本で死ぬ ver2.0

基本的には本の話。でもたまに別の話。

『保育園義務教育化』のレビュー~古市氏の主張の根底を勝手に分析する~

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徒花はお酒は飲まない(とういか、飲めない)が、タバコは吸う。スッパスッパ吸う。

もくじ

愛飲している銘柄はセブンスターの4mmだ。あまり吸っている人がいないのか、コンビニによっては置いていないところがある。ちなみに、ちょっと調べてみたが、Amazon楽天市場といったネットショップではタバコが販売されていない。理由はよくわからないが、こんな記事があった。ふむふむ

徒花もこれまで禁煙に挑戦したことはあるが、たいがい、途中で挫折する。なんで失敗するのかを自己分析してみると、「目的がないから」なのだ。なんのためにタバコを我慢するのか、タバコを我慢することによって自分は何を得ようとしているのか、それがあまり切羽詰ったものでないため、「別にいっか」と思って、また吸い始めてしまうのである。

ちなみに、禁煙のために効果的な本というとまずはこれをおススメされる。

読むだけで絶対やめられる禁煙セラピー [セラピーシリーズ] (ムックセレクト)

読むだけで絶対やめられる禁煙セラピー [セラピーシリーズ] (ムックセレクト)

 

しかし、徒花はまた天邪鬼なので、「絶対にこれがおススメ」とか言われると意地でも読みたくなくなる性分であるからして、こちらの本はまだ読んだことがない。今後、本当に、真剣に、禁煙するつもりになったら、読んでみようとは思っているが・・・・・・。

人はなぜタバコをやめようとするのか

さて禁煙に成功した友人の話を聞くと、「奥さんの妊娠」「子どもの出産」を契機にタバコをやめた人が多いようだ。さらに細かく聞くと「母子の健康を気遣って」か、「家計のために」という場合が多い。それぐらいの目的がないと、なかなか禁煙には成功できない、ということだろうか。とはいえ、これは徒花が少ない友人から聞いたきわめて個人的なものなので、「禁煙には切羽詰った明確な目的を持つことが大切だ」と主張するためのエビデンスとしては弱い。禁煙に関する調査データを調べてみても、このくらいしか出てこない。

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http://www.novartis.co.jp/press/newsletter/pdf/tobaccotax_survey.pdfより

このグラフから見逃してはいけないのが、「理由は目的とは異なる」という点。たとえばトップにある「タバコ税が増税になったため」というのは理由であり、目的ではない。つまり、「禁煙することによって自分が何を得るのか」が明確ではないから、禁煙に失敗する可能性が高いのではないかと推測できるわけだ。

「タバコ代がかかるため」というのも、目的としては薄弱。「禁煙で浮いたタバコ代でなにをしたいのか」が明確ではないから、この理由も禁煙を成功させるほどの効力を持ってはいないだろう。

禁煙に本当に大切なのは目的(だと思う)

これはなにも禁煙だけに当てはまることではないが、物事の成功を決定付ける要因のひとつは「その行動が受動的に始まったものか、それとも能動的に始まったものか」が影響しているのではないかと徒花は考えている。言い換えれば、「不安を原動力にしているか、願望を原動力にしているか」の違いだ。「~しなければならない」という思いよりも、「~したい」という動機のほうが、結果をきちんと出せるような気がするのだ。この主張を裏付けるエビデンスはないけど。

つまり、禁煙のための心構えとかテクニックとか役立つツールを調べるよりも、まずは確固たる目的を持つことが必要なのではないだろうか。そして、もし確固たる目的がないのであれば、ぶっちゃけ、禁煙する必要がまだないということなのかもしれない、とも考えている。こうして、私は今日も自分を肯定してタバコを吸う。スパスパ

ラマダーン禁煙(商標登録出願中)

余談だが、過去に私が試していた手法のひとつにラマダーン禁煙」というものがあった。イスラム教ではラマダーンと呼ばれる時期に断食を行う(誤解されがちだが、断食そのものはサウムといい、ラマダーンはあくまでその時期のことを指す名称である)。しかし、本当になにも食べないのではなく、太陽が昇っている間だけ、何も食べないのだ。だから、イスラム教の人々はラマダーンの時期、夜が空ける前に朝食を食べ、日が暮れてから夕食を食べる。

ラマダーン禁煙はこれをタバコに応用し、「日が昇っている間はタバコを一切吸わない」というルールを自らに課したものだ。いきなり吸う本数をゼロにするのは難しそうだから、吸う本数を減らしたい。そのために効果的なルールは難だろうかと私が考えた結果、思いついた施策である。

もちろん、いまも私は日が昇っていようがくれていようがタバコを吸っているので、失敗した。商標登録出願中もウソだ。誰かがこの名称を使って禁煙口座を開設して金を儲けようが、私は一向に構わない。

古市憲寿について

今日はここからが本題。こんな本を読んだ。なぜこの本のレビューで掴みのテーマを禁煙にしたのか、いまになっては自分でもよくわからない。

保育園義務教育化

保育園義務教育化

 

古市憲寿(ふるいち・のりとし)氏は1985年生まれ、まだ31歳と若い評論家だ。慶應義塾大学を卒業後、現在は東京大学の大学院に入り、「現代の若者」をテーマにした研究を行っているらしい。内閣の政策委員会にも参加していて、なかなかの活躍ぶり。

なんとなく写真を見て、ゲス極の川谷絵音氏に似てるように思った。あと、嵐の相葉くんにも顔の系統的に似てるように感じる。こんなことを書くとファンに怒られるかもしれないけど。あと、イタリアンシェフの川越達也氏にも似てるような気がする。

ちなみに、古市氏と川谷氏についてネットで検索し、出てきた以下のサイトで投票してみたら、「そっくり率」は75%ということだった。これが高いのかどうかは、よくわからない。というか、こんなサイトがあるのを初めて知った。検索してみるもんだ。

本書のテーマは幼児教育について……なのか?

話がわき道にそれたが、元に戻そう。古市氏の代表作は『絶望の国の幸福な若者たち』。いわゆる「現代のワカモノ論」としては、そこそこ売れた(ように記憶している)

絶望の国の幸福な若者たち

絶望の国の幸福な若者たち

 

ほかにも『働き方は「自分」で決める』では労働問題を、『誰も戦争を教えてくれなかった』では戦争をテーマにしている。

働き方は「自分」で決める (講談社文庫)
 

 

誰も戦争を教えてくれなかった

誰も戦争を教えてくれなかった

 

一見するとバラバラのテーマに思えるが、おそらくその根底に横たわっている問題的は「世代間の意識格差」だろう。そして、古市氏自身がまだお若いので、ワカモノ側を擁護する立場を取っているのが特徴的だ。

んで、今回レビューする『保育園義務教育化』である。こちらも、一見すると小学校入学前の子どもの教育問題について提言する書籍のように思えるが、これも根本的な部分を考えてみると、やはり「世代間の意識格差」が問題の根底にあることをうかがわせるところが多々ある。そこのところをきちんと把握していないと「教育の専門家でもないくせに……」といったちょっと的外れな批判をしてしまうことになるので要注意だ。

では以下、内容解説。

お母さんを人間扱いしよう

本書において、古市氏は日本の少子化がいかに深刻で、それに対して政府も、人々の意識もまだまったく足りていないことの危機感をあおりながら、まず問題として「現代の日本社会では母親が赤ん坊と別個の人格としてマトモに扱われていない」という問題点を指摘している。女性から母親になった瞬間、母親はすべての時間を育児に費やして滅私奉公するのが「当たり前」であるという認識が、子育ての付加を大きくしているというわけだ。その顕著な例が「ベビーシッターを雇うと周囲の人によい顔をされない」というような点である。

ほかにも「母乳教(赤ちゃんは絶対に母乳で育てたほうがよい)」「三歳児神話(3歳になるまで子どもはお母さんと付きっ切りで生活したほうがよい)」などを説明し、それらがいかに科学的な根拠に基づかない迷信であるか、そしていかに母親を苦しめる要因となっているかを主張している。

保育園はコスパが高い

子どもの幸せを願うのが親の常だが、その教育にお金をかけるとき、多くの人は「よい大学に行くこと」を重視している。しかし、古市氏が主張するのは、小学校に入る前の教育がいかに効果が高く、しかも(大学に比べて)費用が安いかということである。

教育といっても、べつに英語耳を作るとか、ソロバンを習わせるとか、そういうテクニカルな面ではない。「目標を持つ」「努力し続けられる」「感情を抑制できる」といった、すべての物事に取り組む姿勢の基礎となる「非認知能力」を乳幼児の段階でいかに育めるかが大切なのだ。そしてこの非認知能力を伸ばすためには、家族以外の他者と触れ合わせる機会を多く作り、早期に社会性を身につけることが求められる……という。

このあたりのことについては、以前に紹介した著書『「学力」の経済学』にもその内容が述べられている。

こうしたことから、古市氏は良い大学に通わせることよりも、よい保育園に通わせることのほうが効果が高く、費用が安い――すなわちコスパが高い、と述べているわけである。

なんで保育園を「義務化」するのか?

こうした論拠から古市氏は「保育園は無償化するべき」という考えを展開するが、「義務化」には論理がつながらない。ではなぜ、古市氏は「保育園無償化」ではなく「保育園義務教育化」を主張するのか?

その理由は、「そうしないと、後ろめたさが勝って保育園に預けることをしり込みしてしまう親がいるから」だそうだ。日本人の特性として、「お上が決めたことなら従わざるを得ないよね」という気風がある。上の世代にはまだ「三歳児神話」を信じ、ベビーシッターを雇ったり、子どもを保育園に預けて母親が働きに出ることを「かわいそうだ」と感じる人が多くいるようだが、法律で「義務化」してしまえば、個人に対する文句は出せなくなるだろう、というのが古市氏の考えである。

この考え、個人的には「なるほどなぁ」と納得できるところもあるが、同時に「これからの子どもは大変そうだなぁ」と感じてしまう。なぜなら、私は子どものころ、幼稚園が嫌いだったからだ。幼稚園に行くバスに乗るとき、泣き喚きながら抵抗した記憶がある。いまも変わらないが、私は基本的に集団行動が苦手だ。小学生くらいから週に一度くらい頭痛に悩まされ続けているが、おそらくその要因は「他人と長時間一緒にいることによるストレス」が原因ではないかとにらんでいる。しかし、物心つく前の保育園の頃から他人とかかわる環境に置かれていたら、こうした頭痛も感じなかったのかもしれないので、ここはなんともいえないところではある。

おわりに

徒花はまだ子育てにはぜんぜん興味がないので読み終わった感想としては「ふーん」位のものしか浮かばなかったが、本書は他にも「母性本能という言葉の誤解」「草食系男子が少子化を促進するというウソ」など、おもに年配層の人々が抱いている先入観にNOを突きつけるような言説がたっぷり載っている。言葉は端的でわかりやすく、適度に具体例を入れ、非常に読みやすい内容になっているので、本としてはなかなかの出来栄えなのではなかろうか。(若干、自分が出演しているテレビ番組のことを話題によく出すのが鼻につかないわけではないが)

ちなみに、古市氏は「ハーフは劣化が早い」「電話や手紙で依頼する人とは仕事できない」など、高知の人に負けず劣らず、いろいろと火種を起こす「燃やしもん」なので、他人事として見ているとなかなかおもしろい。本書執筆は、以下の発言がきっかけなのかもしれない。

それでは、お粗末さまでした。