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本で死ぬ

基本的には本の話。でもたまに別の話。

『一瞬の永遠を、きみと』を読んで「君」という呼称について考える

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ファーストキスは小4の徒花です。ウソじゃないよ!

もくじ

今回紹介するのはこちら。

一瞬の永遠を、きみと (スターツ出版文庫)

一瞬の永遠を、きみと (スターツ出版文庫)

 

本書は読書メーターの献本キャンペーンで当選したものだ。ここはやはり礼儀として、ブログのほうでもレビューを書いておくべきかなぁと思ったのだが、ぶっちゃけ、べつに人に薦めるほどおもしろい本でもないのよね。とりあえず思春期の男女が甘酸っぱいやり取りをしているのを見てキュンキュンしたい人が買えばいいのでなかろうか。

古い作品の単なる焼き直し疑惑

ちなみに、本書はもともとケータイ小説だった作品で、こちらのサイトで無料で読めるっぽい。ケータイ小説ってまだ読んでる人いるのかなぁと、ちと気になった。

しかもよくよく調べてみると、じつは本作、2012年にすでに同じ会社から「ケータイ小説文庫―野いちご」として刊行されている。要は表紙のイラストを書いてもらった焼き直し再販売作品くさい。

一瞬の永遠をキミと (ケータイ小説文庫―野いちご)

一瞬の永遠をキミと (ケータイ小説文庫―野いちご)

 

『僕は何度でも、きみに初めての恋をする。』が売れたから、その勢いに乗っかってこの古い作品も一緒に売っちまおうというクチだろうか。まぁ、私はタダでもらえたから文句は言わないが。

話は薄っぺらい。予想通り

あらすじ:

学校の屋上から自殺しようとしていた女子高生・夏海(なつみ)は、そこにいた見知らぬ男子生徒・朗(ろう)に出会い、朗の希望によって遠く離れた海を2人で目指すことに。だが、海を目前にして、朗が隠していたことが明らかになる。

ネタバレしないようにあらすじ書こうとするとこれで終わってしまうくらい、本の内容はめちゃくちゃ薄い。このあとどういう展開になるのかは……おそらく本ブログの読者の予想通りだ。もう、この手の小説お決まりの常套パターンで終わる。まったく意外性がなく、よく悪くも期待を裏切らない作品だった。

登場人物の名前で世界観に入り込めない

これは日本の小説だと仕方がないことなのだが、登場人物の名前が知人と同じだと、それだけで作品にのめりこめなくなる。だから個人的に、じつはとっぴな名前の登場人物ばかりが出てくるのはそんなに嫌いじゃない(覚えやすいことも多いし)

で、じつは本作の主人公・夏海は、ワタクシの妹と同じ名前なのだ。ケロロ軍曹みたいにマンガのキャラクターとして絵があれば別人だと認識できるのだが、ビジュアルのない小説だとどうしても妹が思い浮かぶ。しかも作中で、相手役の朗くんは「夏海」「夏海」と連呼するものだから、それだけで私はなんともむずがゆいような、読んでいられないような不思議な感覚に陥っていた。

タイトルの意図がよくわからない

個人的に最近、本のタイトルについていろいろと考えているので、なぜ著者および編集者はこの作品にこのタイトルをつけたのか? と悩んでいる。のだが、これ、じつはケータイ小説のときからタイトルが変えられていないのだ。

これはどちらかというと、編集者の怠慢である。「キミ」をひらがなにしたり、句点を置いたりと小手先のテクニックは使っているが、徒花としては、どうしてもこのタイトルが本作の核心を突くものとは思えない。本作で一番のキーワードになっているのは「ぬくもり(温度)」なのだから、タイトルもそれに絡めたものにするべきだったんじゃないだろうか――などと私は考えてしまう。

「きみ」という言葉の考察

徒花が読んでいて気になったのは、主人公・夏海の二人称の使い分けである。彼女は地の文で基本的に「朗」と呼び捨てにするのだが、たまに「きみ」と名前ではなく二人称単数代名詞を用いる。この使い分けはなんだろうか?

そもそも「きみ(君)」という二人称はちょっと独特だ。平安時代までさかのぼると「恋い慕う相手」「位の高い相手」という意味で使われていた。当時は、男性でも女性でも使っていたっぽい。その後、おそらく明治以降になると、この言葉はどちらかというと、自分より位が低い(もしくは同等)相手に対して使われるようになる。書生などが男の友人などに対して使ったり、上司が部下を呼びかけるときに使ったり、などだ。

しかし、最近は、とくにポップミュージックのなかで、女性歌手がおそらく恋い慕う相手に対して「君」という二人称を使うのがトレンドになっている。特に象徴的なのは宇多田ヒカルさんのようだ。また、最近ではAKB48などのアイドル歌手も、「君」という呼称を使っている。

これについては、実は以前、ちょうど拝聴していたJ-WAVEでお昼にやっている「BEHIND THE MELODY ~FM KAMEDA」という番組の中で、音楽プロデューサーの亀田誠治さんが次のように解説していたのを思い出した。ちょうどそのときのテキストも見つけたので、紹介しよう。

■ラジオネーム:ゾマホン ======

最近の日本の音楽チャートを賑わしているアイドルグループ。その中でもAKBやももクロなどの女性グループが目立っていると思います。そこで質問です。

「女性が歌っているのに男性目線の曲が多い」のはなぜなんでしょうか? 女性が歌っているなら、女性目線の曲のほうがリアリティが出るような気がするのですが…。亀田さん、よろしくお願いします!

===================

はい。最近のアイドルソングには、一人称が「僕」、二人称が「君」という歌詞が多いのはなぜか? ということですね。

実は、これらの曲、ゾマホンさんがおっしゃっているように男性目線で歌っているわけではなく女の子が、自分のこと、つまり一人称である「わたし」のことを「僕」。二人称である「あなた」のことを「君」と歌っているだけなんですよ。

ですから、アイドル達の歌っている内容は、自分のことを「僕」と歌っていても「女の子」目線なんです。決して、男の子からみた気持ちを歌っているわけではないんですよ。

ところで、女の子が自分のことを「僕」と歌うと純粋性というか、少年性とでもいいましょうか、プラトニック感、ピュア度が増すんですね。つまりアイドルとしての、アーティストパワーが増強されるんです。だって、恋愛の歌詞で「私」とか「あたし」になると、女の子というよりは、大人に近づいて「女」の意味合いが強くなるでしょ。アイドルの年齢層から離れていくんですね。

そして、「僕」と「君」って、男女二人の間にちょっと甘酸っぱい距離感があるんです。この距離感こそが、リアリティなんです。恋愛と友情が微妙にクロスするあたり。これって、日常の中で一番ワクワク、ドキドキする瞬間ですよね。アイドルソングはそこを狙っているんです。

これにくらべて、「あたし」と「あなた」になると、二人の距離がぐんと近くなるでしょ?もう、恋愛成立済み!?みたいな。アイドルを神聖な「みんなのもの」にしておくためにもこの「僕」と「君」という呼び方が大変有効というわけなんです。

もう一つ、「僕」と「君」を使うメリットがあります。聞く人が、必ずしも恋愛の対象ではなく、同性の友情に置き換えることが可能なんですね。つまりラブソングの網羅する範囲が大きく広がるということなんです!
この点からも、「僕」と「君」は有効なんですね。

81.3 FM J-WAVE : BEHIND THE MELODY〜FM KAMEDAより

※太字は徒花

昭和歌謡で女性歌手がいとしい男性を呼ぶときは「あなた」、男性歌手が歌う時には「おまえ」が多いが、こうした男性優位を意識させるような言葉遣いは現代の若者にはピンとこない。「君」という呼びかけは、「まだ恋人同士じゃないけど、ちょっと気になる相手」というニュアンスが伝わってくるので、甘酸っぱさを感じさせるのだろう。

おわりに

読書メーターから献本が届いたとき、添え状に「『当たった』と拡散してくださいね」と書かれていた。私は今まで何度も応募して何の音さたもなかったので、「ほんとうに当たるんかいな」という疑問を持っていたのだが、同じような感想を持っている人はけっこう多いらしい。とりあえず、当たるときは当たる!ということは伝えておく。

 

今回はこんなところで。

それでは、お粗末さまでした。