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本で死ぬ

基本的には本の話。でもたまに別の話。

『シン・ゴジラ』を観たら『インデペンデンス・デイ』を思い出した

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映画『シン・ゴジラ』公式サイトより

じつはゴジラよりガメラのほうが好きだったりする徒花です。『レギオン襲来』、いいよね。

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もくじ

というわけで観てきました『シン・ゴジラ』。流行ものに乗っかるのが嫌いな徒花は無視を決め込むつもりでしたが、個人的に割と信頼している人々が「おもしろいよ!」とおススメしてくれたし、いいタイミングもあったので観ちゃった。なお、本エントリーは若干のネタバレを含むため、「ネタバレは絶対にイヤだ」という人はいまのうちに引き返そう(致命的なネタバレはしてないはずだけど)

インデペンデンス・デイ:リサージェンス』のダメな点

話はいきなり変わるが、今年、SFパニック映画の名作『インデペンデンス・デイ』の続編インデペンデンス・デイ:リサージェンスが公開された。

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映画『インデペンデンス・デイ:リサージェンス』オフィシャルサイトより

徒花は観てないが、ネットの評判を見るとなかなか惨憺。どこが悪いといわれているのか、徒花なりにまとめてみた。

●前作に引き続き登場しているキャラクターに加え、今作で初登場するキャラクターも多い。つまり、主要キャラクターが多すぎる。そのため個々の人間ドラマが薄っぺらい。

●CGのすごさに期待していたが、思った以上にエイリアンによる街の破壊シーンが少なく、不満が残る

●エイリアンのボスがなぜか最前線に出てきて大あばれするなど、いろいろとストーリーがご都合主義すぎ

●ギャグシーンの入れ方がお粗末で、作品のシリアスさを損なっている

●人類は前回の襲来を受けて、現代を上回る高度な科学技術を会得している。そのため、エイリアンに襲来されても前回のような「絶望感」がない

個人的には最後のポイントが決定的だと思う。インデペンデンス・デイは、人類では到底太刀打ちできない圧倒的な科学技術を持ったエイリアンが、理不尽な理由で地球を侵略してきた。しかし人類(というかアメリカ)は知恵を絞ってなんとかそれに打ち勝った――という流れがある。

そこで重要なのは、「いかに視聴者に絶望感を抱かせるか」だ。『インデペンデンス・デイ』で象徴的なのはホワイト・ハウスが宇宙人の攻撃で木端微塵にされてしまうシーンだが、あれはとくにアメリカ人にとって「アメリカの頭脳を担う首都が壊滅した」ことを示しており、圧倒的な絶望感を植え付ける場面でもある。

とにかく、パニック映画では「絶望感が大事」なのだ。

シン・ゴジラ』の圧倒的な絶望感

で、これを前提に『シン・ゴジラ』を観てみると、まさにこの絶望感がかなりうまく表現されていた。

ゴジラが2度目の上陸を果たしたとき、日本政府は前回の轍を踏まないように多摩川を絶対防衛ラインと定め、早めに自衛隊の出動と攻撃命令を出した。しかし、自衛隊のいかなる攻撃もゴジラに傷ひとつつけることができず、多大なる損害を出しながらゴジラの首都圏侵攻をアッサリ許してしまう。

品川を通過したゴジラはいよいよ日本の政治・経済の中枢である千代田区の東京駅まで到達。さらに放射熱戦を吐いて、一瞬で辺り一帯を火の海にする。これにより内閣総理大臣をはじめとする首脳メンバーが軒並み死亡。日本政府の機能をマヒさせたのである。いちおう、ニコ動にそこら辺のシーンの動画があるが、実際に映画館で見ると、「あ、もう日本終わったわ」と思わざるを得ない圧倒的な絶望感が観客を襲う。

観客に絶望感を抱かせた3つの要素

この絶望感に寄与しているのは3つある。それがゴジラのデザイン」「音楽」、そして「リアリティ」だ。

無機質なゴジラの目

ゴジラのデザインで特筆すべきは、やはりあの「目」だろう。

爬虫類やサメを思わせるその目は焦点が定まらず、完全にイっちゃってる。そこにはあらゆる「感情」も「意思」も見いだせない。感情も意思もわからないものは、次に何をするのかがまったく予想ができない。その「予想のできなさ」が人に恐怖の感情を湧き出させる。どの角度から見ても、ゴジラと目線を合わせることが絶対にできないのである。

さらにそれを助長するのが、「視線をまったく動かさない」「瞬きをしない」という特徴。これは普通、動物ではありえない。この「動物ではありえない挙動」は、ゴジラがほかのあらゆる生物とは一線を画す、人類を超越した存在であることを印象付ける。

荘厳な音楽

ゴジラが上陸したときには、あの有名なゴジラのテーマ』をアレンジしたBGMが流れる。これも、改めて聞くとかなり恐怖を催させる音楽なのだが、それでも、観客に圧倒的な恐怖感を植え付ける東京駅炎上のシーンではオリジナルの楽曲を使っていた。

このBGMはかなり効果的だったと思う。オペラの歌声にのせて、悲哀と絶望が入り混じった感情を湧き起こさせる。まさに「日本の終焉」である。

「リアル」と「非リアル」の絶妙なバランス

徒花は「フィクションに“リアリティ”は必要だが、“リアル”にしてはいけない」と考えている。この違いはちょっと難しいが、シン・ゴジラ』は間違いなく“リアル”ではなく“リアリティ”を追求した映画だった

たとえば、もしこの映画で「リアル」を徹底的に追求しようとしたら、日本はゴジラを倒せないまま滅亡して終わるだろう。しかし、映画の中では、生き残った政府関係者と企業が協力して画期的な方法(?)によりゴジラの活動停止に成功し、一応ハッピーエンドで終わる。これ、冷静に考えれば「そんなに簡単にいくかよ」と突っ込んでもいいところだ。しかし、パニック映画として完結させ、観客を満足させるためには、ここである程度リアルを捻じ曲げなければならないのである。

その代わり、本作では「映画の構成上、やむを得ない非リアル」以外は、徹底的にリアルを追及していた。本作はゴジラ以外のほとんどのシーンで政府内部の動きに焦点が当てられ、政府が想定外の事態にどう対応するのかを現実的に描いている。また、ゴジラの動きや町の破壊され具合も脚色しすぎず、「これはあり得そう」と思わせる程度にとどめている。

要は、本作は「リアルにする」ところが割合的に大部分を占めるのだが、肝心なところは「リアルにしない」ことで、絶妙なバランス感覚を示しているのだ。

すべてを「リアルにする」と、映画としてのおもしろさがなくなってしまう。しかし、すべてを「リアルにしない」と、観客は白けてしまうのである。『インデペンデンス・デイ』が名作だったのはこの割合が絶妙だったためであり、インデペンデンス・デイ:リサージェンス』が駄作になったのは、この割合をミスってしまったからにほかならない(と思う。作品を観てないからあまり断言できないけど)

インデペンデンス・デイ』との共通点からわかる裏テーマ

というわけで、『インデペンデンス・デイ』と『シン・ゴジラ』の共通点は、「リアルと非リアルの絶妙なバランス」である。しかも、その表現方法として「首都を壊滅させる」という手法も似ている。(『インデペンデンス・デイ』では、大統領は危機一髪で脱出できたけど……)

もうひとつ、徒花が映画を見ていて「似てるなー」と思ったのは、終盤でゴジラを倒すための計画をスタートさせるとき、主人公の内閣官房副長官・矢口蘭堂(やぐち・らんどう)が隊員たちを前に演説をするシーンだ。これは『インデペンデンス・デイ』のタイトルの由来となっている、ホイットモア大統領が行った最後の攻撃の前の演説に重なった。

……さらにいえば、個人的には本作は「日本の独立(インデペンデント)」も裏テーマになっているのではないかと勘繰っている。物語の途中、日本政府はアメリカ政府の意向を強く受け、結局アメリカや国連の意のままに動かざるを得ないようなところがあった。作中でも「日本は結局、いつまでもアメリカの属国なのだ」というセリフがある。

しかし最後、日本政府は裏ルートを使って必死の外交工作を行い、国連の意向を退けて独自の作戦を展開し、成功させる。この瞬間、日本はアメリカの属国という立場を脱し、真に「独立国家」として歩み始めたのだ――とも考えられる。だから、もしかすると制作陣も『インデペンデンス・デイ』を意識して作ったのかもしれないと邪推してしまうのだ。

おわりに

シン・ゴジラ』についてはいろいろな人がいろいろなところで解説や自説を披露しているので、書くべきかどうかちょっと迷ったが、この「『シン・ゴジラ』=『インデペンデンス・デイ』説」はあまり述べている人がいないので、徒花なりにまとめてみようと思った(この説を主張している人も、ほかにちょっといる)

ともあれ、本作はやっぱり映画館で観て、あの暗闇の中で絶望感を抱くための作品だと思うので、1800円払っても行く価値がある。ということをお伝えしたい。あとできたら、観る前に巨神兵東京に現わるを観たらいいかもしれない。そしてエヴァの続きをはよ!

 

今回はこんなところで。

それでは、お粗末さまでした。