本で死ぬ ver2.0

基本的には本の話。でもたまに別の話。

『コンビニ人間』を読んで正常と異常の境界線を考える

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「普通はこうでしょ」と言われると噛み付きたくなる徒花です。

 

もくじ

 

フランス語では蝶も蛾も「パピヨン」と表現するため、蝶と蛾……という区別する概念がないとい。

(逆に英語だといわゆるかわいいネズミはMouse、小汚いネズミはRatと区別するが、日本語だとどっちもネズミである)

 

人間がやっている線引きは非常に恣意的なもので、どこにどういう線を引くかは国、または個人によって異なる。(自分の国境をどこに引くかも、国によって異なる)

異常/正常という線引きも、これまた非常に恣意的なものだ。

 

『コンビニ人間』

 

というわけで、今回紹介するのはこちら。

 

コンビニ人間

コンビニ人間

 

 

2016年の芥川賞を受賞した作品である。

なんとか今年中に読めた。

 

まぁ、実は160ページで終わるし、文章自体も非常に読みやすいので、ぶっちゃけ読書が苦手な人でも2~3日あれば読み終わるのではないかと思う。

 

あらすじと主人公について

 

とりあえずあらすじを紹介しよう。

 

30代半ばの主人公・古倉恵子は一度も正社員として働いた経験がなく、大学時代に始めたコンビニのバイトを現在も続けている。

子どものころからいわゆる「正常」な人間とは違うと自覚していた彼女は、回りの人間のマネをしながら正常な人間を装い、自分で考えなくてもマニュアルに従っていれば成り立つコンビニ生活を送っていたのだった。

そんな彼女のコンビニに口だけのクズ人間・白羽が採用される。コンビニのバイトを馬鹿にしつつサボる白羽はすぐクビになるが、恵子は成り行きで白羽を自宅に住まわせ、奇妙な同棲生活を始める。そして彼女は「白羽と結婚しておけば世間から“正常”だとみなされるのではないか」と考え、彼との結婚すら考え始めるのだった。

調子に乗った白羽はそのまま恵子のヒモ(というか寄生虫)になることを決意し、恵子をコンビニバイトよりもっと給料のいい正社員にしようとするが、、、。

 

本書の主人公は世間一般の基準から考えるとかなり変な人である。

世間的な定義を当てはめれば、発達障害とかいう名前が付くかもしれない。

しかし、読んでいると変なのは主人公なのか、それとも主人公以外のすべての人間なのか、よくわからなくなってくる。

 

たまたま、これと近いキャラクターの主人公が活躍するこちらの本も最近読んだ。

 

夜中に犬に起こった奇妙な事件 (ハヤカワepi文庫)

夜中に犬に起こった奇妙な事件 (ハヤカワepi文庫)

 

 

こちらの主人公は見たものを見たままにした認識できない人間である。

相手の気持ちを考えたり、「文脈を読んで勝手に推測する」ということができない。

もしかしたら、前頭葉のどこかに障害があるのかもしれない。

 

「常識」の正体

 

そもそも人間は、明確に示されていなくても脳内で勝手に補完して物事を見る。

下の絵を見て欲しい。

 

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おそらく、多くの人が「勝手に」三角形を見出すはずだ。

上の図のどこにも三角形など描かれていないにも関わらず、である。

こういうのはクラスター錯覚などと呼ばれる。

 

これと同じように、人間は他者とコミュニケーションをとる際、前後の文脈や表情、動さ、状況などから、「なるほど、この人はこういうことを言いたいんだな」というのを勝手に推測して補完するが、世の中にはそれができない人がいるのである。

 

世間一般で言われている「常識」というのは、このクラスター錯覚に近いものなのかもしれない。

多くの人は世の中に「常識」というものがある、と勝手に思っている。

しかし、それは上の図の三角形のように、じつはどこにも描かれていないものなのではないのだろうか。

そして「え? 三角形なんか見えないよ?」といって三角形をないがしろに行動する主人公を人々は「異常だ」と述べる。

 

これは主人公の成長物語である

 

小説ではほぼ必ず、主人公の成長というのがコアな部分になってくる。

小説では、冒頭と最後で、かならず主人公の中の“なにか”が変わるのだ。

それが物語というものなのだ。

本書の場合も同じである。

 

主人公は当初、30代後半にもなって結婚もせず、コンビニでアルバイトする生活を送る自分のことを「異常」だと思っている。

その後なんやかんやあって、彼女はそんな自分の生活を変えて世間一般の常識に自分を合わせようとするが、結局はコンビニのバイトに戻ってしまう。

つまり、外見上は冒頭と最後で、主人公のライフスタイルはまったく変化していないわけだ。

 

しかし、彼女の内面は大きく変化している。

最初、彼女は自分の現在の生活を「なんとなく」送っていたが、なんやかんやを経験した結果、彼女は自らの確固たる意志でコンビニバイトを続けることを“選択”するのである。

それは彼女にとっての大きな変化であり、そのことを読者も感じられるだろう。

 

彼女は自らの意志で常識からの逸脱を選択し、そうした自分の生き方を認めるようになる。

彼女は、自分も三角形が見えるようにふるまっているのをやめたのだ。

 

おわりに

 

本書は芥川賞にふさわしい作品だったと思う。

芥川賞というのは、そのときの世相を著した作品が選ばれることが多い。

そして本書は間違いなく、この見えない三角形について少なからぬ人々が疑問を抱き始めている現代を象徴しているのだろう。

 

コンビニ人間

コンビニ人間

 

 

今回はこんなところで。

それでは、お粗末さまでした。