本で死ぬ ver2.0

基本的には本の話。でもたまに別の話。

諦めるのは努力するより難しい ~『人生を半分あきらめて生きる』のレビュー

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ここのところあまり仕事でうまくいかずに元気が出なかったのだけど、この本を読んだらちょっと心境が変化してきたので、改めて紹介したい。

  

人生を半分あきらめて生きる (幻冬舎新書)

人生を半分あきらめて生きる (幻冬舎新書)

 

 

読書メーターで調べてみたところ、この本の初読みは3年前、2016年のことだった。そのときの私の残した感想を読むと、「自分は本書を読む必要がない人間なのかもしれない」といった旨が書いてある。

 

いやはや、人間、時間がたてば考え方も感じ方も変わるもので、いまの心境になって改めてこの本を読んでいると、すごく腹落ちができると言うか、メンタル的に救われる部分が大きい。

 

本というのは、もちろん内容の善し悪しはもちろんあるんだけれど、人によって合う合わないがあるし、それこそ同じ人間だったとしても、どういうシチュエーションで読むか、どういう年令になって読むかによって評価がガラッと変わってきたりする。

 

だから、過去に読んで面白かった本がおもしろくなくなることもあるし、その逆も十分ありえる。

ということを、ふとこの本を通じて改めて実感した。

 

著者とヴィクトール・フランクル

さて、著者の諸富祥彦先生は明治大学の教授で、心理療法や臨床心理学なんかを専門にしている。

著書の中にはヴィクトール・フランクルを扱ったものが多い。

 

フランクル心理学入門―どんな時も人生には意味がある

フランクル心理学入門―どんな時も人生には意味がある

 

 

ヴィクトール・フランクルユダヤ系のオーストリアの心理学者で、ナチス政権化のドイツで強制収容所に入れられていた。

そのような状況でも人生に絶望することなく、自らが体系化したロゴセラピーという手法で耐え抜き、『夜と霧』の名著で知られている。

 

夜と霧 新版

夜と霧 新版

 

 

「あきらめる」のが難しい理由

本書で述べられているのは、まあタイトルのとおりなのだが、「人生、半分くらい諦めて生きてもいいんじゃない」ということだ。

 

この人生、「努力すれば報われる」などというのは真っ赤なウソで、いくらがんばっても、何ともならないことだらけです。多くの人の人生は、仕事も、お金も、恋も、結婚も、友人関係も、子育ても、思い通りにならないことばかりです。老いや病や突然の死も、ある時、否応なく襲ってきます。そして歳を重ねれば重ねるほど、また人生のある時点で一挙に、この「思い通りにならないこと」は増えていきます。それが、ふつうの人のふつうの人生です。多くの人は、顔では笑っていても、心のうちでは、何か「思い通りにならないこと」の一つや二つは抱えていて、その思い通りにならない現実を「ま、いっか」とあきらめ、割り切りながら生きているものです。

そんな、思い通りにならないことだらけの人生を、何とか生きしのいでいくためには、「がんばること」「あきらめないこと」ばかりでなく、それと同等か、ある意味ではそれ以上に、「じょうずにあきらめること」が重要になってきます。それは、「人生は、真っ白ではなく、といって真っ黒でもない、濁りきったグレーなもの」であるということを受け入れていく喪の作業です。

 

ただ、「あきらめる」というのは、その言葉以上に実践するのがメチャクチャ難しい。というのは、あきらめることには苦痛を伴うからだ。

「がんばる」ということは、その行為自体が免罪符というか、1つの言い訳になりうる。

そこには「うまくいくかもしれない」「成功するかもしれない」という希望が残っているからだ。

あきらめるというのは、そういう希望を捨ててしまうことだから、かなりきつい。

でも、がんばりを続けていると、やっぱりそれはエネルギーを使うものだから、長期間に渡るとやっぱりそれも苦しくなる。

そういうときにこそ、スッパリとなにかを「あきらめる」ことができると、すごく心が楽になってくる。

 

「半分だけ」というのがポイント

ただ、ここがポイントだと思うのだけど、人生において「すべてをあきらめる」というわけではない。

半分だけ、というのがミソだ。

すべてをあきらめると自堕落になり、犯罪に走ったり、最悪の場合、自殺という選択肢が浮かんできてしまう。

すべてをあきらめるというのは、いま、自分が持っているものすらも捨ててしまうということだと思うが、それは間違っている。

半分あきらめるというのは、自分がまだ持っていなくて、どうやらそれは手に入らなそうだというのがわかったものをあきらめるということだ。

「ま、いっか」と考えたり、だめな自分を受け入れたりすることを指す。

 

人生は読書と同じでいい

卑近な例を挙げれば、たとえばある本を読んでみたが、自分にとって難しすぎたり、おもしろくないと感じたら、そこで読むのを「あきらめる」のが正しい。

そこで「読み始めたんだから最後までがんばって読もう」とすると、「こんな内容も理解できない自分はダメなんじゃないか」「このおもしろさを理解できない自分には欠陥があるんじゃないか」という自己否定が始まりかねない。

まあ読書くらいでそこまで思いつめる人もいないとは思うが、結局の所、人生のあらゆることも読書と同じくらいの感覚で捉えちゃっていいんじゃないか、ということだ。

 

「なんか最近、しんどいなー」というの人は、読んでみると、少し救いになるかもしれない。

 

人生を半分あきらめて生きる (幻冬舎新書)

人生を半分あきらめて生きる (幻冬舎新書)

 

 

後記

ハリー・ポッターシリーズの位置情報ゲーム「ハリー・ポッター:魔法同盟」をやっている。

harrypotterwizardsunite.com

 

開発元は「ポケモンGO」と同じNiantic社で、そのため、マップ上のポイントなどは「ポケモンGO」とほぼ同じだ。

ネット記事などでは「『ポケモンGO』より難しくてハマりにくい」などというのもあるが、個人的にはけっこう楽しめる。

たしかに、用語がちょっとむずかしいし、「職業」とか「薬の精製」とか面倒くさいこともあるが、まあこれは慣れの問題だろう。

 

おおまかな物語としては、ファウンダブルというものがいろいろなところで問題を引き起こしているから、いろいろなところを歩いてその問題を解決してくれ、という流れ。

ゲームの内容としては、画面に支持された模様を指でなぞるものになっている。

やってみてわかったのは、なぞるときの正確さよりも、スピードのほうが重要だということ。

なぞり始めると画面上部のタイマーが減っていくので、ちょっと粗くてもいいからすばやくなぞると、高評価を得やすい。

 

まあ、ちょっとCGもリアルで、気持ち悪い虫とかも出てくるので、ポケモンほどは流行らないような気がするけれど。。

 

今回はこんなところで。

それでは、お粗末さまでした。