本で死ぬ ver2.0

基本的には本の話。でもたまに別の話。

『殺人者と恐喝者』のレビュー~ジョン・ディクスン・カーとカーター・ディクスン~

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ミステリーというのは単調なジャンルである。古今東西、どんな物語であろうと、「事件が起きてそれを探偵が解明する」という構図が変わらない。しかし、それでも私がミステリーに惹かれるのは、謎が解明された時にえも言われぬカタストロフィを感じられるからだろう。

 

ほかのジャンル――ファンタジーでもSFでも恋愛でも――巧妙に張り巡らされた伏線がクライマックスに向けて鮮やかに回収され、すっきりと明らかにされる話が好きだ。逆に、純文学のようになにがなんだかわからないまま物語が終わってしまう作品だと、ちょっとしたフラストレーションを感じてしまうのだが。

ミステリーといってもさらにそのなかで系統は細分化される。なかでも私が最も好むのは本格派だ。本格派ミステリーの特徴はいろいろと挙げられるが、その傾向としては社会的な問題も提起しないし、ドラマとしての感動もあまりない。極端に言えば、犯人の動機や話の進め方に若干無理があっても、とにかく上質なトリックや読者に対する巧妙なミスディレクションがあればそれでよしとしてしまう作品のことである。

どの作家が本格派かといわれると難しいところがあるが、日本人作家で私が好きな人を上げれば島田荘司西澤保彦泡坂妻夫二階堂黎人あたりである。なかでも、嶋田荘司氏の『占星術殺人事件』はおそらく私が生まれて初めて読んだ本格推理小説であり、その鮮やかなトリックには度肝を抜かれた記憶が強く残っている。

占星術殺人事件 (講談社文庫)

占星術殺人事件 (講談社文庫)

 

外国人作家は(登場人物の名前があんまり覚えられないので)さほど読まないが、アガサ・クリスティは大好きだ。そして、彼女と同じくらい私が好きな外国人作家が、今回紹介するジョン・ディクスン・カー、あるいはカーター・ディクスンである。レビューに入る前に、例によってこの著者の紹介から始めよう。

ジョン・ディクスン・カーあるいはカーター・ディクスンについて

1906年生まれのアメリカ人作家。ただし、イギリス人の女性と結婚してイギリス暮らしも長かったようなので作品の舞台や登場人物もイギリスが多く、正直、徒花もこのエントリーを書くために調べるまで、てっきりイギリス人だとばかり思っていた。

当初は同人誌で小説を執筆していたが、『夜歩く』が高評価を受けて商業作家としてデビュー*1。数多くの短編・中編・長編作を残し、いまも名を残す。ミステリ好きで彼の名前を知らないのはモグリである。名前が2つあるのは、それぞれのペンネームでいくつもの作品を出版しているから。同じようなトリックでも違う名前で出版すればいいだろうと考えていたようで、案外セコイ男だったようでもある

夜歩く【新訳版】 (創元推理文庫)

夜歩く【新訳版】 (創元推理文庫)

 

さて、カーを語るうえでなんといっても欠かせないキーワードが「密室」だ。カーは『密室の王者』ともよばれていて、その異名の通り、作品には密室や不可能犯罪というシチュエーションがよく出てくる。ただし、異名の理由はそれだけではない。カーの生み出した名探偵のひとり、ギデオン・フェル博士が『三つの棺』という作品のなかで広く“密室講義”と称される話をしているのだ*2

三つの棺〔新訳版〕 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

三つの棺〔新訳版〕 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

博士は「秘密の抜け道や凶器が通れるような穴の存在は下等なトリック」として除外しつつ、密室の作り方を大きく2通りに分類する。つまり、「そもそも密室内に犯人は入っていない」もしくは「じつは密室ではなかった」というものである。詳しくはもっと細かく分かれているのだが、それは作品を読むかWikiで確認してほしい。

すでにひとり出てきたが、カーが生み出した代表的な名探偵は3人いる。先述した法学博士のイングランド人であるギデオン・フェル博士、パリの予審判事であるアンリ・バンコラン(マンガ『パタリロ!』に登場するバンコラン少佐の名前の由来となっている人物である)、そしてイギリスの元陸軍諜報部長だったヘンリ・メリヴェル卿(H・M)だ。

パタリロ! 1 (白泉社文庫)

パタリロ! 1 (白泉社文庫)

 

なかでも一番人気があると思われるのがH・Mで、禿げ頭、体重100キロを超える巨漢、そしてとにかく口が悪いなど、なかなかキャラクターの立った爺さんである(モデルはイギリスの元首相、ウィンストン・チャーチルであるとされている。以下の写真の人物)。その容貌にたがわず、作品はどこかコミカルなものが多い。かくいう私も一番好きなのはH・Mであり、カーの作品の中で一番おススメしたいのはH・Mが登場する短編『妖魔の森の家』である(ただし、この作品はあまりコミカルではないことを注記しておく)。ちなみに、短編集に出てくるマーチ大佐も個人的には結構好きだ。

妖魔の森の家 (創元推理文庫―カー短編全集 2 (118‐2))

妖魔の森の家 (創元推理文庫―カー短編全集 2 (118‐2))

 

f:id:Ada_bana:20150625121821j:plainウィンストン・チャーチル

 

『殺人者と恐喝者』のレビュー(ネタバレなし) 

殺人者と恐喝者 (創元推理文庫)

殺人者と恐喝者 (創元推理文庫)

 

さて、本作はH・Mが探偵役を務める長編小説であり、コミカル色がわりと強めである。ざっとしたあらすじは以下のような感じ。

美貌の若妻ヴィッキー・フェインは、夫アーサーがポリーなる娘を殺したと覚った。居候の叔父ヒューバートもこの件を知っている。叔父は借金を重ねた挙げ句、部屋や食事に注文をつけていたが、アーサーが唯々諾々と従っていた理由がこれで彼女にもわかった。

体面上、警察に通報するわけにはいかない。だが、そ知らぬ顔で客を招いた夜、衝撃的な殺害事件が発生し、アーサーが殺される。近くの屋敷で回想録の口述をしていたヘンリ・メリヴェール卿の許にこの急報が入り、秘書役ともども駆けつけて捜査に当たることとなった。自叙伝の口述を進めながらH・Mが導き出した真相とは?

 もう少し、ネタバレにならない程度に、どのような状況で殺人が起きたのかを説明しよう。

フェイン宅に招待された客のひとり、リッチ医師が催眠術を披露することになる。その被験者として選ばれたのはヴィッキーだった。リッチ医師はゴム製のナイフを準備し、ヴィッキーに催眠をかけてゴムのナイフでアーサーを刺す行為をさせようとしたのである。しかし、実際に操られたヴィッキーがナイフを突き立てると、それは本物にすり替えられていて、アーサーは死んでしまった。ナイフがゴム製であることは直前に全員で確認し、テーブルの上に置かれた後、誰一人テーブルには近づいていない。どうやってもナイフのすり替えなんてできそうもない状況だったのである。

 さて、じつは本作の最大の読みどころはどうやってナイフをすり替えたのかというハウダニットではなく、誰がすり替えたのかというフーダニットでもない。本書に仕掛けられたミスディレクションが効果を及ぼすのは動機であるワイダニットの部分であり、「ああ、だからこんなタイトルだったのか!」とひざを打つ仕掛けになっている。ただし、Web上にあるほかの感想を見ると若干アンフェアであるように感じている人もいるようだ。

つまり、それが何を意味するのかというと、どうやってナイフをすり替えたのかというトリック自体は全然たいしたことないのである! はっきりいって拍子抜けすようなもので、ちょっと落胆してしまう。また、犯人に意外性があるかといえば、全然そんなことはない。ただ、真相を知ると、それまでのこの作品の構造がひっくり返ってしまうことは間違いない。という意味においては、なかなか楽しませてもらったため、良作といって差し支えないように思う。

また、本作はH・M卿のコミカルさが際立つ作品でもある。たとえば、H・M卿は事件が発生した家のマットレスで思いっきり滑り、家全体を揺らすような大振動を起こしてすっ転ぶシーンがある。これだけでも想像するとおもしろいのだが、短気なH・M卿が大声で罵詈雑言の数々をわめきたてたので、付き添っていたスコットランドヤードのマスターズ主任警部があわててH・Mの口を押さえて黙らせたという描写は笑うしかない。

カーは基本的にトリックや仕掛けを重視しているので、基本的にストーリーそのものは単調で、シンプルだ。だからこそ読みやすいといえるのだが、一方で物足りなさを感じる人もいるだろう。ただ、クリスティが好きな人ならば、たぶんおススメできる作家のひとりではある。カーの作品を読んだのはちょっと久しぶりだったが、やはり私の肌に合っている作家だと再確認できる一冊だった。

 

というわけで、お粗末さまでした。

*1:横溝正史にも『夜歩く』という作品があるが、こちらはまったく違うものである

*2:あんまり関係ないが、フェル博士はこのとき「自分たちは小説の中の登場人物である」というかなりメタ的な発言をしている。