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本で死ぬ

基本的には本の話。でもたまに別の話。

『平気でうそをつく人たち』を呼んで正義と悪を考える

社会

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出版社で働いていると、たまーに出版物の内容について一般の人から電話で問い合わせがあったりする。

(このエントリーは1万字くらいあって、かなり長いので注意!)

 

もくじ

 

その場合、2パターンがある。

①純粋に質問がある人

②質問にかこつけてイチャモンをつける人

だ。

不思議なことに、相手がどちらなのかは、声を聴いた瞬間にわかる。

もちろん相手の口調は丁寧だし、ヘンな部分があるわけではないのだが、なんというか、声質とか雰囲気で「あ、これはちょっとヤバめの人だ」というのを感じるのだ。

そういう相手だと私もちょっと身構えて、言葉尻を変に受け取られないように気をつけて喋ったりする。

 

『平気でうそをつく人たち』


それはともかく今回紹介する本はこちら。

 

文庫 平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学 (草思社文庫)

文庫 平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学 (草思社文庫)

 

 

精神科の先生が書いた「悪」についての本である。

とはいっても、ここでいう「悪」はシリアルキラーとかサイコパスなど、その異常性が明らかな人々を指しているのではない。

 

世の中には「邪悪な人々」がいる。

彼らは刑務所に入ることなく、ごくごく普通に、日常生活を送っていて、なにか法的な問題を起こすわけではない。

むしろ、彼らは社会的に成功を収めたり、理性的な常識人だったりする。

 

だが、彼らは「平気でうそ」をつく。
それは誰かを騙すためのうそではなく、自分自身を欺くためのうそだ。

ただし、場合によってはそれが自分のみならず、自分の周りに深刻な影響をもたらすこともある。

 

15歳の少年の抑うつ原因は?

 

著者のペック氏ところに、法律家のR氏が相談に来た。15歳の息子の成績が急に落ち、うつ状態のようだというのだ。

ペック氏が息子のロージャーと話をすると、確かに抑うつ的で覇気がない。

話を聞いていると、彼は「寄宿学校に入りたい」と希望を述べた。ロージャーは半年ほど前に両親にその希望を伝えたが、反対されて叶わなかったというのだ。

 

もちろん、そのことだけがうつ状態の原因とは思えない。

だが、ペック氏は本人の希望を叶えてあげるのは方法の一つかもしれないと考え、ロージャーを寄宿学校に入れさせてみてはどうかと両親のR夫妻に伝えた。

さらにペック氏は心理学者レブンソン博士の元でテストを受けさせてみたほうがいいと夫妻に提案したのだった。


しかしその後、再びR夫妻からペック氏に連絡が来る。

なんと、ロージャーが転校先の学校で盗みを働き、退学処分になりそうだというのである。しかも、その転校先の学校は本人が希望した寄宿学校ではなく、まったく違うキリスト教系の学校だった。

 

ロージャーから話を聞くと、彼は結局、心理学者のテストを受けていないという。

つまりR夫妻はペック氏の助言を無視して別の学校に彼を転校させ、心理テストも受けさせなかったのだ。

 

さらにロージャーの話から、ペック氏は驚くべき事実を知る。

ロージャーは学校の特別プログラムとして、放課後に知恵遅れ(本書の表現に準ずる)の子どもを助ける活動を積極的に行い、そのおかげでニューヨークで開かれる会議に学校代表として参加できるようになっていた。

 

にもかかわらず、R夫妻は「部屋を片付けていなかった」という理由で、ロージャーのニューヨーク行きを禁止したのである。

ペック氏はそんなつまらない理由でせっかくのニューヨーク行きをつぶしたR夫妻に憤慨したが、当のロージャーは「父や母は悪くないんです」とかばうばかりだった。

 

なぜR夫妻は指示に従わなかったのか?

 

こうして、ペック氏は再びR夫妻と話をする。
以下は引用する(読みやすくするため、適宜私が改行と太字を加えた)

 

 R氏が言った。
「たぶん、先生のアドバイスに従って、ご紹介いただいた先生のところに息子をやっておけばよかったと思います。(中略)
「どうして、そうしなかったんですか」
(中略)
「実はその、先生のお話しぶりでは、この問題は息子しだいだというふうにとれたものですから」
 R氏はこともなげにこう答えた。
(中略)
「それに、あの子の自尊心の問題も心配でした」
 婦人が口をはさんだ。
「ただでさえ学校の成績が悪いところに、心理学者の検査を受けさせられたとなると、あの子が自信を失ってしまうと心配したんです。自尊心って、あの年頃の子にはとても重要なものじゃございません? ね、先生……でも、きっと私たち、間違っていたんですわね」
 彼女は魅力的なほほえみを見せながらこう付け加えた。
 見事なものである。わずかな言葉で、二人が私の助言に従わなかったという問題が、私のロージャーのせいにされている。この問題について、二人と言い争ってもしかたのないことのように思われた。
(中略)

「盗みというのは、多くの場合、怒りの行動です。最近、息子さんが何かに怒っている、腹を立てているということはありませんでしたか。世の中に腹を立てているとか、学校やご両親に腹を立てているとか」
「私たちにわかることじゃございませんわね、先生」
 R婦人が答えた。
(中略)
「クリスマス休暇に、息子さんが知恵遅れの子供に関する会議でニューヨークに行くことをお許しになりませんでしたね」
「あら、そのことであの子が動揺してたんですの?」
 婦人が声を高めた。
「行っちゃいけないと申したとき、あの子はべつに憤慨しているようにも見えませんでしたけど」
「息子さんには、自分の怒りをどう表現したらいいのかわかっていません。それが息子さんの場合、大きな問題になっています。しかし、行ってはいけないと言えば、息子さんが憤慨するとは考えませんでしたか」
「そんなこと、わかりませんでしたわ。そういうこと、予想できませんもの」
(中略)

 

ここでのポイントをまとめよう。

・両親は自分たちが指示に従わなかったことについて、さまざまな屁理屈を用いて言い訳し、自分の行動を正当化している

・しかも、婦人は「自分たちが悪かったんですよね」と述べつつ、自分の好意を「仕方がなかった」ことで済まそうとしてる

・R夫妻は、「自分の息子がどう感じるか」を基本的に考えていないことがうかがい知れる

 

決して自分たちの非を認めようとしない夫妻

 

引用を続けよう。

 

「こうした雑談もけっこうなことだが、話を先に進めなければ」
 R氏が言った。
「なんとかしなければ、息子はほんものの犯罪者になってしまいます。(中略)
何か、もっと決定的にすすめていただくことはありませんかね」
「そうですね。ひとつおすすめしたいことがあります」
「何ですか、それは」
お二人に、治療を受けるように強くおすすめします。息子さんはひどく助けを必要としていますが、ご両親のあなた方も同様に、助けを必要としておられるように思います
 一瞬、死んだような沈黙が続いた。それからR氏がかすかな笑み、面白がっているような笑みを浮かべた。
「それは面白いですな、先生」
 彼は落ち着いた口調で言った。
「どうしてわれわれ二人が治療を必要としているのか、つまり、先生のお言葉ではそうなりますが、どうしてわれわれに治療が必要だとお考えになったのか、おおいに興味がありますな
(中略)
 自慢するわけじゃありませんが、私は自分の仕事ではかなり成功したほうだと思っています。家内も同様に、仕事では成功しています。もう一人の子供については、とくに問題もなくやっています。それに、家内は地域のリーダーにもなっています。都市計画委員会のメンバーにもなっていますし、教会の活動にも積極的に参加しています。こういうわれわれが、どうして精神的に病んでいるとお考えになったのか、ひどく興味がありますな」


「おっしゃりたいことは、病気なのは息子さんで、お二人は健全だとということですね。たしかに息子さんは、最も目につきやすい問題を持っておられます。しかし、まず第一に、息子さんの問題はご両親お二人の問題です。それに、私の見るところでは、お二人がこれまで息子さんの問題についてとってこられた対応は、すべて間違っています。
 息子さんは寄宿学校に行きたがっていた。お二人は、問題を深く考えもせずにそれを拒否された。
 私は息子さんをレブンソン博士のところに連れていくようにおすすめしました。あなた方はこの助言を無視された。
 そしてこんどは、息子さんが地域社会活動でほうびをもらったのに、そのほうびを受け取ることを息子さんに禁じた。それが息子さんにどういう影響を与えるか考えもせずにです。
 お二人が息子さんを意識的に傷つけようとしているとは申しません。しかし、心理学的に見てお二人の行動は、お二人が無意識の段階で息子さんに憎しみを抱いていることを示しています」

 

ここで見られるのは、またしてもR夫妻の自己正当化である。

つまり、「自分たちは社会的信用のある立派な大人であり、息子は情緒不安定な劣等生だから、自分たちが間違っている(精神的に病んでいる)ことなどありえない」という考えが透けて見える。

だから、この夫妻は「R夫妻に治療が必要だ」と述べたペック先生の発言を理解できないのである。

 

R夫妻の恐ろしい意図

 

引用を続けよう。

 

「ご意見をお聞かせいただき、ありがとうございます」
 R氏は、弁護士らしいなめらかな口調で言った。
「それが、先生のご意見ということですな。つまり、ほかの見方もできるということですな。たしかに、息子がほんものの犯罪者になろうとしているように見えるいま、ある程度の憎しみを息子に抱いています。それと、先生の心理学的見地からすれば、息子の行うどんな小さな悪事にも親であるわれわれに責任がある、ということになるのもわかります。しかし、人を非難するのはやさしいことです。息子に最高の教育を受けさせ、最も安定した家庭を与えるために汗水流しているわれわれとは、先生は違った立場におられます。いいや、先生は汗水など流したことがありませんな」
「主人が申しておりますことは」
 R婦人が議論に加わった。
「主人が言いたいことは、ほかにも原因があるんじゃないかっていうことです。たとえば、私の叔父はアルコール中毒でした。息子の問題は血筋を引いたものだという可能性もありますわね。つまり、ある種の欠陥遺伝子を受け継いだとか、私どもがどう扱おうと、結局、息子は悪いことをするといった」


 私は、恐怖の念がつのってくるのを感じながら二人の顔を見た。

「つまり、息子さんが治癒不能であることもありうると、そうおっしゃりたいんですね」
「もちろん、息子が治癒不能などと考えたくございませんわ。何かの薬、何か息子の治療に役立つものがほかにあると考えるべきですわ」
 婦人は静かな口調で言った。
「でも、先生のような専門医の方々が、あらゆる病気の治療法を見つけてくださるなんて期待できませんわね」

(中略)
私は、しばらく間を置くためにたばこの火をつけた。私の手はふるえていた。私は二人の顔を見た。
「いいですか。私が最も驚いたのは、お二人が、ご自身が治療を必要としていることを認めるくらいなら、ご自分の息子さんが不治の病を持っていると信じたほうがましだと考えておられる、つまり、息子さんを抹殺してしまいたいと考えておられるように見えることです

 

ここで、R夫妻からいよいよ決定的な「自己正当化」の言い訳が来る。

 

●ペック氏を批判し、ペック氏の診断が間違っている可能性を指摘する

●「R夫妻に治療の必要がある」という提案を「子どもの行為は親が責任を取るべき」と曲解して受け止めている

●息子が不良になったのは自分たちの責任ではなく、遺伝などが原因であって、つまりもうどうしようもないのではないか……という究極的な自己責任の否定、息子を放棄するような発言が出る

 

一連の夫妻の言動を見る限り、彼らにとって重要なのは「自分たちの体裁」である。

彼らがペック氏のところに息子を連れてきたのも、決して息子を治療してあげようという気持ちからではない。

そうではなく、「息子を慮っているすばらしい両親」を演じ、「自分たちは息子のためにいろいろ手を尽くした(けどダメだった)」というアピールをしているのだ。

 

邪悪な人々の正体

 

上のR夫妻のような人々を、著者のペック氏は「邪悪な人々」と呼んでいる。

彼らは一見すると善良で、まっとうな人々に見えるが、次のような特徴が見られる。

 

●基本的に「自分が悪い」とは思わず、問題の原因をほかになすりつける

●しかもその手口が巧妙で、「自分たちは最善を尽くした」風を装う

●相手の言葉や態度を自分たちが都合のいいように理解する

●彼らは相手の気持を考え、汲み取ることができない

 

もちろんR氏は社会的に成功している人なので、ビジネスシーンではしっかり相手の気持を読み、適切な行動を取れるのだろう。もちろん、法律を犯すようなこともしないはずだ。

だが、これが自分の子どもとなると、「自分の所有物」「劣った存在」と認識し、子どもの気持を汲み取るのを怠ってしまうのだ。

 

ちなみに、あなたが「邪悪な人間」かどうか、確かめる簡単な方法がある。

この文章を読んで、「もしかしたら自分もそういう一面があるかもしれないなぁ」と考えたなら、あなたはその時点で「邪悪な人間」ではないだろう。

邪悪な人間は「まぁ、自分は違うけどね」と無意識的に考え、他人事に捉える。

 

最強の「邪悪な人」

 

本書は上記のような、実際にペック氏が対面した人々のケースをいろいろ出しながら、世の中にたくさんいる「邪悪な人々」および「邪悪さ」について論じている。なかなかおもしろい。

特に個人的に非常に興味を持ったのは、ペック氏が完敗を喫したひとりの患者、シャーリーンについての箇所である。

 

シャーリーンは35歳のときに恋人と別れたことがきっかけでうつ状態となり、自らペック氏のところに来た女性だ。

しかし、結果だけ述べると、ペック氏は彼女を治療することはできなかった。それは、彼女が非常に、ある言い方をすれば「高度な邪悪さ」を持った人間だったからである。

 

彼女は上で説明した「邪悪な人」の例に漏れず、強いナルシシズムを持っていた。

例えば彼女はどんな仕事も長続きせず、職場を転々としていたが、それは彼女が職場のやり方に順応せず、「自分が正しいと思うやり方」に固執していたせいだった。

彼女は何か問題が起きたとき、必ずその原因を自らではなく、「自分以外の何か」のせいにしていたのである。

 

自らの邪悪さを認識しつつもその行為を続ける女性

 

しかし、ここが彼女の「高度な邪悪さ」なのだが、彼女は自らがこうした考え方をしていることを自ら認識しているのである。

そして、認識した上で「それでも周囲が自分に合わせるべき」だと主張する。そしてその奔放な行動は、たびたびペック氏を困惑させるのだった。

 

彼女は非常に高い知性を持っていて、検査した心理学者は「戦艦ですら撃沈させるほどのIQの持ち主」と語ったほどだ。

しかし、彼女は明らかにその知能を社会一般での成功に生かせず、苦しんでいた。

以下、引用しよう。

 

「シャーリーン、君は世の中に混乱と困惑を撒き散らしているし、この治療の最中にもそうしている。これは、たまたまそうなったにすぎないと君は言ってたけれど、君がわざとそうしているということは、いまでははっきりしている。ただ、なぜ君が意図してそういうことをするのか、私にはまだわかっていない」

 私は彼女に言った。

「面白いからです」

「面白い?」

「ええ。先生を困らせるのが面白いんです。いつかもお話ししたように、私に支配感を感じさせてくれるからです」

「しかし、真の能力から生じた支配感を感じるほうが、もっと面白いんじゃないかな」

 私は反論してみた。

「そうは思いません」

「君はそうした楽しみを、他人の犠牲のうえに得ている。それがいやになることはないのかな」

「いいえ。私がほんとうにだれかを傷つけたのなら、そういう気持ちににもなるでしょうけど、私はだれも傷つけてなんかいません。そうでしょう?」

 たしかに、シャーリーンの言うとおりである。私の知る限りでは、彼女はだれかをひどく傷つけたということはない。ただ、まわりの人たちをうんざりさせているだけである。そしてそれが、彼女自身を傷つけている。どうして彼女には、そういうことが楽しいのだろうか。この点を彼女に追求してみる必要があるように思われた。

「君の持っている破壊性はどうというほどのものじゃないかもしれない。それでも、何かよくないもの――君がそれを楽しんでいるということに、何か邪悪なものがあるように思えるけどね」

「そう言うだろうと思ってました」

 シャーリーンはこともなげに言った。

「信じられないよ、君っていう人は」

 私はこう切り返した。

「君が邪悪な人間だって、私は言ってるようなもんだぜ。それなのに君は、まったく動揺した様子も見せない」

「どうすればいいって、先生はお考えなんですか」

「まず、自分が邪悪な人間かもしれないということで、いやな気持ちになるはずだ」

「このへんにいいエクソシストはいないかしら」

 シャーリーンは唐突にこう質問してきた。こんな質問が出るとは、私はまったく予想していなかった。

「いや」

 私はぎこちなく答えた。

「動揺すればどうなるっていうんですか」

 シャーリーンは陽気にこう言った。

 このとき私は、おそろしく手ごわい相手と戦って大敗を喫したボクサーのように、ほとんどパンチドランカーになったようなめまいを感じ、退却してしまった。

 

さて、彼女が最終的にどういういきさつを経てペック氏の元から去ったのかは本書を読んでほしいが、少なくともペック氏の完敗だった。

 

結局、シャーリーンは最後までペック氏に心を開くことなく、ただただペック氏を翻弄して困らせ、その様子を楽しんでいた。そして、そうすることで彼女は自分の評判を自ら地に貶めているのだ。

これはさながら、精神的なリストカットに近い行為である。

 

悪であることは不幸なのか

 

ペック氏は精神科医として、常軌を逸した彼女を「正常」に近づけるためにあれやこれやと苦労した。

が、『コンビニ人間』について書いたエントリーでも述べたように、「正常」と「異常」を分かつものは結局マジョリティー(多数派)かマイノリティー(少数派)かでしかない。

 

シャーリーンが人生の失敗者だったのは間違いのない事実である。彼女が大悪人にならなかった理由が何であれ、彼女が創造的な人間になりえなかったことについても事実である。それが幸か不幸かは別にして、彼女が無力であったことも事実である。また、無力は笑うべき問題ではない。私は彼女の無能ぶりを喜劇にたとえて語ったが、その有用性が終わったいま、そうしたたとえを撤回したい。

シャーリーンが無力であったからこっけいな存在だったとは、私は考えていない。いかなる人間も、自分がなりうる人間以下の人間だからといって、それがこっけいだとは私は思わない。優れた知性の持ち主だったにもかかわらずシャーリーンは、限りなく劣った人間であった。暴走する人生を送りながら、彼女は行く先々でちょっとした混乱を残すことに喜びを抱いていたように思われる。しかし、彼女は、私がこれまでに出会った人間のなかで最も悲しい人間だったと私は考えている。

 

「劣った人間」という評価は、あくまでも現在の社会の基準に照らし合わせた際の評価である。つまりそれは、相対的な評価だ。

しかしもし、これが絶対的な……つまり個々人が自分のことを幸せだと感じているかどうかという点にフォーカスして考えると、彼女は不幸な人生を送っていたのかは判断が難しいところである。

 

彼女は確かにうつ状態だと思ってペック氏の元を訪れたという点で、自らを不幸だと思っていたのかもしれない。

しかし、もし「不幸な自分」を感じることに幸福を見出す人間がいて、その不幸から抜け出すことに目的を見出せるのであれば、果たしてその人が絶対的な判断基準から見たときに不幸だとは言い切れないのである。

 

たとえばそれは、アルバイトという不安定な職業であっても、自らの意思でコンビニエンスストアに戻っていった『コンビニ人間』の主人公に通ずる感覚かもしれない。

彼女が不幸な人生を歩んでいると感じる人は、そういないはずだ。

 

そもそも「悪」とはなにか?

 

となると、次に私が疑問に思うのは「邪悪」という言葉についてである。

言葉は強い力を持っていて、それまで名前のないものに新しい名前がつくと、それは急に実体を持ってパワーを持ち始める。

つまり、本書で「邪悪な人」というものを生み出したことによって、それを知った人間は日常生活で出会う人たちを「邪悪な人/邪悪じゃない人」で判断するようになるかもしれないわけだ。

 

しかしこの「邪悪な人」という言葉も、結局は客観的な視点からの判断に過ぎない。

当たり前だが、本書で紹介された人々は自分が「邪悪だ」などとは考えていないわけである(シャーリーンを除いて)

 

つまり、この本はかなりおもしろいのだが、同時に読者にとって諸刃の剣である

なぜなら、本書を読んで「邪悪な人」が世の中に存在していることを知ると、なにか問題が起きたときに「邪悪な人」のせいだと責任転嫁する、新たな「邪悪な人」を生み出してしまうリスクをはらんでいるからだ。

 

邪悪さに打ち勝つたったひとつの方法

 

もちろんそのことについて、著者のペック氏は重々承知している。

世の中には確かに邪悪な人がいるが、だからといって彼らを地からづく出どうにか征服しようという方法は意味がない。

悪自体もひとつの生の形であり(evil ⇔ live)、それを認めることが邪悪さを克服する手段となりうる。

引用しよう。

 

人生が意味を持ちうるのは善と悪との戦いにおいてであり、最後には善が勝つという希望のなかにおいてである。この希望こそ、われわれの解答である。(中略)これを言い換えるならば、われわれが漠然とながらもつねに意識していること、すなわち、悪は愛によってのみ封じこめることができる、ということである。

 ということは、それが科学的なものであれほかのかたちであれ、悪にたいするわれわれの攻撃法の基本となるのは愛でなければならない、ということである。(中略)邪悪な人間を愛するなどということができるものだろうか。しかし、これは、まさに私が、しなければならないと言っていることなのである。

 

おわりに

 

「正義の味方」という言葉は、Wikipedia大先生によれば、1958年に放送された月光仮面のテーマソングのなかで作詞家の川内康範氏によって創作されたとされる。

以下、ソースから引用しよう。

 

ところで「正義の味方」という言葉を作ったのは川内康範先生だということはご存じでしょうか。主題歌『月光仮面は誰でしょう』の中に、「月光仮面のおじさんは 正義の味方よ善い人よ」という一節がありますが、まさにこれが日本最初の使用例なのです。俺が「なぜ正義ではなく、味方なのでしょうか」と尋ねましたところ、

月光仮面の発想は)月光菩薩という仏に由来しているんだけど、月光菩薩というのは脇仏(わきぼとけ)でね、決して主役じゃないんだ。つまり、裏方なんだな。だから“正義の味方”なんだよ。この世に真の正義があるとすれば、それは神か仏だよな。だから月光仮面は神でも仏でもない、まさに人間なんだよ」

川内康範先生の想い出(2): たけくまメモより

 

人間は決して「正義」や「悪」そのものになることはできない。

だから「自分が正義だ」と思っている人間は、まさに「平気でうそをつく人」なのだ。

 

ちなみに、『月光仮面』のキャッチフレーズは次のようなものらしい。

「憎むな!殺すな!赦(ゆる)しましょう!」

 

文庫 平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学 (草思社文庫)

文庫 平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学 (草思社文庫)

 

 

今回はこんなところで。

それでは、お粗末さまでした。