人を疑うのはコストがかかる ~『実験思考』のレビュー
社長の発言でなにかと話題になった幻冬舎だが、もちろん、いい本だってたくさん出ている。
もくじ
今回紹介するのは、起業家・光本勇介氏の初著書、『実験思考』だ。
本書に仕組まれた「価格自由」という実験
光本氏はWeb系の会社を立ち上げては売却したりを繰り返しつつ、「死ぬまでには誰もが知っているようなサービスを作ってみたい」という思いから動き続けている。
本書でおもしろいのは、内容というよりも、むしろこの本そのものの仕掛けだ。
プライム会員などでなくても、だれでもタダで読めるのだ。
しかも、紙の本も、定価は390円である。
これは本当に、印刷に必要な原価だけであり、つまり、この本を買っても出版社も著者もまったく儲からない仕組みになっているわけだ。
そのかわり、本にはQRコードがついていて、読者はQRコードからリンク先に飛び、そこで自由にお金を払うことができる。
つまり、「この本の価格は読者のみなさん個々人が決めてください」ということだ。
当然ながら、おもしろいと思った人は数千円~数万円(下手すると数十万円)払うかもしれないし、そうでないと思った人は1円も払わない。
この試みが、本書のなによりも醍醐味であり、著者が主張する「実験思考」を体現している。
多くのコンテンツは先払いが基本になっています。ライブだって映画だって本だって、おもしろかったらおもしろかった分だけ払うようになってもいい気がします。1800円の映画を観た後、500円くらいしか価値を感じない場合もあれば、1万円、 10 万円を払ってもいいようなときもあると思うのです。「価格自由」ですので、もちろん価値を感じなければ0円としてお支払いいただかなくても問題ありません。
当然、本を読んでいただいた後に誰もお支払いくださらないと、本が売れてもぼくはまったく儲かりません。売れなかった場合は、数千万円損をしてしまいますが、その分を読者の皆さんからの自由な価格でのお支払いで回収できるかの実験をしようと思っています。 皆さんからお支払いいただいているお金の総額はリアルタイムでQRコードから飛べるサイト上で公開させていただきます。
実際のところ、この試みは大成功しているようで、いまのところ2,000万円以上が支払われているようだ。
いまどのくらいのお金が集まっているのかは、以下のサイトで確認できる。
本の値段はどうやって決まっているのか?
私も編集者の端くれとして同じ業界にいるのだが、この試みは本当にすごい。
本の価格というのは、語弊はあるががけっこういい加減に決められているもので、印刷費とかデザイナー・ライターへの支払いとか、印税の前払いとか、正味とか、そういうものを勘案しながら原価率に沿って決められているわけで、要するに出版社の都合であるわけだ。
初版として刷る部数が多くなれば、1冊あたりの印刷費は安くなっていくので、絶対に売れるとわかっている本ほど価格を安くしやすい。
いわゆる専門書が高いのは、そもそもニーズが小さく、2000部とか3000部とか刷れないから、価格を高くしないと出版社がやっていけないという事情がある。
しかし、そうした裏事情を一切抜きにして、一読者としていろいろな本を読んでいると、やっぱり価格に見合わないないようの本があったりするのも事実だ。
たとえば定価は1400円だけど、ぶっちゃけ1000円でも買わないな、という本もあったりする。
本の値付けの難しさは、その本がどれだけの価値を持っているのかが人によって異なるのと、読み終わらないとその本の価値を判断できない点にある。
だから、世の中には、定価は1400円だけど読んでみると2000円出してもほしくなるような本も存在する。
そのような意味で、本書が実施した「価格自由」という実験的取り組みは、本の価値を読者に判断させるという意味で画期的なのだ。
人を信じてしまったほうがコストは安くなる
さて、そろそろ本の内容に入るが、ぶっちゃけ、後半のハウツー部分はまあ普通というか、さしておもしろいものでもないけれど、前半部分の光本氏のこれまでの歩みというのがおもしろい。
起業家と呼ばれるような人たちがどういう思考で事業を起こし、なにを考えて売却したりしているのか、ということが、そのときの状況を思い出しながら語られている。
もう一つ、光本氏が本書に仕組まれたような実験を行う根底にあるのが、「人を信じてみる」という性善説なところに由来するということだ。
ただし、別にこれは光本氏がお人好しだからそう考えているわけではなく、合理的な理由がある。
いま、ほとんどのビジネスが「すべての人を疑う」という前提で成り立っています。しかし「すべての人を信じる」前提でも成り立つと証明できたら、これからのビジネスが一変する可能性があります。
すべてのビジネスは「悪い人がいる」ことが前提になっています。
消費者金融だってそうです。「むじんくん」のようなボックスでも、すぐに貸してくれるわけではありません。
いろんな情報を入れたり、免許証を示したりして、「自分が悪い人ではない」ことを証明しないといけない。無人だったとしても、その裏にはかならず人がいてチェックしています。もらった情報をベースに「この人にはいくら貸せる」という判断をしているはずです。この判断をしている人の労力と時間はコストになります。そのコストはサービスに乗せられてきます。
世の中のあらゆるWEBサービスも「人を疑う」ことが前提です。悪い人がいることを前提に考えられている。「ログイン」もそうです。ログインして入るのは、悪い人がいるかもしれないから「本人チェック」をさせるわけです。
よって、そもそも「人を疑う行為」をなくしたら、相当なコストがセーブできるでしょう。統計的に、悪い人といってもおそらく100人に5人くらいではないでしょうか。
僕は「人を信じたい」と思っているわけではありません。
それよりも、ビジネス的な観点で、そのほうが儲かるのではないかと思うわけです。あたりまえを疑うことで世界の景色を変えてみたい。それを本当にマスのサービスに適用できるのならやってみたい。
本書では最後に、今の時点で光本氏が考えているさまざまな「実験」も紹介されている。
これからの社会がどう変わるのか、そのヒントを得られるかもしれない示唆に富んでいるので、ご興味あればご一読あれ。
後記
冒頭でちょっと述べた幻冬舎の社長の発言だが、出版界隈ではない人は知らない人もいるかも知れないので、ちょっと説明しておく。
そもそもの発端は、幻冬舎が昨年出版した、小説家・百田尚樹氏の『日本国紀』から始まる。
百田尚樹氏は『永遠の0』『海賊とよばれた男』などを生み出したベストセラー作家だが、思想がそもそも右寄りの人なので、いわゆる嫌韓本の類も出していて、ツイッターでの発言もわりと過激なことが多い。
いい加減に目を覚まさんかい、日本人!――めんどくさい韓国とやっかいな中国&北朝鮮
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んで、『日本国紀』に難癖をつけた津原泰水(やすみ)氏という作家さんがいる。
もともと『日本国紀』はWikipediaなど、ソースがあやふやな情報に基づいて書かれたものだという批判が起きていたのだが、そのことをけっこうバッシングしていたのだ。
その結果、津原氏が、「日本国紀に文句を言ったせいで幻冬舎から刊行されるはずだった本が出せなくなった」とツイッターで主張し、それに対して幻冬舎の社長・見城徹氏が反論した。
見城氏としては、そもそも津原氏の本はそんなに売れないから出さなかったに過ぎない的なニュアンスを匂わせたかったようだが、ここでさらに問題となったのが、幻冬舎がこれまでに観光した津原氏の書籍の「実売部数」を見城氏がツイッター上で公開したことなのだ。
誤解している人も多いが、「発行部数」と「実売部数」はまったく違う。
たとえば広告などで「10万部突破!」などというコピーが踊っていることがあるが、あれは発行部数のことだ。
つまり「10万部刷りました」という意味であって、「10万部売れました」という意味ではない。
(もちろん、「10万部刷ってもいいと出版社が判断したくらいすごく売れている本である」という意味ではある)
んで、じつは実売部数というのは、あまり著者にも知らされないものなのだ。
というのも、日本の出版社の場合、多くのところで「刷り部数印税」方式を採用しているからだ。
つまり、10万部刷ったとしたら、たとえ10万部売れなかったとしても、10万部分の印税を先に著者に支払うのである。
(なかには「実売部数印税」を採用している出版社もあって、そういうところは半年に一度くらいのペースで実売数を計算し、著者に報告して、その実売数に基づいた印税を支払う。そのほうが出版社としては支払う印税が少なくて済むが、これまで出したすべての本についてその計算をしなければならないのはものすごく手間がかかる)
そのため、そもそも著者も実売部数を知る必要性があまりないものだし、売れていない本だったとしたら、実売部数を知らせるのは忍びないというところもある。
(「初版5000部刷ったのに実売部数は300冊でした」というのはかなり言いづらい)
ただ、ここでの問題の本質は、いわば出版業界における「言ってはいけない」こととされる実売部数を見城氏が公にしたことと言うよりも、実売部数を公表することで津原氏に「売れない作家」というレッテルを貼って攻撃しようとしたのではないかという疑惑が持たれている部分だと思う。
私としては、実売部数を公表することの是非は別にしても、社員を抱える社長が下手をすれば脅迫と受け取られかねないかたちで実売部数を公表して作家を攻撃するのは、まあやっぱりよくないよね、と考える。
私は見城氏の書籍を何冊か読んだこともあるし、編集者としてはかなりすごい人であることは間違いないと思うので、こういうところでケチがついてしまうのはもったいないな、と思わなくもない。
今回はこんなところで。
それでは、お粗末さまでした。