本で死ぬ

基本的には本の話。でもたまに別の話。

大きいオッパイはいつから「巨乳」と呼ばれるようになったのか? ~『巨乳の誕生』のレビュー~

テレビのニュースを見ていたら「年明けうどん」というものが紹介されていた。簡単に言えば、「年越しそば」と対になる言葉で、さぬきうどん振興協議会がうどんを買わせるために新たに根付かせようとしている行事である。

 

※今回のエントリーは一部、卑猥な画像が挿入されているので、いろいろ気をつけてください

 

 

もくじ


これを見て思ったのは、新しい言葉が生まれるとき、そのルートは大きく3つに分けられるのではないか、ということだ。

 

新しい言葉が生まれる3つの理由


(1) 必要に迫られて
(2) 必要ないけど意図的に
(3) (1)と(2)のミックス


(1)に該当するのは、いわゆる専門用語である。

たとえば来年あたり、カンブリア紀みたいな感じで、チバニアン(千葉時代)という時代区分が新たに加わる見通しだ。これは国際学会が千葉からお金をもらって、千葉県の観光産業を盛り上げるためにつくったわけではなく、細かく年代の名称を分けたほうがわかりやすいだろうという判断に基づいている。


(2)はすでに述べた「年明けうどん」のような言葉だ。人々の思考・行動・習慣を変えてお金をもうけたりするために、一部の人々が言葉を作り、それがメディアによって広まる。あとたとえば、先日の記事でも紹介した「ラッスンゴレライ」など、完璧にコレに該当する。


(3)については、どこで線引きをするのかがちょっとムツカシイ。私がこれに該当すると思うのは「NISA」や「スマートフォン」「プレミアムフライデー」などだ。


これらの言葉はそれまでの世界に存在しなかった概念・制度・コンセプトなので、従来の同じようなものと混同しないように「必要に迫られて」作られたといっても間違いではない。

 

ただし、従来の商品・サービスと明確に差別化をすることで新たなビジネスチャンスを創出しようとする意図もあるので、純粋な(1)ともいいがたい。実際のところ、世の中に広まった新しい言葉のほとんどは(2)や(3)だと思う。

 

じゃあ「大きいバスト」をあらわす「巨乳」はどうなのか?

ということで、この本である。(献本に当選してもらった一冊)

 

 

そもそもバストは性的嗜好の対象ではなかった

 

それまで、日本には大きな乳房そのものを表す言葉は存在しなかった。グラマーやグラマラスは、乳房だけではなく、全体的なムードやフォルムを表す意味合いが強い。そもそも乳房の大きさだけを描写すること自体があまりないのだが、あえて探してみると「豊かな胸」「豊満なバスト」など「豊かな」という表現が最も多く、他には「大きなオッパイ」や「もりあがった乳房」「偉大なるオッパイ」などが見られた。

 

そもそもの話だが、大きなオッパイが現在のように讃えられるようになったのはけっこう最近の話だ。少なくとも、江戸時代にはオッパイは愛撫の対象ではなかった。

 

オッパイは赤ちゃんのための器官であって、大人の男がオッパイを揉んだり吸ったりする習慣がなかったのである。(その証拠として、本書では喜多川歌麿の浮世絵などで乳首や乳輪に色がついていないことを挙げている)

 

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そもそも、春画は乳首を描いたものが少ない。

 

参考

性のタブーのない日本 (集英社新書)

性のタブーのない日本 (集英社新書)

 

 

終戦後、外人女性の大きなオッパイが襲来する

 

江戸時代末期には「オッパイ」という言葉あったが、これは胸そのものではなく「母乳」を意味する言葉として使われていて、現在のような意味が付加されたのは終戦後のようだ。

 

同時に、終戦後に欧米から、『にがい米』『ならず者』グラマーな女優が出演する映画などが輸入されたことで、少しずつ「豊満なバスト=魅力的」という価値観が広まっていったものと考えられる。

 

ならず者《IVC BEST SELECTION》 [DVD]

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(個人的には、オッパイが性的嗜好の対象として認知されることは、巨乳愛好家とそうでない人の差を生み出すという意味で文化的多様性の発展に寄与しているとは思う)

 

当初は、このようにグラマラスな女性たちは、田村泰次郎の小説『肉体の門』に由来して、「肉体女優」と呼ばれた。

 

肉体の門―田村泰次郎傑作選 (ちくま文庫)

肉体の門―田村泰次郎傑作選 (ちくま文庫)

 

 
「ボイン」革命


ただし、すでに述べたように、「肉体女優」という言葉はべつにオッパイだけを指しているわけではない。その意味で、この言葉は巨乳の直系の祖先とはいいがたい。

 

「巨乳」の直系の言葉として最初に誕生したのが「ボイン」だ。生みの親は大橋巨泉氏で、人気深夜番組『11PM』のなかでアシスタントとして出演していた朝丘雪路さんを表現したのが最初である。

 

――「ボイン」という言葉を発明されたそうですね。

そうなんです。同じ司会の朝岡雪路さんが隣にいて、自然と胸が目に入る。深夜番組ですから、話題にしないのは損。朝丘さんに「どうして、ボイン、ボインと出ているの?」と言ったように思います。それがウケて、「ボイン」は漫画や歌にも登場しました。

(『朝日新聞』2013年1月9日夕刊 人生の贈りもの 大橋巨泉インタビュー)

 

ただし、すんなりと大きな胸の女性が世間的に認められていったわけではない。1967年にツイッギーが来日し、70年代女性が社会進出を始めるウーマンリブ運動が始まると、スレンダーでユニセックスな体型の女性が持ち上げられたりもした。

 

Dカップ=巨乳の謎


その後、1970年代の後半になると「デカパイ」という言葉が広まり始める。とくに大亜出版(現・ダイアプレス)の巨乳専門誌『バチェラー』はこの言葉を多用したようだ。

 

BACHELOR  2018年1月号

BACHELOR 2018年1月号

 

 

やがて、80年代になると、大きなオッパイを表現する言葉が業界を席巻する。それが「Dカップ」である。とくにその拡散に一役買ったのがモデルの中村京子氏だ。胸の大きかった彼女は『平凡パンチ』のコラムで「Dカップ京子」を名乗り、吉本新喜劇や『ドリフ大爆笑』にも登場していた。

 

しかし、なぜ「Dカップ」なのか?

 

Dカップはアメリカのポルノ業界で使われていた用語だ。「Hone of the D-Cup」をキャッチフレーズとしている『ジェント』には、現在の爆乳クラスの巨大な乳房のモデルが多数登場している。これで、なぜDカップなのか。その理由は日本とアメリカのブラジャーのサイズ表記の違いだ。


本書では細かく説明しているのだが、すごくざっくり伝えると、アメリカではカップサイズを「AA」「A」「B」「C」「D」「DD」「DDD」「G」と表現してたためだ。『バチェラー』などの輸入ポルノ雑誌は当時、その表記をそのまま掲載していたので、「Dカップ=巨乳」という図式ができあがったのである。

(また、それ以外にも「ボイン」や「デカパイ」より響きがかっこいいなどもある)


巨乳の誕生


「巨乳」という言葉は業界ではたまに使われていたが、80年代半ばにはまだメジャーな言葉ではなかった。また、使われたとしても、それは外国人のポルノスターの形容に使われるに過ぎなかった。


「巨乳」が一気に広まるきっかけとなったのは、元号が昭和から平成に変わった1989年の2月、AV業界の風雲児と目されていた村西とおる氏がプロデュースしたAV女優・松阪季実子さんのデビューである。

 

 
あまりにも大きな彼女のオッパイはそれまでの言葉では表現しつくせないもので、ここからAV業界で「巨乳」というワードが頻発するようになる。1990年代には『週刊少年サンデー』で『巨乳ハンター』というマンガも連載が始まった。

 

巨乳ハンター 右乳編

巨乳ハンター 右乳編

 
巨乳ハンター 左乳編

巨乳ハンター 左乳編

 

 
さらに、90年代にこの「巨乳」を育てた人物が、イエローキャブ野田義治氏である。ちょうどこの時期は「アイドル冬の時代」で、その代わりにキャンギャルやレースクイーン、グラビアアイドルなどが数多く登場していた。

 

野田氏は「まず脱がせてから、徐々に着せていく」という戦略で、堀江しのぶかとうれいこ細川ふみえ雛形あきこ、山田まりや、小池栄子佐藤江梨子、MEGUMIなどを世に送り出していく。

 

「胸が大きい女性が魅力的である」という、じわじわ作られた価値観

 

このように「巨乳」という言葉は、従来の言葉では表現しきれない大きな女性のオッパイを端的に表現する必要性を満たす側面と同時に、男性たちの価値観を変容させて「大きなオッパイニーズ」を新たに創出させようとしてきた業界の人々の努力の結果であることがうかがい知れる。つまり、冒頭の3分類に当てはめれば(3)が該当する。

 

最近では「爆乳」「超乳」という言葉もあるが、現状を見る限りでは巨乳を基準点にした派生語という扱いなので、当面は巨乳に取って代わる言葉は生まれないようにも思う。

 

本書の欠点を2つ


さてこの本、大変おもしろかったが、不満な点が2つある。


1.もうちょっと著者のスタンスがほしかった

 

私がこのエントリーで書いた内容はごくごく一部で、本書はもっと具体的にさまざまな事例を紹介しながら、用語誕生のいきさつを説得力を持たせながら語っている。かなり入念なリサーチの末に書かれたものであることはよくわかるが、個人的にはもう少し「著者の色」がほしかったように思う。

たとえば、最近読んだこちらの本も傾向的には似通っている。

 

人類はなぜ肉食をやめられないのか: 250万年の愛と妄想のはてに

人類はなぜ肉食をやめられないのか: 250万年の愛と妄想のはてに

 

 
こちらは「なぜ人間は肉を食べるのか」という命題に対して、生物学的・社会学的・政治的なアプローチから分析を加えていく一冊なのだが、著者の主張は一貫して「人間は本来肉を食べるべきではない」というスタンスに基づいている。そのスタンスに賛同するかどうかは別としても、読んでいて、「なぜこの著者が、この本を書いたか」という目的が明確なのは好ましく感じる。


あとがきを読んで、じつは著者がそれほど熱心な「巨乳ファン」ではないということを述べているところからも感じたのだが、著者がどのようなモチベーションや目的意識を持って本書を執筆したのかはちょっと気になるところではある。

 

2.やっぱりビジュアルがほしい

 

すでに述べたとおり、本書ではいたるところで女優や作品名が出てくる……のだが、その女優の写真や作品のパッケージなどはページの中にほとんどない。いちおう、最後に「巨乳年表」としてAV作品のパッケージ写真が小さく掲載されているが、やっぱり該当ページに(できたらもうちょっと大きく!)ほしいところだ。


ちなみに、2016年には『痴女の誕生』も出版されている。

 

 

 


今日の一首

 

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2.
春すぎて 夏きにけらし 白妙の 
衣干すてふ 天のかぐ山

持統天皇

 


現代語訳:

春が過ぎて、もう夏が来たみたいだ。
夏になると干されるという白い衣が、天の香具山に見えるから。

 

解説:

季節の移り変わりを詠んだ歌だが、ポイントは「干すてふ」。「てふ」は「~といわれている」という伝聞表現で、じつはこの歌は『万葉集』におさめられたときには「春過ぎて 夏来たるらし 白妙の 衣ほしたり 天の香具山」だった。
天の香具山は天上から神様たちが降りてくる場所であるという言い伝えがあるので、あえて伝聞表現にすることで神秘的な表現を付け加え、情緒を増す狙いがある。

 

後記

 

オリエント急行殺人事件』を見てきた。

 


映画『オリエント急行殺人事件』予告B

 

私はエルキュール・ポアロといったらデビット・スーシェの演じるドラマのイメージが強いので、始まった直後は「ただのおじいちゃんじゃん!」と思ったが、だんだん慣れてきたし、全体的に悪くなかった。映画としても、変に新しいキャラをつけたり、アクションシーンを無理やり組み込んだりすることもなく、でも美しい映像で、ほどよい。

 

 

ちなみに、私も最初は気づかなかったのだが、家庭教師役で出演していた女性は、『スター・ウォーズ』のレイ役を務めるデイジー・リドリーさん。ジョニー・デップは相変わらずジョニー・デップだった。


今回はこんなところで。
それでは、お粗末さまでした。