本で死ぬ ver2.0

基本的には本の話。でもたまに別の話。

貧困ビジネスとしての奨学金~『「奨学金」地獄』のレビュー~

今回紹介する本はこちら。

 

「奨学金」地獄 (小学館新書)

「奨学金」地獄 (小学館新書)

 

 

子どもの貧困問題をきっかけに奨学金の底知れない闇を知り、奨学金の返済が困難な人々の支援活動をしてる弁護士の先生が書いた、奨学金の問題を分析した一冊。

 

とはいえ、「奨学金(・A・)イクナイ!!」というのは、それなりにニュースを見たりしている人なら、最近はよく耳にする言説だと思う。ただ、「どのくらいダメのか?」「ダメな原因はなんなのか?」など、詳しくは理解していない人が大半なのではないか。

 

返済義務のあるものを本来は奨学金とは呼ばない

 

本書で述べられている奨学金の最大の問題は、「奨学金を返さなきゃいけない(しかも利子をつけて)」ということである。「カネを借りてるんだから利子をつけて返すのは当然だろ?」と思う人もいるかもしれないが、それは厳密に言えば「学資ローン」であり、民間の保険会社などが本来は提供するものだ。引用しよう。

 

本来、奨学金とは返済の必要のない給付のことを言います。私は奨学金制度の視察に海外にも行きますが、外国の方に「日本はおもに貸与型奨学金である」と説明しても、おかしな顔をされます。というのも、貸与型奨学金という言葉が形容矛盾していて、外国の方には意味がわからないのです。奨学金(スカラーシップ、またはグラント)とはそもそも給付型であり、海外では貸与型はローン(スチューデント・ローン)と呼ばれて区別されます。

ですから、厳密に言うと、日本は公的な奨学金制度がない国だったのです。

 

いちおう補足しておくと、現在は国でも給付型奨学金が実施されるようになったが、申請が通るためには親の年収や学力など非常に高いハードルがあり、ほとんどの人は給付型奨学金の恩恵は受けられない。

 

日本の奨学金がなぜこのようなことになったのかというと、著者によれば、原因は1980年代からの構造改革と、2004年に日本育英会が「独立行政法人日本学生支援機構」に組織改編されたことに起因すると述べている。

その結果、奨学金の財源に民間資金が導入され、「効率的な運営」「奨学金の金融事業化」「有利子奨学金を強く勧める」「回収能力強化」などが勧められたのだ。その結果、この独立行政法人がやっている「奨学金事業」は、なかばお金のない学生や家庭を顧客にした「貧困ビジネス」であると著者は憤っている。

 

説明責任を学校に丸投げ

 

もうひとつの問題は、このように貧困ビジネス化している奨学金の説明責任を、日本学生支援機構が高校の教師に丸投げしている点である。引用しよう。

 

奨学金の窓口は事実上、在学中の高校または大学です。日本学生支援機構が高校や大学に受け付け事務を実質的に委託している形となっています。そして、担任や担当の教諭や事務局員が実際の事務を行って、生徒と機構をつないでいます。

実は、これは大変おかしなことなのです。

現状、奨学金の大半を占める第二種奨学金には利子がつき、かつ、金融の手法によって債権が回収されています。「出口は金融」と言われるゆえんです。また、これまで述べてきたとおり、制度や運用は極めて複雑で、一般の人には容易に理解できません。したがって、あらかじめリスクや制度の中身をきちんと伝える説明責任があるのは、教育の現場ではなく、債権者である日本学生支援機構にほかならないのです。

説明責任が果たされないまま奨学金被害を拡大させているのは、学生支援機構が金融事務を教育の現場に押し付けていることに、そもそもの本質的な原因があるのです。

 

ここらへんもよく問題視されるように、学校の先生というのは死ぬほど忙しい。授業をしながら部活の顧問をしたり、モンスターペアレントの対応したり、修学旅行や体育祭、文化祭などのイベントをこなす。そうしたなか、細かく制度が変わっていく奨学金制度をすべて理解し、希望する生徒一人ひとりにしっかり説明できるようにするのはちょっと現実的ではないわけだ。

しかも、学校の先生になっている人は、多くの場合、それなりの額の安定した給料をもらえている人たちである。つまり、奨学金を背負ったまま失業したりワーキングプアになってしまった場合の恐ろしさを肌身で理解できていない人が少なくない。だから、よくわからないまま、お金がない(しかもお金の価値がよくわかっていない)学生たちに、ほいほい奨学金を申請させてしまうのである。

 

 「受益者負担」の原則の呪縛

 

ではなぜ、日本では「貸与型奨学金」という意味がわからない方式がメジャーになっているのか。著者によれば、1970年代に台頭した「受益者負担」の考え方がベースにあるという。以下引用。

 

「大学や専門教育機関などによる高等教育を受けることは、自己投資である。なぜなら、高い学歴を得れば、将来よりよい仕事に就き、高い収入を得られるからである。だから、高等教育の費用は、そういった利益を得有れる人みずからが負担すべきである(そうでなければ、高等教育を受けない人との間で公平性が保てない)」

(中略)

高等教育を受けることで受益者になるのは本人だけではありません。企業は教育を受けた人材に支えられて成長するわけですし、日本社会も同様に国際競争力をつけていきます。そして、日本社会の現在そして未来を担う人たちを支えるのが教育です。つまり、企業や社会も受益者なのです。だとしたら、受益者負担の考え方によれば、社会全体が相応の負担をしなければならないのは当然のことではないでしょうか。

ただし、このように考えることにも問題がないわけではありません。

誰もが等しく教育を受ける権利(憲法26条)は、人として生きていくために欠くことのできない大切な基本的人権として一人一人に保障されているものであり、社会に貢献する人や、税金を多く収める人だけを支えるものではないからです。これはギブ・アンド・テイクで考えることではありません。

つまり、教育に受益者負担という考え方を持ち込むこと自体が誤りなのです。

 

これは本書の中に詳しいデータが載っているので、気になる人は読んでみて欲しいのだが、現在の日本は高等教育を軽視している国である。基礎教育は充実していて、国語算数理化社会など、本当に基本的な知識は教えてくれるが、それ以上のことは「自分の金で頑張れ」というのが基本スタンスだ。

これは日本政府が悪いというよりも、日本国民の大多数がそういう考え方をしていると思ってもらえれば間違いではない。高校の授業料の無償化は実現し、今度は私立高校の無償化などの話も進んでいるが、実際どのくらい現実味があるのかは、いまのところまだわからない。

一時期「シルバーデモクラシー」という言葉が流行ったこともあるが、実際問題、歳入が少ないのに医療や福祉でお金がかかるので、若い人の教育にお金を回す余裕がないらしい。

 

 

ここまで書いたが、奨学金は人によってかなり意見が分かれるところなので、付け焼刃な知識しかない私は本に書かれていた以上の内容に踏み込むことはやめておこうと思う。ただ、私の友人でも奨学金を借りて毎月少なからぬ返済に四苦八苦している人もいるし、少なくとも現在進行形で困っている人がいる以上、現在の奨学金制度に何ら問題がないというスタンスではない、ということは付け加えておく。

 

また、本書は現状の奨学金制度に対してとにかく批判的で、とくに学生支援機構を諸悪の根源のように扱っているような極端な部分があるが、本の場合、このくらいの極端さがあったほうがおもしろいと思うし、それだけ著者の熱量が文章から感じられる本は読んでいてなかなか楽しいので、決して悪い本ではない。

 

「奨学金」地獄 (小学館新書)

「奨学金」地獄 (小学館新書)

 

 

今日の一首

 

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92.

わが袖は 干に見えぬ 沖の石の

人こそ知らね 乾く間もなし

 二条院讃岐

 

現代語訳:

私の服の袖は沖のほうにある、引き潮になっても海面に現れない石のように

いつも濡れているんですよ。あなたは知らないでしょうけど。

 

解説:

「石に寄せる恋」という非常に難しいテーマを出されて読まれた歌。「石」と「恋」から「沖にあるのでいつも濡れている石」を連想するのがすごい。この歌は絶賛され、彼女は「沖の石の讃岐」と呼ばれるようになったとか。

 

後記

売れている本は、必ずではないがAmazonだと叩かれることが多い。最近、売れているのだがAmazon評価が低い本がこちら。

 

1日1分見るだけで目がよくなる28のすごい写真

1日1分見るだけで目がよくなる28のすごい写真

 

 

アスコムはこういう本を作るのが本当にうまくて、消費者のニーズをよくわかっている。もちろん、Amazonのレビューで書かれている「こんな本じゃ目は良くならない」という指摘は至極もっともなのだけど、しかし、この本が売れているというのは厳然たる事実であり、そこにビジネスチャンスがあることは間違いない。そして、そこにいち早く目をつけ、簡単そうに見える解決策を提示したこの本は間違いなく成功しているのだ。と思う。

 

今回はこんなところで。

それでは、お粗末さまでした。