本で死ぬ ver2.0

基本的には本の話。でもたまに別の話。

『今宵、あの頃のバーで』のレビューも兼ねて~久保利明流・振り飛車の捌き方~

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徒花は将棋も好きだ。

 もくじ

とはいっても、自分で指すことはまずない。もっぱら見るばかりである。しかしそれも、わざわざイベントなどに足を運ぶほどではない。日曜日の10:30からEテレで放送されているNHKテレビ将棋トーナメントを見る程度だ。個人的に、「この番組は世界で一番、『画面内の動きが少ないテレビ番組』じゃないか」と思っている。盤面が映し出されると、「放送事故じゃないよな?」と心配してしまう。

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NHK杯テレビ将棋トーナメント|NHK囲碁と将棋より

相手がいないのでなかなか指す機会がないが、じつは自宅には将棋盤もある。折り畳み式だが、マグネットじゃないやつだ。ほこりをかぶったままだが……。

居飛車振り飛車

さて、将棋の先方は大きく2つに大別される。飛車を自陣から見て右側に置いたまま攻める居飛車党」と、飛車を大きく左に移動させてから攻め込む振り飛車党」である(飛車を中央に置く「中飛車」も振り飛車の一種として分類される)。詳しくは以下のページも参照のこと。なお、その奇抜なキャラクターからテレビなどにもたびたび登場する生きるレジェンド・「ひふみん」こと加藤一二三(かとう・ひふみ)九段は生粋の居飛車党なので、人物的には好きだが戦法的には相いれない。

徒花は振り飛車党である。なんでかというと、飛車を右に置いたまま正攻法で攻め込むのが好きじゃないからだ。なので、好きな棋士久保利明九段である。

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棋士紹介:日本将棋連盟より

将棋界には振り飛車御三家」と呼ばれる人々がいる。藤井猛鈴木大介、そして久保利明だ。余談ではあるが、鈴木大介八段は将棋マンガのなかでは知名度が高い『ハチワンダイバー』の将棋を監修していて、ご本人も主要なキャラクターのひとりとして登場している。

さて、久保氏は別名「捌(さば)きのアーティスト」「カルサバ流」と呼ばれていて、駒の軽やかな捌きで知られている。「捌き」というのを将棋を全く知らない人に説明するのはちょっと難しいが、自分の駒を無駄なく活用して盤面を自分に有利な状況に仕上げていくことだ。

久保流・捌きの流れ

私が持っている久保氏の著書から、具体的に説明してみよう。

久保利明のさばきの極意 (NHK将棋シリーズ)

久保利明のさばきの極意 (NHK将棋シリーズ)

 

状況はこれ。ちなみに、盤の画面は「Kifu for Windowsというフリーソフトを使っている。ダウンロードはこちらから無量でできる。本を読みながら実際に盤面を動かしたい時に便利だ。

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さてここで、先手(手前)が振り飛車、後手(奥)が居飛車の戦型。振り飛車は基本的にこちらから攻撃は仕掛けず、相手の攻撃をかわしてカウンターを食らわせる戦法だ。そのため、しっかり自陣を固めつつ、さらに相手の出方をうかがう。もうちょっと進んだのが次の場面。

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ここでさりげなく「▲9八香」と香車をひとつ移動させているが、この一手が後々すごく大事になるので絶対に忘れてはいけない

さて、ここから後手はさまざまな攻め方ができるが、手堅く「△4二金上」と指してから「△8四銀」と、7筋を狙ってきたところまでを見よう。

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この場面で先手は「▲7八飛」と飛車を移動させる。振り飛車の場合、狙われている筋に飛車を移動させるのは鉄則だ。しかし、後手はそれでも構わずに攻撃しようとしている。「△7五歩」と歩を進めてきた。いよいよ開戦である。

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ここで先手が「▲同歩」と取るのはダメ。以下、「△同銀」「▲7六歩」「△8六歩」「▲同歩」「△同銀」と進み、以下のようになってしまう。後ろに後手の飛車が控えている状態で銀をここまで進ませてしまうのは厳しい。

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じゃあどうすればいいんだよ。ということで、ひとつ前の場面で先手は相手の歩を取らず、「▲9六歩」と指す。のんびりしているようにも見えるが、後手7筋の歩はそれ以上前には進めないので放置する。相手はいったん守りに転じて「△6四歩」。そこで先手が「▲4五歩」と突き出す。これは、のちのち4六の位置に角を打ち込むためのスペースを空けておくためだ。

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さてその後、後手は「△7二飛」と移動させて、7筋に戦力を集中させる。それに対して先手は「▲6五歩」と角道を空けて角交換を促す。以下、「△7七角成」「▲同飛」には「△7六歩」「▲同銀」を挟んで「△8八角」を打ち込まれる。

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ここで「飛車が取られちゃうよ!」と慌てることなかれ。冷静に「▲7五歩」と指して相手の飛車筋を止めるのが好手。それに対し、相手は「△7七角成」と容赦なく飛車をぶんどっていく。無論これは「▲同桂」で馬を取るが、後手は「△7五銀」と7筋をゴリゴリ攻めてくる。

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ここは「▲同銀」と取って、相手はもちろん「△同飛」。すっかり後手に7筋を攻略されてしまったかに見えるが、ここで先手切返しの一手が「▲6六角」である。

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さて後手の飛車は困った。桂馬を取ることも、6五の歩を取ることもできないので、仕方なく「△7一飛」と引っ込ませる。その隙に「▲1一角成」。これで後手にとってかなり嫌な場所に龍馬ができてしまった。しかも、相変わらず桂馬は守られている。

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後手にとってこの位置の馬は嫌すぎるので、「△2二銀」と指してナナメをふさぐ。これには素直に「▲1二馬」とかわす。すると当然、守りがなくなった桂馬を取りつつ「△7七飛成」。これは一見すると先手がピンチに見えるが、ここでとっておきの一手が「▲9九角」だ

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香車を9八に移動させておいたからこそ、先手はここに角が打ち込める。後手がここで竜を逃がせば、「▲2二角成」と自陣に相手の馬が2体もできてしまう(しかも王手だ)。とはいえ、この2枚目の角道をふさぐために9八の位置に打ち込める駒が飛車しかない!(歩は一筋に1つまでしか指してはいけないから) というわけで、後手はせっかく手に入れた飛車を犠牲に「△9八飛」。それを「▲同角」「△同竜」として、先手は飛車を無事に取り戻せましたとさ。

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しかも、後手の竜は8八という、うまく身動きが取れない場所に誘導されてしまった。さて、ここまで先手は後手の攻撃をかわしたり防いだりしていたばかりだが、いよいよカウンター開始である。口火を切るのは「▲2六香」。▲2三香成を防ぐために、後手は「△3一桂」で2筋を守る。ここで今度は「▲3一飛」。これで一気に形勢が先手に傾いてきた。

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仕方がないので、後手は「△6六角」と攻めにも守りにも使える位置に角を指すが、そこで「▲1一銀」がとどめ。

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この状態になったらもう先手の勝ちだ。もし後手が「△1一同銀」と銀を取りに行けば「▲2三香」「△同桂」「▲2一飛成」「△3三玉」「▲2三馬」でチェックメイト。後手がもうちょっと考えて「△9八竜」と守り要員を増やすために香車を取りに行っても、「▲2二銀成」「△同角」「▲2三香成」「△同桂」「▲2一飛成」「△3三玉」「▲2二竜」「△2四玉」「▲1三馬」「△2五玉」「▲3六銀」などで詰む。

この最後の図でわかるように、先手は持ち駒がゼロだ。つまり、取った駒は余すことなくすべて効果的に使い、盤面を有利にしていく。これが久保流の美しい捌き具合の一例である。

『今宵、あの頃のバーで』のレビュー

ここからはおまけ。ということで、以下の本を紹介していこう。

今宵、あの頃のバーで (将棋連盟選書)

今宵、あの頃のバーで (将棋連盟選書)

 

著者はプロ棋士先崎学九段。故・米長邦雄永世棋聖門下で、中学校中退を自称し、1987年にプロ棋士としてデビューした。

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小学生時代は「天才」と呼ばれていたが、羽生善治をはじめ、佐藤康光郷田真隆森内俊之など、現在第一線で活躍している人々にどんどん抜かされ、とくに同い年の羽生善治に対しては鬱屈とした感情を抱えていたようだ。とはいえ実力は折り紙つきで、2015年にはB級昇格を果たした。居飛車振り飛車のどちらの戦型も使うが、どちらかというと居飛車寄りだろうか。指南本も居飛車のものだし。

対居飛車 右四間飛車戦法(将棋最強ブックス)

対居飛車 右四間飛車戦法(将棋最強ブックス)

 

ただし、先崎氏としえば将棋界ではエッセイストとして有名。かなりの読書家で、ミステリマニアであり、解説の時にも話が脱線してそちらの方向に話がいくことがある。

www.youtube.com

実際、エッセイ集はいくつか出版していて、将棋の解説本とどっこいどっこいな冊数である。

フフフの歩 (講談社文庫)

フフフの歩 (講談社文庫)

 

 

先崎学の浮いたり沈んだり (文春文庫)

先崎学の浮いたり沈んだり (文春文庫)

 

 

先崎学の実況! 盤外戦 (講談社文庫)

先崎学の実況! 盤外戦 (講談社文庫)

 

今回レビューを紹介する『今宵、あの頃のバーで』もそうしたエッセイ集で、しかも週刊文春に毎週連載していたものの中から抜き出した話で構成されているものだ。基本的には自分の日常から、知られざる棋士たちの舞台裏、たまーに将棋の戦法のことなどを話したりしている。棋士という生活はなかなかハードなようだし、本人も語っている通り、棋士という人間もかなり変人奇人の集まりなようだ。

棋士ドラクエをやらない

本書の中からいくつか抜粋してみよう。

それと、下のはなしで恐縮だが、対局中は便通がよくなる。だいたいは昼食後、ウンウン唸っている時に、つるんと出る。昔よく、本屋に行くと大がしたくなるという、おっそろしくいかさまっぽい説があったが、それと一脈通ずるものがあるのかもしれない。

小、のほうはほとんどの棋士が近くなる。水をがばがば飲む棋士が多いせいもあるだろう。これも、なぜか終盤に多い。ある中堅棋士などは、終盤になると、ほとんど一手指すたびに席を立っている。

先日と同じバーへ行き、やけ酒をあおっていると、突然、郷田が「いけね」と叫んだ。

「お金ないんだ。困ったな」

「はあ? ないってどういうことよ」

彼は財布をゴソゴソ探って答えた。

「千五百円しかない」

まったく、何を考えているのだろう。将棋界のトップ棋士は変人が多いのである。

棋士には、ドラクエのようなロールプレイングゲームをわざと買わないという人間が多い。何かにハマった時に自分が制御できなくなるのをよく知っているからである。その瞬発力、集中力を、生産的なことに役立てられれば凄いことになるのだが、職業が職業だけに、どうしても非生産的なものに夢中になる傾向がある。

といった具合だ。あと、おもしろいのは、先崎氏に小説の「先見の明」があるというところ。たとえば、小林多喜二蟹工船や、バトル・ロワイヤル』『リアル鬼ごっこなどが人気になることを予測していたと主張している。本書の出版が2011年だが、驚くべきは最後の予測だ。

そして乾くるみさん。『イニシエーション・ラブ』という作品はすごい。

ご存じのとおり、この作品は2015年に映画化され、そのシナリオに仕組まれたトリックに多くの人が驚嘆して、原作も売れに売れた。これを4年前に予測していたのだから、たしかに小説に対する眼力もたいしたものである。本人いわく、データをまとめるのは苦手だが、「急所を見抜く」ことは得意であるらしい。

イニシエーション・ラブ DVD

イニシエーション・ラブ DVD

 

あと、出版に携わる身としては、以下のような考え方は非常に近しいものを感じる。

将棋指しという人種が幸福であるかどうかは、将棋などというおおよそあってもなくてもどうでもいいことをやり続けて、一応飯を食えるということに幸せを感じられるかどうかにあり、決して勝ち負けにあるのではない。

文章を書くということは、将棋を指すのと同じぐらい辛気臭いが、自分の思ったことが活字になるというのは恵まれているし、悪くない。将棋も文章も、世の中にあってもなくてもどうでもいいものであるが、ひょっとしたら私の指した将棋やこの文章が誰かに何かの影響をあたえているかもしれない。

これは私も同意だ。世の中にある本はあってもなくてもいいものだし、食べ物や電気などと違い、本がなくなったとしても人間の生きるか死ぬかにはまったく影響を与えない。そういうことを「どうでもいいものである」としっかり認識しつつ、それでも「自分が楽しいから」ということで一生懸命にやるのだ。やれやれ。

将棋の本は結構難しいものが多いが、先崎氏のこうしたエッセイ集は楽しく棋士や将棋の魅力についてわかる。気になる人は読んでみるといい。

おわりに

あ、ちなみに、先崎九段は3月のライオンの将棋を監修している。アニメ化と映画化が決まったということで、こちらもそろ注目が集まりそうだ。

3月のライオン (1) (ジェッツコミックス)

3月のライオン (1) (ジェッツコミックス)

 

個人的に将棋マンガでのおススメはしおんの王だ。こちらのエントリーでもアニメは紹介したが、コミックももちろんおもしろい。

しおんの王(1)

しおんの王(1)

 

ハチワンダイバーほど男臭くないし、3月のライオンほど情緒的でもない。サスペンス×将棋という異色のジャンルだが、絵柄がきれいで好みだ。主人公のしおんもかわいい。しかも、全8巻ですでに完結済みなので、集めるのにお金もかからず、さほど読むのに時間もかからない。オススメである。

そして今回のエントリーでは、以前からやってみたいと思っていた将棋の解説をやってみたが、すんごく疲れた。そもそも、本を読みながらパソコンで手順を打ち込み、「▲」とか数字とかを入力して分かりやすく解説するのはたいへん骨が折れる。もうちょっといろいろやってみたいが、気力・時間ともによほど余裕がある時じゃないとなかなか難しそうだ……。

 

それでは、お粗末さまでした。