がない本でもパラッと見てみると、意外な発見があるかもしれません。
今回はこんなところで。
それでは、お粗末さまでした。