体は意識を支配するか ~『のうだま』のレビュー
やる気がつねにあふれている人はいない。(いたらこのエントリーは読まなくてOK)
どんな人でも、やる気がないときがある。
そういうときは、無理してやる気にならなくてもいい気がするが、とはいえ、やっぱりやる気が起こらないことばかりでも困るから、少しはやる気を出す方法を知りたいと思うのが人情だ。
『のうだま』のダブルミーニング
というわけで、今回紹介するのはこちらの本。
本書は上大岡トメさんというマンガ家が、脳科学者の池谷裕二先生のところにやる気の秘密を聞きに行ったという体裁のエッセー風実用書。
上大岡トメさんは『キッパリ!』という本がベストセラーになっている。
ちなみに『のうだま』というタイトルはおそらく「脳を騙す」の略と、「脳の中にある球」の2つを指すダブルミーニングとなっている。
脳は騙されやすい
こちらもベストセラーになった『脳はバカ、腸は賢い』という本があるが、脳というのは意外と騙されやすい器官だ。
自分の脳を自分で騙すこともできる。
そのための有効な方法が、脳が考え始めてしまう前に行動してしまうこと。
ウィリアム・ジェームズの名言に「楽しいから笑うのではない、笑うから楽しいのだ」というのがあるが、まさにこのとおりで、感情や思考は行動に引っ張られる。
それくらい脳は単純で、騙されやすい。
勉強をしたくなくても、とりあえず机に向かってノートを広げるだけでいい。
本を読みたくない気分でも、とりあえずページを開くとついつい読み始めてしまう。
そんな感じだ。
脳の中には「青い球」がある
そしてもう1つ、本書の目玉になっているのが淡蒼球という部位。
これは脳の中にある青い部分で、やる気になっているときはここが活発に活動しているらしい。
ただし、淡蒼球は意図的に働かせることができないので、「BERI」という4つのスイッチで動かすことを促進させるしかない。
これは
Body(体を動かす)
Experience(いつもと違うことをする)
Reward(ごほうびを与える)
Ideomotor(なりきる)
の頭文字で、確実ではないものの、これらの行動を起こすことで淡蒼球を働かせることができるらしい。
とにかくやれ
ここでも結局大事なのは、「つべこべ考える前にやれ」ということだ。
脳と体については、脳が体をコントロールしていると考えがちだが、案外、そうでもない。
もちろん、体を動かすときに脳が司令を送っているのだが、最初に体を無理矢理にでも動かすことで、脳がその動きにアジャストしてやる気を引き出すというのだ。
だから、体を動かしてしまうのが最優先で、あとの3ステップ(E、R、I)は、体を動かすことをいかに継続させるかという補助に過ぎない。
これについては、スティーブン・ガイズという人が書いた『小さな習慣』という本も参考になる。
こちらでお勧めしている方法は簡単だ。
たとえば、毎日腹筋をする習慣を身につけたいなら、「毎日1回だけ腹筋する」ということを習慣にすればいいのである。
そうすると、絶対に腹筋は1回では終わらず、2回、3回、10回と増えていく。
これが、小さな習慣の真骨頂だという。
結局の所、やろうと決意する暇も与えないくらいさっさと体を動かしてしまう。
これが一番の方法らしい。
後記
『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか』を見た。
知らなかったのだが、これは原作が岩井俊二なのだ。
岩井俊二と言えば、『Love Letter』とか『花とアリス』とか『リップヴァンウィンクルの花嫁』とかで有名な映画監督だ。
どういうことなのかと思って調べてみると、1993年に放送された同名のオムニバステレビドラマが原作となっているらしい。
で、そのオムニバスドラマが「if もしも」という名前で、毎回、以下のような感じで話の途中で分岐点をつくり、2つの結末を用意していたとのこと。
『結婚するなら金持ちの女かなじみの女か』
『彼女がすわるのは左のイスか右のイスか』
『あるフェミニスト課長の秘書選び 美人かブスか』
などなど
そしてここが私が一番納得したところなんだけど、どうも、原作となったドラマでは、「主人公たちは小学生」という設定だったのだ。
ただ、このたびアニメ映画化するにあたって、それが中学生になっている。
結果的に言えば、このアニメ映画版はビミョーだったのだが、そのビミョーな原因は、ひとえにこの年齢設定の変更にあったと思う。
たとえば、主人公の男子たちのふざけ合いとか、ヒロインの女の子の駄々のこね方があまりにも子どもっぽくて、キャラクターデザインと違和感を抱いていたのだけど、これがそもそも小学生という設定だったと言うなら、まだ納得がいく。
それと、声優がいまいちだった。
主人公の男子は菅田将暉、ヒロインは広瀬すずが演じているのだが、演技がうまいとかへたとか言うよりも、とくに菅田将暉の声はどう聞いても変声期を終えた高校生男子のものにしか聞こえないので、そこでまた登場キャラクターたちの行動の子どもっぽさに大きなギャップを抱かせる要因になってしまったのだ。
それに、この物語の場合、けっこう「小学生ならではの大人からの不条理な出来事」「同学年の女の子に対するエロティシズム」みたいなのが大事だと思うので、それもキャラクターを中学生にしてしまったものでぶち殺してしまった。
いろいろ残念だったが、岩井俊二らしさはなんとなくあるので、岩井俊二監督の作品が好きな人なら、見てもいいかもしれないし、この予備知識を持った上で鑑賞すれば、変な違和感を抱きすぎずに済む…かもしれない。
今回はこんなところで。
それでは、お粗末さまでした。