ディスニーヒロインはいつから「助けられる」ことをやめたのか?
先日、とある飲みの席で、
「『モアナと伝説の海』を見たんだけど、おもしろかった。ディズニーもああいうふうに女性を描くようになったんだね。新しいね」
という発言を聞いた。
私は長編ディズニーアニメは9割がた見ているので「えっ、いまさら?」と思ったのだが、よくよく考えてみると
「いつからディスニーの女性たちは『ただ助けられる立場』から脱却したのか」
というのが気になったので、ちょっと調べてまとめてみた。
もくじ
ディズニープリンセスは3つの世代に分けられる
プリンセスに限って言えば、大きく3つの世代に分類できるのではないだろうか。
プリンセス第1世代
白雪姫、ファリーン、シンデレラ、オーロラ姫、マリアン姫
基本的に受け身で待ちの姿勢、王子様やヒーローがピンチのときには助けに来てくれる。
プリンセス第2世代
アリエル、ベル、ジャスミン、ナラ、ポカホンタス、ムーラン(※)
自分で積極的に動いたりもするけど、最後の最後は男性に救ってもらうケースが多い。
プリンセス第3世代
ティアナ、ラプンツェル、ヴァネロペ、アナ、エルサ、モアナ
超アクティブ。 ヴィランズ(悪役)とも自ら戦うし、逆に男性のピンチを救うことも少なくない。
※ムーランは王家の人間と結ばれていないので厳密にはプリンセスとは言えないが、アメリカではディズニープリンセスの1人に数えられている。プリンセスの定義はちょっと難しい
ポカホンタス、ムーラン、ティアナあたりの区分けがなかなか悩ましいが、ポカホンタスやムーランは「男 vs 女」という枠組みから逸脱できておらず、「男勝りな女性」として描かれているような気がする。
つまり、たしかにアクティブに活動するのだけど、その行動原理が「男に負けないため」というもので、それはちょっと一昔前の価値観に感じられるのだ。
それに比べると、第3世代のプリンセスたちは、そもそも「男 vs 女」というイデオロギーから脱却している。
性別関係なく、個別のキャラクターとしてのアクティブさであるがゆえに、男と張り合ったりしないし、男との関係性も必ずしも恋愛感情で結びついていなかったりする。
ディズニー長編ヒロイン総まとめ!
以下、公開順に紹介していくが、たとえば『101匹わんちゃん』や『王様の剣』、『ジャングル・ブック』など、そもそもヒロインと呼ぶにふさわしい女性キャラクターが登場しないような作品は私の判断で除外している。
また、ディズニー単独のものだけとして、ピクサー作品は含んでいない。あしからず。
また、解説の都合上、どうしてもネタバレになってしまう箇所もある。
ネタバレが嫌な人は気をつけてほしい。
最初期の「男性に助けられるヒロイン」たち
半世紀以上前の作品なので仕方ないが、このころのディズニーでは「ヒロイン=助けを待つ存在」というがデフォルトで、良き妻、良き母親的な役割がヒロインたちに求められている。アリスはちょっと例外だが。
『白雪姫』(1937年)
ディズニーの記念すべき長編アニメーション第1作目。
白雪姫は典型的な「助けられヒロイン」で、毒りんごをかじって眠りにつき、王子様のキスで目覚めてハッピーエンドになる。
宝石の採掘をしている小人たちの家にいつき、掃除や洗濯をしてくれるあたり、家の中のことをまとめてやってくれる、当時の「女性のあるべき姿」みたいなものが透けて見える。
『バンビ』(1942年)
ヒロインとして、主人公バンビと結ばれる雌鹿のファリーンが出てくる。
いわゆる幼馴染キャラで、お年頃になってから別の雄鹿に言い寄られていたところをバンビに助けてもらう。
バンビは『ライオン・キング』と同じく、お父さんが森の王様的なポジションの王子様なので、やっぱり王子様に救われるポジションだ。
これも「助けられ」パターン。
『シンデレラ』(1950年)
憧れの舞踏会に参加するもガラスの靴を落としてもらい、届けてくれた王子様と結ばれてハッピーエンド。
まさに「白馬に乗った王子様が自分を迎えに来てくれる」というパターン。
そもそも、シンデレラはあまり自分から能動的に行動を起こしていない。
『ふしぎの国のアリス』(1951年)
最初期のディズニーヒロインの中ではいちばん行動的で、我が強い。
(物語の舞台が彼女の夢の中だからワガママをやりやすい…という理由はあるかもしれないけど)
ただ、自分の意見は割とハッキリ言うものの、積極的に行動を起こすかというと、案外そうでもない。
不思議の国の住人たちにいろいろ絡まれることで受動的に物語は進む。
『ピーター・パン』(1953年)
このあたりから、ディズニー作品における女性像がちょっとだけ変化する。
注目するべきは、ヒロインのウェンディがちょっと父親に反発して、自らネバーランドに行くという決断を下した部分。
ただ結局、大人になりたくないという理由でネバーランドに行ったにもかかわらず、結局、弟たちの世話を焼き、「母親役」を演じている。
また、女の子が基本的に男に助けられるという構図は変わっていない。
彼女はフック船長にさらわれ、ピーター・パンに助けてもらう。
キャリアウーマン風のリーダーヒロインが主役に
まだまだ「助けられるだけ」のヒロインが多いが、むしろ男キャラクターが王子様からもっと庶民的な、男が登場するようになっているのがおもしろい。また、女性としてリーダーシップを振るうあのキャラクターがデビューした。
『わんわん物語』(1955年)
ヒロインはアメリカン・コッカー・スパニエルという犬種の「レディ」。
こちらも典型的な「助けられヒロイン」。
ちょっと従来のディズニー作品と毛色が違うのは、彼女を助けるトランプの属性だ。
これまでヒロインを助けるのは王子様的なポジションの「ちゃんとした」男だったが、自由を愛する風来坊的なトランプが彼女を助け、惹かれていく。
『眠れる森の美女』(1959年)
こちらのヒロイン、オーロラ姫も典型的な「助けられヒロイン」。
魔女マレフィセントの呪いにより眠りについてしまったオーロラ姫は、王子フィリップに助けられて眠りから覚める。
森の魔女たちに匿われてからは、基本的に家事しかしていない。
『おしゃれキャット』(1970年)
人気・知名度が高いのは白い仔猫のマリーだけど、じつは本作のヒロインは彼女の母親、ダッチェス。
基本的な物語構造は『わんわん物語』と似ていて、陰謀によって捨てられてしまったダッチェスと子どもたちが、野良猫・オマリーの助けを借りるうち、2匹が恋に落ちる。
マリーはおしゃまで気が強いけれど、ダッチェスは典型的「助けられヒロイン」
『ロビン・フッド』(1973年)
ヒロインはマリアン姫。
義賊で、悪い王子様から税金を盗むロビン・フッドと結ばれる。
この頃のディズニーにありがちな設定として、「身分のちゃんとした女性」×「身分の低い男」という組み合わせ。
『ビアンカの大冒険』(1977年)
ちょっとマイナーな作品なのであらすじを知らない人もいるかも知れない。
ヒロインのビアンカは国際救助救援協会という組織に所属する、いわゆるエージェント。
人間の女の子から届いた救助要請に対し、彼女の救出作戦に立候補する。
ビアンカはかなり行動的な女性だが、おしゃれで香水を嗜む上品さも併せ持つ。
バトル面での活躍こそないものの、慎重派の相棒バーナードをぐいぐいリードしていく。
ディズニー長編アニメ史上、初めてアクティブに動くヒロインはビアンカじゃないだろうか。
ただ、格好や言動はどこかおしとやかで、お嬢様感がある。
『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』(1988年)
ヒロインは、主人公である捨て猫オリバーを拾った女の子ジェニー。
彼女は悪党・サイクスに身代金目的で誘拐されてしまうが、オリバーたち仔猫の活躍で救出される。
これも「助けられヒロイン」。
恋よりも「自由」を求めるプリンセスたちの台頭
このあたりから、男性よりも「自由」を求め、自ら積極的に動き出すヒロインたちが多くなってくる。ただ、やっぱり「戦いは男」という暗黙のルールがあるのか、彼女たちのピンチを救うのは男性だ。
『リトル・マーメイド』(1989年)
ヒロイン・アリエルも最後には王子様に助けてもらうが、自らの意思で怖い魔女アースラのところに行って交渉をし、単身で地上の世界に旅立つ剛毅な人。
白雪姫やシンデレラといった第1世代プリンセスと比べると、窮屈な現状に不満を持ち、脱出しようとする大胆な行動力がある。
これまでのヒロインたちが「仕方ない理由で外に出た」のに対し、この作品あたりから自由を求めて自ら外に出る女性像が増え始める。
『美女と野獣』(1991年)
主人公のベルも、アリエルと同様、かなり強い意志と行動力を持った女性だ。
ただしアリエルとの違いは、男性との恋愛に興味がないこと。
アリエルが王子様に惹かれて、彼と結ばれるために行動を起こしたのに対して、ベルは求婚を迫ってくるガストンを退け、父親を助けるために仕方なく野獣の城に残る。
ただし、まだこのころは「最後は男に助けてもらう」というストーリーフォーマットがあり、その意味では「助けられ」のポジションを脱しきれていないといえる。
『アラジン』(1992年)
本作のヒロインであるジャスミンも芯の強い女性で、求婚してくる相手をガンガン断る。
(お父さんがやたら優しい……という点でアリエルとは異なる)
ただ、アリエル・ベルと似ていて、行動力はあるが、やっぱり最後、ジャファーと戦うのはアラジンだ。
また、「自由に憧れる女性」というのも、裏を返せば、まだまだ世の中の女性が自由ではなかったことの現れと言える。
『ライオン・キング』(1994年)
ヒロインは雌ライオンのナラ。
物語の構造は『バンビ』と同じだが、同作のヒロイン・ファリーンと比べると、主人公のシンバと取っ組み合いのケンカをして勝ったり、プライド・ランドのピンチのときには単身で助けを求めに来るなど、比較するとかなり行動的なヒロインだとわかる。
ただし、やっぱり最後はシンバがすべてを解決する。
最後に男と決別するヒロインが現れた
このあたりから、ヒロインたちの「混迷期」が始まる。とにかくいろいろな女性像が出てくる、ということだ。武闘派のヒロインもいれば、昔ながらの「助けられヒロイン」もいる。この時代を経て、トレンドが変わっていく。
『ポカホンタス』(1995年)
これは、ディズニー長編映画のヒロインを考える上では、エポックメイキング的な作品だ。
というのも、ヒロインであり、インディアンの娘であるポカホンタスは、イギリス人のラトクリフと相思相愛になるのだが、最終的に自らの意思で彼と別れるからだ。
いちおう展開を説明すると、クライマックスでラトクリフは銃に撃たれ、治療のためにイギリスに帰らざるを得なくなる。
そこでポカホンタスは、彼と一緒にイギリスに渡るかの選択を迫られるのだが、彼女は生まれ育った同地に残ることを選択するのである。
これまでのディズニー作品では、女性は男性と結ばれるのが当然というか、それが幸福であるという価値観があったが、この作品ではその価値観にノーを突きつけた。
『ノートルダムの鐘』(1996年)
ヒロインはジプシーのエスメラルダ。
これもちょっと変わった作品で、エスメラルダが最終的に結ばれるのは主人公のカジモドではなく、護衛隊長のフィーバスなのだ。
つまり、ディズニー長編アニメ史上、初めて主人公がヒロインに振られたままで物語が終わる。
ただ、ヒロインとしてのエスメラルダを見ると、どちらかというと「助けられヒロイン」に先祖返りしている感も否めない。
余談だが、本作のヴィランズ(悪役)であるフロローもエスメラルダに惹かれていて、かなり葛藤して歪んだ愛情を持っていた。これもちょっと珍しい。
『ヘラクレス』(1997年)
ヒロインはメガラ。
彼女は本作のヴィランズ・ハデスの手下であり、これまでのディズニー作品にいなかった妖艶さで主人公のヘラクレスを手玉に取る悪女的なヒロインである。
ちょっと違うけど、ルパン三世における峰不二子的なポジションが近い。
クライマックスではヘラクレスをかばって命を落とすが、やっぱりヘラクレスに助けられて救われるというフォーマットは健在。
ディズニー史上フィジカル最強のヒロイン登場
『ムーラン』(1998年)
これもディズニーヒロイン像の転換点の1つになった作品。
主人公のムーランはディズニーヒロインのなかでおそらくフィジカル最強の武闘派女性。
彼女は病気の父親を助けるため、自らを「男」と偽って軍隊に入り、厳しい訓練を乗り切ってかなり強い女性になる。
ヴィランズとガチンコで戦い、男性の助けをほとんど借りずに倒してしまうのは彼女くらいだろう。
時代の変化を感じる。
『ターザン』(1999年)
ヒロインはジャングルにやってきた探検隊の教授の娘。
そもそも国を出て異国の未開の地にやってくるだけでもかなり行動的だが、本作のメインテーマがターザンとゴリラのファミリーにフォーカスされているため、影は薄めで、あまり活躍もしない。
『ダイナソー』(2000年)
かなりリアル目なビジュアルの恐竜たちが主役のCGアニメーション。
ヒロインはイグアノドンのニーラで、最後は主人公のアラダーと協力して敵を退ける。
一緒に戦うという点で進歩はしているが、まあ恐竜だから・・・というのもある。
『リロ・アンド・スティッチ』(2002年)
リロが本作のヒロインだが、ここではあえて彼女のお姉さん・ナニにフォーカスを当てておきたい。
幼い頃に両親をなくした姉妹の姉・ナニは、年の離れた妹と絶妙な関係性で、家庭をやりくりしている。
これはいわば、「シングルマザー家庭」に近い。
もっと昔のディズニー作品だったら、ナニは家事も仕事も完ぺきにこなす優しいお姉さんキャラだったかもしれないが、まだま若い彼女は仕事も自分の恋愛も自由にやりたいと思いつつ、でも妹のリロを施設に渡すのも嫌だと思っていて、ある意味では環境に縛られている。
このあたりから「女性が自由を求める」という、単純なフォーマットがなくなってきた。
それはおそらく、現実世界でも女性が自由を手に入れ始めたからで、あえてフィクションの中でテーマにすることではなくなったからだろう。
ただし、物理的な束縛がなくなったからといって幸福になれるほど単純ではなく、家族のカタチも多様化した中で、どれを大切にするかを自分で決めなければならないという時代になったんだろう。
『ボルト』(2008年)
ヒロインは主人公であるシェパード犬の飼い主の少女、ペニー。
物語の構造は『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』に似ているが、ペニーがティーンズ女優として幼いながらもすでに仕事をしているあたりが時代の変化を感じさせる。
ただし、やっぱり最後は主人公のボルトに助けられる。
「助けられる」から「助け合い」の時代へ
ここがいまのところ、最新。第3世代のヒロインたちはただアクティブになっただけでなく、女性という枠組みを超えて男性キャラクターとの関係性も変えてきている。男性も女性も協力して、ヴィランを倒すのがスタンダードになりつつある。
『プリンセスと魔法のキス』(2009年)
初のアフリカ系プリンセスとなるティアナが主人公。
彼女は「自分のレストランを持つ」という夢に向かって努力しており、恋愛は眼中にない。
彼女の友人で、シャーロットという女性も出てくるが、こちらはいわゆるお姫様願望の強い女性で、彼女と対比するようなキャラクターになっている。
彼女はムーランのようにフィジカル的な強さはないが、ヴィランズであるドクター・ファシリエとの最終決戦では自らの意志の強さだけで打ち勝った。
ちなみに、王子様はクズキャラ。
『塔の上のラプンツェル』(2010年)
本作はディズニー長編作品の50作目という節目のものであり、ストーリにも設定にもかなり力が入れられている。
この作品からディズニーのプリンセス像はまた一歩、違う角度に踏み出した・・・といっても過言ではない。
どういうことかとうと、これまでの伝統的なディズニーのフォーマットを下地にしながらも、「助けられるヒロイン」から完全に脱却したという意味だ。
「狭い世界にいたヒロイン」×「風来坊的な男」という取り合わせは『わんわん物語』『アラジン』と似通っているが、これらに比べるとラプンツェルはかなりアクティブで積極的。
そして極めつけは、最終的にフリン(ユージーン)を助ける役目を負っているのがラプンツェルのほうであるということだ。
これまでもムーランやティアナなど、男性の力を借りずに危機を乗り越えるヒロインたちはいたが、最後まで男性キャラと協力し、最後の最後で危機を救うという役回りを演じたのはおそらくラプンツェルが初めてのこと。
『シュガー・ラッシュ』(2012年)
ディズニー長編作品の中でもっとも「ネタバレ厳禁」な映画。
最終的に世界を救うのは主人公のラルフだが、ヒロインのヴァネロペが物語を読み解く鍵を握っていて、彼女の活躍なしには成立しないストーリーになっている。
彼女もまた、クライマックスのレースシーンではラフルの力を借りず、自分の実力によって勝利を勝ち取っている。
また、あくまでもラルフとの関係は恋愛には発展せず、「友情」という形で繋がって終わるのも新しい。
ただ、キャラ設定的には女性よりも男性にウケがよさそうな性格。
『アナと雪の女王』(2013年)
ディズニー史上初、ヒロインが2人いる作品で、しかも姉のエルサには最後までお相手が現れないという点で異彩を放つ。
男性キャラクターのクリストフも活躍するが、基本的にはアナのサポートに徹していて、物語を軽活に導くのはあくまで2人の女性だ。
すでに「女性が男性に助けてもらう」というフォーマットがほぼなくなり、「男性と女性が互いに助け合う」のがスタンダードになっている。
『ズートピア』(2016年)
物語の構造的には『シュガー・ラッシュ』に近い
ヒロインのウサギ警察官・ジュディがヒロインで、キツネのニックとタッグを組んで事件解決をしていくバディもの。
本作もジュディが一方的にニックに助けられるようなことはなく、恋愛感情と仲間の感情が絡み合った独特のコンビで協力していく。
『モアナと伝説の海』
ヒロインのモアナは半神半人のマウイに助けられて冒険する。
マウイは力もあるし不思議な力も使える英雄だが、子どもっぽくてワガママだ。
当然ながら、2人が恋人関係になるわけでもなく、目的を達成するためのパートナーとして一緒に旅をするという、ある意味でドライな関係性でもある。
なによりも、モアナは島の危機に対してたった1人で大海原に出て、最後は島の人々を巻き込んだ決断をする。
彼女は「助けられる」から完全に脱却し、自らの行動で島の人々を救い、そして新たな行動へと移させるリーダーとして描かれているのである。
おわりに
この記事で、なんとなくディズニーが描く女性たちの姿の変遷がわかったのではないかと思う(だからといってなにかに役立つわけではないけど)。
あともう1つ、調べていて改めて感じたことがある。
ディズニーは女性向け、女性が楽しめる作品が多いのだが、たまに男性の方がウケがいい作品がある。
たとえば、『シュガー・ラッシュ』なんかは、見た感じファンシーな印象だが、鑑賞してみると綿密に張り巡らされた伏線を後半で鮮やかに回収していくので、一種サスペンスとしてもおもしろい。
そのうち、男性におすすめしたいディズニー映画をまとめてみたい。
今回はこんなところで。
それでは、お粗末さまでした。