LGBT関連本のレビュー
セクシャルマイノリティー、いわゆるLGBTの人たちの話題が去年はわりと話題となった。従来までの扱いの違いは、それまで「テレビの中にしかいない人たち」だったのが、「実際に自分たちの周りにいる人たち」に焦点が移ってきたことだろう。
とはいえ、まだまだ理解が進んでいるとは言いがたい。こんな発言もあったし。
別に彼らはLGBTの人たちに強い憎しみを持っているわけでも、意図的に弾圧したいわけでもない。ただ、彼らはLGBTが「生まれつきそういう性質を持った人々である」ということを知らないだけなのだ。だからこそ、彼ら自身、なぜ自分の発言が問題になっているのか、よく理解できていない。それはさながら、中世のヨーロッパにおいて身体障害者は悪魔の仕業と考えていた人たちと同じだから、これは仕方がない。彼らにとって、LGBTとはワケのわからないモンスターなのだ。
というわけで、彼らが社会的にモンスターから人間となるためには、多くの人々が彼らの知識を身につけなければならない。徒花は最近LGBTの人と実際にお話し、勉強する機会にも恵まれたが、実際にLGBTが周囲にいる人は少ないだろう(実際にはLGBTはすぐそばにいるかもしれないが、カミングアウトしてないことも多い)。というわけで、本を読んで彼らの心境を勉強してみよう。ちなみに、基礎的な知識は私が過去に書いたこちらのエントリーも参照のこと。
『男になりたい!』:コミックで一番読みやすいし、笑える
まずはこちら。著者の山岸ヒカル氏はトランスジェンダーで、FTMである。いちいち説明するのが面倒なので、著者の属性を次のように簡単に紹介していこう。
山岸ヒカル氏(FTM)
体の性別:女性
心の性別:男性
恋愛対象:女性
山岸氏は心の性別と恋愛対象はマッチしているので、男として女性が好きなわけだが、見た目は女性であるため、彼女ができてもレズビアンにしか見えない。しかし、当然ながらレズビアンではないので、そこらへんの誤解が大きいようだ。また、自分は男なのに、女子高に入ってスカートをはかざるを得ないことにも大きな違和感を抱いたりする。親がLGBTに対する理解がない分、子ども時代にかなり苦労しているようだ。むしろ、大学生になってある程度自分で自由になってからは、回りの理解も増えてきている。
ギャグも適度に入り、癖のないあっさりとした絵柄なので読みやすい。変に感傷的になっているわけでもないので、人を選ばず読めるだろう。ただし、オチ……というか、終わり方がちょっと尻切れトンボ。現在進行形でマンガ家の修行を行い、本書がデビュー作なので、ある程度は仕方がないところではあるが。
『ボクの彼氏はどこにいる?』:ちょっと時代が古臭い
石川大我氏(ゲイ)
体の性別:男
心の性別:男
恋愛対象:男
こちらの著者、石川氏はゲイである。先にトランスジェンダーの本を読んだからか、ゲイやレズビアンの人というのは、トランスジェンダーの人よりもまだ周囲からの理解を得やすいのかもしれない。たしかに、「男は女を好きになるもの」という常識に縛られ、石川氏は石川氏なりに思い悩むのだが、なにしろ「体と心の性別は一致している」わけなので、自分自身のことについての悩みはないわけだ。
ちなみに石川氏は1974年生まれで、思春期にインターネットの勃興期を体験しているために、ネットのすばらしさについて熱く語っている。たしかに当時、セクシャルマイノリティの人たちにとって,自分たちの仲間を探すためのツールとしてインターネットがいかに素晴らしいものだったかを伝えたいのはわかるが、それはあくまでも過去の話であり、あまり役に立つような知識ではない。
あ、ちなみにこの著者、豊島区の区議会議員選挙に立候補したらしい。んで、見事当選。現在では議員さんなのだ。
『ダブルハッピネス』:著者の経歴が特殊すぎぃ!
体の性別:女
心の性別:男
恋愛対象:女
マンガの山岸氏と同じく、著者はFTMのトランスジェンダー。やはりいろいろな苦労を経験しているわけだが、それよりもこの人、経歴が独特すぎる。まず、生まれが新宿区で、幼いときから歌舞伎町で遊びまわっていた。しかも、実家は「とんかつ茶漬け」が有名なあのすずやの創業者なのだ! つまり、けっこうなお金持ちだと思われる。
んで、幼少期からフェンシングを習い(フェンシングだと男女のユニフォームの違いがないから)、早稲田大学に入って最終的にはオリンピックの強化選手まで選ばれたものの、国際チームの中のドロドロとした人間関係が嫌になってドロップアウト、その後はバーテンダーの修行をしたり、現在では新宿を中心にNPO法人の活動をしたりしている。書籍の表紙だとただの小僧だが、最近の写真を見るとイケメンだ。↓
さて、肝心の中身だが、とにかくこのようにまず著者の経歴が異質すぎるのでまったく身近に感じられないし、それぞれの苦労がLGBTだから感じたものなのか、杉山さんの立場だから感じたものなのか、ちょっとよくわからなくなってくる。そしてなにより、現実感がない。同じトランスジェンダーで苦しんでいる人も共感できないし、セクシャルマジョリティの人もこれを読んでトランスジェンダーの人の気持ちが分かるようになるとも思えない。
つまり、誰に向けて何をアピールしたいのか、ちょっとよくわからない本になってしまっているのだ。ただし、評価できるのは恋愛対象者とのセックスに関することをしっかり説明していること。他の本だとその部分を完全に除いてしまっているのだが、杉山氏はためらいながらも、自身のセックス事情についてしっかりページを割いて説明している点には好感が持てた。
『ありのままの私』:パッと見はウザいけどすごく良い本
体の性別:男性?
心の性別:女性?
恋愛対象:女性
パッと見は女性向けの自己啓発書(しかも安っぽい)のようで、しかも女性装をした著者のカラー写真がいっぱいあり、私は嫌悪感を覚えた。しかし、読み終えてみると思った以上におもしろい。というのも、著者は一度は銀行に勤めた後、京都大学で研究にいそしみ、「日本が太平洋戦争に進んだ原因」とか「原発の問題」などなど、社会的ダイナミズム……つまり、社会心理学的なことを勉強しているので、書く内容がそれらのことに及んでくると、とたんにおもしろくなってくるのである。
ちなみに、以下は安冨氏のほかの著書の一部。
ジャパン・イズ・バック――安倍政権にみる近代日本「立場主義」の矛盾
- 作者: 安冨歩
- 出版社/メーカー: 明石書店
- 発売日: 2014/02/28
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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とくに、「立場主義」という主張が、安冨氏の象徴であるだろう。さて、安冨氏が自分の体の性別と心の性別の不一致に気づき始めたのはここ数年になってからであり、女性装(女装ではない)を始めたのは2013年とのこと。ちなみに、プロフィール部分に「?」がついているのは、ちょっとどちらとも断言できないと私が感じたからだ。(そもそも、このようにどちらかに区分けしようとすること自体、間違っているのかもしれない)
とにかく本書、単純に自分の経験を語っているのみならず、なぜセクシャルマイノリティを受け入れられない人がいるのか、国と文化による彼らの扱いの違い、性同一性障害という言葉の問題点など、かなりいろいろなことが語られているため、とにかくほかのLGBT本とは一味異なる本で、予想外に良い出来だった。やはり、人も本も、見かけだけで判断してはいけない。
『明るいトランスジェンダー生活』
佐倉智美(MTF)
体の性別:男性
心の性別:女性?
恋愛対象:女性??
さてこの方は塾の先生から女子大生になったという異色の経歴の持ち主なわけで、本書はその経緯をつづったものである。
しかし、思った以上につまらない本だった。初めてLGBTの人の本を読むのなら新鮮さがあるのかもしれないが、これまでに読んだ本の中で比較するととにかく全体が「個人の経験」の話になっていて、社会に対する問題提起とか、ほかのLGBTの人はどうやって生きていけばいいのかとか、セクシャルマジョリティの人にこういう理解を持ってほしいとか、そういうメッセージが一切見られない。とにかく独りよがりな内容で、なにがいいたいのか全然伝わってこないため、まったく買う価値はない。
文章そのものも読ませるほど技量があるわけではなく、冗長で読むのがなかなか億劫だった。そのうえハードカバーで値段は高い。良いところがない本である。
これはなにもLGBTの本に限るわけではなく、ブログもそうだと思うのだが、実際に自分が体験したこと、思ったことだけでコンテンツを作るのはなかなか大変だ。よほど面白くて珍しい体験をしているか、つまらないことで人を抱腹絶倒させるだけの筆力があるかしないと、個人の話で人の興味を引くことはできないだろう。
トランスジェンダーの人のほうが大変そうだ
いろいろと本を読んでみたが、当然ながら、LGBTとしてひとくくりにまとめられる人々も、それぞれ抱えている事情は異なる。特に難しいと思ったのはトランスジェンダーだ。ゲイとかレズビアンはまだ体と心の性別が一致しているから、少なくとも自分の中で違和感を抱くことはない。あくまで人との交わり、社会の中で、いろいろと苦労があるという話だ。
一方で、トランスジェンダーの場合、たとえ他人がいない無人島であっても、心の性別と体の性別が食い違っているから、それで自分が嫌になることもある。日常生活の中のちょっとしたところでも疑問に思ったり、違和感を感じて憤ったりするというのはセクシャルマジョリティーがなかなか経験できないことではあるが、世の中でLGBTが一般化すればするほど、ただその経験をつらつらと述べるだけではコンテンツとしては成立しなくなるのだろう。
ただ、特に『ありのままの私』を読んでいて「なるほど!」と思ったのは、すべてのトランスジェンダーが「体と心の性別を一致させたい」と考えているわけでもない、というところである。とかく、人というのは白黒はっきりつけて線引きをしたがるが、人によってはグレーゾーンにいたいことだってあるわけだ。ここは、同じトランスジェンダーである『男になりたい!』の著者、山岸氏と大きく異なる部分である。
100%の男/女は存在するのか?
LGBTについて語る際、よくいわれるのは「性はグラデーション」という表現だ。そもそも性別というのは「男/女」とハッキリ色分けできるものではない。それはセクシャルマジョリティーの人も同じである。たとえば、少年愛嗜好というのは、一種のゲイ的要素である。基本的には女性が好きだが、かわいい男の娘だったらちょっとムラムラするという人もいるだろう。男に対する究極の質問のひとつとして、「超不細工な女と、超きれいな男、どちらかとセックスしなければならないとしたらどっちを選ぶか」というのも、正直私は悩むところである。
そう考えると、この世に「100%の男/女」というのは存在するのだろうか? とも思えてきてしまう。誰しも心の中に体の性別とは違う側面を持っているものだろうし、そもそも男とはいえ、女性ホルモンがないわけではない。同じ男でも、体の毛深さには差があるし、女性でも骨格的には男性に近い人だっている。
結局のところ、LGBTの人々を「普通の人とはまったく違う種類の人間」とみると、そこで差別が生まれるわけだ。彼らはグラデーションが大きく男か女に偏っているセクシャルマジョリティの人たちよりも、ちょっと中心のほうに近い、つまり自分たちの延長線上にいる人々と考えると、どこでどのように線引きするのかということがあほらしく思えてくる。将来的にはLGBTという言葉すら、なくなるのかもしれない。
おわりに
徒花はどちらかというと「みんな同じ格好をして、同じことを考えるのは気持ち悪い」と考えてしまう人間なので(だから野球とかサッカーとかチームプレイができない)、LGBTのような人々はもっとそのままで生きられる社会であればいいと思う。だが、私のように考えていない人もいるわけで、そういう考えもまた必要だと思うのだ。みんながみんな、私と同じように考えているのは気色悪い。
だから私の考えに賛同するかは別にしても、本エントリーで少なからずLGBTの人々に対する理解が進み、こうした本に興味を持ってもらえれば、私はそれで満足である。
それでは、お粗末さまでした。