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本で死ぬ

基本的には本の話。でもたまに別の話。

ベッキーとショーンKがテレビをつまらなくした

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このイベントに参席してきた。

もくじ

イベント開催のきっかけは、主催者である評論家・宇野常寛氏が日テレの番組『スッキリ!!』に出演し始めたことである思いを抱いたためとのこと。つまり、「テレビ局にはこんなに潤沢な資金と有能な人材、そして人々からの信頼があるのに、どうしてクソみたいな芸能人たちがワイワイガヤガヤするだけのクソみたいなコンテンツ(番組)しか作れないんだ?」ということだ。このことについて、2時間半にわたり熱く討論するイベントだった(実際には開始時刻が遅れたために正味2時間程度だったが)

とりあえず、参加者の紹介とそれぞれの立ち位置をまずは紹介しておこう。

参加者一覧

堀江貴文(ほりえ・たかふみ)

この人については、いまさら説明はいらないだろう。当然ながら(?)、現状のテレビ局が作り出すコンテンツを、宇野氏同様にクソだと思っている立場。

戸部田誠(とべた・まこと)

テレビが大好きなライターさん。テレビをテーマにした書籍をいくつも出版していて、現在のテレビ肯定派である。ただし、おとなしい人なのであまり議論には参加できていない。

吉田正樹(よしだ・まさき)

フジテレビで『笑っていいとも』『笑う犬の生活』『トリビアの泉』などを手掛けていた元テレビマン。現在はワタナベエンターテイメントの会長であり、ネット動画制作のコンサルタント会社も運営している。現状のテレビを全面的に肯定しているわけではないが、宇野氏の過激な発言には抵抗感があった模様。

宇野常寛(うの・つねひろ)

評論家。本イベントの主催者であり、とにかくよくしゃべり、物言いが刺々しい。ホリエモンと一緒に現状のテレビ番組をコテンパンに叩く。

得能絵理子(とくのう・えりこ)

本職はセミナー講師など幅広く活躍している人だが、今回は司会者。戸部田氏以外はみんなよくしゃべる(しゃべりすぎる)ので、あまり出番はない。

イベントについての所感

イベント運営者としてはもっといろいろなことを企画して、参加者同士で話し合ってもらう時間を設けたり、参加者からの質問をたくさん受け付けたりしようとしていたと思うのだが、いかんせん戸部田氏以外の3人がどんどん喋るので、あまりそうした企画の出番はなかった。結局、私も隣の人と簡単に自己紹介をし、途中でちょっと感想を言い合っただけで終わった。

だが、だからつまらなかったわけではない。むしろ、白熱した議論がすぐそばで聞けて、かなりおもしろかった。イベントはニコニコ生放送でリアルタイムに配信されていて、タイムシフト視聴もできる(ただし有料)ので、興味を持った人は見てみるのもいいかもしれない。

私自身のスタンスを述べると、帰宅すると惰性でテレビをつけて適当な番組を流しているが、たいていは本を読んだり、ネットで動画を見たり文章を書いたりしているので、ちゃんとテレビ番組を見る時間はほぼゼロに等しい。そのため、「そもそもテレビをおもしろくする必要なんてあるのかな?」という意見であり、じつは議論の内容自体にはさほど興味を持っていなかった。だが一応、紙媒体ではあるがコンテンツを作る仕事に携わっている人間なので、イベントで語られた内容には大いに刺激された。

全体の構造としては「現状のテレビ番組に否定的な宇野・堀江 vs 現状のテレビに肯定的な吉田・戸部田」だが、宇野・堀江コンビが論客として強すぎるので、はじめから終わりまで吉田・戸部田コンビは押され気味で、最終的には宇野氏の提言によってまとめられた感じだった。

なお、イベントには時間制限もあったため、当然ながら議論はちゃんとまとまっていない。筋書きもないので、議論の方向があっちに行ったりこっちに行ったり、お茶を濁して終わるところも多い。とはいえ、その中で徒花的におもしろかったポイントを以下、簡単にまとめて紹介していく。イベントは録音禁止だったので、徒花のメモと記憶力を頼りに以下の記事はつづっていくが、若干の記憶違い(誰が発言したか)などがあるかもしれないことはご了承いただきたい。

テレビには強い増幅効果がある

「テレビは終わった」という言説は数年前からネットで言われ続けているが、それでも、テレビの影響力はいまだに強い。やはり、テレビに出演すると一気に知名度が高まるし、収入にもつながるようだ。そしてそれは、テレビというメディアが持っている、ほかのメディアでは太刀打ちできないほどの強みなのだ。

そして最近、テレビはネットではやっていることを取り上げて拡散させる役目を追うことが多くなってきた。「いま、ネット上でこれが話題になっています」というやつだ。たとえば最近では「保育園落ちた日本死ね」というフレーズが挙げられる。

これを、イベントでは「テレビはカルピスの原液を薄めて広げる効果は強い」という風に表現していた。おもしろい。つまり、自らコンテンツを作るのではなく、すでにあるコンテンツを広く拡散させるのには非常に有益なメディアなのだ。しかし、問題となるのは、テレビそのものが作るコンテンツ――つまり「テレビ生まれのカルピスの原液」がクソなものばかりになっているのではないか、というのが、宇野氏の問題提起である。

そして意外にも思えるが、じつはテレビを叩くことが多いネットの住民たちもテレビから強く影響を受けている。いまや個人で生放送をすることの敷居は下がったが、多くの生放送主はしっかり準備をして「できるだけちゃんとした放送」を心がけている。ここらへんも、ホリエモンや宇野氏にいわせれば「テレビに毒されている」やり方だという。個人の生放送など、もっとゆるく、自由にやってもいいはずなのに、一生懸命企画を作ったり、流れを作るなど、テレビ的な構成になってしまっているのも、皮肉なことにテレビの影響力の大きさを表しているといえる。

テレビが内輪ネタを続ける理由

宇野氏がとくに現状のテレビ番組について批判しているのは「聞きたくもない芸能人同士の内輪話で盛り上がっている」ということだ。とくにやり玉に挙げられていたのが、(イベントではさすがに番組名は伏せられていたが)フジテレビの『とんねるずのみなさんのおかげでした』だった。あの番組は基本的にとんねるずの2人が後輩芸人などに無茶ブリをする企画が多いが、ああいった「若手芸人いじめ」を見ると本当に気分が悪くなると宇野・堀江コンビは話していた。実際、ネット上でもこうした内輪ネタに対する批判は多い。

ではなぜ、テレビ局はそうした非生産的な内容を放送するのか? その一つの原因は、戸部田氏が発言した「内輪ネタがおもしろいじゃないですか」という言葉にその一端がある。

テレビのかつての役目は、お茶の間と芸能界をつなぐことだった

たしかに、かつての時代であれば、芸能人同士がペチャクチャと喋ってじゃれあうだけの番組にも価値があった。そういうものを見ていると、一般人はまるでそうした騒ぎの場にいっしょにいるような雰囲気が味わえ、あたかもテレビに映っている芸能人と自分が知り合いになっているような感覚を味わえるのだ。ホリエモンも、初めて会った人に「テレビでいっぱい見てるから、初対面な感じがしない」とよくいわれるそうだ。

しかし、いまや時代は変わった。ひとり一台パソコンや携帯電話・スマートフォンを持つ時代になったせいで、テレビなどなくとも、いつでもどこでも友達や恋人、家族とコミュニケーションを取ることができるし、自分の好きな音楽や映画、動画などを見ることができる。Youtuberや実況主など、実際に視聴者とコミュニケーションを取れる人がそばにいるのだ。すると、必然的にテレビに出演する芸能人の価値は低下する。

これはホリエモンの言葉だが、「バラエティ番組と彼氏(彼女)とのラインを比較したら、絶対にバラエティはラインには勝てない。恋人とのラインのほうが、絶対に没頭できる」とのこと。

垂直統合的なテレビ局という組織

このように環境が変化したにもかかわらず、テレビ局が数十年前から変わらない方法で番組を作り続けてしまう要因のひとつは、テレビ局がきわめて垂直統合的な組織であることがある。実際、現場の20代の社員などはこうした環境の変化に気付いていないわけがないのだが、それより上の管理職世代が理解できないがゆえに、なかなか変われないのだ。

また、芸能人をたくさん出すのは、芸能事務所との関係も影響している。芸能事務所に嫌われてしまうと、テレビ局としては困ってしまうのだ(もちろん、芸能事務所だって困ると思うが)。ようするに、テレビ局はしがらみが多すぎて、なかなか簡単に自分の会社の新陳代謝ができない。

視聴率至上主義と広告収入の身という収支のいびつさ

そしてもうひとつ、内輪ネタの番組が横行する原因として考えられるのは、「それで視聴率が取れちゃう」という事実がある。民放のテレビ局は基本的にスポンサーの出資によって番組を作っているため、番組の判断基準は「高い視聴率が取れるか否か」にかかっているのだ。そして、内輪ネタの番組が安定して視聴率を取れるのであれば、なにかリスクを冒して冒険する意味はない。芸能事務所とともに、スポンサーに嫌われてしまうとテレビ局は困るのだ。

ここで、ホリエモンが提言するのは「メインの収入源が広告収入しかないことが問題」であるということだ。たとえばNHKWOWOWなどは、広告収入ではなく視聴者から直接収入を得ているため、比較的番組の内容について冒険がしやすい。民法のテレビ局も、何らかの方法で広告以外の収入源を確保することが、番組作りの新陳代謝を促すための一つの方策になるのではないかと語っていた。(もちろん、そのための具体的な方策は個々のテレビ局が頭をひねって考えるしかないが)

テレビをつまらなくした象徴的なタレント「ベッキー」と「ショーンK」

さらに、ホリエモンらによれば、いまも問題が長引いているベッキーなどの存在が、そもそもテレビをつまらなくしている根本的な原因だという。そもそもベッキーの不倫問題がこれだけ騒がれているのは、彼女が数多くのテレビ番組に出演する好感度の高いタレントであったためだ。

では、なぜ各局はこぞってベッキーを使ったのか? それは、ベッキーが「無難」なキャラクターだからだ。毒もはかないし、わがままも言わないし、おバカでもないし、肌の露出も多くない。かわいらしい女性ではあるがずば抜けた美人であるわけでもなく、爆笑を取れるような卓越したトークセンスがあるわけでもない。だが、空気を読む力にたけていて、どんな人とも会話を合わせられ、臨機応変に対応できる。とにかく、「家族で安心して見れるキャラクター」なのだ。別の言い方をすれば、「ケチがつかないタレント」なのである。

テレビ局はクレームを怖がる。昨今はちょっとしたことでも口うるさい「モンスタークレーマー」がすぐに電話をかけてくるらしい。だから、テレビ局としてはできるだけそうしたリスクを避けるため、ケチのつけようがないベッキーを採用していたわけだ。

そして、彼女と同じように使いやすいタレントだったのが、経歴詐称ですっかりテレビから姿を消して話題にも出なくなったショーンKこと、ショーン・マクアードル・川上氏である。彼はあらゆるニュースについて、いつでも非常に無難なコメントをするため、報道番組などで非常に重宝されていた。コメントは無難で誰にでもいえるようなことだが、あの超絶ナイスなルックスと色気のある声は、非常にテレビ映えする。

もちろんこれは、なにもこうしたタレントに非があるわけではないだろう(本エントリーのタイトルはちょっと盛った)問題は、ちょっとしたことで文句を言うモンスタークレーマーと、そうしたクレームに過敏に対応してしまって無難な番組作りしか出ないテレビ局の側にある。

キャスティングに関しては、かつてのテレビ局のほうが勝負をしていたのかもしれない。たとえば、お昼の番組『笑っていいとも』のMCにタモリを起用するというのは、当時としてはありえないことだった。私の母は「お昼の番組のMCにタモリを起用するのは、いまなら江頭2:50をMCに起用するようなもの」と語っていた(確かにそれは想像するだけで「ありえない」)

そして、現在もTOKYO MXの『5時に夢中』などでは、かなり意外性のあるキャスティングがされている。まず番組のMCがふかわりょう氏で、アシスタントがミッツ・マングローブ氏という点で異色すぎる。ほかにもエッジの効いたコメンテーターばかりだ。『バラいろダンディ』も、MCにあの長谷川豊氏を起用するなど、かなりとんがっている。こういう姿勢が必要なのかもしれない。

テレビが作るべきは「徹底したフィクション」か「徹底したノンフィクション」

これは宇野氏の提言だ。つまり、現在はびこっているうちわ話で盛り上がるバラエティ番組というのは「芸能界というフィクションとノンフィクションの中間」であるという。芸能人、彼らの語るエピソードは本物だ(たぶん)。しかし、それらは一般人からはかい離したフィクションであり、そして憧れるようなものでもない。であるならば、テレビが作るのはドラマやアニメなどの「徹底したフィクション」か、ドキュメンタリー、素人参加番組(『新婚さんいらっしゃい』『NHKのど自慢』など)などの「徹底したノンフィクション」にしたほうがいい、ということだ。

もうひとつ、テレビだからこそできることがある。それは、「人材の発掘」だ。たとえば、イベントでは埼玉代表ラッパーのイルマニア氏が紹介された。

彼は日本テレビの『月曜から夜更かし』で一躍脚光を浴びた人物で、現在でもウィークデイには普通の会社員をやっているらしいが、現在では公式サイトができるまでになっている。同じようなものでは、フジテレビの『人生のパイセンTV』なども有力候補だ。

すでに述べた通り、テレビ局の持つ大きな強みは「金と信用はある」という点である。つまり、テレビ局の力を使えば、日本全国に眠っている「おもしろい人材(つまり素人)」をまだまだ発掘できるはずなのだ。とくに、現在はインターネットが発達し、個人が積極的に情報発信をしているのだから、以前よりもこうしたことは格段にやりやすくなったはずなのである。

おわりに

ダラダラとあまりまとまりなく書いてしまったが、イベントで語られたことの要旨はこんな感じだ。ほかにもいろいろとおもしろいことが語られていたが、覚えていない。気になる人はニコ生で。

ちなみに、私とペアになった隣の男性はまだ大学生で、聞くと家にテレビがないという(じゃあなんで来たんだ?と尋ねたら、単純にホリエモン目当てだった。私も人のことをいえないけど)。一人暮らしを始めてから一度もテレビを持っていないらしく、それでまったくなんの不便もないらしい。やはりこういうことを聞くと、「そもそも娯楽としてテレビ番組なんて必要なのか?」という疑問が首をもたげるが、まぁそれはいわないでおこう。

しかし、テレビ局は今後も凋落していくだろうなぁと思った。個人的に印象に残ったのは、比較的テレビ局に擁護的な吉田氏が「テレビを造る側はまじめに作っているんだから、視聴者もまじめに見てほしい」など、視聴者のスタンスにも問題がある……的な発言を何度かしたことだ。テレビ局を離れたとはいえ、もし制作側にこのような意識が残っているのだとしたら、とてもテレビがかつてのような人気を取り戻すことはできないだろう。自分たちの作ったコンテンツが受け入れられない原因を消費者(受け手)の問題として捉えるのは愚の骨頂である。

いま、テレビの視聴を支えているのは団塊の世代をはじめとした中高年層だ。彼らが世を去り、私が話をした大学生のような人間が多数を占めるようになっていけば、現状のテレビは絶対にやっていけなくなるだろう。まぁ、その前に、私が働く出版業界が一足先に壊滅しているかもしれないが。

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今回はこんなところで。

それでは、お粗末さまでした。