『絵を見る技術』(秋田麻早子・著)のレビュー
私は毎年、その年に読んだ本の中からとくに良かったものを10冊選んで紹介し、さらにその10冊のなかから「ベスト・オブ・ベスト」を1冊選んでいます。
しかし、2020年版の「ベスト・オブ・ベスト」は、もうこの1冊で決まってしまったかもしれません。
そのくらい、素晴らしい内容の本に出会ってしまいました。
著者の秋田麻早子(まさこ)さんは美術史研究家で、麹町アカデミアでビジネスパーソンに向けて絵を見る技術を教えているようです。
本書が、初の著書です。
装丁は超ベテランの装丁家・水戸部功さん。いいデザインです。
私たちは自分が好ましいと感じたものを言語化できない
さて、絵でも、音楽でも、小説でも、マンガでも、映画でも、私たちはそれらを鑑賞して「なんとなく」でその良し悪しを判断しています。
「なんか好き/なんか嫌い」
「なんかいい/なんか悪い」
「なんか面白い/なんかつまんない」
ただ私たちは「なぜ、自分がそう感じるのか?」ということを言語化できません。
言語化できないということは、「頭の中で整理できていない」ということであり、「他の人にそれを伝えられない」、あるいは「自分でそれを再現できない」ということです。
このあたりの重要性については、最近のビジネス書でもよく語られるテーマです。
たとえば私の場合、文章に関してだけは、
「なぜ、この文章は読みやすいのか」
「なぜ、この文章は独特な癖があるのか」
「なぜ、この本は面白いのか」
「なぜ、この本は読むのに時間がかかるのか」
ということについて、歩いていど言語化することができると自負しています。
だからこそ、ブログを書いてそれを表現してるわけですね。
ただ、じゃあそれが他のメディア、つまり音楽や絵画、映像、マンガになると、それができなくなります。
映画やマンガについては、ストーリーの部分については言語化できるけど、それ以外の表現方法については私にそれに対する知見がまったく足りないので、うまく言語化できません。
とくに絵画の場合は、言語による情報が「タイトル」以外になく、そのタイトルでさえ後世になってから画家の意思とは無関係につけられたこともよくあるため、参考にはなりません。
私は西洋絵画が好きで、ちょいちょい上野の美術館に行ったりするし、やっぱり自分の中で好きな画家、好きなタッチの絵があります。(具体的に言うと、印象画などの輪郭がぼんやりした絵よりもルネサンスやあるいはシュルレアリスムのようなものが好きです)
たぶんそういうこともあって、私は西洋美術をテーマにした本もよく読むわけですが、そういう本の多くは
・このアーティストはどういう生涯を送った
・この絵のテーマは神話のこの場面が描かれている
・この絵が書かれた背景にはこういうことがあって云々
ということが説明されています。
もちろんこれらのことを知るのも楽しいです。
ただ、今回紹介する『絵を見る技術』は、そういう「額縁の外」の情報についてアレコレ語ったものではなく、あくまでも絵の中で描かれたものから画家の意図を読み解き、自分の趣味嗜好とは別の次元から絵画を鑑賞できるようにするものです。
たとえば、こちらの絵。
主役はもちろん2人の男性ですが、服装に注意してください。
左の男性は黒いジャケットにグレーのズボン。
右の男性は白めのジャケットにズボンは黒です。
持っているカードは、左の男性は白っぽく、右の男性が持っているのは黒っぽい。
かぶっている帽子のつばの向きも、左の男性は下向き、右の男性は上向きです。
つまりこの二人、すごく細かいところでテレコ(互い違い)の色彩が使われているわけです。
もちろん、だからといって別にこの二人が敵対関係にあるとか、そういうわけではありません。
ただ、一枚の絵の主題として二人の男性を同じ用に描く場合、このくらいの色彩の違いを使ったほうが絵としてのバランスが良くなるということを、セザンヌは考え抜きながら描いているということです。
言われなきゃ気づかないけど、これがされているかいないかで、パッと見で受ける印象が変わってくる。
おもしろいですよね。
ちなみに鑑賞者の視線は、自然と2人がもっているカードに注がれるように誘導されています。
男性の目線がカードに注がれているし、中央に建てられたボトルや襟の角度、テーブルの足の間のスペースなどが、マンガで使われる集中線のような役割を果たし、自然と視線がカードに言ってしまうようにデザインされているのです。
それからこちら。
美術を習っている人は「主役が画面の真ん中においちゃダメ」と教えられるらしいです。というのも主役ど真ん中の絵は全体のバランスを取るのがめちゃくちゃ難しいからとのこと。
ただ、ラファエロは「主役ど真ん中」の手法を極めた巨匠で、まさにこの絵画がお手本のようなものとなっています。
この絵では中央の聖母子に従う形で、左側に聖シクストゥス、右側に聖バルバラを置いた左右対称のスタイル。
そして左右はうまい具合に「見た目の重さ」のバランスをとらないといけません。
聖母のベールが右側にはためいているから、聖シクストゥスの袖も大きめにはためいています。そして、聖バルバラの横の緑のカーテンも左側より大きめにはためいています。
さらにポイントは左下の教皇冠。絵画では四隅から鑑賞者の視線が逃げ出してしまわないように注意が払われています。上2つの隅はカーテンが守り、左下はこの教皇冠が、右下は見上げる天使の視線と聖バルバラのアイコンタクトによって視線を上に誘導しているのです。
メインの登場人物3人は大きさ的に差があるわけではないけれど、聖母子だけがしっかりと正面を見ているから、この2人が主役であることがはっきりと分かるし、衣類の動きの統一性とそれぞれのキャラクターの視線によって大きくグルリと絵を一周させるような視線の動きを誘導します。
さすが名画と呼ばれるだけのことはあり、そうとう鑑賞者のことが考え抜かれているわけです。
なぜ名画は名画と呼ばれるのか。
この本を読むと、その理由が理路整然と語られていて、なるほど納得感があります。
美術を見るとき、ちょっと見方が変わるかもしれませんね。
後記
LINEマンガで『魔女と野獣』の1巻を読みました。
全体的な雰囲気は嫌いじゃないです。
シャーロック・ホームズが歩いていそうな時代のロンドンっぽいような雰囲気ですね。
スチーム・パンクのような感じもありますが、魔女や魔法使いが普通に出てくるような世界観です。
魔女によって呪いをかけられた主人公が、その魔女を探していろいろな事件を解決するという話の模様。
派手なバトルシーンが多いですが、若干テンポが悪いかな。
いまのところ5巻まで出ているようです。
今回はこんなところで。
それでは、お粗末さまでした。