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本で死ぬ

基本的には本の話。でもたまに別の話。

『向日葵の咲かない夏』はミステリーではない

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※本エントリはあまりにも文字ばっかりだったので、ところどころにセクシーなお姉さんの写真をばら撒いたが、内容とは全然関係ない

 

人に本を薦める、というのはなかなか難しい。

 

もくじ

 

とくに私は天邪鬼な性格なので、しきりに猛プッシュされると、かえって読む気をなくすというか、「絶対に読まんぞ、絶対にだ!(╬╬^益^)」と反発してしまう。

そのため、徒花はあまり積極的に人に本を薦めたりしない。

 

とはいえ、ごくたまに「おススメの本を教えて」などと酔狂なことを言ってくる輩もいる。

こうしたときに、私と同様に読書が好きな諸兄が注意すべきは「本当に自分が好きな作品をおススメしてはならない」ということである。

なぜなら、相手が求めているのは「自分がおもしろいと感じられる作品」であり、「徒花がおもしろいと感じる作品」ではないからだ。

ここを誤解してはいけない。

 

前置きが長くなったが、徒花は数年前からサル友人Yによって「この本を読め! そして感想を教えろ!」と脅迫されていた。

 

しかも、そんなに頑なに薦める本について、Yは「こんな結末が許されるのか!?」「だいぶ高く評価されているらしいが、自分はとてもそんな価値がある作品には思えない!」など、非常にネガティブな評価を下しているのである。

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というわけで、根性のひねくれている私の胸の中では「そんなにボロクソにいう本だったら逆に読んでみたい」という気持ちと、「そこまで猛プッシュされると読みたくない」という気持ちが押し合いつつもへし合っていたわけだ*1

 

しかしつい先日、電話で話をしているときにまたこの話題になったので、いよいよ私も腹をくくってこの本を読んでみることにした。

そう、その曰くつきの本こそ、今回紹介する道尾秀介氏の『向日葵の咲かない夏』である。

 

ミステリー作品ということで私も興味がないわけではなかったが、なんだかんだと読まずにここまで生きてきた。

というわけで、いつものごとく、まずは著者の紹介から始めていこう。

 

道尾秀介氏について

道尾秀介氏は1975年生まれの作家だが、どうも生まれた場所がはっきりしない。

新潮社の著者紹介ページでは「東京都生まれ」とあるのだが、Wikipediaの著者ページでは兵庫県芦屋市生まれで、のちに千葉県、東京都北区に引っ越したとある。

このWikipediaのソースは『作家の履歴書 21人の人気作家が語るプロになるための方法』である。

 

もともと読書家だったわけではないようで、17歳のときに付き合っていた彼女に影響されて本を読むようになったという。

顔写真をネットで検索してもらえればわかるが、なかなかのイケメンだ。

おそらくリア充だったのだろう。爆発しろ! 

 

デビュー作は『背の眼』

当初は横溝正史が好きだったようだ。

 

小説を書き始めたのは19歳(大学生)からで、一般企業に勤める傍ら執筆活動を続け、2004年に『背の眼*2幻冬舎)がホラーサスペンス大賞特別賞を受賞して作家デビュー。

2005年に専業作家となり、『シャドウ』(東京創元社)、『ラットマン』(光文社)、『カラスの親指』(講談社)などを発表し、作家としての地位を確立させている。

 

ちなみに秀介は本名で、「道尾」は2003年に亡くなった都築道夫(つづき・みちお)からとったという。

道尾氏の小説には「ミチオ」という名前の登場人物がたびたび登場するそうだが、これは秀介氏本人を表しているというよりも、都築道夫氏に対する思い入れの強さが表れている結果なのかもしれない

道尾氏の作品が好きな人は、都築氏の作品も読んでみたほうがいいだろう。

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『向日葵の咲かない夏』について

本作は2005年に発表されたもので、本格ミステリ大賞候補にもなり、いまなお道尾氏の代表作となっている。

あらすじ:

小学生のミチオは一学期の終業式の日、欠席したS君の家にプリントを届けるために彼の家を訪れたが、そこで発見したのは首を吊って死んでいるS君の姿だった。急いで学校に戻って担任に伝えると、ミチオは一旦家に帰される。その後、担任と2人の刑事が家に来るが、ミチオにもたらされたのは、“Sの死体はなかった”という知らせだった。
それから1週間後、死んだS君が“あるもの”に姿を変えてミチオの前に現れ、「自分は殺された」と訴える。ミチオは妹のミカと共に、S君の死体と、彼を殺した犯人を探しだすことを決めた。

 

これだけを読むと、「夏休みに旧友の幽霊の頼みを聞いて殺人事件を解決する小学生の冒険活劇」のようで、なんだか爽やかで楽しい物語であるようにも思える。

「死体を探す」なんていうと、名作映画『スタンド・バイ・ミー』のようだ。

 

しかし、そんな「青少年の成長物語」を期待して本書を買ってはいけない

この物語に登場する主要なキャラクターたちはだいたい心の中に形容しがたいどす黒い闇を抱えていて、読んでいるだけで気分が暗澹としてくる

 

実際、道尾氏の元には読者から「物語が陰惨」「登場人物が可哀想すぎる」といった感想が届いたようで、もしかするとタイトルやあらすじのイメージと大きなギャップが感じた人もいたのかもしれない。

ちなみに、2007年に千葉県で発生したリンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件の犯人である市橋達也氏の身柄が確保されたとき、同氏が持っていたカバンの中に本書があったという報道もされたという。

 

以後、本編であるレビューに入っていくが、その前に個人的に気になったことについて書かせていただきたい。

それは、主人公のミチオくんがどこに住んでいたのだろうかということだ。そんなものはどうでもよい、という御仁は次の見出しまで飛ばしてもらってかまわない

 

作品内で「M大前」という、明らかに京王線の「明大前」を指す駅名が出てくるため、京王線沿線に住んでいる徒花としてはちょっと調べたくなったのである。

どうやらミチオくんの住んでいる町の最寄り駅は命題前とつながっている「N」という駅だとわかる。

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イニシャルがNになる駅の候補になるのは京王本線の「中河原駅」と、京王井の頭線の「西永福駅」である。

また、いちおう忘れてはいけないのが都営新宿線の「西大島駅」だ。都営新宿線京王本線は直通運転をしているので、西大島駅からも乗り換えなしで明大前駅に行ける。

 

ただし、じつはこの3つのうち、小説の舞台となった「N駅」は中河原駅だと考えられる

なぜなら「西永福駅」と「西大島駅」はホームがひとつしかない構造となっているため、小説のように上り路線と下り路線でホームが別れていない。

一方、中河原駅は上りと下りでひとつずつホームがあるのだ。

また、小説の舞台となっているのはどうやら緑がそれなりに残る住宅街のようで、この3箇所の中では一番東京都心から郊外に位置している中河原が雰囲気とも合致するのである。

 

もちろん、これは別に知らなくてもなんら問題はないことである。また、もしかしたら「M大駅」が明大前駅ではない可能性もあることは留意したい。

 

『向日葵の咲かない夏』のレビュー(ネタバレあり) 

向日葵の咲かない夏 (新潮文庫)

向日葵の咲かない夏 (新潮文庫)

 

基本的に文芸作品のネタバレは好まないが、

①本作はさまざまなところでネタバレアリの解釈論、考察が語られていること

②本作についてちゃんと語るためにはネタバレにならざるを得ない部分があること

を理由に、今回はネタバレありで本作のレビューを語る。

そのため、以下の内容はあくまでも本書を読み終えた人を対象にし、いちいち細かい説明はしていかないことをご了承いただきたい。

 

ミステリーとしては許せない点

 

いろいろ考察すべき部分はあるが、徒花がもっとも気になるのは、そもそもこの本を薦めた友人Yは本作のどこに憤ったのか、という点である。

実際、本書は読んだ人を憤らせるような要素がいくつかある。たとえば、

  • ミステリーにもかかわらず輪廻転生や動物が人語をしゃべる
  • 主人公のミチオだけが動物の言葉を理解できる
  • 上記のファンタジックな出来事が実際に起きたことなのか、それともすべてミチオの妄想なのかが最後まで語られないため判断できない
  • 最後の最後で、結局ミチオは自らの両親を殺害したのかもはっきりしない

 

ここで重要なのは「ミステリーにもかかわらず」という部分だ

はっきりいって、これらの要素も、ファンタジー小説や文学作品なのであれば、誰も文句は言うまい。

しかし、ロジックとトリックを基調とするミステリーを期待していた人にとっては、肩透かしを食らうような内容ともいえる。

ここで考察すべきは、「この作品はミステリーか否か」である。

 

気になるAmazonの紹介文

 

私が注目したのは、本作品が新潮文庫として出版された点。

新潮文庫というレーベルはいろいろなジャンルの作品がごった煮になっているので、たとえば「創元推理文庫」などと比べて、作品の傾向を判別しづらい。

だが、Amazonの当該商品ページを見ると、気になるところがある。

以下引用。

 

夏休みを迎える終業式の日。先生に頼まれ、欠席した級友の家を訪れた。きい、きい。妙な音が聞こえる。S君は首を吊って死んでいた。だがその衝撃もつかの間、彼の死体は忽然と消えてしまう。一週間後、S君はあるものに姿を変えて現れた。「僕は殺されたんだ」と訴えながら。僕は妹のミカと、彼の無念を晴らすため、事件を追いはじめた。あなたの目の前に広がる、もう一つの夏休み。

 

たしかに、「首吊り自殺」「消えた死体」「事件を追う」など、ミステリーを連想させるワードは出てくる。

が、私が違和感を感じたのは〆の一文だ。

これは、ミステリー作品を紹介する最後の一文にしては違和感がありすぎる。

私がここから感じるのは、もしかすると作家本人も、そして担当した編集者も、この作品がミステリーであるとはあまり考えていないのではないかということである。

ただ、話の内容がそれっぽいのと、本作が「本格ミステリ」大賞の候補になったことが、読者に自然とミステリー的な質の高さを期待させてしまうのではないだろうか。

 

みんな勝手に「ミステリー」だと思ってるだけ?

 

つまり、著者も出版社側もそうだとはいってないのに、みんな勝手にこの作品をミステリーだと考えているに過ぎない

もしかすると、ミステリー風新感覚文学、とでも呼んだほうがいいと十分考えられるのだ。

もしかすると、友人Yが憤っているのも、そもそもこの作品に対する認識のズレがその理由の根底にはあるのかもしれない。

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ただし、徒花が考える要因はもうひとつある。

それは、本作の根幹を成すのが「叙述トリック」である点だ。

 

叙述トリックとは文章の仕掛けによって読者をミスリーディングさせる手法で、いってしまえば、読者だけが騙されるトリックだ。

たとえば一般的なミステリーならば、犯人が仕掛けたトリックには登場人物たちも騙されてる。しかし、叙述トリックの場合、犯人(または著者)が仕掛けたトリックに騙されるのは読者だけで、登場人物たちが騙されることはありえないのである。

 

以下、思いっきりネタバレ入ります

 

本作でいえば、ミカがトカゲであることや、トコばあさんがネコであることは、一部を除いて登場人物はみんな知っていることだった。

だから、読者によってはこのトリックを「アンフェアだ」と感じる人もいるのである。

 

これはけっこう難しいトリックで、下手をすると物語の中に矛盾点が生じる。

実際、私がレビューを書いている人のサイトをいくつか回っても、叙述トリックを崩すような矛盾点を指摘している人もいた。

もしかすると、友人Yも、一見アンフェアに見えるこのトリックのやりかたに憤ったのかもしれない。

 

しかし、私からすれば、叙述トリックはすでにミステリーの歴史の中では確立されたひとつの手法であり、いまさらその是非を問うようなものでもないと思う。

歴史的に見れば、この叙述トリックを使って大々的な論争が巻き起こったのは、名探偵エルキュール・ポアロが活躍するアガサ・クリスティの名作『アクロイド殺し』(早川書房、発表は1926年)にさかのぼる。

アクロイド殺し (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

アクロイド殺し (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

 

本作の概要は以下に書いたが、もしかするとアクロイド殺しを読んだことがない人もいるかもしれないので、核心の部分は伏せておく(反転させれば読める)

ちなみに、Wikipediaアクロイド殺しのページには堂々と犯人やネタバレが書いてあるので、これについて調べる際には注意が必要である。

 

とある田舎の村で、その土地一番の富豪であるロジャー・アクロイド氏が殺害された。警察は義子のラルフ・ペイトンを容疑者と考え、捜査を進める。だが、ラルフの婚約者であるフローラ・アクロイドは彼の無実を証明するため、探偵を引退して村に引っ越してきたばかりだったエルキュール・ポアロ氏に真相の究明を依頼。ポアロは村の医師、ジェイムズ・シェパードを助手役にして事件に挑む。
じつは、犯人はこの物語の語り部であり、ポアロの助手を務めたシェパード医師。彼がアクロイド氏を殺害した部分だけ、物語の描写が抜けている(ただし、よく読むと時間的に確かに不自然な部分がある)。「読者を騙す語り手」とも呼ばれる。

 

このアクロイド殺しに対し、当時の世間では「フェア・アンフェア論争」が巻き起こり、推理小説家の間でも意見が割れた。

ただし、現在ではこうした叙述トリックはよっぽどひどい矛盾がない限りOKとされていて、トリックの形のひとつとして認識されている。

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作品としての魅せ方は「うまい」

 

んで、そうした素地を持った上で徒花がこの作品をどう感じたかといえば、「うまい」の一言である。叙述トリックを使ったものとしては、良質だろう。

もちろん、冒頭からミカの「すべすべした腹」などという描写があり、このミチオくんは極度の変態シスコン野郎なのか? とは思ったが、まさかトカゲとは思わなかった(そしてミチオくんは寂しさから妹だと思っているトカゲの指をくわえるもっとアブナいド変態だった)。基本的に私がミステリ作品に求めるのは不可解な謎の提示と、その鮮やかな解明である。

その意味においては、本作は私にカタストロフィを感じさせてくれたので、悪くないものだった。ただ、好き嫌いは激しそうなので、誰にでもおススメできる作品では、ない。

 

でも、不満な点はある

 

ただし、徒花にもちょっと不満な点がある

それはやはり、本作品の「非ミステリ的」な部分だ。本作は、最後の最後のところで結局、ミチオの行為の真実は読者の解釈にゆだねてしまっている。

 

本作の解釈は、次の2つに分けられる。

  1. 本当に輪廻転生した動物たちがしゃべっていた
  2. 本当は動物たちはしゃべっておらず、すべてミチオの妄想だった

 

正直なところ、私はどちらでもかまわないのだが、どちらかにハッキリさせてほしい。

もし、本書が「ミステリー」であればなおさらだ。

ただ、母親が人形をミカだと思い込んでそう接していたことがあるため、個人的には2の可能性が高いのではないかと思っている

 

意図がよくわからない主人公の名前

 

それから、意図がさっぱり分からないのが、ミチオの名前だ。

著者は自分の作品の登場人物によく自分と同じ名字などをつけるようなので、それを意識したミスリーディングに思えるが、そもそもミチオが名字ではなく名前だったからなんなんだ? というハナシ。結局、彼は摩耶道夫という名前で、摩耶とは釈迦の母親という説明がある。

 

深く考えれば、やっぱり動物たちはちゃんと輪廻転生してミチオとしゃべっていた(前述の1のパターン)というメッセージにも受け取れるが、それはわからない。

個人的には摩耶道夫(まや・みちお)といわれても魔夜峰央(まや・みねお)か麻耶雄嵩(まや・ゆたか)くらいしか思い浮かばないが、たぶんこれはあんまり関係ないだろう。

 

タイトルもよくわからない

 

それから最後にタイトル。くわしくはコチラの人のブログを読んでもらうのが一番手っ取り早いと思う。

なるほどなーと思ったりしたが、とくにそれ以上は何も思いつかなかった。

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本書は「ミステリーを装った…」

 

かなり長くなってしまったが、私なりのまとめに入る。

 

本書はいろいろと読者の解釈に委ねる部分が多い「ミステリーを装った文学作品」である。

しかも、人間のどす黒い感情を思いっきり前面に押し出してくる。

だから、読後はモヤモヤとした感情に支配されるかもしれないけれど、「これはそういう作品なんだ」と思って読めば、悪くない作品だ。

 

今回はこんなところで。

それでは、お粗末さまでした。

*1:もちろん、私がすっかり忘れていたということも理由の、少なからぬ部分にはある。

*2:この作品、コミカライズもされている。