本で死ぬ ver2.0

基本的には本の話。でもたまに別の話。

『ポジティヴシンキングの末裔』のレビュー~はじめての木下古栗~

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ずっと前に読み終わってはいたし、これはブログに書かねばならんと思いながら、しかしどうしたものかと困っていた本が一冊あった。

 もくじ

これだ。

ポジティヴシンキングの末裔 (想像力の文学)

ポジティヴシンキングの末裔 (想像力の文学)

 

ここまで咀嚼に時間がかかった本も久しぶりで、いったいこの本をどうしたらよいものか、私も半ば途方にくれていた。しかし、この著者、およびこの作品は絶対に紹介したい。いろいろ至らないところがあるだろうが、勘弁してくれ

木下古栗について

本書は短編小説集である。ほんとに、数ページで終わるような話も多い。ジャンルは………たぶん文芸だ。

そして、著者は木下古栗(きのした・ふるくり)。1981年埼玉県出身だが、本名も、誕生日も、性別もわからない。Twitterもやっていないので、その人柄もよくわからない。ただ、文体を見る限り、おそらく男性だと思われる。

デビューは2006年、『無限の調べ』で、第49回群像新人文学賞を受賞した。その後、『いい女VSいい女』絲山秋子より絲山賞を受賞し、2015年には『金を払うから素手で殴らせてくれないか?』Twitter文学賞国内編1位を獲得している。知名度は高くないが、おそらく一部の人の間でカルト的な人気を得ている作家だ。

いい女vs.いい女

いい女vs.いい女

 

 

金を払うから素手で殴らせてくれないか?

金を払うから素手で殴らせてくれないか?

 

文体は、下ネタのオンパレードである。この世に存在するありとあらゆる下ネタワードをちりばめながら、なおかつ品位を保つという世にも不思議な文体で不思議な物語が織りなされる。

『ポジティヴシンキングの末裔』のレビュー

今回紹介するのは、単行本として初めて刊行されたこちら。

ポジティヴシンキングの末裔 (想像力の文学)

ポジティヴシンキングの末裔 (想像力の文学)

 

いやはや、早川書房さんもよくまぁこんな本を出版しようと決意したものである。折り返し部分に書かれた説明はこんな感じ。

まったくもって毛深い体質ではなかったはずなのに、ある朝、純一郎が目覚めると、手足が自らの陰毛によって緊縛されていた……(「ラビアコントロール」)。枕に額を預けて目をつむった。眠りの底なし沼に沈みそうになる。このまま性器をまさぐり出せば俺はマスターベーションを避けられないだろう……(「糧」)。不可思議な官能のスパイスがまぶされた約30編が共演する初作品集。

「ラビア・コントロール」など、グレゴール・ザムザも真っ青な状況である。しかも、当然ながら、こうした状況がどうして起きたのか、そうした説明は一切されない。

見よ、この圧倒的な文体を

ほかにもいくつか、本編から抜粋してみよう。情景を想像しながら読むと、さながらまどろみの中で見る悪夢を想起させる。

ある未明、有閑マダムたちの住む高級住宅地の路地に大量の馬糞がばらまかれた。犯人は金持ちの金銭的余裕を妬んで止まない貧乏人。この日のために何週間にもわたって近所の馬小屋から盗んだ馬糞を密かに大袋に溜めておき、あらかじめ下調べしておいたこの路地にすばやく手際のよい仕事でばらまいたのである。夜が明けて犬の散歩に出ようとした一人の夫人が第一発見者となった。路面に散らばる何者かの糞便、いやもしやこれは動物園から脱走してきた獣のものだろうか、とにかく凄まじく不快で、おぞましく不快で、おぞましく不潔で、異様な茶褐色としか言いようのない光景である。

『ある未明、有閑マダムたちの――』より)

人々の間に争いが絶えることはない。口を開けば罵り合い、拳を握れば殴り合う。刃物を持てば刃傷沙汰だ。いくら血で血を洗おうと血生臭さは消えず、無色透明の空気にさえ、窒息するほどどぎつく染みついている。既に遍く染み渡っているせいで、最早ことさら鼻につかないだけ。敢えて意識すれば、たちまち無限の嘔吐を催してしまうだろう。荒い呼吸がせわしなく重なり合い、息のおぼろな輪郭が響き合う。まだ年端のいかぬ子供二人が、獰猛な闘争心を剥き出しにして、がっしりと組み合って凄まじい四つ相撲を取っている。郷愁を誘う夕焼けに一面赤々と染められた円形の砂場が、いつの間にか、血の海を埋め立てて作られたコロセウムと化している。双方とも今時珍しい寒さ知らずの貧しげな半袖半ズボン姿で、手っ取り早く体を芯から温めるためかと一瞬思ったが、そんな生温かい抱擁とは程遠い、死闘さながらの壮絶な四つ相撲に取り組んでいる。

デーモン小暮より)

その時、突然の腹痛がジャクソンに襲いかかったのだった。胃の中で興奮した闘牛が暴れだしたような激痛に腹を抱えてうずくまり、鬼のように凄まじく顔を歪めて、トイレを借りる意外に活路を見いだせない過酷な現実を瞬時に認識した。まさに、ただごとではない状態。究極の切迫。泣き出しそうなほどに歯を食いしばり、額に危機感のエキスの凝縮された熱い脂汗がどっと噴き出る。死ぬ思いで締め付ける肛門が切なすぎる。海を渡った異国の地でたった独り、強烈な便意の底に沈められて。下半身の獰猛な内部暴走。消化器官の中で褐色の野獣が唸る。今まで生きてきてこんなにも尻の核心に全力を集中させたことはない。その核心が爆心となる前に、噴火口を無理にでも閉じろ。死に物狂いで穴を封鎖しろ。もう、早くも今が瀬戸際なのだ。儚い一縷の望み、すなわちこの激痛が一過性のであるなどという甘い期待は一刻も早く忘れたほうがいい。痛みは出すまで消え去らない。出口は便器それ一つしかありえない。本当に、もう事態は真剣にクライシスなのだ。一瞬一瞬が我慢の天王山。肉体的には間違っても踏ん張ってはならないが、精神的には命懸けで踏ん張り続けなければ道は開けない。絶対的なピンチの真っ只中で、あるかもしれないチャンスを待て。ほんの数秒の、駆け込めるだけの余裕を。

『この冬…ひとりじゃない』より)

ここ数日間、何者かに郵便受けを荒らされている形跡があったのだが、マンションの外に出るなり洋子は爽やかな晴天に目を細めた。天気予報を見ていなかっただけに余計に行幸に恵まれた気分になる。気持ちのよい朝一番の微笑みが葛飾区の青空を突き抜けた。しかし、そんな洋子にも爽やかとは言い難い服装上の欠点があった。下着を穿いていないのだ。今日に限って穿き忘れたのではない。日頃からなるべく穿かないように努めている。駅へ向かってスカートの下はノーパンで颯爽と歩いていると、大地から湧き出るエネルギーをじかにバギナで吸収できるため、今日も一日頑張ろうという活力が全身に満ち溢れてくる。股間は元気の入り口なのだ。

『清潔感のある猥談』より)

( ゚Д゚)<股間は元気の入り口なのだ!

――まぁ、基本的に、こんな感じの文章がただつらつらと、幾ページもわたって続いていると考えておけばまず間違いではない。一応、小説なので、物語的な展開がないわけでもないが、そんなものはどうでもいい。

本書の真髄は

そう、この本に限っては、ストーリーを楽しむものではないのである。本書はあくまでも木下古栗が織りなすこの文章を読むことに愉悦を見出せる人間でなければ、読んでもつまらないものだろう。

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下品な言葉の裏にあるメッセージ

そもそも、シナリオを楽しみたいのであれば、もっと読みやすくて手に汗握り、胸が高鳴る小説などいくらでもある。本書はそうした胸が熱くなる展開はないし、物語ごとの深遠なテーマもない。ただ、圧倒的なエネルギーを放つこの言葉の群れどもをただ読む進めることを楽しむのだ。まさにこれは、「文芸」たる作品と言えるのかもしれない。これこそが「文芸」や!!

下品な単語を使いまくっているのは、そもそも文芸とは「書かれている内容」を重視するものではないという著者なりのメッセージをアイロニカルに表現しているとも考えられる。だからこそ、徒花としては解説文にあるような「官能のスパイス」という表現はどうにもしっくり来ない。「官能」というのはむしろ、直接的な表現をしなくても読む人間の性欲を刺激する作品に対して使われる言葉だからだ*1。それに対し、本書ではまったくそういった性欲は掻き立てられないし、むしろ可笑しさを抱く。

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これまでエントリーで散々「うまい文章」やら「おもしろい文章」やらを説明したが、本書の文章はそれらのセオリーをことごとく無視している。一文は長いし、やたらと難しい感じや言葉が出てくる。そして、改行も必要最小限なので、すべてのページにみっちりと文字が詰まっている。見開きに一度も改行がないところも少なくない。

しかし木下古栗の場合、そうした「読みやすさ」を補って余りある語彙力と表現方法、そして得体の知れない熱量によって、読むものを虜にしてしまう引力がある。まさに「奇人ホイホイ」である。とんでもない作家に出会ってしまったモンだぜ……。

おわりに

もしもあなたが普通の本に飽き飽きしていて、マッドでカオスでクレイジーでオッパッピーな一冊を求めているのであれば、木下古栗という作家の作品はひとつの選択肢になることだろう。ただし、趣味が合わないとまったく面白い本ではないと思うので、そこらへんは自己責任だ。それに、刷り部数が少ないためか、本の値段は他の単行本に比べるといささかお高めである。

読書の世界に果てはない……。

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それでは、お粗末さまでした。

*1:たとえば、官能小説でヴァギナのことを蜜壷とかと表現するように