『美女と野球』のレビュー~名状しがたきものの強さ~
先日、初めてネットワークビジネスの勧誘を受けた。
もくじ
友人などから話は聞いたことがあって、「やる気はないけど、いっぺん勧誘されてみてぇなぁ」と思っていたのがようやく実現したわけだ。喜んだ私はこの出来事をブログにしようと書いてアップする気満々だった。
だが、そのエントリーはお蔵入りにしようと思う。答えは簡単、書いてみたらぜんぜんおおしろくなかったからだ。勢いに任せて書いてるうちは良かったものの、数日後に読み返してみたら「これ、別におもしろくないな」と気づいたのである。やはり推敲は大事。
というわけで、本日紹介する一冊はこちら。
こちらも本を詰めた段ボール箱をひっくり返していたら出てきた一冊だ。いつ、なぜ買ったのか、まったく記憶にないが、目に付いたので読んだ。
リリー・フランキーとはなにものか
リリー・フランキーという名前を多くの人は知っているだろう。名前を知っていれば、顔がすぐに思い浮かぶはずだ。あの、顔中の筋肉が弛緩してやる気のなさを目に見えるくらいの濃度で周囲に発散しているオッサンである。しかし、彼のことをまったく知らない人に「彼はどういう人物なのか?」と訊ねられて、答えられる人は少ないのではないだろうか。
すごーくざっくり言えば、彼はタレントだ。Wikipediaを見ると「マルチタレント」と紹介されている。イラストも描くし、文章も書くし、楽器も演奏するし、歌も歌うし、演技もするし、ラジオのDJもやるし、演出家や構成作家といった裏方に回ることもある。どれが本業で、どれを片手間にやっているのか、そういった区別がない。だから、「イラストレーター」「作家」「ミュージシャン」といった単純な肩書きでは、彼のことをうまく表現できないのである。
なにものでもない人々
最近、芸能人に限らず、リリー氏のように自分の活躍できるフィールドを複数持っている人が増えている気がする。会社員でありながらブロガーとしての収入も得ている人、ネットショップを運営しながら派遣社員として働いている人、イラストを書きながらカメラマンの仕事もやり造形作家として個展も開く人……などなど。要は、「収入源を複数もっている人たち」だ。
こういう「なにものでもない人々」は、これからも増えていくだろう。今後は、こういう生き方が主流になっていくのかもしれない、とすら私は感じている。終身雇用と年功序列が崩れ、国境が曖昧化し、テクノロジーが発達した現代社会において、この生き方が環境に適応しているように見えるからだ。
投資の鉄則のひとつにリスクヘッジ(リスクの分散)があるが、これと同じだ。複数の収入を持っていれば、もしどれかひとつが成り立たなくなっても、何とか生きていける。環境の変化によって求められる仕事が変わっても、それに対応しやすいのだ。会社が社員をしっかり守ってくれたかつての時代ならいざ知らず、今の時代、ひとつの収入源しか持っていないことのほうがよっぽどリスクが高い。偉そうに語っている私はただのサラリーマンだが。
彼らをハスターと命名しよう
私はこういうマルチな生き方に名前をつけたいと思う。とはいえ、「ハイパーメディアクリエイター(笑)」などと自称(自傷)すると胡散臭い人に見えてしまうので、もっとシンプルに「ハスター」でいこう。
これ、クトゥルフ神話に登場する旧支配者(グレート・オールド・ワン)の一員で、「名状しがたいもの(The Unspeakable One)」とか「名づけざられしもの(Him Who is not to be Named)」などと呼ばれる存在だ。ちょうどいい。リリー・フランキーはハスターだったのである。かっこいいなぁ!
とにかくだ、もしもこれを読んでいる人のなかに、たった一つの収入源に頼りきっている人がいるのであれば、それを分散することを考えたほうがいいかもしれない。ただし、多くの会社には「副業禁止」という古臭くて時代に即さないルールがあるので、副業でそもそもの仕事を失わないように気をつけてはほしいが。
エッセイストには向かない人
というわけで本書のレビューに入ろう。本書はもともと1998年に発売された単行本を文庫化したもので、リリー氏がいろんな雑誌に書いたコラムを寄せ集めたものである。エピソードも文章表現もなかなかおもしろいのだが、いかんせん私が若いせいか、ところどころに出てくる言葉の意味がつかみきれず、調べたりしていた。「ジャパゆきさん」「トロージャン」などなど。
そして、本書を読んでいるとリリー氏が本当にいろいろな仕事をしてきたのもわかる。イベントの司会者や舞台の脚本書きをはじめ、レコード会社を作ったりと。これだけいろいろやっているから、当然のごとく、リリー氏の周りにはいろいろな人が集まる。テレビだとただボヤッとしているやる気のなさそうなオッサンだが、そのイメージが若干払拭されるかもしれない。
また、リリー氏の著作といえば映画化もされた『東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~』が有名だが、本書にも母親(リリー・ママンキー)がガンになったエピソードが紹介されている。おそらくは、この本を読んで面白いと思った編集者がそこだけ抜き出して『東京タワー~』を書かせたのだろう。
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んで本書の評価だが、「つまらなくはないが、取り立てておもしろくもない」。そもそも、おもしろいエッセイを書くのは小説を書くよりも難しいと思っている。
おもしろいエッセイに必要な要素
そもそも、小説はまさに「無から有を生み出す創作活動」だが、エッセイは違う。エッセイは「過去の切り売り」であり、(若干脚色するにしても)事実をベースにしなければならない。つまり、おもしろいエッセイを書くためには「①おもしろい体験を沢山している」「②おもしろい考え方や感受性を持っている」「③文章そのものが読んでいて面白い」の、どれかの要素がなければならないわけだ*1。
たとえば先日紹介した棋士・先崎学氏の『今宵、あの頃のバーで』の場合は①の要素が強かった。もちろん、先崎氏は文章もうまいのだが、文章だけで読ませるほどの力量はない。だが、彼はプロ棋士としての日常という特殊な世界で生きているがために、一般の人では経験できない体験を沢山書けるのだ。くわしくは以下を参照のこと。
今回の本の場合、どの魅力も中途半端だった。たしかに普通の人がなかなかしない体験をしたり、クスッと笑える描写があったり、リリー氏の独特な哲学が入っていたりするのだが、どれも飛びぬけてはいない。リリー氏はもしかしたら「器用貧乏」なのかもしれないと思った。
純粋な文章のおもしろさなら、さくらももこが最強
③の条件が飛びぬけたエッセイはなかなかないが、私がいつ読んでも爆笑してしまうのはマンガ家、さくらももこ氏の初期のエッセイだ。
さくらももこ氏はほとんど、特別な体験はしていない。ごく普通の家に生まれ、ごく普通に学校に通い、ごく普通に大人になった。エッセイの話題も、多くが自分の幼少期のなにげない日常をつづったものだ。だが、これがどういうわけか、あり得ないくらいにおもしろい。独自の感性、文章のテンポ、言葉の選び方が絶妙にマッチし、笑いを誘うのである。ちょっと違うかもしれないが、テレビで芸人さんが「最近経験した出来事」で笑いを呼ぶのと似ているように思う。
ちなみに、『ちびまる子ちゃん』はさくらももこの幼少期をモチーフにしているが、いろいろと美化されている。このエッセイを読めば、さくらももこの幼少期、つまりリアルちびまる子がいかにクズでボンクラのロクデナシだったかわかるはずだ。母親から散々「おまえは絶対に将来、ろくな大人にならない」と叱られているが、そんな彼女の作品が国民的アニメとなって大金持ちになるというのは因果な世の中である。
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おわりに
冒頭の話に戻ろう。
私はネットワークビジネスに勧誘されたことを書こうとしたが、読み返しておもしろくなかったのでアップをやめた。先に述べたおもしろいエッセイの条件に照らし合わせれば、いずれをも満たしていなかったのである。私にはまだ、普通の出来事を面白おかしく書く能力は備わっていない。日々精進である。
それでは、お粗末さまでした。
*1:「おもしろくなくても売れるエッセイ」の条件としては「その人の日常生活・考えを知りたいと考えている熱狂的なファンが一定数以上居る」がある