本で死ぬ

基本的には本の話。でもたまに別の話。

『見てる、知ってる、考えてる』を読んで義務教育を考える

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子どもが苦手な徒花です。あとグリーンピースも。

 

もくじ

 

今回紹介するのはこちら。

見てる、知ってる、考えてる

見てる、知ってる、考えてる

 

本書はなんと、10歳の男の子が書いた自己啓発書である。

10歳が書いたとは思えないような深い言葉の数々がつづられており、私はビックリギョウテンした。

 

小学校をやめる決断

本書の著者、中島芭旺(なかじま・ばお)くんは2005年生まれの11歳。

ただし、小学校には通っておらず、現在は自宅で「自分で選択する学習」「好きな人から学ぶ」をモットーに勉学に励んでいるらしい。

 

ここでおそらく「義務教育に従わないなんてケシカラン! 親は何を考えているんだ」と怒る御仁もいるだろうが、個人的にはこうした意見にはあまり共感できない。

 

以下、かなり長くなるが、その理由を説明していく。

面倒くさい人はずっと下までスクロールさせてくらはい。

 

義務教育の2つの目的

そもそも、なぜ義務教育は存在するのだろうか? 

 

本書を紹介する前に、まずはそれを考えてみたい。

文部科学省のWebサイトでは次のように説明している。

 

(1)義務教育の目的
(長いから前略)
1 国家・社会の形成者として共通に求められる最低限の基盤的な資質の育成
2 国民の教育を受ける権利の最小限の社会的保障

 義務教育を通じて,共通の言語,文化,規範意識など,社会を構成する一人一人に不可欠な基礎的な資質を身に付けさせることにより,社会は初めて統合された国民国家として存在し得る。このように,義務教育は国家・社会の要請に基づいて国家・社会の形成者としての国民を育成するという側面を持っている。
 また,一方で,義務教育には,憲法の規定する個々の国民の教育を受ける権利を保障する観点から,個人の個性や能力を伸ばし,人格を高めるという側面がある。子どもたちを様々な分野の学習に触れさせることにより,それぞれの可能性を開花させるチャンスを与えることも義務教育の大きな役割の一つであり,義務教育の目的を考える際には,両者のバランスを考慮する必要がある。

義務教育に係る諸制度の在り方について(初等中等教育分科会の審議のまとめ) [2]より

 

徒花的にもっとすげー簡単に解釈すると、

 

1 国のため(社会の統一性・水準維持)
2 個人の幸せのため(学習する権利の保障)

 

と要約できる。

 

バカばっかりになると日本が滅亡しかねないというのが1つめ。

貧乏や親がいないなどの理由で基本的な日本語の読み書きとか四則演算もできない人間がいると、その人は悪人に騙されたりお金が稼げず貧乏になる可能性が高まるので、それを防いで幸せに生きられるチャンスを日本国民全員に均等にあげようというのが2つめだ。

 

芭旺くんの判断の正否は誰にも判断できない

順番が前後するが、まず2のほうから考えよう。

 

“義務”といいながらその目的に“権利の保障”とか書いてあるから、まるで親切の押し売りのようになっているが、“権利”なら個人の意思でそれを捨てることは可能なはずだ。

これは「選挙の投票権はあるけどそれを行使しない」のと同じリクツである。

 

本書を読む限り、芭旺くんは自らの意思で学校を去り、独自の方法で勉学に励んでいるため、「彼の学習する権利が他者によって剥奪された」とは考えにくい。

もちろん、「10歳の子どもに判断させることが間違っている」という意見もあるだろうが、徒花としては以下の2つの点から、この考えには共感しかねる。

 

①人生の選択において何が「正解」で、何が「間違い」かは、だれにも判断できない。

過去の偉人たちの多くも、偉業をなすまでは周囲から「バカだ」「非常識だ」「間違ってる」といわれてきた。

彼が小学校を去り、自らの意志で学ぶことは批判を浴びるかもしれないが、そのことが将来、彼にとって大きな財産となり、将来大物になったときの伝説的なエピソードのひとつとなるかもしれない。

 

②年齢があがれば“正しい判断”ができるとは限らない。

「5歳児の判断は“間違っている”ことが多く、40歳児の判断は“正しい”ことが多い」といえるかは疑問だ。

40歳でも“間違った”判断を下すことはあるし、5歳が“正しい”判断を下すこともある

だから、芭旺くんが下した「小学校に通わない」という決断が間違っているとは判断できない。(もちろん、正しいとも判断できないが)

 

「国家の幸福」と「個人の幸福」のどちらを優先させるか

次に1を考えよう。

こっちはちょっと厄介だ。

 

というのも、これはイデオロギーが絡んでくるからだ。

イデオロギーにはいろいろな分け方があるが、ここでは単純に「『国家の幸福』と『個人の幸福』のどちらを優先させるか」に絞って話をしていきたい。

 

現代の日本社会(および多くの国々)では、どちらかに偏ることがないようにバランスを取って調整されている。

だから、日本人はときどき若干の窮屈さ(税金の支払いとか、スピード違反で切符切られるとか)を感じながらも、国家に守られて「健康で文化的な最低限度の生活」が送れているはずである。

(バランスが崩れた例としては、『国家の幸福』を優先させすぎている北朝鮮、『個人の幸福』を優先させすぎたソマリアなどが挙げられる)

 

で、これをベースにもう一度、文部科学省の掲げる「義務教育の目的」の重要な2つのポイントを見てみよう。

 

1 国家・社会の形成者として共通に求められる最低限の基盤的な資質の育成(国の幸福)
2 国民の教育を受ける権利の最小限の社会的保障(個人の幸福)
※太字部分は徒花が追加

 

芭旺くんの例にとると、

 

国の義務を無視するのはケシカラン! → どちらかというと国の幸福を重視する人:
個人の自由じゃない? → どちらかというと個人の幸福を重視する人:

 

と考えられる。

だから1に関していえば、芭旺くんの行動はAの人から見れば純然たる「悪」だし、Bの人から見れば「善」になる。

つまり、個々人が持っているイデオロギーによって判断が変わってしまうものなのだ。

 

そして最初に述べたように、徒花はAの立場の意見にはあまり共感できない。

なぜなら、私は「国家の幸せより個人の幸せのほうが大事」だと考えている人間だからだ。

 

つまり私はイデオロギー的に分類すると自由主義(リベラル)寄りの思想を持っている鳥越俊太郎氏には投票しなかったけどね)

たとえ“義務”教育でも、芭旺くんの意思のほうを尊重すればよいと考えている立場である。

 

所得税を納めてる10歳児

ついでにもうひとつ、別の側面の話をしよう。

 

Aの立場の人が芭旺くんの行動に対して「ケシカラン!」と怒るのは、「それでは彼は将来、日本の役に立つ人材にならない」という思いが(意識しているかどうかは別として)根底にあるからだ。

しかし、本当にそうだろうか?

 

本書を読んだり彼のツイッターの呟きをみればわかるが、おそらく彼の知性レベルはかなり高い(私より高いかもしれない)

“知性レベル”という定義があいまいなものに頼らないなら、少なくとも確実にいえるのは、彼は「文字によって人の心を動かす力を持っている」ということだ。

だからこれだけたくさんのフォロワーがいるし、出版社の編集者を動かして本を出版することができたのである。

 

何より彼は、わずか10歳にして本を出版して印税を稼ぎ、所得税を国に納めている。

はっきりいって、学校で勉強している子どもたちよりも、すでに現時点で何倍も日本に貢献している。

今後、彼の本が英語に翻訳されて海外で販売されれば、外貨だって獲得できるだろう。(もちろん、彼の将来はわからないけど)

 

以上の理由から、徒花は「義務教育に従わないなんてケシカラン! 親は何を考えているんだ」というお怒りには共感できない。

もちろん、怒りの感情を以て批判するのはそれこそ“個人の自由”ではあるが。

 

ホリエモンも義務教育を批判

ちなみに、義務教育についてはつい最近、堀江貴文氏もこんなことをいっていた。

 

簡単に主張を述べると、「日本人の同調圧力は義務教育が問題だ」ということである。

 

編集者も編集できなかった文章

すっかり長くなってしまったが、ここから本書の細かい紹介に入ろう。

 

見てる、知ってる、考えてる

見てる、知ってる、考えてる

 

 

書籍だが、文字数は滅茶苦茶少ない。

たぶん、早い人なら10分くらいで読み終えられるんじゃないだろうか。

 

イメージとしては相田みつを氏の言葉がつづられているような感じだ。10年の人生の中で、彼が感じ、学び、得たことを、彼の哲学とともに書いている。

意外とAmazonのレビューがみんな辛口でびっくりしたが、たしかに、じつはよく読むとほかの自己啓発書でもいっていることなので、そういう本をよく読む人であれば、それほど目新しい内容はない。

 

本書はあとがきのほかに、編集を担当したサンマーク出版の編集長・高橋氏の文章も掲載されている。いわく、

 

Facebookを通じて芭旺くんのほうから出版のオファーがあった
②何度もメッセージをやり取りするうち、「本にする価値がある」と確信した
③編集者として文章に手を加えられず、極力、原文のままにした
(注:たぶん、それだけ完成度の高い原稿だったのだろう)

 

とのこと。

ここらへんからも、芭旺くんの卓越した行動力、コミュニケーション能力、文章力がうかがい知れる。

 

不登校は才能

では以下、徒花が気に入った言葉をいくつかピックアップする。

解説を加えるのも野暮なので、とくに追記はしない。

 

物事に重さはない。
ただ、その人が「重い」と感じている。
ただそれだけ!

僕は不登校はひとつの才能だと思います。
それは不登校するという決断を出来るという才能。
自分を信頼できるという才能。

僕の自身は、根拠のない自信。

根拠がある自信は、その根拠がなくなったらなくなる。

生意気な子供。

言い換えれば、素直な子供。

自分に正直な子供。

自分を大切にしよう。

話はそれからだ。

「こわい」は、やりたいということ。

やりたくなかったら「やりたくない」って思う。

「こわい」ということは、やりたくないわけではない。

 

こういう本を読むと、「やっぱり年齢は関係ないんだなぁ」としみじみ思う。

彼が何に興味を持っているのかに、私は興味がある。

そして私のようなひねくれ者は同時に、「10歳の男の子から学べることがあるのは大いなる希望である」などと大仰に考える。


まあぶっちゃけ、1200円(+税)払って購入するべき本だとおススメするかは悩むけど。

 

おわりに

冒頭でも述べたが、私はグリーンピースが嫌いだ。

 

しかし、私は芭旺くんとは違ってもう大人なので、オムライスなどを注文するときにグリーンピースは入ってますか?」と質問するのを忘れない。

メニューの写真も入念に調べるなど、隙はない。もしサラダなどに入ってきた場合は、問答無用で残す。

 

で、先日、とあるチープなスペイン料理店に行ってパエリアを頼んだら、なんとグリーンピースが乗っていた!!!! 

完全に油断していた私は絶望したが、同席していた相手が仕事相手(しかも、まだそんなに親しくない)だったので、「おいしいですね(ニッコリ」と余裕をかましながら腹の中で苦悶の表情を浮かべ、なんとか食べきった。

 

パエリアにグリーンピースが乗ってくるのは完全に想定外の事態だったが、今後は確認したほうがいいのだろうか……。もう絶対にあの店には行かんぞ!

 

見てる、知ってる、考えてる

見てる、知ってる、考えてる

 

 

今回はこんなところで。

それでは、お粗末さまでした。