『経眼窩式』のレビュー~ちょっと出来の悪い社会派ミステリ~
ミステリと言っても、いろいろなジャンルに細分化できる。そのひとつが「新本格」とよばれるものだ。
ミステリーを構成する要素は大きく3つに分類される。それが「フーダニット(犯人)」「ハウダニット(トリック)」「ワイダニット(動機)」だ。この中でどれを重視するのか、もしくはこれ以外に「青春」「ギャグ」「パロディ」「人情」「社会問題」を加えたり加えなかったりするのかによって、ミステリは細分化される。
そもそも元来「本格派」は「フーダニット」「ハウダニット」に重点が置かれた作品のもので、ミステリの黎明期から存在するジャンルだ。特徴としては、著者が読者に謎かけをする「読者への挑戦状」が付随されていたりする、などが挙げられる。とにかく「誰がどうやって殺したのか?」を突き詰め、アリバイトリックやギミックの趣向などを楽しむものである。ちなみに「本格ミステリ」という呼び方は日本独自のもので、海外では「パズラー」などと称されることが多い。
そして「新本格」はそうした本格派ミステリが廃れつつあった1980年後半ごろに一部のミステリ作家たちが「本格ミステリ」を再び盛り上げようとしたことがはじまりである。ここで、かつての本格派と区別するために「新本格」という名称が考案されたわけだ。具体的には、島田荘司氏が『本格ミステリー宣言』を刊行し、そこで「クローズドサークル(外界との接触が立たれた孤立した状況)」「登場人物はちゃんと全員最初に紹介する」「殺人は複数発生すること」といったルールを定めたのである。つまり、厳密なことを言うと、この定義に当てはまらなければ「新本格ミステリ」とはよべない。
そして何を隠そう、じつは私が初めて読んだちゃんとしたミステリこそ、島田荘司氏の記念碑的代表作『占星術殺人事件』なのである。この作品はあまりにも鮮やかで意表を突いたトリックが現在でも高く評価されており、おそらくは日本のミステリを代表する作品と言っても過言ではないので、たぶん日本人ミステリファンで本書の名前を聞いたことがない人というのはいないはずだ。
ちなみに徒花は、島田荘司氏のサイン入り『リベルタスの寓話』を持っている。ちゃんと実名で私に宛てられたものだ!
今回のエントリーの目的のひとつは、これを自慢するためである。うりうり。
とはいえこれ、直接島田先生にお会いしてもらったわけではない。昨年、広島県の福山市で開催された「島田荘司選 ばらのまち福山ミステリー文学新人賞」に参加した友人がわざわざ私の名前でサインをもらい、郵送で送ってくれたものなのだ! これは私の数少ない宝物のひとつであり、友人には感謝の念が堪えない。
fukumysより
植田文博氏について
んで、また前置きがやたら長くなってしまったが、今回読んだ本はこの賞に受賞した植田文博氏が表した『経眼窩式』である。友人は植田氏のサインも送ってきてくれたのだ。
とはいえ寡聞にして、徒花はこの植田氏の名前は知らなかった。というのも、植田氏はじつは本書がデビュー作であり、これ以外には今年の5月に刊行された『エイトハンドレッド』しかない。どうりで、サインもまだ初々しいはずだ。今後、活躍してくれればこのサインは価値を持つかもしれない。ただ、彼は1975年生まれらしく、デビューは39歳で、けっこう遅咲きである。
『経眼窩式』のレビュー(若干ネタバレ?あり)
というわけで、1年以上前に送ってもらっていたにも関わらず、ずっと部屋の片隅で積まれていた本をいまさらながら引っ張り出して一気呵成に読み切ったので、今回はそんな植田氏の記念すべきデビュー作『経眼窩式』のレビューを書いていこう。
ちなみに、タイトルとなっている「経眼窩式」とは、まぶたの裏側に器具を差し込んで骨を貫通し、脳みそをいじくる手術のやり方のことである。そのため、もちろん本書にも目玉の脇にドライバーのような危惧を突っ込んで脳みそをグチャグチャとかき回すようなシーンが出てくるため、そこの部分はグロテスクであることはまず伝えておこう。
なんのためにそんな手術を行うのかというと、これは「ロボトミー手術」を行うためである。これはかつて精神疾患の患者を外科的に治療するために実施されていた手術で、脳の前頭葉部分の回路を物理的に切断することにより症状を抑制しようという荒っぽい治療だ。ただし、これは患者の「人格変化」「無気力化」「抑制の欠如」といった副作用をもたらすとされるため、現在では禁忌とされている治療法だ。(ただし、あくまでも治療が目的なので、法律によって明確に禁止されているわけではないともされている)
ここで、私としてはなぜ本作が島田荘司氏の選ぶ新人賞に受賞したのか納得できた。じつは、島田氏も『溺れる人魚』という作品でロボトミー手術をテーマとした作品を発表しており、共通点があったのだ。
ここで遅まきながら、本書のあらすじをまとめてみた。
主人公・遠田香奈子は幼いころにある出来事で片目を失い、義眼をはめて働くOLだが、彼女はあるとき、蒸発した実の父らしき人物を発見する。調べてみると彼女の父は認知症を患っているようで、ボランティア団体に支援されてあるアパートで生活を送っているようだった。
そんな折、香奈子は合コンで偶然、不思議な雰囲気を漂わせる楡川隆也(にれかわ・こうや)と話をし、楡川の叔父も香奈子の父と同じような状況で同じマンションで生活していることを打ち明けられる。だが、楡川は彼らの世話をしているボランティア団体は堅気ではないといい、彼らがなにか悪事に加担しているともくろんでいた。
果たしてそのアパートではなにが行われているのか? 独自に調査していたフリーライター・甲本悠子や医師・杜若周一(かきつばた・しゅういち)などの思惑も絡みながら、香奈子と隆也は真相に迫っていく。
私はてっきり本作は「本格ミステリ」だとばかり思っていたのだが、違った。これはロボトミー手術に、医療費や生活保護、介護保険を悪用したいわゆる「貧困ビジネス」を絡み合わせて社会に問題を提起する風の「社会派ミステリー」だったのだ。私があまり好まないジャンルである。
さらに本作は痛ましい事件こそ起こるものの、いわゆるひとつの「殺人事件」というやつが発生しない! 密室もないし! 正体不明の凶器もない! 謎の怪人も出てこなければ! 言動が常軌を逸した名探偵もいない!! 内容的には「ハウダニット」に焦点を絞った作品といえなくもないが、あまりミステリーとしての面白さは見出せなかった作品であった。
さらに、「社会派ミステリー」としてもどうなんだろう、と思うところがあった。「貧困ビジネス」というテーマからは「格差社会の是非」とか「家族というもの」とかが問えるし、ロボトミー手術というテーマからは「人間の尊厳」とか「医療行為の妥当性」みたいなものも問えたはずだ。しかし、本書ではそうした問題提起はされず、単に物語を構成するための要素のひとつでしかなかったように思う。個人的には社会派ミステリーなら西村京太郎氏の『天使の傷痕』がおススメである。
また、本作がデビュー作であるから致し方ないとは思うのだが、やはり書き手の稚拙さがちょっと目立つ部分がある。具体的にいうと、作中で「ある人物」がロボトミー手術の実行犯ではないかと読者をミスリードさせようとする展開があるのだが、あからさまでわざとらしかった。あまり意表をつく物語の展開もなく、すべてがきれいに収まりすぎてしまっている感じだ。
とはいえ、文章は変な癖もなく、分かりづらいような箇所もないのでサラサラ読み進めていける。また、本作では恋愛要素も小さからぬファクターとしてかかわっているのだが、ドロドロとした大人の恋愛ではなく「高校生か!」と突っ込みたくなるような純朴なもので、それが脳漿飛び散る状況と異様なコントラストをなしていて、おもしろかったといえなくもない。ただし、『エイトハンドレッド』を読むかと問われれば、あまりその気は起こらない、というのが正直なところである。ロボトミー手術について知りたければ読んでみてもいいかもしれないが、それだったら『溺れる人魚』のほうがおススメだ。
なお、本作ではちょっとした端役で「御手洗」という人物が登場する。これはもちろん、島田荘司氏が生み出した名探偵・御手洗潔(みたらい・きよし)をオマージュしての命名だろう。
というわけで、お粗末さまでした。