本で死ぬ ver2.0

基本的には本の話。でもたまに別の話。

『インターネットは永遠にリアル社会を超えられない』のレビュー~ニャンキー保守論客の主張~

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引き寄せの法則」というやつを知っているだろうか・・・・・・。考えていることが現実になる、という現象のことである。

たとえばFF7がいまのCG技術で完全リメイクされればいいのになー」と考えていたら、PS4で実際にリメイクされることが発表されたような感じのことを指したりする。言霊とか呪詛もこれと似たようなものかもしれない。言葉に出すと、それが良いことであれ悪いことであれ、実現してしまうというものだ。ただ、一般的にはスピリチュアル系の考え方なので、この言葉をそんなに親しくない人の前でホイホイ使うと、アッチ系の人かと疑われることになりかねないことは付け加えておく。

 

ファイナルファンタジーVII

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さて、徒花は最近SFとか哲学とか陰謀論の本ばっかり読んでいたので、「この世界は本当に実在しているのか」「じつはこの世界は胡蝶が見ている夢の中なのではないだろうか」みたいなことで頭の一角が常に占められていた。のだが、いつまでもそんなことを考えていられるほど浮世離れした生活を送っているわけでもないので、社会学系の本を一冊読んでみた。それが、古谷経衡氏の新書『インターネットは永遠にリアル社会を超えられない』(ディスカヴァー・トウェンティワン)である。

本書は、インターネットの価値が過分に高く評価されすぎている昨今の風潮に警鐘を鳴らすような一冊であり、SFとか哲学とか陰謀論とはまったく関係ない内容だと思っていた。――のだが、なんと、ここにも私の世界認識に一石を投じるようなことがかかれていたのである。コレが引き寄せの法則というヤツなのかとも思ったが、たぶん、単なる偶然である。

『インターネットは永遠にリアル社会を超えられない』のレビュー(ネタバレあり) 

さて、まずはいつものごとく、著者紹介から始める。

古谷経衡氏は1982年生まれの評論家で、まだ32歳と若い。タカ派保守系の論客で、竹島に上陸なんかもしたらしい。「ビートたけしのTVタックル」にも出ていたりするので、テレビで見たことがある人もいるかもしれない。その最大の特徴は、なんといってもあの髪型である。方まで届く長髪にワックスをつけてもっさもっさと盛り上げているあの独特な髪型は、さながら背中の毛を逆立てて相手に少しでも自分の姿を大きく見せようとする動物のようである(または落ちぶれたホスト)。もしかすると、実際にあの髪型で論争におけるアドバンテージ(論客には髪の毛に自信がないオッサンが多いので)を確保して、有利な状況を作り出そうという彼なりのストラテジーなのかもしれない。ただし、瞳は死んだ魚のようである。

最近は「保守派=右翼」みたいな短絡的な発想を持っている人も多いが、古谷氏はヘイトスピーチをはじめとする人種差別には断固反対する立場をとっている。とくに、ネット右翼という存在について熱心に研究しているようだ。

また、いわゆるオタクでもあり、自宅で買っているネコ・チャン太を溺愛するほどのネコ好きである。なにしろ、汚職事件に関与した国際サッカー連盟FIFA)の元理事が自分のネコのために高級マンション買い与えたと聞いて、自身のブログに「この男を許してやってほしい!」というタイトルで「猫のためにマンションを買う。このほとばしる猫愛を、誰が責められましょう!!」というエントリーを書くほどなのだ。完全なるニャンキー(ネコジャンキー)である。

というわけで、本の中身を紹介していく。

本書は巷にいまだ残る古色蒼然とした「ネット万能論」や、「インターネットは世論を反映している」という考え方を真っ向から否定し、「ネットメディアが既存のマスメディアを超えることはありえない」という主張を展開している。「ネット上の発言は世論の全体の声を代弁しているのではなく、ある一部のクラスタの主張だけが強調されてしまいがちである」という同氏の主張は冷静にメディア・リテラシーを持っている人からすれば「当たり前」の話のようにも思えるが、具体的な事例(2014年11月に行われた衆議院議員総選挙での「次世代の党」の惨敗)を取り上げながら論理的に説明されると、「なるほどな」と改めて納得できる。もちろん、メディア・リテラシーを持っていない人にとって見れば、目から鱗が落ちるような論かもしれない。

どれだけ人気のあるYouTuberやニコ生主であっても、やはりテレビに出ている芸能人と比べると、世間一般での知名度は天と地ほどの差がある。ブログの読者数やTwitterのフォロワー数がどれだけ多くても、フリーランサーやアーティストなどでない限り、リアル社会での成功にはほぼ結びつかない。ネットの中を傍観しているとそんなことは当たり前だといえるのだが、ネットで一度祭り上げられると、さながらその権威がリアル社会でも通用するように感じてしまうのが人間というものなのかもしれないと感じる次第である。

なお、著者はYoutuberはクラスタに自閉する存在であり、それを突き破ろうとする試み自体も滑稽だと述べている。個人的にはこうした可能性をも否定するような物言いはちょっと気に食わないところもあるが、やはりクラスタを飛び出してより認知度を広めるためには書籍の刊行やテレビの出演など、既存のマスメディアを利用しなければならないのはまぎれもない事実だろう(少なくとも現在は)。そのような意味で、タイトルにあるように『インターネットは永遠にリアル社会を超えられない』と主張している。

とはいえ、個人的にこのタイトルは偽りアリ……というよりも、説明不足であるといわざるを得ない。

なぜなら、著者はインターネットは永遠にリアル社会を超えられない理由として、「現実から完全に分離独立した仮想空間が技術的に不可能に近い」からだと説明しているからだ。逆に考えれば、「現実から完全に分離独立した仮想空間が実現すれば、インターネットがリアル社会を超える可能性はありうる」といえる。つまり、このタイトルの主張が正しいためには「現実から完全に分離独立した仮想空間が技術的に不可能に近い状態が続く限り」という枕詞をつけなければ正確ではないのである(とはいえ、タイトルを多少盛るのは常套手段なので、そこまで責めるほどの脚色ではない)

たとえば2003年に話題となった仮想現実「セカンドライフ」はさまざまな企業が仮想世界に広告を出し、世界を変えるかに思われたが、結局さほど大きな流れにはなっていない(ちなみに、2013年とちと古いが、東洋経済こんな記事もある)。それは、たとえアバターセカンドライフの世界の中で自由に動き回っても、それを見ている現実の自分は相変わらずそこに存在し、PCの電源を落とせば切り離されてしまうものに過ぎないからだと本書では説明されている。それこそ、映画『アバター』や『攻殻機動隊』のように、自分の意識そのものを投下できない限り、仮想現実はリアル社会の代替物になりえないのである。まったく関係ないが、『エイリアン vs アバター』という、タイトルだけでクソみたいな内容だと予想できるようなパチモン映画に私は惹かれてしまうので、今度TSUTAYAに寄って、もしもあったら借りてみようと思う。

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そして、ここからが問題なのだが、本書では1章まるまるを割いて「現実」と「仮想」のどちらが真実なのか(どちらに優位性があるのか)ということについて、著者お得意の各種アニメ作品やフィクションを例に出しつつ説明している。登場する作品を羅列すると『電車男』『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』『攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL』『マトリックス』『アバター』『涼宮ハルヒの憂鬱』『ソードアート・オンライン』である。これが、冒頭に述べた私の最近の思考を著しく刺激し、「すわ、引き寄せの法則か」と思ってしまうような錯覚を抱いてしまった原因なのである。

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総論として本書を評価するならば「読んで損はないけど、どうしても読むべき本ともいえない」といったところである。ちなみに、各種アニメについては簡単にどういう物語かを説明してくれるので、それぞれの作品を見たことがなくてもさほど問題ない。しかし、新品価格で買う必要はないだろう。

中古で十分である。

 

それでは、お粗末さまでした。