『これからの「正義」の話をしよう』のレビュー
「哲学」とはなんぞや?
これはなかなか難しい問いだが、ザックリ言えば「人間の精神、世界のありよう、理想的な社会を思考によって追及する学問」とでもいえばいいだろうか。じつはここ数年、じわじわと人々の興味が広がりつつあるジャンルなのではないかと徒花は勝手に思っている。たとえば最近だと、こんな本がヒットしている。
この本、税込み1,944円と決して安くはないのだが、ページ数があり、2色印刷で、かつ、ほとんどのページに書下ろしっぽいイラストがふんだんに使われているため、コスパ的には割高ではない。
どういう内容なのかというと、おもに西洋の哲学者たちがどういう主張を繰り広げてきたのか、そしてその中に登場する概念や専門用語はなにを意味しているのかを、基本的には1見開き完結で簡単に説明している内容である。まさにタイトルの通り、西洋哲学のあらゆることをイラスト化して集約した「図鑑」だ。ちなみに、プレジデント社の書籍編集部ではTwitterで「本日の哲学用語」と称して1日ひとつずつ一部を紹介していたりする。
本日の哲学用語(21)
— プレジデント社書籍編集部 (@President_Books) July 15, 2015
「人間は万物の尺度である」(プロタゴラス)
物事の判断や基準は個々の人間によって異なるという相対主義の立場に立ち、どんな問題についてもある見方とその反対の見方の両方があると主張した。
哲学用語図鑑p20 pic.twitter.com/E0CuCbdvFO
コンテンツ的に爆発的なヒットとなるようなものでもないので、この本の存在も知らない人はまったく知らないだろう。しかし、ほとんど哲学の知識がない人でも感覚的にわかりやすい本で、パラパラめくるだけでも楽しい。
おススメ哲学入門書
ただし、上の書籍はとにかくあらゆる西洋哲学者の主張を網羅し、多くの専門用語についても取り扱っている。そのため、本当に哲学の知識ゼロの人が読むと、あまりにも情報量が多すぎて「結局何がなんだかわからない」という読後感になってしまう可能性が高い。
というわけで、これから西洋哲学を本によって学びたいと考えている人に向けて徒花から入門書としておススメしたいのが次の一冊である。
表紙を描いているのは『刃牙』シリーズで有名なマンガ家、板垣恵介氏。
すでに見た目から普通の哲学書ではない雰囲気をプンプン醸し出しているが、中身は平易な文章で著名な哲学者および彼らの主張を簡潔にまとめたものとなっていて、大変読みやすい。最大のポイントは、主だった哲学者しか紹介していないという点だ。とりあえず哲学初心者が抑えておけば間違いない人を(おそらく)セレクトしているので、哲学を学ぶ取っ掛かりとしてはうってつけなのである。ちなみに、続編である『史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち』もある。
史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち (SUN MAGAZINE MOOK)
- 作者: 飲茶,板垣恵介
- 出版社/メーカー: マガジン・マガジン
- 発売日: 2012/03/14
- メディア: 単行本
- 購入: 6人 クリック: 23回
- この商品を含むブログ (14件) を見る
また、著者の飲茶氏は個人のサイト「哲学的な何か、あと科学」を運営していて、哲学以外にも量子力学、数学などをとってもわかりやすく説明しているため、なかなかおもしろい。暇をもてあます人はここに書かれていることを読むと比較的有意義に時間をつぶせるだろう。ただし、いいところで「続きは書籍で!」などの箇所もあり、最近はほとんど更新されてないような感じもあるので、あくまで暇つぶし程度に見るのがちょうど良い。
個人的に好きなディオゲネスの本
そんな徒花もまだまだ哲学を勉強中の身だが、古今東西に存在する哲学者の中でもお気に入りはディオゲネスである。あまりに皮肉っぽいうえに偏屈で、家を持たずに樽の中に住んでいたため、「樽のディオゲネス」と呼ばれ、さらに「狂ったソクラテス」とも呼ばれていた。
なんといってもおもしろいのは、数多くある面白エピソード。いくつか紹介しよう。
- アレクサンドロス大王がディオゲネスに会いに行ったところ、彼は日向ぼっこをしていた。大勢の供を連れたアレクサンドロス大王が挨拶をして、何か希望はないかと聞くと、「あなたがそこに立たれると日陰になるからどいてください」とだけ言った
- 「人間とは二本足で身体に毛の無い動物である」と定義したプラトンに、羽根をむしった雄鶏をつきつけて「これがプラトンの言う人間だ」といった
- 広場で物を食べているところを人が見て「まるで犬だ」と罵られたので、「人が物を食っているときに集まってくるお前たちこそ犬じゃないか」と言い返した
- ある人がディオゲネスに物を贈り、人々がその行為を褒めた。すると、ディオゲネスは「貰う価値のある私も褒めてくれ」と言った
- ある人がサモトラケ島の神殿に感謝の奉納が多いと感心していた。すると、ディオゲネスは「救われなかった人が奉納していたら、もっと多かっただろうね」と言った
かなりの毒舌である。ただし、これらのエピソードはどれも本当のものかはわからない。とくにディオゲネスはほとんど著作を残さなかったともいわれているので、こうしたイメージだけが一人歩きして形成されていった可能性があるのだ。
そんなディオゲネスをテーマにした本はあまりない。私が持っているのは以下の一冊だけだ。
ただしこの本、かなり本格的かつ学術的な内容で、哲学はもちろん世界史の知識もないとなかなか読み進めていけない。また、上で紹介したようなエピソードもほとんどない。じつをいえば、私も読み終えていない。というわけでもちろん、他の人にもおススメしない。この本はかなり上級者向けである。
『これからの「正義」の話をしよう』のレビュー(ネタバレあり)
とりあえずディオゲネスは置いておいて、最近徒花が読み終えたのが本書である。
これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
- 作者: マイケルサンデル,鬼澤忍
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2011/11/25
- メディア: 文庫
- 購入: 4人 クリック: 204回
- この商品を含むブログ (68件) を見る
マイケル・サンデル教授といえば2010年にNHKで放送された『ハーバード白熱教室』で一躍日本での知名度を高めた人物だが、そんなサンデル教授は哲学の先生であることを知らない人も多い。最初に紹介した『哲学用語図鑑』にも、ちゃんと現代哲学者のところでサンデル教授は紹介されている。
そんなサンデル先生の書いた本書は、少なくとも古典よりは読みやすい。そもそも、哲学というのはそのときの世相に大きく影響される。だから、本書の中でサンデル先生が提示する問題意識に対し、読者は首肯しながら読み進められるはずだ。
たとえば、先日ニュースになっていた東九州自動車道開通のためのみかん畑の強制収用もそのひとつだ。高速道を通すために提供する意思のない個人の土地を政府が強制的に取り上げていいのか、という問題である。これも、なにが「正義」なのかが問われる一件である(ただ、日本の場合はどちらかが強行して、片をつければなぁなぁで終わる便利な風習があるので、あまり問題意識は根付かないが)。読者はおそらくこういった案件と結び付けて、スムーズに本書の内容を理解していけるだろう。
しかし!
それも前半だけの話である。この本が「哲学書」であることを忘れてはいけない。序盤はたとえ話や現実の問題に即して功利主義や自由主義、史上原理主義などでは解決できない問題を提示していくが、中盤になると抽象的な言葉が多くなり、内容を理解するのに脳みそをフル稼働させなければならなくなる。導入部分で優しいと見せかけて案外難しい、まさにサンデル先生のテクニックである。
本書の理解を早めるためには、前もってサンデル先生が哲学者としてどのような主張を持っているのかをあらかじめ知っておいたほうがいい。
まず、サンデル先生はコミュニタリアニズム(共同体主義)論者である。これは、資本主義・自由主義と、共産主義・全体主義の中間のようなポジションとなっているもので、その名の通り、社会の共同体(コミュニティ)の伝統と重要性を主張する派閥だ。
日本を甦らせる政治思想~現代コミュニタリアニズム入門 (講談社現代新書)
- 作者: 菊池理夫
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2007/01/19
- メディア: 新書
- 購入: 6人 クリック: 81回
- この商品を含むブログ (35件) を見る
そのため、サンデル先生が本書の中で重視しているキーワードのひとつが「美徳」である。これは「道徳」といっても差し支えないだろう。こうしたものは法律で厳密に定めることはできないが、社会の中で多くの人が共通して持っている善悪の判断基準である。これを高めていくことが大切だという。まぁ、そのための具体的な方法はあまり提示されないし、まだ検証段階にあるようだが……。
なお、サンデル先生の論については私もきちんと理解したわけではないので、もしかすると誤解している部分があるかもしれない。同氏の考えについてはもっとくわしく、うまくまとめたブログがWeb上にはある。ここで紹介したいところだが、個人ブログの場合はやっぱりイチャモンつけられると面倒なので、どうしてももっと詳しく知りたい人はググっていただきたい。
というわけで、本書は案外読みにくい一冊である。サンデル先生が有名だからなどというハンパな覚悟で手を出すと、おそらく途中で投げ出すことになるだろう。幸いなのは本書は文庫版として発売されているため、金銭的ダメージやスペースをあまり圧迫しない点。とはいえ、本書が哲学書であることをゆめゆめ忘れることなかれ。決してエンタメ小説ではないので、最後まで読み進めるためにはそれなりの覚悟を要することは留意していただきたい。
とはいえ、「哲学」というと隔世的な印象を受ける人がいるかもしれないが、その本質的な目的のひとつは「どうしたらもっといい社会になるのか」という問いかけに対する答えを探すことにある。
現代の日本、および世界は、もしかすると資本主義、自由主義から新たなステージに移るその途中にある可能性もある。だからこそいま、勉強する価値は十分にあるジャンルといえるのだ。
というわけで、お粗末さまでした。