本で死ぬ

基本的には本の話。でもたまに別の話。

東急電鉄の広告が批判される本当の理由

東急電鉄の動画が話題になっていて、ちょっと思ったことがある。

 

 

 

 

まず個人的に、このニュースを聞いて、動画を見たときに感じたのは「不快感」だった。

とはいっても、私は電車内で女性が化粧をすることに対して肯定的であるわけではない。(否定的でもない。ぶっちゃけ、どうでもいい)

 

①世間の声を代弁しているかのような「みっともない」

 

では、私はこの広告のどこに不快感を抱いたのか?

自分の胸に手を当ててよく考えてみた結果、「みっともない」という表現が気に食わないのだと思った。

たとえばこれが、「電車内での化粧は周りのお客様の迷惑になります」とかいう面白みのないメッセージだったら、今回のような問題にはならなかったような気がするし、私も不快感は抱かなかったと思う。

 

私が不快感を抱き、そしてこの広告に批判している人々の心理の根底にあるのは、あたかもこの広告のメッセージが世間の声を代弁しているかのように聞こえるからではないだろうか。

つまり、「周りの人間はみんな、化粧しているあなたのことを『みっともない』と思っているんですよ」という風に受け取られるから、別にそう感じていない人の神経を逆なでしてしまうのだ。

 

同調圧力を利用して相手の行動を誘導しようとする狡猾さ

 

また、私がこの広告に嫌悪感を抱くのは、これが「周囲の人間の同調圧力を用いた強迫観念に訴える」手法を採用している点だ。

この広告を見て電車内での化粧をやめる人の心理メカニズムは「周りの人に『みっともない』と思われたくないから、やめよう」ということになるはずだし、東急電鉄としてはその効果を狙っているはずである。

 

私は、電車内で化粧をすることは別に悪いことだと考えていない人は、周りの人がどう感じようと化粧をしてもいいと思っている。(それに、公衆の面前で化粧するような度胸がある人がこれでやめるようになるとも思わない)

私なんかは天邪鬼な人間なので「みんながこうしたほうが思っているヨ」といわれると、それに逆らいたくなってしまうし、それに従わせようとするのは気に食わない。

 

おわりに

 

この広告で取りざたされている賛否両論の意見を見てみると、どうも「電車内で化粧をすることの是非」ばかりが議論されているような気がする。

でも、結局、化粧をしている姿を見てどう感じるのかは個々人の感性の問題になってくるので、これを議題にすると平行線をたどるばかりだ。

 

だから私が思うのは、問題にすべきは、脅迫(コレをしないとこうなりますよ or コレをするとこうなりますよ)という論調によって人の行動を変えようとすることじゃないかと思う。

人の行動する動機は「欲求(ポジティブな理由)」か「不安(ネガティブな理由)」に大別される。

マナーに関する問題の場合、ネガティブな理由に訴えかけると、うまくいかないのだ。

たぶんね。