『プールの底に眠る』と映画『ハーモニー』のレビュー
「切なさ」という感情は不思議である。
もくじ
「怒り」や「喜び」が単純な感情だとすれば、「切なさ」は複数の感情が交じり合ったもうちょっと高度な感情のように思える。ネットの辞書などを見ると、切なさは次のように説明されている。
①(寂しさ・悲しさ・恋しさなどで)胸がしめつけられるような気持ちだ。つらくやるせない。
②大切に思っている。深く心を寄せている。
③苦しい。肉体的に苦痛だ。
④せっぱ詰まった状態である。
⑤生活が苦しい。
現代においてメインの用法となっているのは①だが、私は「悲しみ」「寂しさ」とともに、「そう感じていることの愉悦」が少なからず含まれているとき、その感情を「切なさ」とよぶのではないかと考えている。「悲しい」と「切ない」の違いはそこにあるのではないだろうか。
『プールの底に眠る』の概要
なんで切なさの話を冒頭にしたのかというと、今回レビューで紹介する本の帯の煽り文に「切なさの魔術師」という言葉があったからだ。たしかに、本書ではなかなか胸をしめつけられるような切なさがあった。
著者は白河三兎(しらかわ・みと)。ブログもツイッターもやっていないので、年齢も性別も出身地も分からない。本作は2009年に講談社のメフィスト賞を受賞したデビュー作である。メフィスト賞については以下の記事で説明した。
改めて簡単に説明しておくと、こんな感じだ。
「なんだよこの本! ミステリーかと思ったらぜんぜんミステリーじゃないじゃないか! 詐欺だ!!! しかもなんだこの文章は! 自己陶酔にまみれて読みやすさとかまったく意識されてないじゃないか!!! しかも奇をてらった読者置いてけぼりの仕掛けがしてあって意味が分からない! こいつはどこのどいつだ!! (プロフィールを見る)……なんだ、メフィスト賞受賞者か。なら仕方ないね」
というわけで、白河氏はいちおう推理作家で、本作もミステリーというジャンルにはいるのだろうが、いわゆる普通のミステリーではまったくない。本作の後も順調に新作を書き続けていて、とくに2012年に刊行された『私を知らないで』はなかなか話題になったようである。そのうち読もう。
あらすじと感想
次にあらすじをご紹介。
夏の終わり、エロ本を捨てるために裏山に昇った男子高校生「イルカ」は、そこで首吊り自殺をしようとしていた美しい少女「セミ」と出会う。30歳を目前にして、留置場の中で彼女との1週間を思い出すかつての「イルカ」の記憶がすべて思い起こされたとき、真実が現れた。
言ってしまえば、シナリオは単調だ。また、ミステリーなのかと思って読むと、そうでもない。変な作品ばかりのメフィスト賞作品の中でも、異彩を放つ一作である。例えていうなら、シュールレアリスムの展覧会の中にひとつだけ印象派の絵が入ってしまったような感じだろうか。もちろん、正統派の印象画ではないが。私の読解力が足らないせいか、結局、最終的に何がどうなったのかよくわからなかったのもちょっと残念なところであった。
切なさはたしかにあった
とはいえ、「切なさの魔術師」は必ずしも誇張した表現でもない。シナリオ的なおもしろさはあまり感じられなかったが、イルカとセミによる不思議な感情の交錯(たぶん、普通は恋とよぶもの)や曖昧な三角関係は読んでいてなんともキュンキュンする。そして不思議なことに、この切なさは物語の終盤、主人公が30前のオトナになると、いきなりなくなってしまうのだ。『君の膵臓をたべたい』もそうだったが、やはり淡い恋物語は穢れを知らないティーンエイジャーだからこそ成立するのだろう。いくら純朴でも、大人になったらもうダメだ。
ちなみに、主人公はクールでちょっと皮肉屋な、運動ができない文系の男子である。小説の世界だとなぜかこういう男がモテる。だが、聡明なる読者諸兄なら重々承知しているだろうが、こういうキャラクターを真似して現実世界で「別に俺は女の子に興味ないぜ」的な斜にかまえた態度をとっていると、まず間違いなくモテないので要注意だ。無論、福山雅治ばりに文句のつけようのないイケメンなら話は別だが。
映画『ハーモニー』の感想
書いていて思ったよりも話が膨らまないので、先日鑑賞してきた映画『ハーモニー』の感想も書いておこう。イマイチだった。
何がイマイチかというと、絵だ。まず、キャラクターデザインが好みじゃないのでぜんぜん女の子がかわいく見えない。特に唇に違和感がある……唇お化けやん! たしかに原作にも増してレズレズしい作品ではあったものの、あんまり私のリビドーは掻き立てられなかった。
それから、アニメにCGを組み合わせた手法も気に食わない。CGだからこそできるカメラワークはおもしろいものの、いかにも「CGだからこんなカメラワークができるぜ!」という制作側の意図が透けて見えるようで、なんとも浅ましかった。もちろん、新しい技術を取り入れて単調なアニメではない表現方法を模索していきたいという作り手の意志はわかるし、その姿勢は素晴らしいと思う。しかし、一消費者として作品を受容した立場から忌憚のない感想を言わせてもらえば「CGじゃないほうがよかった」に尽きるのは偽りのない気持ちなのである。
さらに言えば、終わり方も、小説よりも分かりにくいように感じる。『屍者の帝国』のほうが好みだった。音楽も『屍者の帝国』のほうがよかった。残念である。
ちなみに、私はこの3作品について、ちょっとした勘違いをしていた。てっきり
の順番で公開するのかと思っていたので、『虐殺器官』は見逃してしまったと思っていたのだ。しかし、実際には
が正しい公開順番だった。とはいえ、ここでなぜか『虐殺器官』の公開が延期となり、結局実際の公開順番は
になってしまったのである。ややこしい。
ただ、やはり順番的に考えれば『ハーモニー』は『虐殺器官』のあとに公開したかっただろう。なにしろ、『ハーモニー』は『虐殺器官』の後日譚的な作品なのだ。噂によれば、これは『虐殺器官』のアニメを担当していたマングローブが破産したことが影響しているらしい。。。
はっきりいって、『虐殺器官』がどんな話だったか、もうあんまり覚えていない。12月の公開前に、もう一度時間を見つけて読み直そうかしらん。
それでは、お粗末さまでした。