本で死ぬ

基本的には本の話。でもたまに別の話。

「本を読む」とは何を指すのか? ~ 『死ぬほど読書』のレビュー ~

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こんなブログを書いているせいもあるだろうが、私にとって「読書とはなんぞや」というのはここ数年、ぼんやりと考え続けているテーマである。

 

もくじ

 
そんななか、こちらの本の献本キャンペーンをやっていたのでふと応募したら当たったので読んだ。

 

死ぬほど読書 (幻冬舎新書)

死ぬほど読書 (幻冬舎新書)

 

 

このブログと親和性を感じるタイトルだ。 


著者の丹羽氏はいろいろやってきたビジネスパーソンだが、端的に説明すれば伊藤忠商事の元社長さんである。読書家であり、自著も何冊も出している。御年80歳を越えたころだろう。


本書はそんな丹羽氏が「読書の効用」「読書の技術」を伝えている新書なのだが、端的に言えば、あまりおススメできない。理由はいくつかあるので、今回はそれを書いていってみる。


「読書」は本当に必要か?


まず冒頭において、丹羽氏は2017年に朝日新聞の掲載された大学生の「読書はしないといけないの?」という投書を紹介しつつ、「現代人は読書をしなくなっているが、読書は絶対にしたほうがいい」という持論を書いている。

 

「本なんて役に立たないから、読む必要はない」
そんな考え方をする人が少なからず出てきたということは、小さい頃から遊びも勉強も習いごとも、親や周りから、よかれと思って与えられた環境で育った人が多いことを表しているのだと思います。
与えられたもののなかでばかり生きていると、「自分の頭で考える」ということができなくなります。
自立した志向ができないから、たまたま与えられた狭い世界のなかだけで解決してしまう。読書なんてしなくていいという人たちの背景に、私はそんなことを感じます。


私はこの文章を読んで激しい違和感を抱いた。

なぜなら、本当に「自分の頭で考える」ことができないなら、「本なんてじつは読む必要ないんじゃないか」という、いままでの大人たちの常識を打ち破る発想なんてできないんじゃないかと思うからだ。

新聞に投書した大学生にしても、自分の確固たる意見を持ち、それをはがきなどに書いてわざわざ新聞に投書するなんて、非常に考えがしっかりして行動力もある素晴らしい若者じゃないかと思っちゃうのだ。

むしろ、私は「親世代が『読書は大事だ』といっているから自分も本を読んでいる」という若者のほうが、自主性がないヤツのように見える。(読書そのものが好きなら別だけど)

 

本以外でもいろいろ学べる世の中で


私の考え方を言わせてもらえば、現代においては本を読みたくないなら読まなくてもいいし、それでなにか……ビジネスなどにおいて差が生まれてしまうことはないと思っている。私の周りを見てみても、読書習慣のまったくない人間のほうが、変に読書好きな人間より大金を稼ぎ出して出世したりしているように感じる。


それは時代背景も大きいだろう。インターネットが発達する前は、たとえば業界動向や世の中のトレンド、業界のカリスマ的な人たちの仕事術を学ぶには、本を読むしか方法がなかった。

しかし現代は、本を読まなくても、ネットリテラシーが高ければ、もっと信頼性が高くて役に立つ情報を個人が自由に取捨選択できるからだ。


たしかに、本書で書かれているように、インターネットの言説は玉石混交なので、本人がウソや質の悪い情報を見極める目を持たなければならない。

だが、最近は日本でも実名を出してネットで発言するビジネスパーソンが増えたし、成功している人たちこそ、積極的に発言している。ゆるやか~にだけど、ネット全体の情報の信頼性は向上してきているんじゃないだろうか。

 

本だって選択眼が不可欠


また、個々の情報を自分で確認しなければならないのは「本選び」でもまったく同じだ。

現在、出版不況といわれながら、書籍の刊行点数は増え続けている。1冊1冊の本の売れ行きが悪いから、たくさんの本を出さないと売上が立たないのだ。そうすると必然的に、金を出して読むの価値のないクソみたいな本だって書店に出回る。


「本に書いてある情報は編集者などの目を通してあるから良質」というのは古臭い考え方で、いまはヘタなビジネス書よりも、ツイッターやブログを探せば、より最先端でわかりやすく、ためになることを書いている人がたくさんいる。しかもそれが無料で読めるのだ。


結局のところ、本が良くてネットがダメだという単純な構造ではない。自分で情報を取捨選択できない人間は名著を何冊読んでもダメだし、自分で情報を探して選別できる人間は、本なんか読まなくても人間的に豊かになる。

 

そもそも読書ってなに?


また、私が気になったのは、丹羽氏は「読書」をどのように定義づけているのかという点だ。

この本では電子書籍について一切触れられていないが、たとえば、氏の基準では次のようなものは果たして「読書」に該当するのだろうか?


・出版社が出した電子書籍(紙の本はなし)
・個人が出版した電子書籍
自費出版で出版社が出した紙の書籍
・Web雑誌
・noteなど、有料のテキストコンテンツ
・『小説家になろう』などにアップされているオンライン小説
・アプリで読む無料のコミック


私は、そろそろ「本」や「読書」という言葉のニュアンスが溶け出す時代に到来しつつあると思う。つまり、なにを以って「本」「読書」と断言できるかと考えること自体が時代錯誤的になってきているようにも思うのだ。


私がこの本で問題だと思うのは、この点が明らかにされないまま、実態のよくわからない「本」や「読書」を推奨している点にこそある。

 

本というメディアが今後10年の単位でどのように変わるかは私にもよくわからない。ただ、本書では「本の時代が復活する」と述べられているが、それだけはあり得ないだろうというのは予感できる。それはさながら「これからは自動車ではなく馬車の時代が復活する」と言われるような違和感がある。


まさしく、紙の本は馬車のようなものになるだろう。馬車は観光地や祭典など特別なシーンでは使われるかもしれないが、普段使いするには不便すぎる。


著者は本当にこの本を書きたかったのか?


また、私が気になったのは、この本のあとがきだ。

ぶっちゃけ、この本もすべて丹羽氏が書いたのではなく、ライターなり編集者なりが書いている部分があるとにらんでいるが(とくに「はじめに」は)、少なくとも「あとがき」は著者に自由に書いてもらうことが多いため、ここで本心が垣間見れるような気がする。


で、「あとがき」を読んでみると、なんだか本の内容にあまり関連しないことが書いてあり、この本を通じてどんな読者にどういうメッセージを伝えたいのかという熱意があまり伝わってこない。そのような先入観を持ってこの一文を読むと、どうしても私はうがった読み方をしてしまう。

 

最後になりましたが、この本は髙木真明さん、四本恭子さんの励ましと情熱なくしては完成しなかっただろうと思います。心より感謝いたします。


ひねくれた読み方をすれば、丹羽氏本人はこんなテーマの本を書くつもりはなかったけど、この2人に強く勧められ、いろいろサポートを受けてこの本は誕生しましたよ……という風にも受け取れる。


実際、本書の後半、とくに第6章なんかはあまり本とは関係のない丹羽氏の仕事観、人生観などが小見出しごとに脈絡もなくパラパラと書き連ねてあるように感じた。コラムを寄せ集めたようにも読めて、一冊の本としてまとまりに欠ける。


178ページの誤字


あと、私が気になったのはP178の誤字である。

 

音は「KY(空気がよめない)」、いまは「忖度」という言葉が流行っています。


文脈から推測するに、おそらく「音」ではなく「昔」が正しいのだろう。商業出版でも誤字はたまにあるが、この手の間違い方はOCR機能を利用したもの特有のものだ。

 

考えられるのは、丹羽氏が「原稿は手書き派」である可能性。編集者が手書き原稿を受け取り、それをスキャンしてOCRにかけ、そのときの読み取り間違いを見逃したまま出版したと考えられる。

 

本の内容には関係ないが、ちょっと珍しい誤字だったので、気になってしまった。

 

本書のここがすばらしい

 

まあ、あまりケチばかりつけても非生産的だし、せっかくこのエントリーを読みに来てくれた人も得るものがないだろうから、この本でよかった部分をちょっと抜粋してみる。

 

本棚を見れば、だいたいその人の関心の向きや知的レベルがわかるものです。りっぱな本がたくさん並んでいる書斎を見せることで、私はこういうレベルの人間です、ということを密かにアピールしているのでしょう。
これは、いうまでもなく虚栄心の一種です。
私にも虚栄心があります。たとえば、私の書斎の本棚はただ読み終えた本を端から順番に並べているだけのもので、とても人様に見せられる代物ではありません。
しかし、そうしたことをここで書くと、「私は上っ面の恰好にとらわれないスタイルでやっている」と、どこかで自慢もしている。
(中略)
虚栄心があるからこそ、人は成長しようとか、競争して勝とうといった気持ちが湧いてきます。
(中略)
その意味で虚栄心から本を読む事は、けっして悪いことではありません。知識を身につけてすごい人だと思われたい。みんなを唸らせるような知識を仕込んで恰好いいスピーチをしたい。そのような動機が読書の入り口にあってもかまわないと私は思います。

 

問題があるということは、懸命に生きている証です。
(中略)
「問題は人との関係であり、一人で解決するものでもない。他人への想像力と共感が、解決へと導いてくれる。問題がある限り、またそれを解決する答えも必ずどこかにある。問題があるとういうのは、生きている証だ。問題があることを喜べ」

 

今日の一首

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55.

滝の音は 絶えて久しく なりぬれど

名こそ流れて 猶聞こえけれ

大納言公任

 

現代語訳:

滝の音が聞こえなくなって長い年月が経ってしまっているけれど、

その名声は流れ伝わって、いまも栄華が語り聞こえています。

 

解説:

かつて嵯峨天皇離宮として人口の滝があった大覚寺を訪れた著者が、かつての繁栄に思いをはせ、諸行無常を詠んだもの。下句の「なこそ」「なお」という「な」を重ねた部分が美しく、のちにこの滝は「名古曾(なこそ)の滝」と呼ばれるようになったとか。

 

後記

 

コナン君の映画を見に行った。

 


劇場版『名探偵コナン ゼロの執行人』福山雅治主題歌 予告映像【2018年4月13日公開】

 

おもしろかった。コナン君の映画のお決まりのパターンといえば「新しい建物や乗り物が爆発する」というのがある。今回もやっぱり新しい施設と爆発はあり、そのルーティーンは踏襲するのだけど、肝心の事件の舞台はそこではない。

むしろ今回は、小五郎のおじさんが公安にしょっぴかれてしまい、その無実を晴らすという『逃亡者』みたいな(真犯人探しはコナン君がやるけど)物語になっている。公安、警察、検察といういろいろな組織が登場するほか、ITテロでネット用語もバンバン出てくるので、事件の概要をつかむのはちょっと難しい。

 

ただひとつ気になったのは、物語のキーパーソンになる人物の声優。あまりにへたくそだったので誰だと思ったら、大吉先生だった……。いやもう、大吉先生は演技が壊滅的にへたくそだというのはあのCMみればわかるわけじゃないですか。なぜそれであえて、こんなキーパーソンの声に採用しちゃうかが謎。

 


クリエイト TVCM | クリエイト転職 大吉♡みゆみゆ 転職篇

 

いやもちろん、この記事を読むあたり、本人やマネージャーも自覚しているようなので、いろいろ大人の事情があったんだろうけど、やっぱりあまりにも下手な人を重要人物で使うのは勘弁。

 

今回はこんなところで。

それでは、お粗末様でした。