本で死ぬ

基本的には本の話。でもたまに別の話。

50年前の「1秒」は現在の「1秒」とは違うし、未来はもっと違うかもしれないって話 ~『時計の科学』のレビュー~

f:id:Ada_bana:20180113233932j:plain

人はいつから「正確な時間を知りたい」と考えるようになったのか。

 

もくじ

 

 

 

時計の科学 人と時間の5000年の歴史 (ブルーバックス)

時計の科学 人と時間の5000年の歴史 (ブルーバックス)

 

 

この本によれば、そもそも誰が「時間」という概念を最初に考えたのかはわからないが、少なくともメソポタミアエジプト文明において、すでに太陽の光を利用する日時計が残されているので、紀元前4000~3000年ころには人間は「時間」を測っていたようだ。

 

本書ではその発端から現在に至るまでの「時を正確に刻むための技術」の進歩とその詳細について述べられている。

 

途中の内容はかなり時計の構造や部品・特徴についてマニアックに語られるだけなので読んで、特別おもしろいものではないかもしれないが、ところどころ興味深いことが書かれているので、本書から個人的に食指を動かされた部分を抜粋してまとめる。

 

原子時計の衝撃

 

どうも現在の最新式のものは、原子時計というやつで、2000~3000万年に1秒以内しか狂わない「泉型」セシウム原子周波数一時標準器を搭載したものも実現しているらしい。原理はこんな感じだ。

 

セシウムは、特定周波数の電磁波を当てると、原子核と基底軌道にある最外殻電子の磁気モーメントの相対的な向きが変化して励起状態になる特性を持っています。特に、セシウム133の原子は遷移が起きにくいだけではなく、「ラムゼー共鳴」を起こす周波数の範囲が、約92億ヘルツに対してプラス・マイナス20ヘルツと極めて狭く高い精度を発揮することから、「時計遷移」と呼ばれています。

 

うーん、わからんが、とにかくすごい精度なのだ。この時計の仕組みはすでにGPS衛星に搭載されていて、将来的にはサイズを小さくして、人間の腕時計もこの原子時計になる日が来るかもしれない。

 

時計が正確すぎて1秒の長さが変わった

 

そしてここからが本題なのだが、この原子時計はあまりにも正確すぎたため、「1秒」の長さを変えてしまったという経緯がある。

 

それまで、1秒というのは「1平均太陽日の8万6400分の1」という決まりだった。太陽日というのは「太陽が、ある子午線を通過してから再び同じ子午線を通過するまでの時間」のことだ。

 

これは1799年に決まったことで、その前提には「地球は誤差のまったくない正確な周囲で自転しているはず」という考えがあったためだ。

 

しかし、原子時計で測ってみたら、なんと、その基準であるはずの地球の自転速度に誤差・ブレがあることが判明してしまったのである。そのため、現在では1秒というのはセシウム133原子が基底状態で91億9263万1770回振動する時間」となっている。

 

私たちが知らないうちに、1秒という時間の長さは変わっていたようだ。

 

「正確な時刻」とはなにか??

 

しかも、この定義も、近い将来また変わるかもしれない。

 

というのも、日本が開発したイッテルビウム原子を用いた電子時計が、2012年に開催されたメートル条約会議で、新しい「秒」の定義の候補に採択されたからだ。また、将来的には300億年に1秒の誤差しかない時計も実現するらしい。

 

はっきりいって、ほとんどの人は「そんなに正確にしてどうするの?」という気持ちを持つと思う。たしかに実生活ではほとんど意味がないのだが、じつは、あまりにも正確に時間が測れると、1秒の定義が変わったように、今度は「時」の概念が変わり始めるのだ。

 

この技術的進化は人々の既成概念に、新たな課題を提起しています。一つは、「時刻」と「時間」の『時』が一致しなくなったことです。標準的な国語辞典によれば、「時刻」とは「時の流れの、ある一瞬」であり、「時間」とは「ある時刻と他の時刻との間」(『岩波国語辞典』)です。ということは、「A時刻に所要時間を足せば、必ずB時刻になる」はずなのですが、「うるう秒」の新設によって、必ずしもB時刻にならなくなったのです。

 

これまでは「地球の時刻」を基準にしていて、それと異なる時計は「ぶれている」と判断された。しかし、テクノロジーが発展した結果、じつは「地球時刻」のほうがズレていたことがわかったことで、人工の時間と地球の時間はかい離し、うるう秒では対処しきれなくなる可能性がある。

 

1分=60秒じゃなくなるかもしれない未来

 

それだけではない。時間をカウントする区切りまで変わるかもしれない。

 

メートル法で十進法が標準になっている度量衡の世界で「六十進法・十二進法」は障壁になるのではないでしょうか。IT時代に、コンピュータに余分な負担を1手間かけることは、プログラムを複雑化し、演算のスピードを落とします。

また、「六十進法・十二進法」の時間で、補助単位は十進法なのもおかしなことです。100メートル走で10秒30は10秒1/2ではなく、10秒3/10なのです。(中略)

電子・コンピュータ時代になって、秒以下の世界は急速に広まっています。分野によっては、秒以下の補助単位だけでデータのやり取りをすることも日常的です。

このような状況に鑑みると、次巻の単位がこのまま存続するのは、難しいように思えます。時計技術の進歩は、『時』そのものの大きな課題を引き出したようです。

 

そもそも時計が「六十進法・十二進法」を採用しているのは慣例的なもので、とくに合理的な理由があるわけではない。たとえば、将来は「1分=1000秒」とかになる可能性だってあるのだ。(慣れればその方が計算はしやすそうだけど)

 

私はSFも好きなので、「時間」というものにロマンを感じる。なぜかというと、時間はいまだ人類がコントロールできないものであり、それ自体が敵にも味方にもなりうる存在だからだ。概念としては、時間とは神に近いかもしれない。(しかも、神も時間も、人間が作り出したものである)

 

酸素がない世界はなんとなく想像がつくが、世界から時間がなくなったら何が起こるのは想像しがたい。とらえどころがない、厄介なものは、ロマンだ。 

 

今日の一首

f:id:Ada_bana:20180118121304j:plain

25.

名にしおはば 逢坂山の さねかづら

人に知られで くるよしもがな

三条右大臣

 

現代語訳

「会って一緒に寝る」という意味があるらしい逢坂山のさねかづら。

そのつるを手繰り寄せるように、人に知られずに会いに行く方法があったらいいのに。

 

解説

掛詞が3つあって、ちょっと意味が分かりにくい。

逢坂(あうさか)山 = (男女が)逢う

さねかづら = 小寝(さね)

くる = 来る & 繰る(手繰る)

 つるを手繰り寄せて会いに行きたいという表現はロマンチック。

 

後記

 

たとえば体重を減らしたい人に対するもっとも効果的なアドバイスは「食べ過ぎるな」「砂糖と油を控えろ」「野菜を食え」「夜は早く寝ろ」「適度な運動しろ」「毎日体重を量れ」「これを全部続けろ」などだ。

 

しかし、こういわれてもやる人は絶対にいない。正論を言われても実践できる人なんて世の中の1%もいないんだから、「本当はコレだけじゃ完璧じゃないけど、まあ現状よりはちょっとマシになるよ」という方法を伝えるのが、結局のところ世間的なベストな方法になりがちだ。

 

売れる実用書は、このバランスが絶妙なことが多い。正論を言い過ぎないようにしつつ、想定読者のレベルを鑑みながら、「現状よりちょっとマシになる」方法を押し出すと売れやすい。この「現状よりちょっとマシになる」というソリューションは、結構大事なことのように思う。

 

今回はこんなところで。

それでは、お粗末さまでした。