本で死ぬ ver2.0

基本的には本の話。でもたまに別の話。

『老ヴォールの惑星』のレビュー~はじめての小川一水~

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徒花がブログを始めた理由はいろいろあるが、そのひとつに「備忘録として」というものがある。

もくじ

仕事を始めてからは特にひどく、読んだ本の内容を秒速で忘れるようになっていった。さすがに「読んだ/読んでない」は覚えているし、「おもしろかった/おもしろくなかった」もなんとなく覚えているのだが、とくに小説となると、よほど気に入ったものでない限り、どんな話だったかよく思い出せないのだ。

ちょっと前、読書術に関する本が数冊出ていた時期がある。以下のような本だ。

読んだら忘れない読書術

読んだら忘れない読書術

 

まあ、これらの本は読んでないわけだが、中身をチラ見すると大切なのは「読むだけで満足せず、アウトプットせよ」ということを主張している。これは真理だろう。徒花も、自分でブログにレビューを書くようになってから中身を良く覚えているようになった。一部、例外はあるが。

レビューサイトとブログの書き分け

さて、読書のレビューを書くだけならレビューサイトがあるし、私自身も読書メーターを利用している。

ほかにもいくつか本のレビューサイトはあるが、いろいろ比べてみた結果、読書メーターが一番シンプルで使いやすい。ただし、難点のひとつが、レビューに文字制限がある点。私は書きはじめると長くなるので、これがちょっと困る。というわけで、ブログだ。

私はこのブログで本のレビューを書いているが、既に説明したように読書メーターにも読んだ本のメモ書きはしているので、「ブログのエントリーでは単なるレビューにしない」ということを意識している。著者を細かく説明したり、関連書籍を紹介したり、本のテーマを深堀りしているのはそのためである。

小川一水について

というわけで本題。本日の一冊はこちら。

ジャンルはSFで、中編集。1冊に4つの話が入っている。ではまず、著者の小川一水(おがわ・いっすい)氏を紹介していこう。ちなみに、小川氏は自分のサイトを持っていて、そこに詳細な経歴を記しているので助かる。

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1975年、岐阜県生まれ。1989年(14歳?)のときに『ラスト・レター』をきっかけに小説を書こうと思い立ち、翌90年から出版社の賞に応募。本書の解説によれば、この『ラスト・レター』はけっこう悲劇的な結末を迎えるため、読んだ小川氏は「こんなラストは認めない。ハッピーエンドを自分で書いてやる」と思い立ったという。

ラスト・レター (妖精作戦IV) (創元SF文庫)

ラスト・レター (妖精作戦IV) (創元SF文庫)

 

さて、小川氏はいまでこそSF作家として有名になっているが、当初は富士見書房が主催するファンタジア文庫小説大賞や、集英社ジャンプノベル小説大賞(ノベルと小説がかぶってる……)など、ライトノベルで応募していた。作家としてのデビュー作は『まずは一報ポプラパレスより』。当初のペンネームは河出智紀というもので、こちらは集英社ジャンプノベル小説大賞の佳作を受賞。同時に受賞したのは乙一氏らしい。

まずは一報ポプラパレスより (JUMP j BOOKS)

まずは一報ポプラパレスより (JUMP j BOOKS)

 

小川一水というペンネームを使い始めたのは『アース・ガード』から。

脚光を浴びるようになるのは2000年ころより。『回転翼の天使』あたりから出版点数が増え始めた。

回転翼の天使―ジュエルボックス・ナビゲイター (ハルキ文庫)

回転翼の天使―ジュエルボックス・ナビゲイター (ハルキ文庫)

 

その後、2004年には第六大陸で第37回星雲賞・日本短編部門賞を受賞。2006年には『老ヴォールの惑星』に収録されている『漂った男』が第37回星雲賞・日本短編部門賞を受賞した。ホームページによれば星雲賞は「日本のSF及び周辺ジャンルのアワードとしては最も長い歴史を誇るSF賞」とのこと。

日本SFファングループ連合会議のページ

このあたりから、SF作家としてめきめきと活動を始めた。最近のライフワークとなっているのは『天冥の標』シリーズ。こちらは現在も鋭意執筆中だ。

天冥の標 ? メニー・メニー・シープ (上)

天冥の標 ? メニー・メニー・シープ (上)

 
天冥の標 ? メニー・メニー・シープ (下)

天冥の標 ? メニー・メニー・シープ (下)

 

フリーランチについて調べてみた

いろいろ紹介はしたものの、じつは徒花、そんなにたくさんは読んでいない。最初に読んだのはたしか『フリーランチの時代』だ。当時、大学で経済学を学んでいた私は「フリーランチ」というワードに反応したのである。

フリーランチの時代 (ハヤカワ文庫JA)

フリーランチの時代 (ハヤカワ文庫JA)

 

経済学の格言のひとつに「フリーランチはない」というものがある。たとえば、あるレストランが無料の昼食(フリーランチ)の提供を始めたとしても、そのランチのための食材費や手間賃は別のもの――ドリンク代とか、ディナーの料金に上乗せされているはずであり、必ず誰かがその昼食代を負担しているのである。つまり、一見すると無料に見えるものでも、資本主義社会においては必ず誰かがその費用を負担しているということだ。

と、私はてっきりこれは経済学発祥の言葉だと思っていたのだが、ちょっと調べてみるとちょっと違うらしい。日経新聞によれば、経済学の用語として使い始めたのは経済学部御用達の教科書の著者として有名なグレゴリー・マンキュー博士だが、1958年生まれでいまもピンピンしているマンキュー博士の前に、この意味で使っている人がいたのだ。

じつは物理学には「ノーフリーランチ定理」というのがあり、この名前は1966年にアメリカのSF作家、ロバート・A・ハインラインが発表した小説『月は無慈悲な夜の女王』に出てきたのだという。マンキュー氏が8歳で経済学におけるフリーランチを提唱し始めたのでなければ、おそらくハインライン氏のほうが早い。

月は無慈悲な夜の女王 (ハヤカワ文庫 SF 1748)

月は無慈悲な夜の女王 (ハヤカワ文庫 SF 1748)

 

じつはSF作品のほうで先に使われていたというのは驚きだ。

おもしろい、けど、記憶に残らない不思議

話が脱線したが、私が小川一水氏の著作で読んだのはこれと以下の2作品くらいなのだ。

時砂の王

時砂の王

 
妙なる技の乙女たち (ポプラ文庫)

妙なる技の乙女たち (ポプラ文庫)

 

そしてこれが最大の問題なのだが、私はどれの内容もまったく覚えていない。とはいっても、決しておもしろくなかったわけではない。おもしろかったからこそ、私は小川一水という作家を覚えて、彼の著作をいくつか読んだのだ。しかし、それにしても、いずれの作品もどうも記憶に残らないのである。こういう作品はよくある。おもしろいけど、記憶に残らない……不思議だ。

というわけで、今後こそしっかりその内容を頭に刻みつけておこうと、今回は『老ヴォールの惑星』をしっかり書いておく。まずは、本書に収められている各話のあらすじをご紹介しよう。

『老ヴォールの惑星』の各話のあらすじ

「ギャルナフカの迷宮」

思想に厳しい制限をかけているとある国で教師として働いていた男・テーオが、ささいなことから反社会罪の嫌疑をかけられ、「投宮刑」と呼ばれる罰を受けることになった。これは、ギャルナフカという人物が作り出した無限のような広さを持つ迷宮に送り出され、無期限にそこで生き続けるというものだった。そこには以前に投獄された罪人たちが少ない水と食料を奪い合い、疑心暗鬼にまみれながら孤独に暮らしていた。だが、テーオは次第にその生活になじみ、仲間を見つけていく。やがて彼はその迷宮に隠された謎に気付き、脱出を図るのだった。

「老ヴォールの惑星」

木星のようなガスによって構成されているホット・ジュピター、サラーハ。そこには水晶体などによって体を構成し、仲間を食らって生きる生命体が生きていた。その種族の中でも長く生きているヴォールは、空を見上げながら若い仲間であるフライマに、自分たちと同じような生命体がいるというメッセージを残し、増大しすぎた質量によって死んだ。だが、彼の残した言葉はフライマをはじめ、同族たちに受け継がれていく。やがて、彼らは将来、サラーハに衝突する星を発見し、自分たちが滅ぶことを知る。はじめは諦める彼らだったが、ヴォールが残した言葉を頼りに、遠い宇宙に存在する生命体に向けてメッセージを発し始めるのだった。

「幸せになる箱庭」

宇宙開発を進めた未来、地球人たちは木星で大気の収集を行っている機械群・ビーズを発見した。その機械との意思疎通に成功した人類は、彼らが遠くの宇宙に住む知的生命体の指示によって木星大気を収集し、知的生命体の元に送っているということを知る。そして、彼らに人類を攻撃する敵意はなかったが、削り取られ続ける木星は次第に質量が減って軌道が変化し、ほかの太陽系の惑星すべてが320年後くらいから軌道を外れてしまうことがわかった。人類は機械を動かしている知的生命体とのコンタクトを図るべく、選抜した人間たちを機械の持ち主たちの元に送り込んだのだった。

「漂った男」

偵察宇宙船の航行中、事故によって惑星パラーザの海に漂流したタテルマ。惑星パラーザは気温も一定で、粘土の高い海は沈むことはなく、しかも栄養価があったため、死ぬことはなかった。しかし、巨大なうえに陸地のないパラーザでは仲間たちがタテルマを見つける術がない。永久電池を持つ通信機Uフォンのおかげで仲間と会話はでき、上にも病気にも苦しむことはないタテルマだったが、とにかく海に漂ったまま、いつくるか、くるかもわからない救援を待ち続けることになる。当初は彼に同情的だった政府もや家族も、助けることが絶望的になるにつれ、彼への関心をなくしていくのだった。

『老ヴォールの惑星』のレビュー

ページ数的には「老ヴォールの惑星」が一番短いが、主人公では人間ではないうえに長い年月が作中で経って登場人物がコロコロ変わるうえ、いろいろと難しい用語がたくさん出てくるのでちょっと難しい。逆に「漂った男」などは読みやすいだろう。

小説を描きはじめたきっかけがバッドエンドに憤慨しただけのことはあり、基本的にはどの作品もハッピーエンドや感動を呼ぶものとなっている。とりわけ、「漂った男」は星雲賞を受賞しただけのことはあり、かなり珍しいシチュエーションの中で読者を飽きさせない展開を続けつつ、かなり気持ちのいいラストとなっているので楽しかった。

本全体でみても、バリエーションが豊かで、「ザ・SF」を楽しめる一冊だ。

おわりに

いい本の条件として、かつて徒花は「問いかけるもの」とほざいていたが、もちろんこれは小説には当てはまらない。ただ、個人的な好みをいわせてもらえば、やはりハッピーエンドで終わるものの方が私は好きだ。恋愛モノは、とくに。ただ、もう小説のよさは個人の好みに左右されるものだとは思っている。

 

というわけで、お粗末さまでした。