妖艶な幽霊画絢爛~「うらめしや~、冥途のみやげ」展に行ってきたヨ!~
先日、所要があり、下北沢にある本屋B&Bに行ってきた。
本好きなら知っているかもしれないが、ここはカウンターでビールなどを頼むことができ、ドリンクを飲みながらゆっくり本を選ぶことができる本屋さんだ。もちろん、ノンアルコールのドリンクもあるので私のような下戸でも大丈夫だし、絶対に飲み物を頼まなければいけないというわけでもない。
場所は大きな通りを一本内側に入ったせせこましい道路の脇に立つ建物の2階にあり、一見すると入りづらい雰囲気を醸し出していれば、階段さえ登ってしまえばおそらくそんなことはないのではなかろうか。
扱っている書籍は小説から専門書までバラエティ豊かで、一般の書店ではなかなか目につかない珍しい本がそろっている。個人的にはそこで目にした『ゾンビの作法』がちょっと気になった。これは、「もしもあなたがゾンビになったら」という想定で、さまざまなゾンビのマナーを紹介しているおふざけ本である。イラストも豊富で、大変わかりやすい。買わなかったけど。
- 作者: ジョン・オースティン,兼光ダニエル真
- 出版社/メーカー: 太田出版
- 発売日: 2011/09/07
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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ちなみにゾンビと言ったら、『ゾンビサバイバルガイド』も気になっている。こちらは「もしも町にゾンビが現れたらどうやってサバイブすればいいのか」を真面目に紹介している本らしい。Amazonのレビューも、機知に富んだセンスのいいものがある。こういう人生においてまったく何の役にも立たない本が私は好きだ。買ってないけど。
「うらめしや~、冥途のみやげ」展について
んで、今回の本題は別にゾンビではない。東京藝術大学美術館で開催されていたこちらの展覧会に行ってきたので、その感想がメインだ。
「うらめしや〜、冥途のみやげ」展 ―全生庵・三遊亭圓朝 幽霊画コレクションを中心に―より
ただし最初に言っておくと、上のキャプチャー画面を見てもらえばわかるように、この展覧会は9月13日で終了している。そのため、もしこのエントリーで興味を持って行ってみたいと思った奇特な人がいたとしても、それはもう叶わない。幽霊だけに「ご愁傷様」だ。
私は初めて東京藝術大学美術館に行ってみたのだが、上野の美術館の中でもちょっと上野駅から離れた、奥まった場所にあるこじんまりとした美術館である。開催期間終了間近ということもあってか、狭い場所に人がわんさかといて、大変見づらかった。そもそもさほどキャパが大きいわけではないのだ。客層を見ると、案外若い人が多く、女性客も多かったように思う(美術展はどれも女性の比率が高いけど)。
三遊亭圓朝について
さてこの展覧会では江戸時代末期~大正初期にかけて活躍した、怪談話を得意とした落語家・三遊亭圓朝(さんゆうてい・えんちょう)の幽霊画コレクションをメインに、とにかく幽霊が描かれたさまざまな作品を集めた展覧会である。
私は落語は全然知らないが、調べてみると落語にもいろいろ種類があるらしく、圓朝が得意としていたのは人情噺や怪談といった、いわゆる「笑いをとらない落語」だったようだ。「三遊亭」というのは東京を代表する落語の流派「三遊派」が代々襲名する名前で、現在は6代目三遊亭圓窓(えんそう)という人が流れを継いでいる。
圓朝はそんな三遊派の創始者であり、大変噺がうまかったようで、敬意を込めて「大圓朝」とも呼ばれるようだ。そして、圓朝は落語家の大家であると同時に大の幽霊画コレクターでもあり、彼が集めた作品は圓朝の墓がある台東区の全生庵に保管されている。
ただし、今回展示されていた作品のすべてが全生庵蔵のものというわけではなく、福岡や京都、奈良など、全国の美術館が所蔵している幽霊画が一堂に会したもので、とにかくひたすら幽霊ばかりである。会場自体も暗く、雰囲気たっぷりでなかなかおもしろかった。
幽霊画の魅力
幽霊画といえば、おそらく一番有名なのは円山応挙だろう。下の幽霊画は、美術に疎い人でも一度は見たことがあるのではなかろうか。
日本の幽霊の最大の特徴は「足がない」ことだが、こうした表現を初めて使ったのが応挙である、とされている。ただし、応挙以前にも足がない幽霊画はあるという説もあり、これは定かではない。ただとにかく「足のない幽霊=応挙」というのが世間一般のイメージとして定着している。なぜ足を描かないのかというと、一説によれば、これにより「現世と幽世の中間に位置する存在」を表現しているとか。
もちろん円山応挙は幽霊画を専門に書いていたわけではなく、瀑布図(滝の絵)、雲竜図、雪松図なども描いている。ちなみに、上の絵は今回の展覧会で展示されていて、ほかにもいくつか応挙が描いた幽霊画があった。
ほかには先日、個別に展覧会が開催されていた河鍋暁斎の幽霊画もあった。むしろ、私としては応挙よりもこちらのほうが目当てである。応挙の幽霊画がどこか儚さを持っているのに対し、暁斎の幽霊は存在感が圧倒的に強く、絵の中から出てきそうな勢いがある。暁斎については以下のエントリーも参考のこと。
とくに個人的に気に入っているのは、下の幽霊画だ。
行燈の明かりによって照らされた幽霊だが、陰影によって「生者の姿」と「亡者の姿」がコントラストを織りなしている。そして瞳!! 生者側の瞳は伏し目がちだが、亡者側の瞳は鋭利な刃物のような鋭さを持ってこちらを睨みつけている。体全体は直立して動きがないが、まなざしだけでここまでの存在感を放たせるのはさすが暁斎であるといわざるを得ない。
あと素晴らしかったのは、明治~昭和に活躍した画家・上村松園(うえむら・しょうえん)の描いたこちらの一枚。
タイトルは『焔』で、六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)の生霊を描いた作品だ。六条御息所は『源氏物語』に登場する女性のひとりで、主人公・光源氏と恋仲になるのだが、光源氏の正妻である葵上(あおいのうえ)にひどく嫉妬し、彼女と車争い(牛車による場所の取り合い)などをしたうえで葵上を祟り殺した嫉妬深い女性である。
ちなみに完全に余談ではあるが、徒花は葵上こそ日本最古のツンデレではないかと思っている。葵上は光源氏が親の取り決めによって正式に結ばれた女性だが、葵上は光源氏よりも年上で、イケメン・ヤリチンであった光源氏にまったく媚びる様子を見せず、結婚しても冷たく当たるのである。しかし、死の床に駆けつけた光源氏の前でちょっとだけデレの部分を見せるのだ。まさに9:1というツンデレの黄金比(当方調べ)を徹底し、死ぬ間際までデレを見せない。たまらん。
上村松園はそもそも美人画を得意とした人なので、上の六条御息所から漂う妖艶さは見事である。絵そのものも実物はかなり大きく、見ていて迫力があった。
さてここで幽霊画全体の魅力についてだが、個人的には「感情の表れ」にあるのではないかと個人的には思っている。日本画に描かれている人物は表情に乏しいものが多いが、幽霊画の場合、そこに描かれている幽霊たちにはたしかな感情がある。もちろんそれらは「うらみつらみ」「嫉妬」「怒り」「悲哀」といったネガティブなものばかりなのであるが、そうした感情が前面に押し出されているのは幽霊画の特徴のひとつだろう。
川上冬美の『生首を抱く幽霊』
また、幽霊は生きている人間と比べると「人ならざる者」として描かれているので、やたらおでこが広かったり、目がギロリと向いていたりして、かなりデフォルメされている。これは画家によって表現方法に大きく差が出るところなので、ここがまた面白い。なかには幽霊に驚く人がちょっとコミカルに描かれているものもある。
月岡芳年の『応挙之幽霊』
おわりに
というわけで、本当はもっと夏の暑いころに行けばよかったのだろうが、なんとかギリギリでこの幽霊画展を見れて、徒花としては大変満足であった。幽霊画の魅力が少しでも伝われば幸いである。
というわけで、お粗末さまでした。