本で死ぬ ver2.0

基本的には本の話。でもたまに別の話。

『フリーランチの時代』のレビュー~人間とは何か?~

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プライベートがいろいろゴタついていたので心の余裕がなかったが、とりあえず一通りスッキリさせたのでGWはひたすら本を読みます。これからはお金を貯めよう。

もくじ

『フリーランチの時代』について

というわけで、今回紹介する本はコチラ。

フリーランチの時代 (ハヤカワ文庫JA)

フリーランチの時代 (ハヤカワ文庫JA)

 

著者の小川一水氏については過去のエントリーでも紹介したので省略。なお、本書は確か、徒花が初めて読んだ小川一水作品だったはず。

本書は短編集で、『SFマガジン』などの雑誌に掲載された作品+描き下ろし一本が加えられている。以下、それぞれの話について、あらすじとレビューを書いていこう。

『フリーランチの時代』

表題作。まずはあらすじ。

火星探査をしていた調査員のひとり、橿原三奈(かしはら・みな)は船外活動中に事故で宇宙服が破損し、死の間際をさまよっていた。その瞬間、彼女の脳内で聞き覚えのない声が彼女に問いかける。「生きる? それとも死ぬ?」

それは、火星の氷床で知性を育んでいた無機生命体(いわゆるエイリアン)の声だった。人間のような肉体を持たない無機生命体は流れ出た三奈の血液から彼女の体に入り込んだのだ。そして、三奈の同意を得て、彼女の体を食べてしまった(ナノマシンの集合体に書き換えてしまった)のである。とりあえず、三奈はそれによって宇宙空間でも生きられる、不老不死の体を手に入れた。やがて、無機生命体(ミナ)は、三奈にある要求を提案する――。

というわけで、ひょんなことから不老不死の体を手に入れてしまった女性宇宙飛行士が主人公の物語。ミナと同化してしまった三奈は極めて理性的にその無機生命体とコミュニケーションを取り、ミナの欲求を理解しながら自分がどうするべきかを選択していく。

物語の結末としては、決して後味のいいものではない。ストーリー的には、もうすこしひねりがあって、別の結末でもいいような気がしたが、とりあえず読んでいると「人間の定義とは?」「人間の幸せとはなにか?」ということを思わず考えてしまう作品となっていて、その答えは読者個々人にゆだねられている、ともいえる。

『Live me Me.』

交通事故により脳幹を破壊されて脳死状態になり、閉じ込め症候群(体は一切動かせないけれど意識はある状態)に陥った女子大生の主人公は、脳波の活動を読み取って出力を手伝ってくれるHIPET(高精度陽電子放射撮像機)とシンセット(ラジコン型の人型ロボット)をもちいて回復を果たす。すでにシンセットが大衆化していた世界なので大きな問題はなかったが、やがて彼女は眠り続ける生身の肉体とシンセット、はたしてどちらが本当の自分なのかがわからなくなっていく。そしてそんなとき、震度6の巨大地震が発生し――。

こちらの話も何とも、ちょっとオチが弱いものではあるものの、どちらかというと閉じ込め症候群状態だった人間がどのように意識を表現させていくかという過程が緻密に描かれていて、それがおもしろい。いちおうラブストーリー的な要素はあるものの、取ってつけた感があるのは残念だが。今作では主人公も含め、固有の名前が一切出てこないのも、あくまで著者が描きたかったのはこの過程にこそあるからなんじゃないだろうかと邪推したり。

さて、全く動かすことができない生身の肉体と、自分の意志で動かすことができるマリオネットのどちらがじぶんといえるのか。当然ながら、主人公の母親などは、シンセットがすぐそばにいても彼女の「肉体」に話しかける。母親には、シンセットは単なるよくできたスピーカーとしか映っていないのだ。しかし、主人公はそれに苛立ちを覚えるし、自分の肉体に嫉妬という感情さえ抱くようになる。

まぁ、おもしろいけど、本書のなかではちょっと湿っぽくて、あまり好みの話ではなかった。

閑話休題テセウスの船」と「ポール・ワイスの思考実験」

本書を貫くテーマはおそらく「人間とは何か?」ということなのだが、それに関連して、よく知られている2つのエピソードを紹介しておこう。まずひとつめが、「テセウスの船」とよばれるものだ。

これは帝政ローマ時代の著述家、プルタルコスが紹介した逸話が元とされている。

テセウスアテネの若者と共に(クレタ島から)帰還した船には30本の櫂があり、アテネの人々はこれをファレロンのデメトリウスの時代にも保存していた。このため、朽ちた木材は徐々に新たな木材に置き換えられていき、論理的な問題から哲学者らにとって恰好の議論の的となった。すなわち、ある者はその船はもはや同じものとは言えないとし、別の者はまだ同じものだと主張したのである。

ここでの問題は2つだ。

  1. 新しい木材にすべて置き換えられてしまっても、テセウスの船はテセウスの船のままなのか?
  2. もともとテセウスの船に使っていた木材を新たに組み直してぜんぜん別のデザインの船を作ったら、それはテセウスの船なのか?

これについてはいろいろな解釈があるが、けっこう難しいので割愛する。

つづいて、「ポール・ワイスの思考実験」と呼ばれるものだ。こちらは『フリーランチの時代』にも登場している。ポール・ワイスというの20世紀に活躍したアメリカの生物学者で、彼はこんな思考実験を行った。

胎児のヒヨコをすりつぶしてみる(ホモジナイズ=均一化)と、元素的にはまったく同じなので、私たちは両者を同じものとは認識しない。だとすれば、胎児のヒヨコはすりつぶすことで何かが損なわれたことになるのだが、それはなんなのか?

この思考実験についてはワイス自身による定義がすでになされている。彼によれば、この過程で失われたのは生物学的組織 (Biological organization)であるという。生物学的組織が失われたことにより生物学的機能も失われた(つまり、死んだ)のだから、つまり、生きているかどうかということは生物学的組織(つまり組み合わせ方)が残っているか否かによって判断される、ともいえる。

話を本の内容に戻そう。

『Slowlife in Starship

超小型宇宙船で荷物の配達業務などを行っている十軒原は、アンドロイドとの会話は平気だが、とにかく人間との会話が全然できないコミュ障の男である。ハウスエッグA型とよばれる量産型の宇宙小型家屋(太陽光さえあれば半永久的に人間を活かし続けられる)と、電子仮想空間が発達した「働かなくてもいい引きこもりだらけの社会」において、あえてそんなことをする彼は特異な存在だ。

そんなある日、十軒原はとある小惑星にたどり着き、トレジャーハントをしている男と出会う。彼ははるか昔に地球から飛ばされた「ハヤブサ」という探査機のターゲットマーカを探していると話した。かつて、大した価値もない小惑星に無人探査機を飛ばすために多くの人々が努力し、たった数十秒触れただけで『ミッション成功』と大喜びしていた時代があったことを知り、十軒原はある決意をする。

パイロットとしての腕はぴか一なのだが、とにかく人と話すことが苦手で宇宙船に引きこもっている男の物語。本書に入っている作品のなかではかなり爽やかで、読後感が爽快なものになっている。もちろん、現代に振り返ってこの作品から読み取れることをいうこともできるのだが、個人的にはそういう説教くさい内容は嫌いなのでいわない。

で、個人的に思い出したのは、どこかの自己啓発書で言っていた内容だ。「人間は、目標を達成するために努力している時こそがもっとも幸福なのである」というようなことがその本には書かれてあった。もし、人間がありとあらゆる欲求をすべて満たせてしまったら、その先に幸福を追求することは「自らに目標を課せられる人」なのかもしれない。

そうそう、最近はめっきり「スローライフ」という言葉も聞かれなくなったなぁと、思った。

『千歳の坂も』

個人的には一番好きな話。

不老不死になる技術が日本で一般化し、「健康であること」が日本国民の義務となった社会。そこでは不死手術を受けていない人は「老化税」「健康責任税」などを支払わなければならず、「自殺薬」がヤミ取引されていた。

厚勤省の役員として不死手術を受けていない人に手術を勧める役人・羽島は、老化税などを滞納し、不死手術を拒否している老婦人・安瀬眉子を訪問するが、彼女は羽島の訪問を受けて行方をくらます。やがて、眉子の行方を追って羽島は自殺ができる政策を取っている「ダイ・ヘイブン」を回ったりして、世界中を巡るなかで、眉子のような生き方を望む人が一定多数いることを知り、眉子に興味を覚えていく。

やがて、日本社会の平均年齢が70歳を超え、社会が停滞し始めたころ、眉子は見つかる。彼女はすでに自分の意志で不死手術を受けていたが、羽島はそれでも眉子の真意を理解できないでいた。それから何度も不死と定命を支持する社会が生まれては崩壊し、人間の生活は宇宙に広まっても、羽島は眉子を探し続ける。やがて、羽島は近世を出発した移民船のリーダーとなっていた眉子と出会う――。

なんというか、これは完全なるラブストーリーだ! ひとりの女性の考えを理解したいがために何百年もかけて世界はおろか、宇宙にまで飛び出してしまう羽島の思いが愛ではなくてなんだろうか? ヒロインがおばあちゃんであるのはちょっと絵的に残念ではあるが、まさに超高齢化社会を描いたラブロマンスである。

健康で長生きすることは多くの人が望んでいることだが、果たして、健康に長生きして、そうした人々は何をするのだろうか? この物語の場合、眉子は羽島から逃げることを楽しんでいるし、羽島だって眉子を探し出すことを楽しんでいる。そして、それこそが「生きる目的」になっていったのだ。ラブである。

『アルワラの潮の音』

こちらは本書描き下ろし。

南国の島国に暮らすアルワラ族たちは、周囲の島国を武力で制圧・統治していた。そんなアルワラで、腕力がなく「細い葉」という意味の名前を持つク・プッサは、優秀な戦士カカプアに造船技術を認められて信頼されていたが、彼と恋仲である少女・ラヴカにひそかに思いを寄せていた。

そんなある日、アルワラの支配下にあった島・ホンアプレが突如反乱を起こす。カカプアやク・プッサを含めたアルワラの男たちは制裁のために大挙してホンアプレに侵攻するが、彼らは不思議な光や見たこともない機械を使い、アルワラ軍を壊滅させた。海に投げ出されたク・プッサをはじめとする残党たちは突如、見たこともない金髪の男たちに助けられ、彼らが「未来からやってきた」ことを伝えられる。ホンアプレに未来から恐ろしい怪物・ETがやってきているので、それを退治するために来たというのだ。

やがて、海を渡ることができないETが人間を使役していることを知る。そして、あることをきっかけに、ク・プッサは本当の黒幕が誰なのか、気づいてしまうのだった――。

エンターテイメント性が高く、ほかの作品と比べてテーマ性が低い。ダメな主人公が活躍するという物語は王道だが、ちょっといろいろと粗が多く、イマイチだった。なんか、いそいで書き上げたって感じ。

おわりに

先日、マインドフルネス瞑想のセミナーに参加してきた。マインドフルネスは最近流行しつつあるワードで、ちょっと難しいが「いま、ここに気付いている状態」のことを指す。多くの人は未来を不安に思ったり、過去に囚われて悩んでいたりするが、大事なのは今、この瞬間だけであり、今に集中する訓練、ということができる。そのトレーニングとして、最近は瞑想が結構注目を集めているのだ。

んで、徒花が参加したのはヨガを交えて瞑想してみるということだが、これが案外、おもしろい。ゆったりとした音楽が流れる中でちょっと体を動かした後、部屋を暗くして寝そべって目を閉じたりするので、「これは確実に寝るだろ!」と思っていたのだが、不思議と頭が覚醒してくる。しかし、体全体は非常にリラックスしている。なかなか日常生活では味わえないような、不思議な体験だった。

本を読んでみるなら、コチラの本がおススメ。 

始めよう。瞑想:15分でできるココロとアタマのストレッチ (光文社知恵の森文庫)

始めよう。瞑想:15分でできるココロとアタマのストレッチ (光文社知恵の森文庫)

 

では、お粗末さまでした。