『壱人両名~江戸日本の知られざる二重身分』(尾脇秀和・著)のレビュー
ONE PIECEがいま「ワノ国編」をやってますね。
最近はジャンプの立ち読みもしなくなったのですっかり話についていけなくなりましたが、アニメはたまに見ています。
さて江戸時代というと「士農工商」によって明確に身分が区別され、農民に生まれたずっと農民でいなきゃいけない…という世界だと思っている人が少なくないと思います。
が、じつはそうでもなかったらしい、ということを教えてくれるのがこの一冊です。
簡単に言うと、農民でありながらときどき武士になったり、職業ごとに別の名前を持っている人が江戸時代にはけっこういた、ということです。
公家の正親町三条家に仕える大島数馬と、京都近郊の村に住む百姓の利左衛門。
二人は名前も身分も違うが、実は同一人物である。
それは、生のイカが干物のスルメになるように、時間の経過や環境の変化で、名前と身分が変わったのではない。彼は大小二本の刀を腰に帯びる、「帯刀」した姿の公家侍「大島数馬」であると同時に、村では野良着を着て農作業に従事する、ごく普通の百姓「利左衛門」でもあった。
なぜこのようなことがまかり通っていたのか。
それは、江戸時代の社会が現代以上に厳格な「縦割り社会」だったからだというのです。
江戸時代に置いて大事なのは、その人が「誰の支配下にあるか」ということ。(ここでいう支配というのは管轄という意味に近い)
だから、江戸時代の人たちが名前を名乗るとき「私は○○村の○兵衛だ」と名乗るのは、自分の所属する組織及び、自分を管轄している支配者を明らかにするためのものだったわけです。
コレがごっちゃになってしまうのは、統治する側に立てば、具合が悪い。
だから、先の引用文でいえば、「大島数馬」というキャラクターは三条家の支配下にあるが、「利左衛門」というキャラクターはその村の地主の支配下にある・・・というような形で、名前と人格を変えることによって統治しやすくしていたのです。
壱人両名は事実上、黙認されていた
とくに、武士(統治する身分)とそれ以外(統治される身分)のどちらも持っているというのは、統治する幕府などにとっては非常に都合が悪い。
統治する立場と統治される立場が簡単に行き来できる状況というのは、社会の規律を乱し、統治能力を損なうような行動だからです。
というわけで、実際に「壱人両名」なる人々はたくさんいたけれど、幕府などの社会的にそれは公に認められていたわけではありません。
そのため、壱人両名の人がなにかトラブルを起こしてしまうと、罰せられてしまうケースも有りました。
ただ、その場合も、2つの名前を使い分けていたことそのものが罰せられたことはあまりなかったようで、たとえば「武士の立場ではないときに帯刀していた」など、「我意(ワガママ)」をベースに行動していたことが咎められることが多く、二重身分については触れられないこともあったようなのです。
日本社会は「なあなあ」でうまく回っている
本書ではかなりの数の事例を上げながらさまざまな壱人両名を説明してくれますが、最終的な結論である終章「壱人両名とは何だったのか」がおもしろいところ。
要するに、日本社会では昔から「建前」というものを大事にしながら、でもそれではうまく回らない部分については「暗黙の了解」というか、例外のような独自のルールを用いてうまく回していたのです。
たとえば、大名は生前に相続者を選定して幕府に申請していないと、ただちに断絶・取り潰しになるというルールが有りました。
ただ、実際には届け出をする前に当主がなくなった場合、家臣たちは「当主はまだ生きてますよ」という体を装って相続者を申請していたし、じつは幕府の方でもそれに気づいていながら申請を受理していたらしいのです。
なぜかというと、ルールに厳格に従って大名を取り潰してしまうより、そっちのほうが幕府もラクだからです。
ここでもし、とても正直な家臣たちが
「当主が相続人を選ぶ前になくなりました。でも、相続はさせてくださいお願いします」
とバカ正直に幕府に嘆願したとしても、幕府は立場上、そんなお願いを聞き入れるわけには行かない。
なぜなら、一度でもそれを許してしまうと、世間的に「ルールを破ってもいい」ということを幕府が示してしまうことになるからです。
江戸時代の社会秩序は、極端に言えば、厳密に守られている必要はない。ただ建前として守られているという体裁がとられていることを重視するのである。
明治維新によってこの壱人両名の制度はなくなっていきましたが、このような「暗黙のルール」によって表のルールでは対処しきれない出来事に対応させるというのは、日本社会では今でもけっこうあるような気がします。
それに、今の時代なら、立場によって自分の名前を変えるというのは、違う意味でアリなのかもしれませんね。
私自身、「徒花」という、いわばネット上の別人格として活動しているわけですから、コレはある意味、現代における壱人両名ともいえるわけです。
後記
久しぶりに『グーフィー・ムービー/ホリデーは最高!』を見ました。
グーフィーとその息子マックスの父子仲をテーマにしたちょっと珍しいディズニー作品です。
多くの人が知るように、ディズニーのメインのターゲットは女の子たちです。
なので、基本的にはヒロインが活躍する作品が多いのですが、そうしたなかで、この作品には女の子の登場キャラクターが実質、マックスの想い人であるロクサーヌくらいしかいません。
グーフィーの奥さんも出てこないし、極力、男だけで物語が進んでいくのです。
そして、この作品はほぼ唯一と言っていいくらい珍しい、グーフィーのガチギレシーンがあります。
ちょっと重苦しいシーンも多いけど、おもしろいので未視聴の方はぜひ。
今回はこんなところで。
それでは、お粗末さまでした。
『獏鸚』(海野十三・著/日下三蔵・編)のレビュー
いまでは「推理小説」というジャンル名のほうが人口に膾炙しているけれど、昔だと「探偵小説」と呼ばれていたこともあります。
じゃあこの2つの違いは何かというと、あんまり明確な区別はないようですね。
ただ調べてみると、坂口安吾のエッセー「探偵小説とは」というものがあって、以下のような書き方がありました。
元来、推理小説は、高度のパズルの遊戯であるから、各方面の最高の知識人に理知的な高級娯楽として愛好されるのが自然であって、最も高級な読者のあるべき性質のものであるが、日本に於ては、推理小説でなく、怪奇小説であったために、探偵小説の読者は極めて幼稚低俗であったのである。日本の文学者は今まで探偵小説とは怪奇小説と考え、食わず嫌いの傾向であったが、推理小説というものを知ったら、面白がるに相違ない。
※出典:青空文庫 https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42821_26306.html
要するに、探偵が出てくれば多少ロジックに無理があったり、怪異が出てきても「探偵小説」であるということのようです。
その意味でいえば、今回紹介するこの本は、推理小説と読んでも差し支えないんじゃないだろうかと思えます。
トリックの再現可能性は首を傾げたくなるところもあるのですが、一応すべて著者なりの科学的知見に基づいて行われているからです。
※ただ「SFミステリ」と称されている通り、あくまでフィクション的な科学的知見(つまりツッコミどころは満載)だといえますけど
著者の海野十三(うんの・じゅうざ)は1897年生まれで、本書に収録されている作品はいずれも戦前に書かれた古典的作品ばかり。
ただ、だからといって文章が古臭くって読みづらいかと言うと、そんなわけでもないのです。
飄々としたキャラクターたちに、テンポよく進む物語。
それでいてけっこう殺人事件の内容そのものは凄惨を極めていて、犯人の動機も常軌を逸していたりしてグロテスク。
『振動魔』など怪奇小説の特徴が強いものもありますが、ミステリーでよくある「引き伸ばし」なんかもなく、探偵役の帆村荘六(ほむら・そうろく・・・シャーロック・ホームズをもじったキャラクター)は謎がわかるとさっさと解き明かしてくれるのもよいですね。
400ページくらいのなかなかボリュームがある本ではありますが、読みづらさは感じず、現代のミステリ好きでも楽しめる一冊ではないでしょうか。
以下、簡単に内容を紹介していきます。
『麻雀殺人事件』
雀荘で毒物を使った殺人事件が起きてしまう、帆村荘六のデビュー作です。
著者の海野十三は麻雀が好きだった模様。
派手さはないけれどいちばんミステリーっぽいかもしれない作品ですね。
『省線電車の射撃手』
山手線の電車で女性たちが次々と銃撃されてるという連続事件です。
ポイントは射角。
ただ、ちょっと長めの割には冴えないトリックで、いまいち。
『ネオン横丁殺人事件』
飲み屋街で深夜に起きた銃殺事件。
いわゆるアリバイトリックものだけど、手法は科学的。
ただ、おもしろさはビミョー。
『振動魔』
不倫の末に望まぬ妊娠をさせてしまった男が、科学技術を使ってなんとか堕胎させようとする怪奇小説職の強い作品。
探偵・帆村が出てくるのは後半になってからだが、そこへきて怪奇小説から推理小説っぽくなる展開は嫌いじゃない。
『爬虫館事件』
行方不明になってしまった動物園の園長を探す物語。
爬虫館で飼っている大蛇に丸呑みさせたんじゃないかと帆村は考えますが、さすがに大の大人を丸呑みさせるのはムリだし、大蛇は死んだ肉は丸呑みしないからバラバラにしてから飲ませるのもムリ……というところでじゃあ延長はどこに行ったのか。
トリックそものはシンプルだけど、これは好き。
『赤外線男』
赤外線でしか探知できないいわゆる「透明人間」が次々と殺人を犯していく事件。
ただ、その前に電車による女性の轢殺事件が起こり、死んだはずの人間が墓からいなくなるなど、いくつも事件が絡み合った複雑なものになっています。
本作はまさしく「SFミステリー」という呼び名にふさわしい感じのトリックでなかなかおもしろい。
『点眼器殺人事件』
秘密結社によって突然拉致された帆村探偵が、限られた情報の中で半ば強制的に殺人事件の解明を求められる物語。
組織のボスが絞殺死体となって発見されてしまうのだが、誰にも犯行は不可能で、凶器も見つからない、という状況
このトリックはけっこう無理がある感じもしますが、タイトルの通り、「点眼器」がキーになります。
『俘囚』
若い男との不倫の末に夫を井戸に投げ込んで殺した妻が、死んだはずの夫の幻影に悩まされる物語。
これもかなりグロテスクな怪奇小説傾向の強い作品。
ただ、コレはちょっとぶっ飛び過ぎかも・・・。
『人間灰』
空気工場で次々と従業員が疾走するという事件を解き明かす物語。
船で湖を渡っていた人はなぜ気づかないうちに血まみれになってしまったのか。
消えた人々はどこに行ってしまったのか。
これまたギョエッと思ってしまうようなトリックだけど、これはなかなかおもしろい。
『獏鸚』
暴力組織同士の抗争に絡んで、探偵・帆村が見つけた秘密のメッセージにかかれていた謎の言葉「獏鸚」。
獏と鸚を組み合わせたこの言葉は何を意味するのか。
最後はあまりグロくない暗号もの。
ちなみに帆村シリーズは続編も復刊されているようです。
後記
『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』を見てきました。
「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」 TV SPOT 伝説編
いやあ、よかったですね。
シリーズ完結編ということでどんな終わり方をするのか、期待半分・不安半分で見に行ったのですが、いい感じの終わり方にしてくれたと思います。
ちゃんとレイの正体は明かされます。
これ、検索するとけっこう簡単にネタバレが出てきてしまうので、見ていない人は気をつけてください。
ただ前作「最後のジェダイ」はなんだったんだよ…感は否めないかも。
個人的には、前作の最後に出てきたあの少年がまったく登場しなかったという肩透かしもありました。
カリフォルニアのディズニー、行ってみたいもんです。
今回はこんなところで。
それでは、お粗末さまでした。
年末年始はコレを読んどけアワード2019 ~小説・人文・ビジネス実用~
今年は仕事が忙しくてかなり本を読む量が減ってしまいました。
いや、言い訳をすると、本は読んでいるのです。
ただ、仕事の資料として読まなければならない本が多く、著者がかなり偏っているので、そういう場合はレビューを書いたりブログ記事にしたりしなかったりしたのです。
あとマンガとかも、巻数が多いと書いていなかったりします。
ともあれ、またこの時期がやってきたので、私の中で年中行事になりつつあるこの記事を今年も書きます。
今年読んだ本のなかからとくにおもしろかったものを10冊に絞ってご紹介。
あくまで「私が今年読んだ本」なので、刊行年数はもっと古いものもあります。
とくにランキング形式は採用してないので順不同です。
ちなみに、今回はブログでは取り上げなかった書籍も入っているので、それらの本に関しては説明がちょい眺めになっています。
もくじ
1.『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」』
2018年のビジネス書大賞に選ばれたヒット作で、ビジネス書におけるリベラルアーツ(いわゆる教養)ブームの先駆けになった本。
すでにビジネスの世界ではAIとかRPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)が進んできていて、いわゆるホワイトワーカー的な事務作業は今後ますます重要性が低下することが予想されています。
そうしたなかで人間に残された役割は、分析されたデータを見て、個人あるいは会社としてどのような行動を取るか判断する意思決定の領域になるのですが、そこで重要になるのが「美意識」である――というのが著者の主張です。
すごく端折ると、美意識の一側面はモラルのことです。
お金が儲かるからといって法律スレスレの反モラル的なことを行うと、長期的な視野に立ったとき、結局損をすることもある。
ただ、じつはモラルの欠如は悪意によって引き起こされるのではなく、無思考差によって引き起こされることは、ハンナ・アーレントがナチスドイツで多くのユダヤ人を処刑したアイヒマンについて述べた書籍で明らかにしています。
このあたりの「倫理」については、こちらの本も参考になるかもしれません。
この本もいま、売れてます。
Think CIVILITY(シンク シビリティ) 「礼儀正しさ」こそ最強の生存戦略である
- 作者:クリスティーン・ポラス
- 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
- 発売日: 2019/06/28
- メディア: 単行本
2.『ゼニの人間学』
著者は名作マンガ『ナニワ金融道』の著者です。
じつは私は絵柄があまり性に合わなかったのでこのマンガを読んでこなかったのですが、LINEマンガで無料で読めたので、今年始めて読みました。
で、メチャクチャおもしろかったのです。
主人公はいわゆる街金(サラ金)に務める会社員で、お金に困った中小企業の経営者、あるいは個人になかなかの金利で貸し付けます。
それにまつわる人間ドラマ、転落劇がおもしろいわけです。
(これをおもしろいと思えるのは「自分には関係ない話」という思考と、「でも自分も同じ目に遭うかもしれないな」という恐怖がない混ぜになっているせいなんでしょう)
さて著者の青木雄二さんは残念ながら2003年に58歳の若さで亡くなってしまったのですが、マンガ家としてデビューしたのは45歳とかなりの遅咲き作家で、それまでは30もの職を転々としたり、印刷会社の経営を行ったりしていました。
じつは青木さんはマルクス主義に傾倒していて、資本主義の現代社会にたびたび警鐘を鳴らしています。
青木さん自身は『ナニワ金融道』によって一生遊んで暮らせるだけの資産を築いたにもかかわらず、資本主義を否定していた稀有な人物だったのです。
もちろん、マンガでそんな小難しい話をしてもだれも読んでくれないことは重々理解していたため、経済的自由を手にしてからは本書のような現代社会を痛烈に批判する本を書いたり、講演活動を行っていたとのことです。
なぜ人はお金にこんなにも執着してしまうのか。お金とはそもそもなんなのか。
お金で何度も辛酸を嘗め、裏切りに会い、騙された経験を持つ著者だからこその説得力がある一冊です。
3.『アステリズムに花束を 百合SFアンソロジー』
「百合=女性同士の恋愛」をテーマにしたSFアンソロジーです。
「百合=女性同士の恋愛」と捉えられることも多いですが、この「恋愛」という言葉が、たとえばセックスをともなうラブ的なものかと言うと、かならずしもそうではなくて、もっとプラトニックな、あるいは「絆」と呼ぶべきようなものであることも大いにあります。
そのあたり、「百合」というテーマを投げ与えられた作家が、作品を通じてどのような返答をしたのかというのも、この本を読む上でおもしろい部分でしょう。
4.『てつがくフレンズ』
ブロガーであり、ベストセラー『史上最強の哲学入門』の著者である飲茶さんがひっそりと出している一冊です。
タイトルは明らかに「けものフレンズ」をオマージュしていますね。
本書は基本的にマンガで、西洋の名だたる哲学者たちがかわいい女の子になり、学園に入学するという「よくあるパターン」で物語が進みます。
正直、この時点で私はちょっと意気消沈したというか、私は飲茶先生の作品が結構好きだったので、途中まで「おもしろくないなあ」と思いながら読み進めていたのですが、さすがは飲茶先生です。
この作品、終盤で化けます。
女の子たちがワイワイキャッキャするほのぼの学園マンガから、マンガというメディアを使って「自由意志」について問いかけてくるわけです。
一気にシリアスな展開になり、(ちょっと難しくなるけど)グイグイ引き込まれます。
そして私はこういう展開が大好きなのです。
残念ながら売れ行きがあまり芳しくないのか、ちょっと話が尻切れトンボで終わってしまっているのですが、私としてはぜひとも続編が読みたいと説に希望しています。
序盤で読むのをやめないで、ぜひ最後まで読み切ってほしい一冊ですね。
5.『むかしむかしあるところに、死体がありました。』
桃太郎や浦島太郎、一寸法師など、だれでも一度は聞いたことがある日本のおとぎ話の世界で繰り広げられる精算な殺人事件と、その謎を解く短編ミステリー。
こうした設定がおもしろいのはもちろんのこと、物理的なトリックから叙述系、アリバイトリックまで、おおよそミステリーのジャンルを網羅するような丁寧な作り方が魅力的。
6.『1秒でつかむ』
メチャクチャ分厚くて(500ページ超)、すごく内容が濃い。
著者はテレビ東京の人気番組『家、ついて行ってイイですか?』のプロデューサーであり、ほかのテレビ局と比べて予算の少ないテレ東らしい、エッヂの効いた企画を量産している人。
本書の最大の魅力は、単にハウツーとしてアイディアの出し方を読者に提案するだけではなく、実際にその考え方について、読者がこの本を読み進めながら実体験できるように作られているという部分でしょう。
7.『10の奇妙な話』
ミュージシャンや映画監督もやっていた異色の作家さんによる不思議な不思議な短編集。
「ひたすら眠り続ける少年」「骨を集める少女」「暗い葬儀屋一家」などなど、ホラーとまではいかないけれど、なんだか薄暗くて不気味な登場人物たちによる物語です。
正直なところ、「で?」という感じで終わる話も多いし、結局どういう話だったのかスグに理解できないものもあるかもしれないので、読む人は選びそうだけど、真冬の夜中辺りに読むのにぴったりな一冊ですね!
8.『叙述トリック短編集』
ミステリーは突き詰めれば著者と読者の化かし合いなわけですが、それをストレートに突き詰めたのがこの一冊。
最初から「この本は叙述トリックのミステリーです」と言っている時点でかなり挑戦的ですが、さらにおもしろいのは、ミステリーなのに「はじめに」があるという点。
ここで、いきなり読者への挑戦状ならぬ「読者へのヒント」まで出してくれる親切っぷりです。
ただしもちろん、著者は読者に謎を仕掛ける側の人間ですから、基本的に著者の言っていることをあまり真に受けてはいけません。
(もちろん、騙されることも快感ではあるけれど)
9.『ラメルノエリキサ』
こいつは昨日読み終えた本なのですが、おもしろかったので、急遽追加しました。
ちょっとミステリーっぽさがある文芸。
完璧に優しくて美しい母親にコンプレックスを抱き、「やられたたらやりかえす」を進上している「復習の申し子」であるハードボイルドJKがいきなり夜道で通り魔に遭うことからさあ大変。
当然ながら犯人に復讐を遂げるため、警察よりも早く犯人を見つけようとするのですが、手がかりは班員がいい子した言葉「ラメルノエリキサのためなんだ」のみ。
さて犯人はだれなのか、動機は? ラメルノエリキサとはなんなのか?
鬼のような行動力でスピーディに突き進む物語は店舗も抜群で、サクサク読んでいけますし、キャラクターもいちいち魅力的。
そしてなにより、復讐劇というフォーマットなのに読んでいてどす黒い感情にはならず、清涼感があってスッキリとした読後感なのです。
10.『翻訳地獄へようこそ』
ベテラン翻訳者によるエッセー本。
ほかの翻訳者の訳文を取り上げつつ、英語から日本語に変換するとき、どういう間違いを犯しがちなのか、翻訳するときにはどういうことをする必要があるのかということがつらつらと書かれている。
翻訳の仕事をしている人からすると「うるせえな」と思うような内容なのかもしれないけど、門外漢の私からすれば「なるほど、こういう間違いを翻訳家の人もするのね」という驚きがあったりして、おもしろい。
ベスト・オブ・ベストは……
今回はちょっと悩ましいけれど、『叙述トリック短編集』。
やはり「してやられた!」感を出してくれるミステリーに出会えるとうれしいもんですね。
それでは良いお年を。
『おとしどころの見つけ方』のレビュー
「交渉」というと普段の生活であまり耳馴染みがないというか、ビジネスシーンだけを連想する言葉だと思います。
ただ、じつは
「あらゆるコミュニケーションは交渉である」
というのは、一理あるのです。
そもそも「交渉」とは「話し合いによって何かを決めること」を指します。
なので、晩御飯の献立を決めるのも、デートでどの映画を見に行くのかを決めるのも、相手と自分の考えをすり合わせてコンセンサス(合意)を必要とする場合、それにかかわる会話は「交渉」だといえます。
というわけで今回紹介するこちらの本、『世界一やさしい交渉学入門 おとしどころの見つけ方』が役に立ちます。
本書の著者はマサチューセッツ工科大学(MIT)留学時にこの「交渉」をテーマに研究することを決め、「交渉学」というものを立ち上げた人です。
ちょっとめずらしい、「交渉の専門家」といえる人ですね。
装丁を見ればわかるように、この本は非常にやさしい作り方をしています。
マンガページが多く、ほとんどが物語形式で進行します。
主人公の久地米太(くち・べいた)くんがいきなり宇宙人(ネゴ星人)と遭遇し、なぜかその宇宙人から交渉のイロハを教わるというストーリーです。
ここでは、本書の内容の少し解説していきます。
相手の「利害」を把握する
ベストセラー『嫌われる勇気』で一躍有名になったアドラー心理学では、「目的論」という考え方が出てきます。
これは「原因論」の対になるような考え方です。
簡単に説明すると、他人の行動原理を理解しようとするとき、
「この人がこんなことをする原因はなんだろう?」
と相手の原因ベースで考えるのではなく、
「この人がこんなことをする目的はなんだろう?」
と、相手が目指している目的をベースに考えましょうということですね。
コミュニケーションが交渉になるのは、相手の主張と自分の主張にずれがあるときです。
そのズレを調整して落とし所を見つけるのが大切になるわけですが、そのためには相手の目的を把握していないといけません。
この、相手の主張の背後にある理由のことを、交渉学では「利害」と呼びます。
たとえばランチで、自分はラーメンが食べたいのに、相手が「カレーが食べたい」といって意見が対立している場合。
この場合、相手の表面的な主張は「カレーが食べたい」ですが、それが利害とは限りません。
もしかすると、「今日は寒いから辛いものが食べたい気分だ」というのが相手の真の目的である可能性があります。
であれば、「辛うま担々麺の店に行こう」という提案にすれば、相手も「ラーメン屋にいきたい」という自分の提案を受け入れる可能性があるということです。
アタリマエのことですが、交渉とは単に自分の意見をゴリ押ししたり、相手の意見を論破したりすることではありません。
それでは、たとえ自分の主張を相手に受け入れさせても、相手との関係性に軋轢が生じてしまいます。(基本的に、正論で論破するというのは悪手です)
そこで、相手の「真の目的」を明らかにし、自分も相手もうれしい「おとしどころ」を見つけるのが交渉学ということなのです。
大事なのは「BATNA」
交渉においてメチャクチャ重要な考え方が「BATNA(バトナ)」というものです。
これは
「Best Alternative to Negotiated Agreement」
の略称で、翻訳すると
「交渉決裂時の最良の代替案」
とでもいえばいいでしょうか。
MBAで教えてもらえるらしいコミュニケーションの鉄則です。
平たく言うと、
「つねに最悪のケースを想定して、そうなったときの行動を考えておけよ」
ということですね。
ハッキリいって、このBATNAを考えているかいないかで交渉の結果はまったく変わります。
たとえば引っ越しをするときに業者にお願いする場合、1社しか検討していなければ、基本的に「その業者に頼むか、頼まないか」の2つしか選択肢はありません。
しかし、3社に同時に見積もりを取れば、相手が提示した見積もりによってはほかの会社にお願いするという選択肢が考えられます。
交渉というは、必ずその相手とおとしどころをみつけなければいけないものではありません。
どうしても自分の条件と相手の条件が折り合わないのであれば、決裂させるというのも選択肢のひとつなわけです。
(だからこそ、企業は「代替案がない」ような商品・サービスづくりに躍起になります。たとえば「ブランド価値」というのはほかでは代替できない価値です。アップル社のスマホやパソコンは、たとえ他社のものが性能や見た目がアップル社そっくりでも、「アップル社の製品である」ということは代替できないので、消費者に対して強い態度=高い価格設定で挑むことができます)
「最悪の場合は、こうしよう」ということが考えておければ、相手との交渉に余裕を持って臨むことができます。
BATNAがない人は、カモにされます。
なにかに焦っている人、「これしか方法がない」と視野が狭まっている人は、交渉において相手のいいなりになるしなくなるということですね。
たとえば、とにかくすぐにお金が必要な人は、消費者ローンの高い金利を飲んでお金を借りなければならないかもしれません。
あるいは、「絶対別れたくない」と恋人にベタぼれしている場合、惚れた弱みで相手のワガママに付き合わざるを得ない状況になります。
なお、自分にもBATNAがあるように、相手にもBATNAがあります。
それを把握しておかないと、相手から交渉を破棄される可能性があります。
手の内は簡単に明かすな
引っ越しをしたことがある人は経験があると思いますが、引越し業者に見積もりをお願いすると
「すでに他社でお見積されていますか?」
「他社さんの見積額はいくらですか?」
と質問されます。
よほど相手の営業マンがボンクラでない限り、絶っ対に聞いてきます。
これは要するに、お客にBATNAがあるのか、あるとしたらどんなBATNAなのか、探りを入れてきているのです。
ここで、絶対にバカ正直に「○○円です」などと教えてはいけません。
「○○円以下なら即決しますよ」などと答えるのもダメです。
たとえばBという引越し業者に「A社さんの見積もりは10万円でした」と伝えたら、それを聞いたB社は「じゃあうちは9万5000円にしますよ」と言ってきます。
もしかしたらB者は9万円まで値引きする用意があったかもしれないのに、競合相手からの見積額を教えてしまったがために
「A社さんより安くしてますから、もうこれ以上は下げられませんよ」
という理屈を言えるスキを与えてしまっているのです。
よほど親しい相手とか、信頼できる相手でない限り、自分の「許諾条件」を相手に打ち明けてはいけません。
それを言ってしまうと、相手に足元を見られます。
本書で述べられていますが、相手に自分のBATNAが知られてしまうのは、交渉において「負けが確定」してしまいます。
・自分が本当に望んでいるもの
・本当のデッドライン
・本当の許諾条件
などは相手には曖昧に伝えておくのが鉄則です。
ざっくり駆け足で説明しましたが、本書ではこのような交渉における基本的な姿勢、そしてテクニックを、久地米太くんとネゴ星人の対話形式で事例を交えつつ伝えてくれています。
ちなみに、多作なことで知られる明治大学・齋藤孝先生の著書『いますぐ使える!頭のいい人の話し方』という本では、頭がいい人のことを「視点の移動ができる人」と定義しています。
つまり、頭が悪い人というのは、「自分の主観でしか物事を見られない人、物事を考えられない人」ということですね。
要するに「視野が狭い人」ってことです。
交渉において大事なのは「相手の立場に立って、相手の利害を考えること」であります。
そして、自分の利害と相手の利害を俯瞰的に見て、そのすり合わせをすることが大事です。
口で言うのは簡単だけど、それがなかなかできない、あるいは間違えてしまうから厄介なわけですが、「すべてのコミュニケーションは交渉である」という考え方を念頭に置いて、つねに自分と相手のおとしどころを考えながら話をするというのは、主観で物事を考えるクセから脱するヒントになるんじゃないでしょうか。
後記
「FFBE幻影戦争」がリリースされましたね。
もともと「FFT(ファイナルファンタジータクティクス)」や「タクティクス・オウガ」などが好きだったので、事前登録までしてけっこう楽しみにしていたのですが、実際にやってみて、うーんちょっとイマイチな感じがしたのが残念でした。
ちなみに、配信元はスクエア・エニックスですが、開発元は「誰ガ為のアルケミスト」をつくったgumiという会社です。
なので、レビューにもチラホラ意見が見られますが、マップ等で「誰ガ為のアルケミスト(以下タガタメ)」の使い回しと思えるようなところも見られるらしいです。
まあそれは置いておいて、なんで私がこのゲームに対してイマイチのめり込めないのかというのを考えてみました。
・ストーリーが浅い
FFTやタクティクス・オウガの魅力というは、壮大なストーリーです。
というよりも、ゲームの中の情勢が複雑すぎて、子どもだとついていけないような話でもありますが、それがよいのです。
今回の「幻影戦争」は、それがちと浅い。
そもそも、王族の兄弟で確執があるというのはまんま「タガタメ」と同じだし、シナリオの進め方がご都合主義なところが多い。
仕方ない部分はあるだろうけど、キャラクターもやたら女の子ばっかりだし。
・育成が複雑すぎる
キャラクターは基本的にガチャで入手数のですが、通常の経験値とは別にJPがあるのはいいにしても、「限界突破」「Jobレベル」「覚醒」などなど、それぞれを上げるために必要な素材が別々なので面倒くさいことこの上ない。
そのうえ、武器などのアイテム強化、装備する召喚獣、さらにビジョンカードなど、もうどのアイテムがどれの強化用なのかわからない。
また、ここが最悪だと思うのですが、キャラクター育成の自由度がメチャクチャ狭いのです。
キャラクターごとにジョブは決まっているし、スキルも、一応自分で取捨選択できるけど、現実的にあまり選択肢はない。
いろいろ複雑なのに、プレーヤーに選択肢がないというのはフラストレーションが貯まるポイントであります。
あとこれは仕方ないところかもしれないけれど、リリースしたばかりで強いキャラクターが数種類しかいないというのも不興。
とくに、メインシナリオで同じキャラクターが出てきてしまうのは、それだけで世界観が崩壊してしまうようでゲンナリします。
マップの上で複数のキャラクターを移動させながら戦略的にバトルを進めていくスタイルは「シミュレーションRPG」と呼ばれるジャンルですが、こうしたゲームの性質は、もしかするとスマホと相性が悪いのかもしれない、ということをプレイしながら感じました。
以前よりスマホの画面が大きくなりつつあるとはいえ、テレビやタブレットよりも小さな画面でマップを確認しながらキャラクターを動かしていくというのはなかなか面倒くさい。
指で移動先を移動させるのもあまりスムーズにできないし、マップの角度を変えたり敵の移動範囲を把握したりするのもちょっとたいへんです。
操作をミスするとそのままターンが終わったりするし。
こういうゲームはやっぱりボタンで操作したほうが良いのかな……、とも。
SRPGの真髄は強すぎる敵(だいたいマップの初期配置ではプレーヤーが不利なところにいる。場合によっては的に囲まれているキャラクターを殺される前に救助しなければならないちおう鬼畜条件がつく)に対して慎重に団体行動をして味方が死なないようにしながら相手を個別撃破していくところにあるのですが、そもそも操作が面倒くさくて、基本的にオードバトルモードにしたくなるというのは自分の中で本末転倒な気がしているのです。
とくに、3Dで背景やキャラクターの造形がむやみにリアルになってしまっているせいで、マップの視認性が悪いというのは困りものですね。
まだプレイを初めて1ヶ月も経っていないので年内くらいはダラダラ続けていくつもりですが、どうにもあまりのめり込めないかもな……「戦場のヴァルキュリア」のリマスター版をPS4でプレイし直そうかしらなどと考えています。
戦場のヴァルキュリア リマスター 新価格版 【Amazon.co.jp限定】オリジナルPC壁紙 配信 - PS4
- 作者:
- 出版社/メーカー: セガゲームス
- 発売日: 2018/01/18
- メディア: Video Game
今回はこんなところで。
それでは、お粗末さまでした。
『屍人荘の殺人』のレビュー
NETABARE。
小説のレビューを書くときに最難関となるのがこれですね。
ビジネス書とか実用書の場合はあまり気にしなくてもいいのですが、小説の場合、とくにそれがミステリーだった場合、ネタバレは一気にタブーな行為になってしまうわけで、そこが文芸作品のレビューを書くネックになるわけです。
過去のエントリーで私は
「本レビューとはとどのつまり、その本の説明である」
ということを述べましたが、ネタバレを避けながらその本を説明するのは高度なテクニックを要します。
今回紹介しようと思うのはこちらの本です。
この本は「鮎川哲也賞」「このミステリーがすごい!2018年度版」「週刊文春ミステリーベスト10」「2018 本格ミステリ・ベスト10」と、2018年の主要なミステリの賞を総なめにしたとんでもないモンスター作品です。
今年12月には映画化が決まっています。
ただ、
この本、非常にレビュワー泣かせ
なのです。
普通のミステリの場合、最悪、事件の核心となるトリックさえ伏せておけばOKだと思います。
が、この作品の場合、トリックどころか、そのトリックを用いるための前提状況ですらなぜかネットを見てみてもふせられていることが多いのです。
Wikipediaはたまにとんでもないネタバレをやらかすことで知られていますが、この作品に関してはトリックはもちろん、「あのこと」に関してすら一切触れられていません。
引用してみましょう。
神紅大学ミステリー愛好会のメンバーである葉村譲と明智恭介は、女子大生の自称「探偵少女」剣崎比留子に誘われ、同じ大学の映画研究会夏合宿に参加する。しかし、映画研究会はいわくつきで知られ、何かが起きることは容易に想像ができた。事実、肝試しに出かけた合宿初日の夜、思いも寄らぬ事態が発生し、葉村たちは合宿先である紫湛荘に立てこもらざるを得ない事態になってしまう。翌朝、紫湛荘の一室において映画研究会のメンバーの1人が他殺体となって発見される。恐怖に怯える学生たちだが、これはこれから起きる連続殺人事件の始まりにすぎなかった。
これはあまりにも話題になっている本であるだけにウィキペディアンたちが配慮をしているということなのか、事実はよくわかりません。
が、あのウィキペディアですらそのこと「思いもよらぬ事態」と具体的に起こることを伏せている以上、私が勝手にそれをネタバレするわけにもいかないでしょう。
そのため、トリックどこからこの物語の根幹をなす要素について一切明らかにしないまま説明しなければならないのです。困った困った。
さて、この作品が2018年のミステリの賞を総なめにしたことはすでに説明しましたが、それはなぜかというと、
すでにありとあらゆる手法・バリエーションが使い回されてシオシオに枯れ果ててしまったかに思われていた「密室トリック」のジャンルに、別の要素を加えることで"新しいあり方"を鮮やかに実現した
からなのです。
ミステリーの世界ではいろいろな「偽装」が行われます。
たとえば自殺と見せかけた他殺、かと思いきや他殺と見せかけた自殺、偶発的な事故に見せかけた計画的殺人、計画的殺人に見せかけた偶発的自己、犯人ではない人を犯人だと思わせる……などなど。
けっこうギリギリなヒントを差し上げると、この本の真骨頂は、その状況でしかなし得ない偽装工作を行っている点です。
これくらいにしておきましょう。
トリック以外の部分については、この本にはいかにも「本格的」な要素があります。
たとえばホームズ役の相棒としてのワトソン役に重点が置かれていること、たとえば登場人物がやたらミステリにくわしくてうんちくを語ること、たとえばトリック偏重気味で動機の意外性には重きを置かれていないこと。
そうそう、ホームズ役の剣崎蛭子さんはちょっと独特の推理方法が特徴的で、彼女はいわゆるミステリの中の探偵のようにトリック(ハウダニット)の部分を考えず、もっぱら動機(ワイダニット)の側面から犯人を割り出していきます。
これもある意味で本格へのアンチテーゼのように見えつつ、一種の本格に対するリスペクトのように思えるのです。
あと、私が個人的にこの本の著者・今村昌弘先生に非常に共感できる点があります。
それは登場人物の名前の付け方です。
ミステリーって登場人物が多いですよね。
まあ、登場人物が少なすぎると謎解きとか死人が足りなくなるという不都合が生じるので、登場人物が多くなってしまうのはミステリの宿命なのですが、そうなるとだれがだれだかよくわからなくなってくるわけです。
とくに、海外ミステリだと名前のイメージがつかみにくいせいで、だれとだれがどういうつながりだったかわからなくなりがちです。
その点、この本は非常に単純明快です。
というのも、登場人物たちの名前がどれも彼・彼女たちの見た目・正確に即したヒジョーにわかりやすい名前になっているからです。
たとえば、ヒロイン然とした超可愛い女の子の名前は星川 麗花。
口数が少ないおとなしい女の子は静原 美冬。
デブの男は重元 充。
親の七光りで遊びまくる道楽息子は七宮 兼光。
ギョロッとした目つきが特徴的な男は出目 飛雄。
ありがたいのは、きちんと作中でそれぞれの名前の由来を説明臭く説明してくれるところです。
これで、たくさん登場人物が出てくるからと言って、だれがどういうキャラクターだったか混乱することはありませんね。
私のように記憶力に難のある人間には大変ありがたい仕様になっています。
ちなみに、続編である『魔眼の匣の殺人』も読みました。
おもしろかったけれど、状況設定的にはやっぱり『屍人荘の殺人』には劣ります。
ミステリーとかサスペンス系にはさほど珍しくないモチーフだったこともあります。
ただ、適度にライトなノリで、文章もわかりやすく、見た目の割にアッサリさっくりよめる良質なミステリなので、秋の夜長にはお薦めですね。
ちなみに、集英社のアプリ『ジャンプ+』でコミカライズ版が連載されています。
剣崎蛭子がなんかちょっとイメージと違いますが、これはこれで楽しいです。
単行本も発売されるみたいですね。
まだ書影は出てないけれど。
きになったらぜひ。
後記
『移動都市/モータル・エンジン』を観ました。
荒廃したはるか未来で著巨大エンジンによって都市そのものを動かしながら資源を略奪していって生計を立てている人々の物語です。
原作はこちらの小説です。
原作とどのくらいストーリーを変えているのかはわかりかねますが、すごく率直に感じたのは
「これスター・ウォーズみたいだな」
ということでした。
あのキャラクターの設定とか、あの兵器とか、、、。
いや別につまらなくはないけれど、うーんスローリーに安直感が否めない。
ただ、スチームパンク的なギミックが好きな私としてはガチャンコガチャンコする変形都市のデザインは好みです。
それくらいでしょうか。
暇だったら観てみるのもアリかもですね。
今回はこんなところで。
それでは、お粗末さまでした。