『マチネの終わりに』(平野啓一郎・著)のレビュー
石田ゆり子さんではないと思うのです。
なにがって、『マチネの終わりに』のヒロインである小峰洋子の配役です。
福山雅治さんはまあいいとして、石田ゆり子さんだと甘すぎる印象が拭えないのではないかなと。
すくなくとも、イラクに赴いてテロの危険と隣り合わせになりながら情報を発信したり、アメリカ人の夫とサブプライムローンの問題について論じる印象はあまりありません。
といっても、私は映画は見ていないので、もしかしたら抜群の演技力でそんな不安を払拭してくれるのかもしれないですが、原作を読む限り、個人的には常盤貴子さんみたいに、ちょっと見た感じ気が強そうだけど、脆さのある女性みたいなほうがよかったんじゃないかなと思ったりしました。
まあそれはともかく、今回紹介するのは原作小説です。
ちなみに、(コルク)とついているのが不思議に思う方もいるかもしれませんが、これは株式会社コルクという作家やクリエイターのエージェント会社、株式会社コルクのことです。
コルクは『ドラゴン桜』や『宇宙兄弟』の編集を手掛けた天才的マンガ編集者・佐渡島庸平さんが立ち上げた会社で、平野啓一郎さんもコルクに所属しているというわけです。
そのため、本書はメディアプラットフォーム「note」でも連載されていて、それもあって人気が高まっていました。
ちなみに、毎日新聞にも掲載されていて、単行本は毎日新聞出版から刊行されたのですが、文庫本は文藝春秋になっています。
こういった経緯があるからかどうかはわかりませんが、この作品、見た目の印象とは裏腹に、けっこうシンプルでわかりやすい恋愛小説になっています。
とはいっても
「アーティストの才能の枯渇について」
「ジャーナリズムとはなにか」
「東日本大震災」
「ボスニア・ヘルツェゴビナの民族紛争」
「移民問題」
「クラシックと音楽業界の衰退」
「人生の主役と脇役論」
などなど、いろいろな要素を打ち込んで織り交ぜてきているので、話が若干長ったらしいし、いろいろむつかしい専門用語が飛び交ってうんざりしてしまうところもあるのですが、基本的には「アラフォー男女の純愛物語」であるといえますね。
アラフォー男女の恋愛なんていうと、不倫とか不倫とか不倫とか、そういう爛れきった関係、配偶者や子どもとのドロドロ問題などを私なんかは想像してしまうのですが、そういうどす黒いイヤ~な人間関係はほとんどなくて、びっくりするくらいピュアでプラトニックな恋愛模様が描かれています。
あらすじをカンタンに紹介しますね。
若干、ネタバレ含みます。
天才クラシックギタリスト・蒔野聡史と、国際ジャーナリスト・小峰洋子がほとんど一目惚れみたいな感じで恋に落ちて、フランス出会いを誓いあったものの、アンジャッシュのコント(もう見られないのかな……)みたいなちょっとしたすれ違いで距離をおいてしまい、それぞれ別の人間と結婚して子供を儲けるまでになってしまうのだけど……
という感じの話です。
これはもちろん平野啓一郎さんの筆力もあるんだけど、編集者である佐渡島庸平さんのバランス感覚も生かされているような気がする。
この作品、作り方によってはもっとブンガク的な、小難しい話にもできたと思うのだけど、あえてそこまで踏み込まさせず、「わかりやすさ」と「作品の深み」をうまい塩梅で両立させているところがいいのではないだろうか。
あえて悪い言い方をすれば、絶妙なバランスで大衆に迎合化している文学作品、みたいな。
これは映画プロデューサーの川村元気さんもうまいところだと思う。
ボリュームは結構あるので読むのは大変だけど、見た漢字の印象ほどは読みにくくないし、普通にエンタメ的な恋愛小説として楽しめる、いい作品でした。
マンガもあるので、めんどくさい人はこちらがいいかも。
後記
読みました。
フォローしているのか、リツイートが回ってくるのか、ツイッターでたまに回ってくるマンガ家さんによる、自分のこれまでの人生のことについてつづったエッセーマンガ。
抜群のギャグセンスですごく楽しいマンガなのですが、著者の人生はなかなか壮絶そのもので、よくこんな状況でマンガを描くことをやめなかったと驚嘆する限りです。
ただ、これは私もわかるような気がしていて、結局、好きなことはどれだけ苦痛であってもやめられないものなのかもしれません。
それでも適度のギャグをまぶしつつ、マジメなところはマジメに描かれていて、人生いろいろあるよねとなかなか考えさせられる一冊です。
そして、ネットとSNSの発達によって、本当に個人(とくにクリエイター系の人)にはいままでにないくらいいろいろな可能性が広がっているんだなあということが理解できますね。
今回はこんなところで。
それでは、お粗末さまでした。